本当の本当に逃げ切れないか検証してみる 後編
「先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩!」
「いいから、落ち着きなさい!喚いても、事態は解決しないわよ」
パソコンのモニターからせり出してくる"十和子"は、どこかで見た映画のように勿体ぶったような緩慢な動きではなかった。
歩いている時と同じような自然な速度で、いともあっさりと這い出てくる。
そして、何事もなかったかのようにその速度を維持したままこちらに歩み寄ってくる。
「逃げましょう!ていうか、私がお祓いします!」
「新しいことに挑戦することは素晴らしいわ。でも、やり方は分かるの?」
「ああっ!大麻も持ってないし、祝詞も久しぶりで全然覚えていないいいいいい!?」
頭を抱えて地団太を踏む珠江を庇うように、鈴は"十和子"の前にでる。
よもや巻き添えにすることはないだろうが、なんとなくそうしたかったのだ。万が一にでも、彼女に実害を及ぼすわけにはいかない。
「先輩!何とか走って逃げましょう!部屋の中でもぐるぐる回ってれば時間は稼げるはずです」
「そんなに狭い室内じゃないし、あの鈍くさい扉が開くまで何とか足掻くしかなさそうね」
最短距離を一直線に詰めてくる相手でも、それ以上の速さで走り回ればそうそう追いつかれるものではない。
しかし、簡素とはいえ大勢の人間が生活できるように設計された室内は、お世辞にもジョギングには向いていない。
思考の持久力には自信がある鈴だったが、とっさの判断には不向きであった。
他によいアイデアも浮かばなかったため、いつものように最後まで足掻く覚悟を決めた、その時だった。
"十和子"がモニターから抜け出すと同時に室内灯が再び点灯する。
同時に室内の電子機器も復活したらしい。スピーカーから警報がけたたましく鳴り響いた。
『たった今、原子炉の異常出力を確認しました。職員は、今すぐシェルターに避難してください。繰り返します……』
まさかの"有事"が起こったらしい。
スピーカーから繰り返される無機質な音声は、これが訓練ではないことを念押ししていた。
「泣きっ面に蜂とは、このことかしら」
「私達、どうなっちゃうんです?まさか、このまま原子炉が爆発して世紀末がやってくるんですか!?」
「安心しなさい。ちょっとやそっとのことで爆発するような、やわなシステムじゃないわ。それよりも、問題は目の前のアレでしょ……って、あれ?」
なぜか秘孔をつく練習を始める珠江をなだめながら"十和子"に視線を戻すと、そこには想像していないものがあった。
「先輩……なんか、動き止まってません?」
「というよりも、あたしの居所を見失ってるみたいね……」
常に鈴に向けられていた"十和子"の視線(といっても、黒髪に覆われた顔から正確な目線を把握することは困難であったが)は、今は頼りなく宙を彷徨っている。
目を塞がれたというよりも、急に地図を無くしたような仕草であった。
「考察は後にしましょ!扉が開いたわ。逃げるわよ!」
「わわわっ!?非難してきた職員さんたちが大挙して押し寄せてきます!」
「彼らにとってはシェルターの中の方が安全ですものね。あたしたちは逆だけど……」
間一髪でシェルターの外に逃げ出した二人。
振り返ると、入り口に殺到する職員の人だかりの向こうに棒立ちになっている"十和子"の姿がちらりと見えた。
「そう言えば、私は中に避難してればよかったような気が……」
走りながらうやむやのままについてきてしまった事実を後悔する珠江。
「……!」
一方の鈴は、突如としてシェルターの外郭に転移した"十和子"の存在を認め、眼を大きく見開くのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「そういえば、さっきの"十和子"の行動ですけど、今回は最初から最後まで全然意味が分かりませんでした。急に現れたと思ったら、今度は棒立ちになるし。先輩はどう思いました?」
車に戻り、再び国道をゆっくりと走りながら、助手席の鈴にそう尋ねる。
後で鈴が施設の管理官に確認したのだが、原子炉の異常運転はすぐに緊急停止して危険はなかったという。
原因を問いただそうとしたが、『調査中』の一点張りで満足な答えは得られなかった。
施設の特性上、そう簡単に原因を特定することができないことが分かっていたため、鈴はそれ以上質問することを止めた。
それでも、その事実によって鈴はいくつの仮説を持つことができた。
問われた以上は答えるのが彼女の信条だ。珠江の問いに、その仮説を説明する。
「まず、"十和子"がモニターから現れた理由は不明よ。その方が怖がると思ったのか、何かの制約の結果なのか、現時点では推測の域を出ないわ」
「私、昔見た呪いのビデオの映画を思い出しましたよ……。まさか、自分が体験するなんて思ってもみなかったですけど」
「〇子だ!とか叫んでたものね」
「叫ぶのも当然じゃないです?」と不貞腐れたように視線を前に向ける珠江。
これ以上ツッコんでも無意味と判断したようで、鈴は仮説の続きを説明する。
「アレが転移してきたタイミングを覚えてる?シェルターの扉が閉まって間もなくだったわ」
「確かにそうでした。扉が閉まって、室内灯の明かりだけになったと思った瞬間に真っ暗になったんですよね」
