第61話 希望の子
「お化粧と、お洒落がしたいっ」
「……どうした、あづ?」
家に帰るなり、父にそう告げた。色々と悩んで、数日後のことだ。
「好きな人ができたの。でも中々振り向いてくれないから、アタックしなきゃいけないの」
「……分かった。今度の休みに色々、買いに出掛けようか」
「ありがとうお父さん!」
父は嬉しかった。絶望から救ってくれた、唯一の娘。それがもう、希望を抱いている。母と弟を亡くしたショックから、自分で立ち直ろうとしている。
自分がしっかりしなければ。父はそう思った。
「でも父さんは女の人のこと、あんまり詳しくないからな。会社の、事務のお姉さんにちょっと頼んでみるよ」
「うん! お願い!」
——
「どう? 可愛い?」
『…………どこがだ?』
「もう! せっかくお化粧したのに!」
『済まんが化粧の良さは私には分からん。天界でもしている者はいない』
「そりゃ、あなた達は天然でお肌さらっさらで、睫毛もビロンビロンだもの!」
『ビロンビロンではない』
——
「えっちな下着とか欲しい!」
「…………あのな、父親にそういうこと言うの恥ずかしくないのか」
「そんなのもう気にしてられないの!」
「あとな、あづの歳で、そういうのはまだ早い」
「早くない! もう時間が無いんだから!」
「……その子、転校でもするのか」
「そんな感じ!」
「…………うーん。じゃあこの間の事務のお姉さんの佐々原さんに頼んでみるよ。父さんは女性物の下着コーナーとか行きたくないから」
「ありがとう!」
——
『……まさか佐々原さつきとお前が接触するとは思わなかったな』
「なにが? ほら! どうこれ? 欲情しない??」
『しないな。ませた子供がふざけて着けているようにしか見えない』
「わたしもう中学生だよ!?」
『子供じゃないか中学生』
「違うもん! クラスにも何組もカップルいるんだから!」
『子供が交際の真似事をしているだけだろう』
「あー言えばこー言う!」
『お互い様だな』
——
「えっちなビデオとか見たい!」
「ぶっ!! ど。どうしたあづ!」
「一日中探したのに、どうして無いの? お父さん持ってないの??」
「……あのな。父さんは結婚するときに全部捨てたんだよ。……って娘に何言ってるんだ俺は……」
「じゃあ買ってきて!」
「駄目だ。流石にそれは駄目だ」
「……やだ! わたしはお母さんに会いたいだけなの!」
「ん? ……どういうことだ?」
「……実はね」
——
『……どうした。今日は出し物無いのか』
「出っ……! 昨日もその前も出し物なんかじゃないのっ」
『何かあったのか』
「…………お父さんに叱られたの」
『ルールのことを言ったのか』
「うん。そんなことあり得ないから、目を覚ましてくれって。変な男とも付き合うなって」
『普通はそうなるだろうな』
「……ねえカエルム」
『なんだ』
「…………本当に駄目? 絶対駄目なの?」
『……人間の娘と交わることは、ルール違反だ。私は既に天界での肩身が狭いが、今度こそ追放されるかもしれない』
「良いよ」
『なに』
「一緒に住もう? 地上でさ。そんな堅苦しい所なんて辞めて。あなたの子だよ? 絶対可愛い。わたしも働くから。ねえ」
『………………』
「駄目?」
『……天界から追放され、地上の人間の法でも私は権利が無い。頼みの綱はお前だけになる。そんなリスクは、流石に負えない』
「じゃあその法も変える。あなたとわたしと、子供が幸せに暮らせるように。神のルールも人の法も、今の現状が堅苦しいなら全部壊せば良い」
『……教団を潰したみたいにか』
「うん。できるでしょ? あなたの知恵と、わたしの発想があれば」
『…………』
不良ではあったが。堕天した者への理解はできなかった。何故神に歯向かうのか。そんなリスクの大きいことを。デメリットしか無いことを。多少サボっても、へこへこと頭を下げていれば充分な暮らしができるのに。
『……佐々原さつきには子供が居たな』
「えっ。さつきお姉ちゃん? ……うん。確か2歳か3歳って言ってた」
『(人生のターニングポイントという事か。いや既に……)』
憐れな少女と、呟いた時から。
カエルムの『負け』は決まっていたのだ。
『負けたよ』
「えっ!!」
