第72話 あとひとつ
「……どう?」
「!!」
「分かったかしら?」
「…………!」
愛月の説明が、終わる。
文月はまだ、それを飲み込めていなかった。
「…………ちょっと、俺達の普通の感覚と違いすぎて、分からない」
「それは、理解できないんじゃなくて、イメージで捉えられないってことよね?」
「……多分。今は……まだ分からない。『それ』が良いのか、悪いのかも。そもそも本当に『そんなこと』ができるのかも」
愛月は依然、微笑みを崩さない。自分のこの反応は予想していたのかどうか。それも窺い知れない。
「できるわ。これまでの億年のルールを覆すんですもの」
「…………取り敢えずは、知れた。母さんの考えと、見ている景色」
「ええ。できれば賛成して欲しいけれど。無理は言わないわ。急がなくても良い。ゆっくり考えて、それから答えを出して頂戴」
「……分かった」
全員を救うにはこれだ、と。
宗教者の案では漏れがある、と。
愛月はそう考える。
だから少しだけ、地上は荒れるだろうが。
それまで我慢して欲しい、と。
——
会議が、終わって。
「フミ君」
「姉さん?」
その頃にはもう、すっかり夜になっていた。愛月の、最後の説明が長かったのだ。
それを、部屋で整理したい。美裟と相談しなければ。文月はそう考えている。
廊下を少し進んだ所で、きさらぎに声を掛けられた。
「ごめん。えっと、ひとつ良い?」
「? なに?」
彼女の鼻が少しだけ、赤いように見えた。
「……ハグ、しても良いかな」
「えっ」
頼まれれば。文月は。
「……いやまあ、別に。駄目は無いけど……」
「うん……」
「!」
あの堕天使の、言う通りだ。
半泣きの、若い女性に頼まれれば。
断れる訳が無い。
『そんな』男になってしまったのだ。
きさらぎが、文月に抱き付いた。
「…………ぐすっ」
鼻を啜る音がする。
先程の、自己紹介で。思い出すことでもあったのだろう。
そして。
『こんなこと』を頼めるのは、文月しか居なかったのだ。妻子の居るアルバートでは駄目だ。ウゥルペスなど論外。リーとはまだ、良好な関係ではない。
父も居らず。ずっと、シングルマザーだったきさらぎにとって。『頼れる男性』は。
近くには居なかったのだ。
「…………」
文月は。
『死ねない』ことは、ひとつの不幸なのかもしれないと、考えていた。
——
「……ありがと」
「ああ……」
1~2分程度、そうしていた。きさらぎは吹っ切れたようにパッと手を離した。
「へへ。逞しくなったねフミ君」
「……全然だよ。まだまだ、頼りないと思う」
「そんなこと無いよ。今日もさっきの会議、かっこよかったよ」
「ありがとう」
笑っていた。
まだまだ解決はしていない。この人の心にはまだ、闇がある。
だが今すぐ晴らすべきでもない。心の傷は文月の『奇跡』では癒せないのだ。そこが、神の子との決定的な違いでもあるだろう。
「じゃあ、戻るね。お休み」
「うん。お休みなさい。……姉さん」
「んー?」
涙を拭って。
きさらぎには帰るべき場所がある。最愛の。何より優先すべき娘の所へ。もう恐らく寝てしまっているだろう。アルテ達が面倒を見てくれているのだろうが。それも含めて、今は嬉しく思っている。
「この島に皆で居る限りは。何の心配も無い。俺達は家族だから」
「…………うん。もっと早く、成長したフミ君に会いたかったかも」
きさらぎの、何度目かの人生が始まった。
——
——
「(あん?)」
「!」
美裟も、神奈と遊んでいた。
「…………?」
「(怖い。怖いです美裟さんっ)」
何かを『巫女の勘』にて察知した美裟と、その『苛立ち』を察したアルテ。
