Episode10 天竜暦182年 戦乱、魔女の想い
元第二王子の後ろに、その魔女はいた。
レイアと同じ黒髪だが、艶のない、光を全て吸収するかのような黒。背はひょろりと高く、体つきは貧相で病的に見える。恐らく顔の造りは悪くないのに、生気のない青白い顔は正に魔女。レイアの赤い瞳は宝玉のように美しいのに、その魔女の赤い目は血のようだった。
元第二王子率いる王国軍と、ユーリ達レーシュトの騎士が睨み合う中、レイアが魔術を行使した。敵の魔女により王国の元老院議員、貴族、騎士達は洗脳されていたのだ。その洗脳を解除した。元第二王子は恐らく洗脳されたわけでもなく、野心と憎しみを持って赴いてきているのだろうが、これで戴冠したとはいえ、彼の味方をする王国軍の兵士や騎士はいくらか減るはずである。
混乱する王国軍を無視し、レイアは魔女とステイオン、自分を転移させた。
誰もいない荒野に転移した瞬間、ステイオンは剣を構えて走り出した。しかし斬りかかろうとした瞬間、ステイオンは暗い砂の大地にいた。息ができず、体は軽く、熱湯のような熱さに体が茹だる。と思った時には空にいた。わけもわからないまま、同じく空にいる魔女に引き寄せられたので、剣を振りかぶった。次に何かが身体を通り抜けた。灼ける様な熱と共に体が分断される。そしてその体が業火に包まれる。ステイオンの意識が一瞬飛び、気が付いた時には水に包まれて火が消されていた。そして体が再生される。
ほとんどは魔女と魔女の、人智を越えたやり取りの応酬であった。ステイオンは焼かれ、凍らされ、斬られ、その度に再生し、とにかく魔女が目の前に現れたら斬りつけようと剣を振る。
敵の魔女の方が力が強いそうだが、ステイオンは不死身であり、またその攻撃は魔女を滅する力を持つため、敵も無視はできない。それでなんとか均衡が取れているようだった。となれば、ステイオンが何かしら有効な攻撃に出られれば、形勢が優位になる。
ステイオンは燃えれば敵に突っ込み、凍れば氷塊を投げ、斬られて首ひとつになれば噛みつこうとした。そうして一心不乱に戦い続け、いったい何日が経過したか。遂にレイアの多重攻撃に魔女が気を取られた一瞬をつき、折れた剣の切っ先を投げ、魔女の腹に突き立てた。
魔女は悲鳴を上げて墜落していく。かろうじて魔術で軟着陸できたようだが、レイアの魔術で土が四肢を拘束した。
「おのれ…忌々しい聖騎士。あたしの聖騎士は殺したのに、なんで小娘の聖騎士が共闘しやがるんだ!」
「…其方にも聖騎士がいたのか」
「そうさ!あたしが魔女になった時、対になる聖騎士がクソ女神に任命されて!千何百年も追っかけられてさ、何度も死にそうになったけどさ!最後は見知らぬ赤ん坊を盾にして、なんとか殺せたんだよ!」
「…ふむ。其方は正しく魔女であるようだ」
「ああそうさ!魔女さ!小娘はなんたって忌々しい天敵と仲良くやってんだ!」
「…さあね。…あたくしにもよく分からないわ」
「ぐぅぅぅ!!…けど、まだまだ小娘だね!」
魔女はにやりと嗤った。ステイオンとレイアがあっと思った時には、魔女の身体は剣先を残して消えていた。
「…駄目ね、この転移は戦闘中の術と違って、あたくしでは追えない」
それでもとにかく深手は与えた。二人はレーシュトに戻ったのだった。
二人が戻ると、とっくに戦争は終わっていた。混乱の中で王を殺した大罪人と糾弾し、素早く元第二王子を拘束しただけだった。怪我人らしい怪我人も出なかったそうだ。
普通ならば王族の直系である元第二王子が政権を取ったのならば、政変でありそのまま王として政治をするだけなのだが、戴冠しただけで遠征に出たので政治的基盤が全くなく、また魔女の存在があった為に忌避感が強かった。結局、元第二王子は魔女に魅入られた者として処刑が決まった。
そんな訳で、二人が戦っていた数日の間に様々な話し合いがもたれた。王族は皆殺されてしまい、元第一王女しか残っていない。まだまだ男尊女卑がひどく、この大陸では女王などという概念すらない時代である。元第二王子は処刑される為、男系王族が根絶し、ウステニア王朝は滅びてしまうことが確定した。
そして、過去に王族が興した公爵家の中から新王が選ばれることになった。
それは、新たな戦いの始まりだった。王位を争いウステニアは割れ、いくつかの地方が独立を宣言した。そして南の大陸でも、ここ二百年ほど勢力を伸ばしている神聖ティーリアン帝国や周辺国家の戦争が激化。西の大陸では天竜が消え、戦争がどんどん拡大していたが、いよいよ全ての大陸が群雄割拠の戦国時代へと突入していく。
その多くは、かの魔女を切っ掛けとしていた。
ステイオンとレイアは、かの魔女を探し、旅をした。レイアの探査魔術にも反応はないが、間違いなく魔女は生きている。ステイオンは魔女の討伐を己の使命と考えていたし、レイアもあの魔女に世界を壊されるのは気に入らなかった。
気に入った町の景観は壊れ、また食べようと思っていた名産品は失われ、人々の笑顔が溢れるあたたかな場所はどこにもなくなった。
レイアの転移があるので移動は楽だったが、どこの大陸に行っても人々の顔は昏く、笑い声のない暗黒時代が続いた。
ステイオンはそれに引きずられたのか、いっそう無感情になり、人形のようになっていった。最近では笑うことはおろか、言葉を発することも少ない。
ある夜のことだった。レイアはステイオンに剣を持たせ、己の首筋に当てた。
「もう、終わらせたい?もうやめてもいいのよ。あのクソ魔女は気になるけど、他の誰かがいつか何とかするかもしれない。あなただけがこんな毎日を続けていく必要なんてない。女神がどう思おうといいじゃない。二人で一緒に…」
レイアは剣を持つ手に力を入れた。もはやステイオンに感情はない。だったら、レイアが決めてもいいと思った。レイアは死にたいわけではない。けれど、この真面目で誠実な騎士のこんな姿は、これ以上見ていたくないと思った。
しかし、ステイオンは剣を動かさせなかった。レイアがいくら力を入れても、ぴくりとも動かない。
「まだ、やるべきことがある」
「あなたの使命はあたくしの討伐よ。やることはそれだけ」
「悪しき魔女は他にいる」
「あたくしも悪しき魔女よ」
「其方は違う。女神様がなんと言おうと、吾輩は其方を斬れぬ」
「どうして?」
ステイオンは答えない。レイアは長い時間、辛抱強く待った。レイアの欲しい言葉を。
二人は剣を掴み合ったまま、長い時間を過ごした。それでもステイオンが何も言わなかったから、やがてレイアは力を抜いた。
「本当、クソ真面目な馬鹿野郎」
たった一言、好きって言ってくれたらいいのに。
レイアの呟きに、しかしステイオンは無反応だった。