わたくしは自分のした事に後悔なんてしていない。
その美しき姫は金色の髪をなびかせて、ある日突然、王宮の夜会に現れた。
あまりの美しさに、貴族の男性達はその姫に群がり、どこの誰か聞きたがった。
その姫は微笑むだけで、素性を教えてくれない。
そこへ、この国のクルト王太子が、婚約者の公爵令嬢レリーヌと共に現れた。
その姫の美しさにクルト王太子は声をかける。
「見かけぬ顔だな。どこの令嬢だ?名を名乗れ。」
姫はうふふふと笑って、
「わたくしは姫でございます。それしか申し上げられませんわ。」
「姫?どこぞの国の王族か?」
「さぁ。」
「それでは命じる。私とダンスを踊って欲しい。」
クルト王太子と共にいた公爵令嬢レリーヌが眉を潜める。
まずは婚約者と一曲踊るのが夜会の礼儀であろう。
姫は桃色のドレスを翻して、
「お断りいたしますわ。人間って本当に愚かね…見かけに騙されてチヤホヤして。
うふふふふ。オホホホホ。」
笑いながらその姫と名乗る令嬢は会場を出て行ってしまった。
どこの姫だ?なんて美しい。又、会いたい物だ。
夜会の会場にいた誰もがその姫と名乗る女性の虜になった。
その姫は一週間後、王宮で開かれた夜会に又、現れた。
なんて美しい。なんて可憐な女性だ。
男性達は皆、姫の周りに群がる。中には既婚男性も含まれていた。
「今日こそ、君はどこの誰なのか教えてくれ。」
「私とダンスを一曲、お願い出来ないだろうか?」
クルト王太子は、姫に向かって、
「王族命令だ。お前がどこの姫なのか、答えて貰おう。」
ツカツカとクルト王太子の前に出る一人の男がいた。
「王太子殿下、危険です。魔物の類かもしれません。ここは私に任せてお下がりを。」
腰に剣を下げた男はこの国の騎士団長ゴレストだ。逞しい体躯の巨漢は、クルト王太子を庇うように前に出て、姫と名乗る女を睨みつける。
「我が名は騎士団長ゴレスト。正式な名を名乗れ。もしくは魔物か?」
「ゴレスト様。良く私が魔物だって解ったわね。お礼に最初に食べてあげるわ。」
姫の身体が膨らんでいく。恐ろしい鱗の生えたトカゲのような姿に変わっていき、
大きな口をがばっと開けてゴレストに襲い掛かった。
王宮にいた貴族達は皆、逃げ出す。
クルト王太子は婚約者であるレリーヌ公爵令嬢をほっておいて、真っ先に逃げ出した。
「死にたくないっ。俺は王になる男だぁ。」
「王太子殿下っ。わたくしを置いていかないで下さいませ。」
ゴレストに襲い掛かった魔物。ゴレストが剣を振るったが、魔物の身体を覆う鱗に当たり、ガキっと音を立てて跳ね返される。
悲鳴をあげて腰を抜かしているレリーヌ公爵令嬢の方へ視線を向ける魔物は、そちらへゆっくりと進んでいく。
ゴレストは何度も、魔物に斬りかかるがまるで歯が立たず、身をもって、公爵令嬢の前に滑り込むと、彼女を庇うように立ちふさがり、
「さぁ、今のうちに逃げなさい。」
「無理ですわ。腰が…足が震えて。」
「ここで死にたいのですかっ。さぁ。貴方は王妃になる方ですっ。」
魔物は大口を開けて、二人に襲い掛かろうとしたが、スウウウウっと人の姿に戻って。
「つまらないわ。本当につまらない…」
姫はふううっと息を吐いた。
王宮の広間には誰もいなくなっており、そこにはゴレストとレリーヌと、そして姫だけがいた。
騎士達がやっと到着したのか、広間になだれこんでくる。
副団長が叫ぶ。
「弓で射ましょうか?団長。」
「待て。公爵令嬢を安全な所へ。」
「はっ。」
レリーヌは副団長に抱きかかえられ、外へ連れ出された。
ゴレストは魔物に聞いてみた。
「何がつまらないのだ?」
姫は寂し気に微笑んで。
「だって…つまらないのですもの…。私はひとりぼっち。
美しい人の姿を見せれば、チヤホヤし、魔物の姿を見せただけで、皆は逃げ惑う。
私は人を食べるなんて事はしないわ。ただ、寂しいの…。一人は寂しい。」
「この王宮から去れ。そうしたらこちらからは攻撃しない。」
「優しいのね。」
「人の攻撃など歯が立たないだろう。」
「そうね。」
姫と名乗る魔物は姿を消した。
騎士団員達がゴレストの周りに集まる。
「騎士団長。御無事で。」
「あれは何なんです??」
ゴレストは首を傾げて、
「さぁな。ともかく、逃げ出した王太子殿下、貴族達の無事を確認しよう。」
こうして王宮を騒がした騒動は終わったのだが。