『だが少し待て。最後の報告の際に少し細工をする。それからだ』
「セックスしてくれるの!?」
『……女が大声で言うな。はしたない女は嫌いだぞ』
「うっ。うん!」
結局は押しに押されて。
神の定めたルールにすら確固たる意思の薄かったカエルムは、愛月を受け入れてしまう。
『力を抜け。自然にしろ。演技などしなくともお前はすぐに達する』
「えっ。ちょっ。ちょっと怖いな~って。あはは。……——!!」
——
——
「…………!」
「……お父さん……あのね」
「……分かった」
「えっ」
「責任がある。どうあれ、家族が増えることは喜ばしい。世間の目は、お前は気にしなくて良い」
「……うん。ありがとう」
「それで、父親の方はどうした」
「えっと……。仕事の関係で。一緒に住みたいんだけど、遅れるかもって」
「分かった。大丈夫だ。安心しろあづ。何でも頼れ。父さんに言いづらいことは、佐々原さんに相談しろ」
「うん」
——
『割りとな』
「えっ?」
『気に入ってるのかもしれんな。お前を』
「なにそれ。あのねえ、ずっと無表情の仏頂面で、古代ローマ彫刻みたいな顔で言われてもわたしの心には響かないわよ」
『そうか』
「いやちょっとは努力してよ。愛する妻を喜ばそうとしてよ」
『良いだろう。こっちへ来い』
「あっ。ちょっ。喜ばすってそういう……あんっ」
家族を喪った絶望は。
新たな家族で、補える。代わり、というと失礼にあたるかもしれないが。実際、愛月と父は『それ』で未来に希望を持てるようになった。
——
「えっ。カエルム君、また面接落ちたのかい。わざわざ細工して身分を作ったのに」
『ぬ。……む』
「あははっ! ダサっ! その不遜なる態度が駄目なのよ。もっと腰低くしなきゃ」
『……そうか。跪いてへりくだれば良いのだな』
「多分それだと、やりすぎて逆に駄目だと思うけど……」
『人間は難しいな』
「顔は良いんだから適当なバイトなら多少人間性がアレでも余裕じゃないの」
『適当は駄目だろう。お前と子供に誇れない』
「真面目なのか不真面目なのかわっかんない人ね」
——
「文月」
『フヅキか』
「いいえ? 『ふみつき』よ」
『?』
「理由はね。わたしがそう呼びたいから」
『……まあ、好きにしろ』
「フミくん、って、可愛くない?」
『好きにしろ』
「なあにそれ。ちゃんと抱いてあげてね?」
『…………好きにしろ。……いや、予定日は7月ではないだろう』
「いーの!」
——
「あれ? カエルム? ねえお父さーん」
「うん? まだ帰ってきてないのか」
「え? どっか行ったの?」
「ああ。なんか用事があるとか行って。深夜だったけどね」
「……えっ?」
——
——
——
「……また、ね。ふっ、と消えたのよ。文月が、生まれてすぐ。わたしが退院した次の日だったかしら」
「えっ。それ以来会ってないんですか?」
カエルムと結ばれてからの話を、愛月は楽しそうに話していた。前半の残酷さは微塵も感じられず、その瞳に情景が映っているかのように思いを馳せて。
「ええ。理由も言わずに。挨拶も無しに。……そんな気はしていなかった訳じゃないけど、やっぱり寂しかったわね」
「…………」
「おおよその予想はできるけれどね。『ネフィリム』を誕生させたタイミングだから、罰でも受けに行ったんじゃないかしら」
「……『罰』」
「あれから18年……そろそろ19年も経つのね。一度も会えていないのはやっぱり寂しいわね。文月も、結局抱かせてあげていないし」
「……あっ。そう言えばそろそろあいつの誕生日ですね」
「そうね……」
色々と、思い出すことがあるのだろう。愛月は遠い目をしていた。
「ねえ美裟ちゃん」
「はい?」
「『そんな』文月を選んでくれて、ありがとうね」
「!」
「わたしとカエルムの、愛の結晶が。今度はまた次の愛を育むのよ。そうやって、続いていくのよ。わたしは、それが嬉しいの。……『途切れてしまった』場面を見てきたから」
「…………はい」
「だからね。つい『孫はまだか』と言ってしまうけれど。でも結局はあなた達のことだから。焦らなくても良いし、ふたりのペースでやれば良いわ」
「はい」
美裟は。
「(話の前後で主張変わってるわねこの人……)」
心の中で突っ込んだ。