「次は、昨日の巨大迷路を思い出して頂戴。あの時、アレはあたしまでの最短距離を常に移動し続けてきた。でも今日、シェルターが閉まった瞬間、あたしと"十和子"の最短距離は無限大になった。おそらく、これが転移のトリガーだわ」
「どうしてもたどり着けない場所に逃げちゃったら、相手のすぐ近くまでワープするってことです?」
「簡単に言えばその通りよ。最短距離を何によって測っているのかは不明なままだけどね」
「でも、どうして先輩がいる場所が分かったんでしょう。もともと、シェルターの中にいれば"十和子"は先輩を見失うはずだったんでしょ?」
「いい質問ね」と満足そうな笑みを浮かべ、鈴は窓の外にある大きな施設を指さした。
パッと見ただけでは何かわかるようなものではなかったが、それがとてつもなく長い一本の管のような形状をしていることがやがてわかってくる。
「ヒントはさっきの原子炉事故よ。あの事故で放出された"ある物質"が"十和子"のセンサーを狂わせたのよ」
「ある物質?でも先輩。さっきあのシェルターの中に入ってこれる物なんてないって言ってませんでした?」
「正確には、あの中に侵入できる『放射線』はないといったの。原子炉から放射されたのは放射線だけではなく、ある素粒子も含まれているの」
話が自身の理解力を超えつつあることを悟り、珠江は伝家の宝刀を繰り出す。
「と、言いますと?」
「2002年と2016年のノーベル賞に共通するテーマが何か知ってる?」
こう問いただされては伝家の宝刀は通用しない。珠江は、黙って首を振るしかなかった。
知らないことを素直に認める者には鈴は優しい。表情を変えることなく、説明を続ける。
「ニュートリノよ。名前くらいは聞いたことあるでしょ?物質を構成する素粒子の中でも最も発見が遅く、最も謎多き粒子と呼ばれていたわ」
「どうして見つけられなかったんです?」
「理由は簡単。ものすごく透過力が高かったから。つまり、どんな物質にもぶつからずにスルーしちゃう粒子ってこと」
「どんなものにも?つまり、シェルターの壁も突き抜けちゃうってことでしょうか?」
「その通り。あまりにも相互作用がなさすぎるんで、検出不可能とされていたの。それを検出して、質量をもつことまで突き止めたことでノーベル賞が与えられたのよ」
「それって、原子炉からも出てるんですか?」
「人類が持つ装置の中で、最も簡単にニュートリノを作りだせる装置よ。さっきの講義でベータ線の話をしたのを覚えてる?あの時にベータ線と一緒に放出されるのがニュートリノなの。今回ばかりは、あたしの凶運が幸いしたわね。原子炉の異常なんて、そうそう起こる事じゃないもの……」
「"十和子"は、そんなに見るのが難しい粒子を見ることができるんですか?」
「いい質問ね」と、再び讃えた後で鈴は嘆息した。
呆れているわけではない。鈴は時折、自分の能力を超える現象を目の当たりにした時に、こうして降参の意を示すため息を吐くのだ。
「原理的には可能だけど、詳しくは分からないわ。たった一粒のニュートリノを検出するために、とんでもなく巨大な装置をこさえなくちゃいけなかったの。それを、あれだけのサイズにスケールダウンできるんだとしたら、科学会にとっては革命よ。また一つ、研究のモチベーションが増えたわね」
滔々と流れるように説明を続ける鈴を見つめ、珠江は深々とため息をついていた。
そんな珠江を、不思議そうに見返す鈴。
「どうしたの?ここまでの説明に、何か不備でもあったかしら?」
「そうじゃありませんけど……。先輩って、本当に恐怖とかいう感情がないんです?自分で説明している意味わっかってます?」
「あたしは、常に自分で理屈を理解していることしか説明していないつもりよ」
断固とした口調で胸を張る鈴。
しかし、珠江が言いたいのはそういう意味ではなかった。
「先輩はこう言ってるんですよ?"十和子"は世界中どこにいても必ず先輩の居場所を突き止め、どんな障壁も一瞬で乗り越えてやってくる、って……」
「……」
珠江の説明を吟味するように目を閉じて反芻する。
やがて、何かの結論に至ったようで、納得したように頷きながら目を見開く。
「これ、本当の本当に逃げ切れないってことね」
「他人事みたいに言わないでください!捕まったら、死んじゃうんですよ!?」
「そうは言っても、あたしにできるのは仮説を考えることと、実験すること。それを振り返ること。それだけよ。きっと、死ぬまでそれを繰り返すでしょうね」
心底疲れたように珠江がハンドルに体重を預ける。
「そういえば、こういう人でしたね」と、誰にも聞こえないように呟く。
「それで、次はどんな仮説を思いついたんです?」
「そうね。逃げ切れないとわかった以上、迎え撃つしかないわね」
「え……?迎え撃つって……」
「珠江、あなたの出番よ!」
そう言うと、鈴は都内に向かって再び車を走らせるように指示する。
夕闇の迫る漆黒の都を目指し、暢気な音を立てながら、不気味なお供を連れて車はひた走るのだった。
―――十和子の呪いに関するレポート(3日目)―――
・対象者へ到達可能なルートが無くなると、対象者の近くに転移する
・対象者の空間座標はニュートリノによって検知している(検出方法は不明)
・転移の際、明かりを消したりモニターから出てくる意図は不明
もっと面白い話を書くため、ご協力をお願いします
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つまらなければ、遠慮なく星1つつけてやってください




