プロローグ
グロいので、読み飛ばしてもらっても結構です。
なんか、呪いっぽいことがあるんだなというのが分かれば十分です。
本編は明るいコメディーですので
少女は夕闇の町を走っていた。
恐怖に駆り立てられるように全力で駆けながら、それでもしきりに後ろを振り返る。
立ち止まる時間すら惜しいのか、足を止めずに振り向いたせいで盛大に地面に躓く。
道行く人は尋常ならざる少女の形相に驚き、彼女の視線の先をついつい追ってしまう。
しかし、誰も少女が何におびえているのかを理解することはできない。彼女の視線の先には、ただ宵闇の気配だけが広がっていたからだ。
心配そうに声をかける仕事帰りのサラリーマンを振り切って、少女は叫ぶ。
「やめて!立ち止まっちゃダメなの!立ち止まったら……ダメなの!!」
その絶叫がさらに多くの視線を集めるが、彼女は気にした様子はない。
そんなものよりも遥かに深刻な何かに急き立てられるように、再び走り出す。
去り際に、少女はぽつりとこんな声を零した。
「どうして、あんなビデオを見ちゃったんだろ……!」
闇に沈み始める潮風の香る町を、必死の形相で少女は走り続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はあ……はあ……」
完全に息が上がってしまったのか、少女は砂浜の上に座り込んでしまった。
悲鳴を上げていた筋肉がしばらくぶりの休憩を受け入れてしまったため、もはや立ち上がることはできそうにない。
熱に浮かされたように喘ぎながら、周囲をぐるりと見まわす。
砂浜は完全に闇に落ちていた。
打ち付ける潮騒の音だけが響く中、視界にはもはや何も映っていない。
街灯もなく、月明かりすら届かないとなればとそれも当然だが、なぜかそれを確認した少女の表情は穏やかに変化していた。
「何も……見えない……でも……その方がいいや……」
穏やかなその表情は、諦観によるものらしかった。
携帯を取り出し、母親の欄をタップする。
しばらくかけたものの、やがて留守番電話に切り替わる。
ふと何かを思い直したのか、通話を切ってカメラを起動する。
スマホのわずかな明かりで自分を照らし、動画の撮影を開始した。
「お母さん、お父さん……今までありがとう……」
言葉を途切れさせながら、必死に笑顔を作り上げて両親へのメッセージを記録していく。
画面に映る自分の顔を見ると、残念ながら感謝よりも恐怖の方が色濃く表れてしまっている。
それでも必死に口元を上げながら、両親に感謝と別れのメッセージを紡いでいく。
「今まで……ありがとう……」
メッセージを取り終える。
スマホの画面に映る自分の顔は、タガが外れたようにすべてのパーツが震え切っていた。
「嫌だ……死にたくない……ヤダ……」
鏡写しの自分の顔から、とめどなく涙があふれる。
それも拭いもせずに、全てを投げ出したように泣きじゃくる。
暗闇の砂浜で、彼女の嗚咽だけがこだましていた。
そんな折、スマホの画面に何かが映り込む。
バックライトに照らされた自分の顔の後ろに、何かが立っている。
牛乳に浸したように色を失った、ズタボロの布が揺れる。しかし、布は潮風の向きとは無関係に身勝手に揺れ動いている。
「ヒッ!」
ひきつった声を上げる。
恐怖に震えた少女は、もはや後ろを振り返ることもできない。スマホの画面だけが淡々と白い布切れが近づいてくる様を写し取っていた。
ゆらゆらとした動きに反して、それはみるみるこちらに距離を詰めてくる。やがて画面の中に黒くて細長いものが映り込む。
それは、人の髪の毛だった。
音もなく、白い布を纏った黒髪が、ついに少女の背後に迫る。
いままで沈黙に支配されていた黒髪の奥から、錆びたシーソーが軋むような金切り声が、たった一言こう告げる。
---オマエモ、シズメテヤル---
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝、観光地として名高いK県S海岸の浜辺で奇妙な物体が発見された。
夏の盛り。観光シーズンのど真ん中で、そのニュースは地元で一際大きく報道されることになった。
第一発見者は浜辺で犬を散歩していた老人だった。
正確に言うのであれば、第一発見者はその犬だったろう。
付き合いの長い、普段はおとなしい老犬が唐突に吠え始めた理由に見当がつかなかったからだ。
