第83話 きさらぎとアルテ
「そう言えば、ウサギ見なかったな」
「馬鹿じゃないのあんた。居る筈ないじゃない」
「いえ居るわよ?」
「!」
操縦室にて。再び『宇宙魔術』を開始した魔女に付いて治療をする文月と、護衛の美裟。この島では護衛する必要も無いと思いつつ、なんとなくこの部屋に居る。
ぽつんと、文月が呟いた疑問ですらないような言葉を、拾ったのは愛月だった。
「母さん」
いつもは近くへ来ると車椅子の音がしたものだが、今彼女は普通に自分の脚で歩いている。エマの仕事が無くなってしまったのだ。
「……でも、確かに見ては無いわよね。ウサギ」
「居たじゃないの。街で。あんなに沢山。飛んだり跳ねたり」
「えっ?」
「まあ、人間の姿だったけれど」
「えっ! あれ!? あの住人がウサギ!?」
「ええ。お餅——向こうでは薬だけど。それを搗く種類のウサギ。月兎とか玉兎とかって言うわ」
「いや、人じゃん!」
「月ではね。『弱い立場の人間』を、『ウサギ』と呼ぶのよ」
「…………!」
「可哀想にねえ」
部屋に窓は無い。あれば今こそ、あの模様を確認しただろう。
ウサギが餅を搗いているような、月面の模様を。
「まあ、もう関係無いわよ。気にしないことね」
「……分かった」
「ていうかあなた達に用があったんじゃなくて、魔女に訊きたいことがあったのよ」
「はい?」
愛月は『魔法陣』の所までやってきて、魔女と目を合わせる。
「金星までどれくらいかしら」
「えっと……。1週間くらいかと」
「そう。ありがとう」
聞くと、愛月は笑顔でお礼をし。すぐさま部屋から出ていった。
「…………え。嘘でしょ?」
美裟が、また魔女を見る。
「いえ。だいたいそのくらいだと思います」
「どうした美裟?」
分かっていない様子の文月。
「あのねえ。地球から金星まで4000万キロ以上あるのよ? 音速で飛んでも1300日くらいかかるのよ? 秒速10キロのアポロでもほぼ50日よ?」
「…………」
文月は頭の中での計算が追い付かず。
3人の魔女は顔を見合わせてから。
「理論、聞きますか?」
「…………」
そう言った。当然魔術の理論である。説明されて分かる訳が無い。
美裟は溜め息をひとつ吐いて、部屋の隅にあるソファに座ってそのまま黙ってしまった。
「……まあ、早いに越したことないしな」
「それ言っときゃ良いと思ってるでしょ馬鹿文月……」
「あはは……」
現実的な感性と、魔術的な捉え方のズレが。
その線引きの尺度が、『夜』の能天気メンバーと美裟では違い過ぎる。
あんまり考えすぎない方が良いのかもしれない。
美裟の脳内単純計算では——時速は約24万キロ。
マッハ194の速さで、金星へ。
(太陽の重力を振り切る『第三宇宙速度』で、時速約6万キロ程度)
「(きっと速度とか距離とか、そういうの関係無しに、魔術的に『約1週間』なんでしょうね……)」
——
——
きさらぎは、城の屋上が好きだった。寝室と近いということもあるが、家族以外でまだ誰かと親しくなっていない彼女は、自然とここへ足を運ぶようになったのだ。
「……あれ」
しかし、屋上へ着くと先客が居た。
星空に映える金髪と青いヘアバンド。10歳と思えない落ち着きと知性を持つ少女。
アルテだった。
「きさらぎさん。どうしたんですか?」
アルテはきさらぎに気付くと、振り向いて首を傾げた。ここには誰も来ないと思っていたのだろう。
「……アルテちゃんこそ。セレネちゃんは?」
「セレネは多分、ディアナお姉さまに付いて一緒に島の魔術の点検していると思います。……いつも一緒、という訳では無いんですよ」
「へえ。魔術の点検?」
「あの子は熱心な優等生ですから」
「…………ふぅん」
自分は違うとでも言いたげな物言いに、きさらぎはアルテが何か悩んでいると察する。
「きさらぎさんこそ、そう言えば神奈ちゃんは」
「フミ君ところに預けてきた。まあたまにはね」
「そうなんですね」
「今、全宇宙であの部屋より良い保育所は存在しないからね」
「確かに」
きさらぎは、少しだけ疑問に思っていた。アルテの、他人との距離感だ。
お兄さま、お母さまはまあ良いだろう。ディアナお姉さまも、心を開いているのだろう。
美裟さん。きさらぎさん。だ。問題は。セレネと比べて、であるが。
セレネが『ミサ姉』『キラ姉』と、殆ど初対面から親しみを込めて呼んでくれている。そのお陰で仲良くなるのが早いのだ。最初から、セレネ側から心を開いてくれているのだから。
つまり。
きさらぎは文月の『姉』的立場として、アルテにも『お姉さま』と呼ばれたいという、それだけの話である。
「悩んでるのは、フミ君のことね」
「……!」
