胸痛
私の名前は北川百花。何をやっても中途半端な高校一年生。
今日は入学式、だというのに、鈍くさい私は寝坊して遅刻寸前だった。
ヒイヒイ喘ぎながら走る私の横を、自転車がすーっと通り過ぎていって、ぴたりと止まる。
何だろうと不思議に思っていると、自転車にまたがっている人が、私と同じ制服を着ていることに気がついた。
その人がこちらを振り返ってから、やっぱり、と頷いていた。
それから、自転車の荷台をぽんぽんと叩きながら、爽やかな笑顔で言う。
「あたしと同じ滝川高校の人だよね?よかったら、後ろ乗ってく?」
ぽかんとしている私の手を掴むと、私を半ば無理やりに荷台に乗せる。
そして自分も自転車にまたがると、行くよ!、と一声、自転車は文字どおり飛ぶように地面を駆け抜けていった。
「わ、わわ!わああー!」
「あたし、一年の篠田あずさ!あなた、何年生?何て名前なの?」
「わわわ、えっと、きた、北川百花です!同じ一年生で…」
景色が飛んで行くようで、私は必死に荷台を掴んで風に煽られないようにしていた。
篠田さんは、あはは、と豪快に笑っている。
「あたしたち、入学式の日だってのに遅刻しそうなの?ひっどいね!あははは!」
「ほ、ほんと、ですね…」
「今何分!?」
「あ、ええと、えっと…8時17分…」
「うわ、急がないとね!飛ばすよー!!」
そう言った篠田さんの競輪選手並みの脚力により、私たちは何とか駆け込みで間に合ったのである。
そのあと、私は自転車を駐輪場に停める篠田さんを見守ってから、慌ただしく別れ、それぞれの教室へと向かおうとしたーーーのだけれど。
「あれ、北川さん!同じクラスじゃん!」
「あ…」
私と篠田さんは、同じ教室に入ろうとしていたのだ。
何という偶然だろう、私はこのとき不思議な胸の痛みを覚えた。
心臓を、軽くきゅうっとされているような、不思議な気持ちであった。
私には、この感じに覚えがある。
そう、信じられないけれど、私は篠田さんのことを、気になっているのだ。
それも、友達というハードルを超えてすらいないのに。
なぜだろう、嫌な痛みではない。
私が何とかして声を掛けようと、大きく息を吸ったところだった。
「あ、あずさー!」
教室内から、複数の女の子が出てきて、一気に篠田さんを取り囲んだ。
私は篠田さんから引き剥がされてしまい、あたふたするしかない。
篠田さんは、私に手を軽く振ってから、その女の子たちと教室に入ってしまった。
実を言うと、私は滝川町に越してきたのはつい最近で、この町のことをほとんど知らないのだ。
当然友達もおらず、入学式までは本当に心細かった。
だから、高校デビューではないけれど、頑張っていかなければと気合を入れていた矢先だったのである。
そんなときに、こうした篠田さんとの出会いがあって、うまくやれそうだと思ったのに。
私は、深呼吸してから教室に入った。
指定の席は、篠田さんと離れている。
そもそも、篠田さんは私と違ってたくさんの子に囲まれているけれど。
他の子たちも、地元の高校というだけあってか、わいわい話していて私の居場所などないと暗に言われているかのようだった。
あまりにも自分のことが惨めに感じて、私はスカートの裾を握りしめるしかできなかった。
無事に入学式も終わり、下校の時間になった。
私は席に腰掛けたたま、篠田さんが中学からの知り合いであろう子たちと一緒に教室の外へ出ていくのを、黙って見届けた。
私は、胸に飾られた「入学おめでとう」というリボンの付いたブローチを、そっと外そうとする。
そのとき、誤ってブローチの安全ピンを胸に刺してしまった。
「…っ」
思いの外深く突き刺さったようで、私は思わず小さく息を漏らし、胸に手を当てがった。
痛いのは、本当に安全ピンのせいなのだろうか。
だって、こんなにも、胸が痛い。
この胸の痛みだけが、この想いを知っている。