Episode9 天竜暦156年 もう一人の魔女
ウステニアの王都に着いたユーリは、まず第二王子に謁見を願い出た。
現在王はおらず、婚姻の許可は王妃より得ている。第二王子に正式に挨拶することで、エラン家、ひいてはレーシュト家が第二王子の派閥に属したことを、大々的に示すことになる。
レーシュト家は中央の政治には疎い家だが、北の地においては突出した食糧生産力を持つ。また英雄ステイオンの時代から武を誉れとしてきた地域であり、高い武力を持っている。
これまでは遠い地でのらりくらりと中立を保っており、中央への人脈などもあまりなかった為、政治的影響力を持たなかった。
それが王位争いの今この時に後ろ盾になったことは大きく、第二王子は一気に勢力を増すことになった。
レイアは空に浮かびながら、遠視で謁見の様子を見ていた。
第二王子と第一王女は、どちらも非常に美しい容姿をしている。話しぶりを見るに、人柄も良さそうだ。
(彼らを助けるのが悪いこと?分からないよ…ヴィータ)
レイアはもうヴィータ教の信者ではない。しかし遥か昔に神託で女神の声を聴いたことはある。
強大な魔力を持って生まれたことは女神にも関係ないが、魔女になるほど増大したのは聖女になって祈り続けたためである。
なぜ自分を聖女にしたのか。確かに人ではなくなってしまったが、なぜ滅ばされなければならないのか。ステイオンの人としての生を奪ったのは何故なのか。
レイアにとって女神は今、あまりにも遠い存在だった。
王女や側仕え、そして大量の荷物を載せ、沢山のガレッド車が連なり、その周りを護衛の騎士達が闊歩する。
王の喪が明けるまで婚姻の手続きは行われないし、出発の儀式もされなかったが、王都の民はみな、王女が伴侶の元へ向かう行列だと知っている。
顔を見せるため、護衛騎士と共に上部の開けた豪華な車体に乗る王女。そのすぐ横でガレッドに乗っているのは婚約者のユーリ。
民衆達は道の脇や家の窓から乗り出して二人を見て歓声を上げている。
ユーリの顔に油断はない。
これから元老院によって王が決まるまで、一瞬たりとも気を抜くことはできないのだ。レーシュトに着いても、領主館の中でも、己のエラン家の中でもだ。
『右斜め前の屋根。弓が一人』
突然脳裏に女の声が響いた。この声はレイアである。なにかの術でユーリに話しかけているのだろう。
『あと四人いるから、そっちはあたくしが飛ばしておくわ』
どうやら見せ場を作ってくれるらしい。場所が分かっていれば、矢を切り落とす程度の腕はある。
果たして屋根から男が立ち上がり、矢を射かけてきた。気付いた近衛騎士が王女の前に出て盾を構える。が、その盾に刺さる前にユーリがガレッドから飛び上がり、矢を斬り払った。
「あの屋根だ!」
盾を持った近衛騎士が叫び、その声に周囲の数人の近衛騎士が反応し、走っていく。
地面に降り立ったユーリが剣を鞘に戻すと、一層大きな歓声が上がった。近衛騎士にも負けない武威で恋人を守った騎士に、惜しみない拍手と声援が送られる。
民衆と王女に礼をし、何食わぬ顔でガレッドにまたがると、またも拍手が大きくなった。
その後の道中でも幾度か襲撃にあったが、レイアが大半は人知れず処理した。
ユーリだけに華を持たせ過ぎては要らぬ誤解を生むので、適当に何人かを放置して近衛騎士やユーリに対応させる。
結局、一人の犠牲者を出すこともなく、ユーリは王女を連れてレーシュトに帰還した。
刺客を差し向けた側にも、傷一つ付けられなかった事実が伝わると、レーシュト家とユーリは中央から恐ろしい精鋭達のいるものと考えられ、この後長い間、『レーシュト家とだけは敵対するな』とウステニア貴族の間で恐怖の代名詞のように扱われることになるのだった。
それからしばらくの後、元老院で第二王子の戴冠が決まり、晴れてユーリと第一王女の結婚も成った。
レイアは寒い寒いと言いながらレーシュトに滞在し続けた為、ステイオンもレーシュト家の食客となり、故郷での日々を過ごした。
ユーリや騎士達に稽古をつけ、美味しいものを食べ、安らかに眠る。穏やかな日々が続いていった。