ずばり。きさらぎは直球を投げ掛ける。アルテは一瞬驚いたように目を丸くして。
「……違います」
「バレバレだよ。目線に表情に声に。フミ君がその場に居ると居ないとじゃ全然違う。隠してるのかもしれないけど、隣のセレネちゃんと比べると一目瞭然だね」
「…………!」
頬を紅潮させた。
「貴女達ふたりともフミ君のこと好きだろうけどさ。ちょっと違うよね。セレネちゃんは『お兄ちゃん大好きっ』って感じだけど。アルテちゃんは普通に、ただの『兄』として見てないよね」
「…………ぅ」
どのタイミングで『そう』なったか。最早アルテ自身にも分からない。だが。
あの目で見られてあの声で呼ばれて、あの手で触れられると。
どうにかなってしまいそうになるのは確かだった。
「……美裟さんには」
「言わない言わない。私口固いんだから。相談してみな?」
「…………」
椅子がふたつある。きさらぎが持ってきたものだった。そこに座るように促す。
「……凄く、恥ずかしいお話なんですが」
「良いって。別に恥ずかしくないし」
「……アルテは、お兄さまが好きです。……それは家族ではなく、ひとりの男性として」
「うん」
「でもそれはいけないことだと分かっています。そもそもアルテとお兄さまは血の繋がった兄妹であり、年齢も離れていて、さらにお兄さまには美裟さんが居ます。……どうあっても、アルテは詰んでいます」
「うん」
「それを……。今までは何となく、深く考えずに過ごしてきました」
「うん」
「でも、『夜』のお仕事でお兄さまと触れ合う機会も減って。その間にお兄さまは美裟さんと結ばれて。……なんていうか、置いてけぼりにされているような」
「……うん」
アルテは、この気持ちを誰かに打ち明けるのは初めてだった。家族になど言える筈もない。きさらぎは丁度良い相手だったのだ。
「(まあ実のところ、そんなに問題じゃないわよね。もうちょっと経ったら思春期で兄なんかムカつく対象になるだろうし)」
長い目で見れば特に悩むことではない。時間が解決することだ。だが。
アルテは今悩んでいるのであり、一般の10歳児では考えもしないようなことを深く考えてしまうほどの聡明さを持っているのだ。
「(問題は、この子目の前にフミ君しか居ないってことだよね。彼を悪く言うつもりはないけど、主観でもっと良い男なんて世間にはいくらでも居る)」
長く、離島で閉鎖的に暮らしていたことで視野が狭くなっている。突然現れた兄を恋慕うようになってしまうのも、仕方の無いことかもしれない。
「(愛月ちゃん的には、フミ君を手伝って協力させる為の心理誘導だったんだろうけど。アルテちゃんには効果覿面すぎたのね)」
そして恐らく、アルテの中で答えはもう出てしまっている。この悩みは感情によるものであり、具体的に何を悩んでどう解決すれば良いかは分かっていないのだ。
「じゃあ1回、告白してみたら?」
「えっ!」
きさらぎにとって『男性』は基本的に『敵』であり。その中で数少ない『良い人』を探している。
文月は当然『良い人』に入るが、恋愛感情には至っていない。ディアナとも話したが、彼女はその辺りを割り切れる性格をしていた。
自分やディアナが割り込めば必ず不和の原因になり、迷惑が掛かると。
そして。
だがアルテであれば、そうならないという確信があった。
アルテであれば。美裟の邪魔にはならないと。
「そんなこと……!」
「まあ結果は見えてるけどさ。それでも『気持ちを伝える』って、大事だと思うよ」
「…………!」
アルテはぶるぶると震えだした。恐怖に近い。そんなこと、できるわけがないと。
「もうすぐ世界が終わるから。やれることやっといた方が良い……ってのは格好悪いけどさ」
「……でも」
「多分さ。フミ君は……『ありがとう』って言ってくれると思うよ」
「……!」
アルテは気付いた。そうだ。
あの兄が、自分を拒否することはない。恋仲にはなれないが、それで関係が悪化することはない。
ならば、伝えてみたい。
「ま。今は魔女から離れられないし、金星に着いてからだね。太陽まで行くとそんな暇は無いでしょ」
「きさらぎ……さん」
「んー?」
その、丸くて小さく可愛らしい頭を、撫でる。
「私はフミ君の『姉』だよ。できれば、『お姉ちゃん』て呼んで欲しいなあ」
「…………」
この子はどこか、知らずに他人と距離を置いてしまう子なのだ。
自分と似ている。明るく社交的に振る舞いつつ、誰とも信頼関係を結ぶつもりのなかった自分と。
「……きさらぎ、お姉、さま」
「ちゃんが良いなあ」
「…………お姉ちゃん」
「ありがとうっ」
できればこの子は。誰か優しい人と出会って、幸せになって欲しいなと。
きさらぎは思うのだ。