相棒が吠えるその先に何があるのか、老いた眼では捉えることができず、好奇心にも負けてそのまま歩を進めてしまった。
果たして、その先に転がっていたものを見つけた時、老人にはそれが何なのかを理解することができなかった。
言ってしまえば、それはどこにでも転がっているありふれたもののように見えたし、それに対して愛犬がここまで警戒する理由も思い浮かばなかった。
それは、少し大きめのバスケットボールのように見えた。
真球と呼んで差し支えないだろう。明らかに自然の造形物ではありえないほど、キレイな球体だった。
一点だけ珍しい点を挙げるなら、その色だろうか。天然皮革のえんじ色とは異なり、そのボールは鮮やかなピンク色をしていた。
その色や形がようやく把握できるほどに近寄ってみたものの、それでも老人にはそれがなんであるかを突き止めることができないでいた。
遠巻きに見ても危険はないように感じたので、さらに近寄ってみる。
なぜか、愛犬はそれ以上近寄ろうとしなかったのに、だ。
仕方なく手綱を放し、ボールを間近で覗き込む。
鮮やかなピンクのボールは、近くで見ると表面が薄く輝いて見えた。ニスでも塗ったように、光沢があるのだ。
ここまで近づいたのだ。拍車がかかった好奇心を押しとどめることができずに、老人はそっとそのボールの表面を撫でてみた。
ひんやりとした感触が指先に伝わる。どうやら、そのボールは凍っているらしい。
なるほど、氷が光を反射して光沢を作り上げていたらしい。
夏の盛り。早朝とはいえ日はすでに上っている。
雲一つない空を蹂躙するように、顕現した太陽は容赦なく大地を炙り始めていた。
生暖かい風に、潮の匂いが乗って吹き寄せる。老人は、早朝の、このまじりっけのない爽やかな潮の香りが何よりも好きだった。
老犬の吠える声が次第に強くなる。
日が昇り、気温があっという間に上昇する。
生暖かい風が、老人とピンクのボールの間を吹き抜けていく。
やがて、老人はかすかな違和感を覚えた。
大好きな潮の香りに、何かが混じってきている。
鼻を突くような、生臭い匂いだ。
数回鼻をすすってその匂いを確認すると、背後で吠え続ける老犬の顔を見やる。
老いても鋭敏な彼の嗅覚は、この匂いをかぎ取っていたに違いない。
しかし、この匂いはどこから来るのか?
老人は改めて視線を目の前のピンクのボールに戻す。
すると、真球を保っていたその形状にわずかな変化が見えた。
表面の光沢が消え、外側に向けてほんの少し膨張を始めたのだ。
凍っていたものが溶け出したのだ、そうなるのも道理というものだろう。
それよりも問題なのは、鼻を突く異臭がどんどん強くなっていくことだった。
強く鼻をすすって、記憶の中から匂いの元を思い出そうとする。どこかで嗅いだ覚えがある。
老犬の声がさらに増す。
目の前のボールは徐々にその姿を変え、それにつられるように匂いは強くなっていく。
どろり
そう表現するしかない動きで、ピンクのボールからひとかたまりの何かが零れ落ちた。
砂浜に落ちたそれは、落下の衝撃でピンクの被膜を周囲に撒き散らす。
その中から、乳白色の小石のようなものがこぼれ出てきた。
そこまでを観察し終えて、老人はようやくこの匂いの正体に思い至った。
同時に、目の前にあるピンクのボールが何であるかも理解する。
真夏の盛りだった。
容赦のない太陽の熱と、生暖かい早朝の風が、瞬く間にピンクのボールをもとの姿に戻しつつあった。
吐き気を抑えるように両手で口をふさぎ、
吠えることをやめない愛犬を置き去りに、老人は大急ぎで近所の交番に駆け込んだ。
その数時間後
昨晩、行方不明届けの出されていた女子高校生が発見されたとの一報が両親に届いた。
被害者の遺体は、数多くの殺人事件を捜査してきた警察においても「不可解」としか言いようのない状態にあった。
こうなってしまっては、死亡推定時刻すら不明であり、死因も特定することは困難であった。
たった一つ確実なことは、これが何者かによる殺人であるという点だろう。
遺体のそばに落ちていたスマホからは、少女が最後に両親に宛てたと思われる動画が記録されていた。
警察はこの動画から犯人の手掛かりを探り出そうと、あらゆる手段でその動画を解析した。
しかし、どこを探しても、その動画には少女の姿以外何も映ってはいなかった。
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