第76話 神話の大地
月とは。
地球の衛星である。地球から見て、太陽に次いで明るく、地上から目視でもはっきりと確認できる。
地球から見た太陽と月はほぼ同じ大きさであり古くから対をなす存在として認知されてきた。太陽に対して太陰とも呼ばれる。
人間はこの月を、特別な存在として扱ってきた。
時間を図る目安にしたり、新月から満月までの影による満ち欠けに風情を感じたり、歌を詠んだり。他の惑星に比べて、衛星としては不釣り合いなほど大きい存在である月は、地球にとっても人間にとっても、互いに強く影響し合う関係である。
直径は約3500キロ。
地球から、凡そ38万キロ。
水は無く、大気も薄い。砂漠の星。宇宙開発で研究は進められているが、まだまだ分からないことの方が多い。
しかし、現代で今さら調べなくとも。
月には神が住む。
それはどの国の神話でも語られている。
月には、人が居る。
それは日本最古の物語で語られている。
既に知っているのだ。人間は。
月には、もうひとつ世界があると。昔から世界中で語られている。
こんにちの宇宙開発は、その『答え合わせ』に過ぎない。古代人達の方がよっぽど、月に対する理解と知識がある。
——
「ねえケイ」
「あん?」
地上は、破滅的大災害に覆われている。雲は割れ、大地は裂け、海は荒れ狂っている。ニュースを見れば、今日もどこかの国の都市がその機能を停止していた。
日本、東京は辛くも未だ、なんとか維持できていはいるが。人はもうこれ以上受け入れられない。物資も救援も滞っている。あちこちで、子供の泣き声がしている。
「今夜は満月だね」
ざくろは、その丸い瞳に丁度満月を映していた。妖怪という種族である彼女は、月から力を得るのだ。月には、彼女らのみ受け取れる妖しい力が宿っているのだ。
「……ああ。『さあ来い』と言わんばかりだな」
マヤだかなんだかの予言にもある。
黙示録にも書いてある。
北欧神話ではラグナロクとか言う名で。
「ディザスターだかカタストロフだか。……なんだっけか」
「え。分かんないよ。アポカリプスだっけ」
「エスカトロジーですよ、もう」
『それ』を見ながら、思索する。その答えは色葉が持ってきた。
ケイを挟むように、右側にざくろ。左側に色葉が寄り添った。
「お前の実家は良いのか? 色葉」
「一緒ですよ。どこに居ても。結局全員は救えない。なら私は、ケイ君と一緒に居たい」
「…………まあ、多分終わらんけどな」
「え?」
逃げ惑う人々。
終わりを叫ぶ声。
救いを求める者達。
「ダチのよしみだ。協力はするが、恐らくお前は負けるぜ。……愛月」
「!」
ケイはそれらを傍観しながら、呟いた。まるで意に介していない。どれだけ人が飲み込まれて死のうが、眉ひとつ動かさない。
「お前ら準備しとけ。風呂とか入っとけよ」
「へ? 何? 何の準備? 戦争?」
ざくろのぽかんとした質問に。
「……挨拶だよ」
そう返答した。
——
——
「——月では、戦闘になるのか? ていうか何が居るんだ? 今は飛行士も居ないだろ」
「そもそも『九歌島』だって、地球上空のどこにあったか意味不明だしね。そういう、『不思議な空間』が月にもあるんじゃないの」
「……えらいふわっとした予想だな……」
「ここまで来たらもう『何でも来い』よ。どうせSF路線よりはファンタジー寄りでしょ」
「……えらいこと言ってんなお前……」
地球を脱してから、数時間が経った。だが操縦室に居る文月と美裟には、その実感は無かった。部屋には窓すら無いからだ。
「なんか食事にしましょうか。あんた今日何にも食べてないでしょ」
「……確かに。腹へった気がする」
「気がするんじゃなくて、減ってるのよ。馬鹿文月」
月に到着するまではこの部屋を離れられない。そう言えばどれくらい掛かるのだろうか。
確かアポロは、4~5日くらいで月へ達したような記憶が、文月の中にふんわりとあった。
「(1週間この部屋に缶詰めはきついな……)」
何もないのだ。部屋には、宇宙魔術を運用している魔女3人と、美裟しか居ない。