外遊に出かけていた国王陛下と王妃は、真っ先に逃げ出したというクルト王太子に向かって、呆れたように。
「せめて、婚約者の令嬢位は守らんか。」
「なさけない。これでも王太子ですか。」
クルト王太子は泣きながら、
「あんな怖い魔物を見たからには、誰だって逃げたくなりますっ。」
国王はクルト王太子に向かって、
「お前は辺境の騎士団へ行って、修行をしてこい。」
「父上っ。そんなっーー。」
王妃もため息をついて、
「レリーヌ・アストル公爵令嬢の公爵家から婚約を白紙にしてほしいと申し入れがきているわ。勿論、受けるつもりです。何ですっ。綺麗な女が来たからって、レリーヌをほっておいて、挙句の果てに見捨てて逃げるとは。情けないっ。」
「母上っ。私はっーーーー。」
「問答無用っ。」
こうしてクルト王太子はしばらく辺境の騎士団へ修行に行かされた。
レリーヌ公爵令嬢は、ゴレスト騎士団長のいる騎士団事務所を訪れて。
「この間は助けて下さり、なんと感謝を述べたらよいか。」
「いえ、騎士団長として当然の事をしたまでです。」
「今度、是非、我が公爵家にお茶を飲みに来てくださいませ。」
ゴレスト騎士団長。この通り、髭面のムサイ男である。
こんな美しい公爵令嬢にお茶に誘われて、ちょっと嬉しかったりするのだが…
しかし、首を振って。
「私は男爵家の次男で、身分は低いのですよ。ですから、レリーヌ様にふさわしい方をお茶にお誘いになって下さい。」
丁重に断った。
レリーヌはチラリとゴレストを見ながら、
「そうですの。せめて伯爵家であったら、お父様も賛成してくれたのに。残念ですわ。」
この国の婚姻は身分が物を言うのだ。仕方がなかった。
騎士団の事務所で机に向かい、書類仕事を再開していると、背後から声がした。
「せっかく誘われたのに、残念だったわね。」
慌てて振り返ると、この間の魔物の姫が、桃色のワンピースを着て微笑んでいた。
「お前はこの間のっ??」
「ねぇ。私と遊びにいきましょう。」
「俺は騎士団長だ。魔物と遊びに行くわけにはっ…」
「寂しいの…私、とてもサビシイ。」
「解った。もう少しで仕事が終わるから、一緒に散歩でもどうだ?」
「わぁ。嬉しいわ。あ、でも、顔を少し変えた方がいいかしら。だって、この間の魔物だって解ったら困るのは騎士団長さんでしょ。」
「そうだな。」
仕事が終わり、魔物の姫と共に街へ繰り出すゴレスト。
「そう言えば、お前の名前はなんていうんだ?」
「私?そうね…メリア。昔はそう呼ばれていたわ。」
「そうか…メリア。」
「そうよ。メリアよ。」
メリアは嬉しそうに微笑んで。
街の明かりがメリアを照らす。
なんて幸せそうに微笑むんだろう。
メリアはゴレストに向かって、歩きながら。
「私は100年前に魔物になる呪いにかかった、遠い国の王族の姫だったの。
だから本当は人間なのよ。長い間、死ぬ事も出来なくて、一人で彷徨っていたの。
ねぇ。今の私の顔、どう?私の本当の顔はこの顔よ。」
ゴレストはメリアを見つめて、
「この間の顔は綺麗だったが、今の方が余程いい。俺はこの顔の方が好きだな。」
「本当?嬉しい。」
何だかドキドキするゴレスト騎士団長。独身30歳。
こんな可愛い女性の恋人が欲しい。
メリアに妙に気に入られて、それからのゴレストはメリアと付き合う事になってしまった。
しかしこの間、王宮を騒がした魔物と付き合っている事がばれてしまったら…騎士団長としての自分は終わりであろう。
でも、寂しい姫、メリアの事をゴレストはほってはおけなかった。
いつの間にかメリアはゴレストの小さな屋敷に住み込んで、二人は夫婦のように暮らすようになった。
ゴレストはメリアの作る料理を食べて、メリアと共にベッドで寝て、幸せだった。
いつの間にかメリアの事を深く愛するようになっていたのである。
とある日…
レリーヌ・アストル公爵令嬢が訪ねてきて、
「ゴレスト様。馬車を待たせてありますわ。今すぐ、メリアと共に馬車に乗って逃げて下さいませ。」
「何があったのだ?」
「わたくしの父は王国の宰相でございます。王家の陰がメリアが以前、王宮を騒がした魔物だという事を突き止めたと。
わたくしは貴方に恩がありますわ。ですから、逃げて下さいませ。
このままでは貴方はメリアと共に捕まって、断罪されてしまいます。」
どこでバレた?どうしてメリアがこの間の魔物の姫だという事がバレた?
