第91話 川上愛月の救世論
「全知全能」
「ん」
「……って、欲しくない?」
「なんだお前結局既得権益者かよ」
「うふふ。違うわよ」
昼も夜も無い無限の荒野で。冷たく固い地面に座る、愛月とルシファー。
かたや、たった600人程度を率いる人間のボス、愛月。
そしてかたや、地獄を統べる悪魔の王と言われる堕天使ルシファー。
「これはわたしの考えをあなたに押し付ける質問じゃなくて、単純にあなたに訊ねているのよ。欲しくないかしら、と」
「要らないな。神の真似事は要らない」
「でもさっきわたしを支配しようとしたのは神の真似事でしょう?」
「ふむ。一理ある」
「あって困らないわよ。全知全能。しかもわたしに協力するだけよ。天界へはわたしが攻め込むし。それだけよ?」
「セールスマンかよ」
「うふふ」
「何をして欲しいんだ」
「武器よ。現状、それが足りないの。天人達に効く、地獄の武器兵器」
「兵は要らないのか」
「わたしが扱いきれないわよ。月兵と違ってお行儀よく無いんだから」
「言えてるな。お前も夫にDVかまされてるだろ」
「それで妻が愛を感じられるなら、それはDVではなく愛情表現よ」
「ものは言い様かよ異常性癖者」
「だって妻次第でしょそんなの。DVだと思えばもうDVよ。訴えた方が良いわ。でも、わたし達にはそれが当てはまらないだけ。お互いに愛しているんだもの」
「中々に問題発言だな」
「そうかしら?」
まずは雑談から。相手が悪魔でもコミュニケーションの取り方は変わらない。そもそも肉体と人格を持つ時点で、ルシファーとて広義では『人間』と言えなくもない。
「俺達への報酬は『全知全能』か」
「ええそうよ」
「それじゃ結局人類は救われないぞ」
「あら、心配してくれるの?」
「ただのお前の計画の疑問点だ早とちりめ」
いつの間にか、死体も消え去っている。ケイが言った通り、あれは幻影のようなものなのだ。
悪魔は蛇にも竜にも成れる。変身能力は基本的に全悪魔が標準装備だ。
「大丈夫よ。皆平等だから」
「は?」
——
ねえカエルム。
わたし思い付いたの。
皆が救われる方法。
——
時を同じくして。
カエルムと愛月が説明する。
「『全宇宙の全生命が全知全能になれば良い』。わたしはそう考えているわ」
「…………」
基本的に即答だったルシファーの口が止まった。
「『唯一』がそれを独占しているから駄目なのよ。特権は廃止。『誰もが全てを思い通りにできる』。これが幸福だわ。救済だわ。だって自分の知恵と力で自分を救えるんですもの。救い方も個人によって千差万別で、微調整もできる。修験者とかだったらそれを放棄したら良いしね。『なんだってできる』。苦労した方が良いとかいう主張も、勝手にその人が『そのように』すれば良い。ね? 良くないかしら?」
「…………それは」
「なあに?」
愛月が、行おうとしていること。それは人類の『全能化計画』である。
これまでの歴史で『神』のみが唯一享受していた『特権』を。
全ての人民へ配布するというもの。
——
——
——
「…………!!」
文月も。
時を同じくして、固まっていた。愛月の言う人類救済が、『生命の救助と安全の保証』ではなく。
『個人が全てを叶えられる世界』であると。
前者でさえ戸惑っていたのだ。
『大どんでん返しと言った所か。信徒を「民」と捉えてきたこれまでの宗教家が決して思い付かなかった方法。救われるかどうかではなく、「どちらでも良く選べば良い」と。皆が、全てをどうにでもできるようになる。皆が、全てを理想通りにできるようになる』
「…………それって、揉めないかな」
『ほう?』
文月は、考えた。脳内でシミュレートした。
愛月を介さない情報と、その受け答え。カエルムは少しだけ口角を上げた。
「複数人が相反する願いを『全能』で叶えようとしたら、どれが優先されるのか? とかさ。『全能』を持つ存在が増えれば増えるほど、パラドックスは起こりやすいんじゃないかな」
『基本的には、時空を断絶して「自分の世界」を作るのだろうとアヅキは予想していた。自分だけが「全知全能」を持つような世界に作り替えるパターンが多くなるだろうと』
「……でもそれで作った人間は偽物なんじゃ」
『哲学的ゾンビという奴か。五感しか無い人間にとっては「見てくれ」だけで充分だろう。本物を作ることすら『全能』でできるのだぞ』
「……うーん。でも」
『すぐには理解できないし、実際になってみなければ実感も湧かないだろう。——とにかく、「それ」がアヅキの目論みだ』
「…………」