「(暇だ。あと腹へった)」
魔女達の手前では美裟といちゃいちゃもできないじゃないか。文月はそんなことを呑気に考えていた。
——
「……そろそろ着きます。次の交代で誰か、愛月様に報告を」
「はーい」
「えっ!」
「きゃ!?」
さらに、数時間後。腹拵えを終え、そろそろ寝ようかと思っていた文月は、魔女のひとりの台詞に驚いて声を上げた。
そしてその声に驚いて、魔女も悲鳴を上げた。
「なにしてんのよ」
それを見た美裟が溜め息を吐く。
「え、もう着くの? 月に?」
「えっと……はい。あと1時間も掛からないと思いますけど」
「早っ!」
「……確かに、驚くほど早いわね。色んな法則を無視してるような……」
「えーっと。理論、聞きますか?」
「…………」
不思議そうにするふたりに、魔女が提案するが。
「……いや、いい」
口を揃えてそう答えた。
どうせ魔術だから、と。
——
——
「!」
ゴゴン、と。大きく島が揺れた。食事の後、また屋上へやってきてうとうと眠っていたきさらぎは、その揺れで起き上がった。
「…………」
寝惚けつつ、上体を起こして辺りを確認する。神奈はまだ眠っているようだ。
「……あぁ。着いたのね」
島の崖の、その先に大地が続いている。空を見ると、満天の星空の中に青い惑星が小さく見える。
「ヘカテだっけ。ルーナだっけ。いや、日本人からしたらツクヨミか。イケメンだったら良いなあ」
緊張感は無い。
きさらぎはゆらりと立ち上がり、優しく娘を抱いて階段を降りていった。
——
——
城を出て、広場にて。崖の向こうから月の大地が見える。
兵達は集まって、ざわざわと様子を窺っていた。
「おい、下……なんか『居る』ぞ」
「マジかよ。結構多い。……月人なんてマジで居たのかよ」
広場に動揺が広がる。遠くてはっきりと見えないが、明らかに『人』のような影が複数見えるのだ。
ここは月だというのに。
「居るわよそりゃ。日本人じゃなくても、海外でも翻訳されているでしょう?」
「!」
そこへ車椅子の音。エマに押されて愛月がやってくる。ファーストコンタクトだ。ボスである彼女が行かねばならない。
「バンブープリンセス。知らない?」
「!」
「あ……かぐや姫……か」
月には、都がある。地上とは比べ物にならない程に栄えた、永遠の都が。
「ここは月の、どの辺りかしら。同盟国の領内なら一番良いのだけど」
そのまま、愛月は島を降りていく。兵達は固まってしまって動かない。愛月の側近として、アレックスとフランソワのみが、共に月の地へ降り立った。
——
迎える『月人』は、20名ほど見えた。古代ギリシャや古代中華を思わせるような形と色合いの服装に、重力に反するような細い『布』が1枚、それぞれの身体にふわりと巻き付いている。
「……まさか『九歌島』が島ごと、この月まで飛んでくるとは」
「あら、わたし達に合わせて日本語で話してくれるの? ありがたいわねえ」
先頭に立つひとりの『月人』が、愛月に近付いた。武器は持っていない。だが非常に困惑しているようで、懐疑的な視線を浴びせてくる。
「そなたが、長か」
「ええそうよ。川上愛月。以後お見知りおきを」
「私は『ひねず』という者だ。この地域の警備巡回を任されている」
「良い名前ね。独特のセンスがあって」
「……その姿、怪我か病気か? 地上で何が起きている。……そなたらは何者だ」
「心配してくれてありがとう。ええ、疑問は色々とあるでしょうけど。……フランソワ」
「はい」
「?」
呼ばれたフランソワが、1歩前へ出た。ざり、と、レゴリスを踏む音が鳴る。
「私はフランソワ・スチュアート。『サリエルの魔女』です」
「!!」
そうして、自己紹介をする。月に住む者にとって、『決して聞き逃せない名』を。
「願わくば、サリエル様にお繋ぎしていただきたく。叶わぬなら強行手段に出なくてはなりません。どうか、月国の大地に血が流れませんように」
「……そなたら、もしや……!!」
ひねずと名乗った月人は、驚愕の目をして愛月を睨んだ。
「うふふ……」
愛月は不適に笑っていた。