メリアは涙を流して、
「私は本当は人間だと言うのに…レリーヌ様。この間はごめんなさい。貴方を怖がらせてしまったわ。」
「いえ、いいのよ。王太子殿下がとんでもないクズだと解っただけで、わたくしは助かったわ。」
レリーヌが用意した馬車に荷物をまとめて乗り込むゴレストとメリア。
レリーヌは二人に向かって、
「国境を越えれば安全ですわ。さぁ、急いで。お行きなさい。」
「何と言ったらいいか。感謝したい。有難う。レリーヌ様。」
メリアも涙を流して、
「有難うございます。レリーヌ様。」
ゴレストは後悔はなかった。
メリアと共に過ごした時間。とても幸せだった。
例え、騎士団長としての全てを失っても、メリアと二人ながらやり直す事が出来る。
馬車は国境へ向かう。
そして、御者は国境近くで二人を下ろしてくれた。
朝日がゴレストとメリアを照らす。
「さぁ、行こうか。メリア。」
「ええ。ゴレスト様。」
二人は無事に国境を越えた。
朝日がこれからの二人の幸せな未来を導くように、輝かしく照らしているのであった。
レリーヌ・アストル公爵令嬢は、自室で、優雅に紅茶を飲んでいた。
ゴレスト騎士団長が行方不明だと、王宮では大騒ぎである。
そう…メリアの正体がバレたと言うのは嘘…
ゴレストの事が忘れられなくて、ずっと公爵家の手の者に調べさせていたレリーヌである。
ゴレストが得体のしれない女性と親しくしているとの事。
そして、その女性と一緒に暮らし始めたとの事…
胸が苦しい。
ゴレストは自分を助けてくれた。
何であの時、身分なんて関係ない。わたくしとお付き合いして下さいませんかと言えなかったのか。
勇気が足りなかったのだ。
クルト王太子殿下の時もそう。
アストル公爵令嬢として生まれたからには王妃なる事は、誇らしい事なのだと、両親の言うままにクルト王太子殿下からの婚約を受け入れたけれども。
大嫌いだった。
クルト王太子は浮気者で、そして、小心者で。
だから王太子との婚約を白紙にすることが出来て嬉しかった。
たった一度、ゴレスト騎士団長に助けられた。
それだけで、レリーヌにとってゴレストは忘れられない人になった。
どうして、あの時、わたくしは…
後悔しても遅いのだ。
ゴレストはメリアを愛している。
あの時、どうしてどうしてわたくしは…
偽の情報によって、ゴレストはメリアと共に隣国へ去った。
隣国の宰相に手紙を送ってある。
ゴレストが怪しい女性と共にそちらの国へ逃走したので、捕らえて欲しいと。
ゴレストが連れている女性は魔物なので、殺した方が良いでしょうと。
しかし、ゴレストはメリアと共に行方不明のままだ。
捕まったとも、殺されたとも、隣国から報告がなかった。
無事にどこかへ逃げたのか…
まぁいい…
あの男の騎士団長としての未来を潰すことが出来たのだ。
そう、だって耐えられないでしょう?愛した人が他の女と…それも魔物と幸せになるのを近くで見るのは。
わたくしは自分のした事に後悔なんてしていない。
でも…何であの時、わたくしは…身分なんて関係ない。わたくしの婚約者になってくれませんかと言えなかったのか。
それだけは、あの夜だけは後悔が残る。
レリーヌの瞳から涙がこぼれる。
ああ、わたくしは愛していましたわ。ゴレスト様。
ごめんなさい。本当に…
レリーヌはソファで泣き崩れた。