第81話 安息地
簡潔に説明するならば。
月(月界)は、太陽(天界)の属州のような立場にあり。
月人は宇宙開発は行っていないものの、地獄などの『異世界』と呼ばれる世界を通じて天界の影響を受ける。
そして月のトップのひとりであるツクヨミは、その支配から抜け出そうとしている。
何故なら彼は、姉——『アマテラス』を嫌っているからだ。
愛月はそこを狙って、月と『同盟』を組むつもりなのだ。
『貴様の思い通りにことが運ぶ確率は、万にひとつも無い』
「あら。なら億にひとつはあるかしら?」
『…………恒河沙にひとつ、としておいてやろう』
「優しいのね。では、『ゼロではない』その可能性に賭けて、保険のために、わたしに兵を貸してくれる?」
『…………』
その為に、娘達の名前に月神を採用し、『媚』を売ろうと考えたのだ。月が好きだと、伝えるために。
「月に攻め入って、わたしが無理矢理奪った。もしくは唆して兵を募った。天界への言い訳はそんなところかしら」
『……全知の前では言い訳など無意味であるがな』
「それでも、奴等は受けて立つのよ。自信家が多いから。『人間などに負けるはずが無い』と思っているわ。どちらが傲慢なんだか」
『…………明日には用意できる。あとは勝手にすれば良い』
「ええ。ありがとう」
補給に来たと、愛月は言っていた。
それは兵力のことだったのだ。
——
——
「ねえミサ姉」
「なに?」
あの光のトンネルを抜けて。本物の月面まで戻ってきた。
重力や大気の影響を受けないのは、『天の羽衣』のお陰だという。こんな薄い、たった1枚の布を巻き付けるだけで宇宙服となるなど。つくづく月の文明は地球を越えている。
「フミ兄が、なんだかずっとお空を見てるの。話し掛けても反応が薄いの」
「…………」
セレネに言われて、文月を見る。確かに、ぼうっと上空を見詰めながら歩いている。たまに転けそうにもなっている。
「(また何か悩んで考えてるわね。あの馬鹿)」
地球を出てから、一気に知らない世界へと入ったのだ。まるで現実味が無い。悪魔だ魔術だと、そんな話は双子と空港で出会った時からしてきたが。ならば月に人が住んでいても不思議ではないと、言ってしまえるとは言え。
実際に体験すると、個々で感想は違ってくるものだ。
どんなときも『文月』を中心に覚悟を決めた美裟からすれば、どんな非現実が起きようとそこまで心が乱されることは無い。暴れまわる悪魔と対峙してさえ、臆せずに向かっていけた。
アルテやセレネも、その育った環境のせいか、愛月に直接育てられた影響からか。『これ』を現実として受け入れられている。『世界はこうある筈だ』という固定観念が無い。
ウゥルペスとフランソワは愛月と同じで、初めから知っていたのだろう。
問題は文月と、ディアナである。ディアナも、話には聞いていたとは言え、彼女は純粋な『人間』である。その精神も、16歳という年齢相応の少女であると言えよう。そして念願の『父親』との対面が、あのような形となってしまった。
「……文月は、まあ大丈夫よ。あたしに任せといて」
「ほんと?」
「ええ。貴女達はそれより、ディアナちゃんのフォローをしてあげて」
「! ディア姉」
「貴女達もショックでしょうけど、彼女はそれ以上に見えるわ。……シレークス、さん、の件ね」
「!」
言われて気付いたセレネは、ディアナの方へと駆けていった。彼女もまだ、ショックから立ち直れていないようだ。
「……はぁ」
溜め息が出た。
今日1日で、起きた出来事が多すぎた。一度落ち着かなければならない。幸い、出発は明日になりそうだ。今夜一晩、落ち着ける。
「(だってまだまだ、『ある』ものね。月なんかで吃驚してたら持たないわよ。きっと)」
月を出れば。
次は『金星』だと言う。
そして最後に『太陽』へ向かう。
まだまだ、まだまだ。
ここからまだ、非現実・新事実のオンパレードが待っていると『確定している』のだ。
「じゃあ、お疲れ様ね、皆。ゆっくり休んで、また明日っ」
九歌島まで辿り着いて、愛月が皆にそう言った。
——
——
最後に、月面で『船』を維持し続けている魔女達の治療を行い。
それから寝室へと戻ってきた。
「……なんか、もうこの部屋が安息地みたいに思えてきたわ。半年も住んでないのに」