「ごめん。あたし戻るね。あと頼んで良い? きさらぎさんが戻ってくるまで」
「はい。大丈夫です。なんならアルテ達も今日はこの部屋でお休みですね」
「……そうね」
すやすやと眠る、神奈の隣で。
「……すぅ。……すぅ」
セレネも、同じように眠ってしまっていた。
「セレネの寝顔が、可愛いんです」
「……そうね」
たまに頬をつんつんとつつくアルテ。この姉妹は本当に仲が良いのだ。
「じゃあ、お休みね」
「はい。お休みなさい」
家族で居るときは。
幸せである。
——
「…………でもこれは、世界を巻き込んだ上で成り立つ幸せなのよね……」
今、両親はどうしているだろうか。世界はどうなっているのか。地上の情報は入ってこない。元は『天界』の者の基地だったのなら、地上の動向を知る術があってもおかしくは無いとも思えるのだが。
やはり例によって、愛月が独占し管理、秘匿しているのだろうか。
「…………」
美裟は、アレックスに対して抱いた違和感と似た種類の感情を、『九歌島』『夜』『愛月』全体に感じていた。
「あれ美裟? まだ起きてたのか」
「……文月」
部屋へ戻る前に、途中で出くわした。文月は少し驚いた様子で声を掛ける。割りといつも『早寝早起き』を心掛ける美裟が、と。
「アルテちゃん達と、神奈ちゃんのお世話してただけよ。セレネちゃんは神奈ちゃんと一緒に寝ちゃったけど。あたしだけ先に戻ってきたの。『あんたの世話』もしなくちゃいけないしね?」
「ぬぐっ……。おいおい、人をそんな、子供扱いというか」
「子供じゃないのよ」
「おいおいおい……」
「お茶も淹れられないし」
「ぐっ!」
「この間シャワーヘッドすっぽ抜けた時も取り付けられなかったし」
「ぐぐっ!」
「…………うん。大丈夫そうね」
「へっ?」
文月の様子をよく観察して。
美裟は取り敢えず、安堵の息を吐いた。
「訊いてきたんでしょ? 色々」
「…………ああ」
部屋まで辿り着き。
美裟がドアを開けた。
「そこまで深刻じゃあ、無さそうね。取り敢えずは」
「……ああ。取り敢えずはな。考えたいことがちょっと多くて、整理付いてないだけだけど」
「聞かせてちょうだい。長くなっても良いから」
「ああ頼む」
ぱたんと、閉じる。
後はふたりの世界だ。
因みに。
『きさらぎの付けていた香水の香り』が文月の服からした理由も、きちんと追求されるだろう。
——
——
「…………そろそろ、ね」
「愛月様?」
エマを供に。愛月は深夜に、城を出て散歩していた。
今夜は月が良く見える。満月では無いが、ここから見える月は大きい。
「ええ。もう随分と、酷使してきたわね。最後までもってくれれば良いけど」
月夜に翳すように、腕を伸ばす。
だがその左腕は、愛月の命令に背くように動かない。
「愛月様っ!」
「大丈夫よ。慌てすぎだわエマ。大声出さないの」
「ですが……っ!」
徐々に、蝕まれていっている。病気でも怪我でもない——『罰』。
悪魔と契約し、魔術を行使した際の罰ではない。
天使と交わり、ネフィリムを産んだ際の『罰』。
この世の誰にも。『奇跡』ですら治せない。
愛月は四肢の内、もう既に両脚と左腕の感覚を失っていた。
「心配しなくて良いわエマ。……でもちょっと、急ぎましょうか」
「…………!」
きさらぎを迎えては。もう『準備は整った』と言わざるを得ない。
あと、ひとつ。
「ウゥルペスにお願いしないと。あの魔女ちゃんたち、真面目だけどやっぱりどこか、『女子校』みたいな雰囲気あるわよねえ」
宇宙魔術の完成を見て。
月へ侵攻を開始する。
「『奇跡を3つ』。これで足りると良いのだけれど」
『皆』で、幸せに。
当然、愛月もそれを望んでいる。