『そうなればお前の目的も可能だろうな。「お前の世界」では私とシレークスを親友にできる』
「!」
どれだけ考えても。『どうなるか分からない』ことが解決されない。人間の脳内では処理できない。答えの無い世界。哲学の世界に入ってしまう。
「でも、『父さんの世界』ではシレークスは」
『そもそも存在させないだろうな。居なくとも周囲に不具合が無いような形で。私も伯父のように転生し、人間として家族3人で暮らしても良い』
「!」
『お前が経験できなかった「両親の居る家庭」すら再現できる。お前の場合はそこに妹や再従姉を足すのだろうが』
「…………!」
『出産前に死亡したお前の叔父も。お前の祖母も。健康なまま寿命で死なせることも可能だ』
「うっ……!」
考えれば。考えるほど、頭がおかしくなりそうになった。
『なんでもできる』の範囲が、本人の想像以上に広すぎる。
『……実際どうなるかは、私にも分からない。そもそも「全知全能」が唯一神の能力なのか、何かの装置なのか。それは天使にすら教えられていない。以前のお前の言葉を借りるならば、「神の嘘を見破れる天使は存在しない」』
「…………!」
『グリゴリ内では、是か非か割れた。人間に救われることを嫌う堕天使が多くてな。全能になってしまえばその歴史も改竄できるし記憶も変えられるから挽回はいくらでもできるというのに。頭が固い連中が多い』
「……だから、母さん達は俺とグリゴリを接触させないようにしてたんだ」
『そうだな。変な知識と考えを入れられて、お前が反逆するようなことがあれば計画は終わる。そもそも「全知全能」へ辿り着くまでの障害が多く、クリアにはお前の奇跡が必須だからな』
「!」
カエルムは、ゆっくりと立ち上がった。床の埃がふわりと舞う。
『まずは目の前の壁を乗り越えねばならん。恐らくあの女ならば金星の主をも口八丁で落とすだろう。私も、そろそろ動こう』
「父さんは、やっぱり母さんに協力してる……というか、賛同してるのか?」
気付けば、夜になっていた。『無限の空』では、夜空は上方ではなく眼下にも広がっている。上下左右前後全てを星空に囲まれていた。
歩き始めたカエルムを追って、文月も神殿を出る。
『アヅキの頭に、防御の術を掛けた』
「?」
『流石に全知には敵わないだろうが、ルシファーには通用したな。どんな神々を相手にしても、アヅキの脳内だけは常にブラックボックスだ』
「え……」
バサ……と。
聞き覚えのある羽ばたきの音がした。
カエルムの黒い翼である。
『その代償に、私は永遠にアヅキと会えなくなったがな』
「!」
『悪魔や魔女の魔術による「罰」とは少し違うのだ。天使への「代償」は。グリゴリの連中は皆、多かれ少なかれ「代償」を抱えている』
星を背にして、浮き島の崖に立つカエルム。
文月はそれを見て、美しい絵画のようだと思った。
『アレックスへの「代償」は、人間となる代わりに親族へそれを明かすと親族が死ぬということ』
「えっ!」
『重いだろう。お前も、軽はずみに佐々原きさらぎに言うなよ。「知った」者の責任だ』
魔術の『罰』は、使用者の肉体へと与えられるものだった。
だが天使の『代償』は、術ではなくして『ルール』に干渉するものであり。
それは使用者の『愛する者』への制裁になる。
「……母さんと会えば、母さんが死ぬ……!?」
『察しが良いな。その通りだ。そしてアヅキはそれを知らない』
「!!」
詰んだ。
文月は思考を停止した。
全員集合は。
不可能であると。
——
——
——
「めちゃ面白いな。採用」
「ありがとう」
ルシファーは、アヅキの『救済説』を支持した。
あの。
焦がれに焦がれた『全知全能』が。
手に入るのだ。
協力するに決まっている。そんな勢いで。
「それで、ひとつ訊きたいのだけど」
「なんだ?」
「『カエルム』っていう堕天使が、こちらに居ないかしら。捜しているのだけど」
「ん?」
愛月は、ずっと捜していた。文月の生まれた直後に姿を消した最愛の夫を。計画を進めながらも、常に心に引っ掛かっていた。
「カエ……ルム……。ふむ。知らないけど捜せば居るんじゃないか。ミカエル達に封印されてないなら金星に居るだろ」
「されていない筈よ。19年前はわたしの家に居たし、それ以前は善良な天使だったのだから」
「お前が堕としたのかよ悪女め」
「うふふ。わたしってモテるのよ」
「自分で言うな。じゃあついでに捜してやるよ。武器と兵器な。ちょっと待ってろ」
「ありがとう。ようやく会えるのね」
ルシファーの言葉を聞いて、愛月は満面の笑みとなった。