「…………俺もだ。何もしてないけど、疲れた」
「何か食べる? それとももう寝る?」
「……腹は減ったな……」
「おっぱいも揉む?」
「…………んぁ……」
「(特に反応ナシ。中々重症ね。ムカつくし)」
月の文明自体への吃驚もあるだろうが。やはり一番はシレークスと、愛月のことだろう。
「取り敢えず冷蔵庫には……適当な野菜と豚肉があったわ。適当に炒めるわね。シャワーでも浴びながら待ってなさい。月の砂は細かくてすぐ汚れるっぽいから」
「……ああ、頼む」
この野菜も豚肉も、リーがゴミから産み出したのだろう。……美裟は考えるのを止めた。これ以上さらに意味不明にはしたくない。
「……あたしも先にシャワー浴びたら良かった。もう油引いて火ぃ点けちゃったわよ」
この部屋に居る時だけは。
九歌島がどこにあろうが。
『安息地』であり『現実』であり。
『日常』であった。
——
「なによ。食べなさい? それとも『あーん』してもらわないと食べられない?」
「…………いや。うん。いただきます」
最近。
『夜』や『神』だのの真面目な話は置いておいて。
最近、美裟が、甘やかしてくるのだ。文月は割りと、それが気になっていた。
「あのねえ。ふたりきりの時くらい甘えなさいよ? ずっと気ぃ張り詰めてても持たないわよそんなの」
「ああ。……そうかな」
「あんたはそもそも抱え込みすぎるんだから。あたしになら何吐き出しても良いんだから」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
いつも感謝している気がする。人間ですらない自分を。メンタルの弱い自分を愛してくれるこの女性に。
「はい、あーん」
「…………えっ」
「さっさと口開けなさいよ」
「いや……流石に恥ずかしいだろ」
「良いから開けろっつってんのよこのボケ。捩じ込んでやるからっ」
「口悪すぎだろ!」
食事中は『クソ』と発言しない、そんな気遣いを感じる暴言も。
美裟らしく感じるのだ。
——
「神は、そういう種族とかって訳でもなく、普通に世襲制の人間なのか?」
「そうらしいわね。今のところ。天使と悪魔だけは『そういう種族』っぽいけど」
食事を終えて。
「でも、『元人間』が居るわけだろ。種族というより『状態』。……もっと言えば、失礼だけど『病気』と言えるんじゃないか」
「……まあ、昔は精神病を悪魔憑きって言う場合もあったもんね。なら、魔術はどうなるのかしら」
「えっ」
「『神のルール』を限定的に弄るんでしょ? そんなの、単なる病人じゃ無理よ。ていうかあんたが触れて治らないなら病気でもなさそうだし」
「……でも、触れても治らない『罰』がある。悪魔という状態は皆そうなのかもしれない」
「あ……そっか」
分かりそうな所から考察する。それから、ふたりの考えを合わせられそうな所から。
「ソフィアさんは……予定通りシレークスに会えたんだよな」
「……そうね。それが知れただけでも、ここへ来た甲斐があったわね」
「でも……父さんとは仲悪いんだよな……」
「言ってたわね。殺し合いになるって」
「どうしようか。『全員集合』」
「それをなんとかするのがあんたの命題ね」
「ああ…………。どっか丘の上かなんかで、皆でバーベキューとかしたいな」
「……そう」
ソフィアは全くの無駄死にになる可能性も高かった。そのニュースは文月の心の負担をいくばかか和らげた。
「…………」
「どうした?」
美裟は顎を触りながら考えるポーズをした。
「……愛月さんの主張はさ」
「うん」
「『神のルールを書き換えて、全人類を救う』ことよね」
「そうだな」
「今、地球は『天罰』でボロボロだけど。それでも皆救われるのよね」
「……ああ。そうだな」
「しかも、『より良いルールになるから、未来の子供達が苦しまなくて良い』のよね」
「…………そうだな」
現状のルールだと、幸せから溢れてしまう人間は増えていく。そこから全てを救うための、『ルール改訂』だと。
「……それが本当ならまだ、あたしは協力したいけど。でも、より混沌になるような気もするのよ」
「じゃあ、訊いてみるか」
「へっ?」
「明日。母さんに」
「…………ええ」
分からないことをふたりで言い合ってもしかたがない。
訊いてみれば良い。それが難しい相手でも無いのだから。




