第78話 金色の火打石
洗いたてで。
天日干しをして。
ふわっふわの布団にダイブした記憶はあるだろうか。
そんな触り心地と温もりを感じる、『布』がある。
その布は、まるで風船のように軽い。バスタオルほどの長さがあるのにも関わらず、重力が無くなったかのようにふわふわと空中を漂っているのだ。
そんな布を、身体に巻き付ける。すると自分まで、軽くなったかのような気持ちになる。
原材料不明。綿や絹ではない。
原理不明。現代科学を超えている。
製法不明。まさに伝説のアイテム。
『天の羽衣』。
——
「フミ兄! ミサ姉! これすごいよっ!」
長い長い、トンネルを歩いている。車も二車線通れるほど大きな、アーチ型のトンネルだ。壁は液晶ガラスのようにつるつるかつ蛍光色に光っており、それが天井まで続いている。いつかテレビで見た、光るクラゲがこんな光り方していたなと、文月はぼうっと考える。
「アルテは……ちょっと怖いですお兄さま、手。繋いでて良いですか」
「ああ。そりゃ」
「…………」
美裟はアルテを見てあざといなこいつと思ったが、今はそれどころではない。『ここは何なのか』。未だ絶賛意味不明中だった。
光の壁と天井。そして、床は黒く。中心にレールのようなものがある。車のようなものもあるのかと、美裟は予想する。
羽衣を身に纏った途端、気付けばこのトンネルに居たのだ。
「で、どこに案内してくれているのかしら。ひねずさん?」
エマも大口を開けているが、車椅子から手は離せない。しっかりとひねずの後に付いて行っている。
「知らぬ。私の案内は入口までだ。そこから先は知らされておらぬ」
「そう。お疲れ様」
「…………ふん」
地上人である愛月から見下されているような台詞を受けて、ひねずは不機嫌だった。
——
「ここまでだ」
「はーい」
長い長い光のトンネルの先に。
巨大な扉が現れた。
「…………!」
これもまた、液晶ガラスのような材質の大扉。恐らくは観音開きだろうが、アーチ状の壁に沿って建てられた扉は内側には開けない筈だ。
「それではな。反逆者ども」
「ええ。ありがとう下っ端さん」
扉が開かれる。違った。
「(……スライド式かよ!)」
まるでコンビニのように。
音もなく。スイー、と。
呆気なく開いた。
——
「ようこそ……と言いたいですが歓迎はしておりません。よくぞ来やがりましたね反逆者様ども。並びに、ディアナ様。アルティミシア様。セレスティーネ様。シレークス様がお待ちです」
「!」
扉の先には、案内役だろうか女性が居た。同じように古代中華を連想させる服装で、羽衣を纏っている。
だが。それよりも。
「……月の、世界」
そこは『街』だった。色とりどりの屋根の色。綺麗に整頓された碁盤のような街並み。建物はやはり中華風だった。
見上げると青空や雲まである。住民が空を自由に飛び交っている。
「このセクションはシレークス様を『護神』とする国です。地獄の門はあそこに見えます、一番大きな建物の地下にございます。そこまで、わたくしがご案内いたします」
「……『護神』?」
今いる、この場所は街の外れのようだ。
ディアナが、聞き慣れない言葉を反芻した。
「『王』『祭神』を含む意があります。このような『セクション』が、月には約『八百万』ほどございます」
「……じゃあここに、パパが居るの?」
「いいえ。シレークス様が街へ降臨されるのは1年に1度あるかどうか程度ですね。基本的には、地獄の悪魔ですので」
「……でも、パパの街なんでしょ?」
「シレークス様を長として作られた街ではありません。各セクションにはきちんと『生きている』長がおります。その上で、『護神』をシレークス様にしようと動きがあったのみです」
「…………?」
「ともかく、ご案内いたします」
すたすたと、歩いて行ってしまう。文月は今起こっている現実を飲み込むのに必死だった。
「……なんだこりゃ」
「ここは月のどこなんでしょうか」
アルテも同じだった。わくわくしたような目をしているのは、愛月とセレネだけである。
「地下よ。月は地下を最大限有効活用しているから、『人が住んでいる面積』だと、地球より広いのよ」
「……どうりで狭苦しい訳ですね。空に見えるのはスクリーン。ドーム型に岩盤をくり貫いて街を造っている訳ですか。木々も全部人工物。科学技術だけで言えばやはり地球人類より進んでいるんですね。どうして宇宙開発はしないんでしょう」
「……月人は、過去に一度宇宙へ飛び出し、手痛い目に遭っていますから。もう二度と天の先は目指さないでしょう」
「へえ。太陽に支配されている訳ですか。可哀想に」
「…………」