そんな日々が破られたのは、二十年後のことだった。
王宮の奥にある白亜の塔に生涯幽閉されていたはずの元第一王子が、突然ウステニア王と王族を皆殺しにしたという報が届いたのである。
元第一王子はすぐさま政権を掌握し、ウステニアを支配した。
不思議なことに、元老院や近衛騎士、貴族達は王族が殺される時に傍観するばかりで、その後も反抗することもなく、新王に従っているという。
さらに、新王が軍を率いてレーシュトに向けて侵攻を開始したことが知らされた。
狙いはエラン家に嫁いだ元第一王女と、新王いわく『真の王に逆らった』レーシュト家、エラン家だ。
「ううむ、一体どういうことだ。元第一王子はどうやって塔を抜け出したのか、なぜ誰もが王族を守らずに彼に味方したのか」
「妖術の類でしょうか」
そこでレイアに相談することにした。
滅多なことでは頼ってこない領主とユーリの話を聞いて、レイアも思うところがあったのか、遠視してくれた。
その結果分かったことは、元第一王子の傍には魔女がいる、ということだった。
「魔女。レイア殿以外の魔女など、初めて聞きましたな」
「今この世界にいるのは、あたくしともう一人だけだからね。でも困ったわね。彼女はこの世界で最も古い魔女であり、最も強大な魔女よ」
「レイア殿でも敵わないと?」
「あたくしでは無理だわ。可能性があるとすれば、ステイオンね」
そこでステイオンにも話をすることにした。
「悪しき魔女であれば、それを止めるのは吾輩の使命である」
ステイオンは当然のようにそう言い、剣を取った。
そしてウステニア軍が迫るその時、レイアはステイオンに話した。
「彼女は強いわ。既に二千年以上を生きた魔女であり、あなたを殺さずとも無力化する手段もたくさん持っていると思う。だからあたくしが助けます」
「それは助かる。…そういえば、共に戦うのは初めてであるか」
「そうね。こんなに長く一緒にいたのにね」
「…かの魔女を討伐できた時…」
「……」
ステイオンは言い淀んだ。
レイアはステイオンが何を言いたかったか分かった。しかし何も言わなかった。
しばらく沈黙が続いた。
「…かの魔女に会ったことはあるのか?」
「一度だけね。いけ好かない女だから、二度と会いたくないと思ってたわ。危険な奴でもあるから、動向は確認していたけれど」
「どういう者なのだ」
「あたくし以上にこの世界を憎んでる。この世界を滅ぼす力もあるのに、それをしないで人を苦しめて永い時を過ごしているの。永遠に、見知らぬ誰かを苦しめることで、世界と女神に復讐し続けているのよ」
それはもう、魔女とはいえ狂っている。
「あたくし達がアレクースに行った頃、あの西の大陸では魔女に天竜が墜とされたわ。女神の御使いたる竜を殺そうとしたんだけど、流石に殺しきれなかったみたい。でも呪いを受けて、天竜は地上に降りられなくなったわ」
「そんなことが」
「さらに、いくつかの国を扇動して戦争を起こさせた。アレクースは辺境だから、あの頃は安全だったけれど、今も戦争は拡大していて、アレクースやミミノと過ごした町も、今はひどいありさまよ」
大陸中がひどい戦いを続けていて、人々は疲弊しきっているという。
権力者達もやめたいと思っているのに、何故か止まらない戦争。それが魔女の仕業だと言う。
「そんなことになっているのであれば、何故教えてくれなかった」
「あなたに関係ないことでしょう」
「吾輩は聖騎士であり、魔女を討つのが使命だ」
「それはあたくしでしょう」
「そう思っていたが、違うかもしれぬ」
「いいえ、あたくしよ。あなたが神託を受けたのはあたくしが魔女になったその瞬間、同時刻だったわ」
ステイオンは黙り込んだ。レイアは泣きそうな顔で、さきほどステイオンが言いたかったことを言った。
「あいつを殺しても、多分あなたは死ねないわ」
「……」
「もう、辛いという感情もないでしょうけど…本当に辛かったら、あたくしを殺してもいいわ」
ステイオンはそれには答えず、魔女と相まみえるまで、一言も喋らなかった。