ウゥルペスは特に驚きも高揚もしていなかった。彼も月は初めてらしいが、予想の範囲だったのだろう。
「桃源郷は? 竜宮は。ヴァルハラとか。月には無いんですか? そういう、地上人の伝説の場所が」
「探せばイメージに似たセクションがあるでしょうね。この街の景色も、ほとんど長の趣味で中華風にしているだけですので」
「へぇ」
「知りたいのなら調べましょうか?」
「ごめんなさいあんまり興味無いです」
「…………」
ウゥルペスのいつものウザい所を見て。文月は少しだけ落ち着いてきた。
——
「『地獄の門』」
建物の中も、ドラマや映画で見たような中華風の内観だった。
その一番奥に。また一際大きな門がある。古い木造の閂扉で、どことなく厳かで不穏な雰囲気がある。
「えっ。地獄に行くのか? 行けるのか? ていうか地獄って、言葉では分かるけど実際何だ?」
「知らないわよ……」
「いえ。恐らくほどなくして、シレークス様がいらっしゃると思いますが」
広場か、何かの舞台かのような広い部屋だった。豪華絢爛な装飾が各所に施されており、柱の隙間からは青い空が見える。
『——あぁ。愛月だな。これは間違いねえ』
「!!」
閂が。
いつの間にか外れていた。
扉の奥から。その隙間から黒と紫の煙のようなものが滲み出て、噴き出してきた。明るかった部屋が一瞬にして、夜のような暗さになる。
「……丸々、10年振りね」
『ははっ!!』
立ち込める煙が。
部屋の中心に集まり、もくもくと形を変えていく。
それはぐにゃぐにゃと崩れながら、やがて頭に。腕に。脚に。胴に。
人の形に成った。
『こりゃ堪らねえ! 最高じゃねえか!!』
「!」
高らかに嗤う声が響いた。その発生源は、部屋の中心。
白い肌。金色の髪。その特徴は、アルテやセレネのものであると分かった。
黄金の装飾品をジャラジャラと身に付けつつも、割りと露出の高い絹のような服。
『ははっ!! ははは!』
その『悪魔』は、一目散に愛月の元へと飛んでいき、その胸ぐらを掴んで空中へ飛び上がった。
「!?」
「はっ!?」
「(速……!?)」
「お母さま!!」
目を奪われた。突風が吹いた。美裟も反応できなかった。
気が付けば、車椅子は破壊されており。エマが壁に激突して気絶しており。
「……」
「エマさん!?」
宙に浮く『金色の悪魔』に、愛月が囚われていた。
「母さん!!」
文月が叫ぶ。
愛月はだらりと、抵抗できずに居る。四肢の内右手以外が動かないのだ。抵抗などできる訳が無い。
『ウチに帰りゃソフィアが! こっちに出向きゃ愛月だ! 最高じゃねえか! おいおい、俺の妻達は最高かよ! よく考えたなこんなプレゼントっ!!』
「…………元気そうね、シレークス」
『たりめえだクソ女! なあ抱かせろ! 今すぐ! 10年振りだぞ!? お前も程よく熟して良~いメスになってんじゃねぇか!!』
部屋中を飛び回り、歓喜にうち震えるシレークス。愛月の弱々しい台詞に興奮してしまっているようだ。
『どこが良い!? どこでやる!? オレんち——は無理か。おい! どっかねえかクソ月野郎ども!!』
「!!」
そこでようやく、シレークスがこちらを向いた。
文月と。美裟と。
アルテとセレネとディアナの視線に。
気付いた。
『あん……? オレの信者じゃねえな』
「…………わたしの息子と、あなたの娘達よ」
『はぁっ!?』
愛月から、出血しているのが見えた。掴まれている肩からだ。腕からも。どこかで天井にぶつけたのだろう。
『おいおいおいおい! 10年! 素晴らしいなっ!!』
嘗めるように、3人の娘を見て。
『ディアナだ! な!? でかくなってんなあ! それに! アルティミシア! セレスティーネだ! か~っ! あの赤ん坊があんな育つか!?』
ひとりずつ指を差し、自らの娘達を確認していく。
『なあディアナ! オレ——は覚えてねえか!』
「…………!!」
『あん?』
ディアナはショックで、固まってしまっていた。もう何も脳に入ってこない。『これ』が、『父親』だと?
『なあ、アルティミシア! あれ、どっちがアルティミシアだ?』
「…………離してください」
『あぁん!?』
楽しそうに愛月を振り回しながら叫ぶシレークスを。
アルテとセレネが、思い切り睨んでいた。
「まず、お母さまを離してあげてください。人間は、悪魔に遊ばれるとすぐに死んでしまいます」
『……は? 愛月がか!? なにを……』
「…………ひゅー……。ひゅー……」
確認する。
愛月はもう、息も絶え絶えと言った様子だった。
「母さんは俺を産んだ『罰』で身体を蝕まれている」
『ぁあ!?』
「離せと言ったんだ。夫なら妻を労れよ、くそ野郎」
文月が。




