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ネフィリム・エスカトロジー  作者: 弓チョコ
第5章:始まりの話
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第59話 カワカミアヅキ

 人にも見える。勿論声も聴こえる。

 だが誰も認識しない。意識しない。『群衆』に紛れる。

 恐らくは無意識の油断から、ぼそりと呟いた愚痴。


 それを聞かれたのだ。

 誰だって、『自分のこと』を話している会話は、すぐに聞き分けられたりする。


『……離してくれ』

「だめ! 離さない!」

『……何故だ少女よ』


 地上での会話は、必要最小限が原則だった。目立ってはいけない。


「さっき、わたしを『憐れな少女』って呼んだでしょ!? どういうこと!?」

『…………特に意味は無い。それにお前のことではない。気分を害したのなら謝ろう。とにかく、急いでいるんだ。離してくれ』

「嘘よ!」

『嘘ではない』

「いーや! 嘘よ! 『分かる』んだから!」

『…………』


 困った。

 人間の子供の相手などしたことは無い。だが知識としては知っている。

 『こう』なると頑固で、一歩も引かなくなるのだ。


『親でもない大人達に囲まれて、持て囃されて、可哀想だとは思った。それだけだ』

「どういうこと!? わたしはマリア様よ!?」

『…………』


 困った。

 強引に引き剥がすことはできるが、それでは目立ってしまう。この少女が泣き叫んでしまえば支障が出てしまう。

 記憶を消せば、『上』にバレる。今回の任務では力を使うことは記されていない。


『……まあ、多少は良いか』

「!」


 結局は、『ボロ』を呟いてしまった時点で負けていた。やれやれと、気だるげに諦めた。


 この者は、割りと『不良』だった。


『良いか。何を知りたいか知らないが、私の話は誰にも聞かれてはならない。話をするなら場所を変えるぞ』

「分かったわ。秘密基地があるの」

『案内してくれ』


 詳しく調査していた、と言えば。多少長引いても大丈夫だろう。

 気楽に考えていた。


——


『何が訊きたい』


 愛月が連れてきたのは、ソフィアとよく遊ぶ場所だった。町の外れの丘の上で、この場所から夕日を見るのが好きだった。

 誰だかの所有する土地らしく、誰も立ち寄らない丘。


 切り株のテーブルに座った彼の正面に、愛月は両膝を抱えて座った。


「どうしてわたしが『憐れ』なの? ほら、綺麗でしょ?」


 ポケットから、無造作に入れられていた大きな宝石のネックレスを取り出した。


「こんな、どの子も持ってないようなものも、信徒さんに言えばすぐ買ってきてくれるのよ?」

『…………何も知らないからだ。自分のことも、その組織のことも』

「なによ、あなたは知ってるの?」

『お前よりは客観的に物事を見れる』

「きゃっか……なにそれ?」

『お前の顔に泥が付いているぞ』

「えっ! うそ! どこ!?」

『自分では見えないだろう』

「見えない! どこ!?」

『それが、主観と客観だ。お前は自分の顔を確認できないが、私からはお前の顔が見える。どうなっているのかが分かる。……お前より、他人の方がよく見えるのだ』

「!」


 愛月は物事を知らないが。

 回転は速かった。


「また、嘘吐いた。泥なんて無いんでしょ」

『お前が言葉を知らなかったからその説明に例を用いただけだ』

「だからなによ」

『子供の誘拐は犯罪だと知っているか?』

「当たり前じゃない。そんなの」

『ならお前は、10年もの間、その犯罪者達と一緒に暮らしているのだ』

「!!」


 たった、それだけで。

 愛月の奥底に眠っていた記憶が呼び覚まされる。


「…………お母さん」

『そうだ』

「お父さん」

『そうだ』

「……赤ちゃんが!」

『ああ、そうだ。お前をマリア様と奉る奴等は、お前の母を腹に居た赤子諸とも切り裂いて、お前を拉致して遥か海の果て、このイングランドまで連れてきた国際指名手配の犯罪者だ』

「ぅ……!! あ……っ!」


 顔を押さえる。頭を押さえる。気持ち悪い何かが、脳を這いずり回る音がする。


「ぁあ……ぁ!!」


 甦る、母の笑顔。

 そして最期の顔。


「ぁぁ…………あああああああああ……!!」


 悲壮。後悔。憤怒。喪失。戦慄。屈辱。絶望。

 数多の感情が、一度に去来した。


『お前はカワカミアヅキだろう。マリアではない』


 機械のように冷静に。冷徹に。冷酷に。

 淡々と、真実を告げられた。


——


『(さて。そろそろ帰らねば。この娘も真実を知り満足しただろう。これからどう生きるかは知らないが)』

「待って……」

『なんだ? まだあるのか』


 しばらく、愛月は放心していた。思ったより、涙は溢れなかった。余りにも。

 この10年は。たった10年だが。幼い愛月にとっては人生の殆どの期間であり。

 両親や日本のことなど。思い出そうとしても思い出せない。今の愛月ではこれが限界であった。


「……名前」

『ああ。お前はカワカミアヅキ——』

「ううん。あなたの名前、聞いてない」

『……人に教えてはならぬことになっている。悪いがもう時間だ』

「ねえ…………」


 そろそろもう帰らねばと立ち上がった所に、裾を掴まれた。力は弱い。すぐに振り払えるだろう。

 だが動けなかった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で——


「助けて……」

『……』


 そう言われたからだ。


『(本来お前を殺しに来たのだ……と言っても無駄だろうな)』

「お願い……」


 人間の子供に懐かれるという経験も無い。少しだけ、興味が湧いてしまったのだ。


『どうしたいのだ。お前は』

「…………わかんない」

『考えろ。思い付かないなら私は帰るぞ』

「まっ。……待って。考える、から」

『……』


 切り株へ座り直す。見ると夕暮れだった。これから『夜』だ。ここまできたら仕方が無い。朝までは居てやろう、と考えた。


 愛月も裾を握り締めたまま、隣に座った。


——


「……日本へ帰りたい」

『お前は身分証が無いから、飛行機や船など正規の手段では無理だ』

「警察でも駄目なの? 誘拐なのに」

『お前の信者に警官は居ないのか?』

「あ……」

『息の掛かっていない町までは徒歩では無理だ。そして交通機関を使うこともお前ひとりでは無理だな。金も無いし乗り方も分からないだろう』

「連れてって」

『それが一番無理だ。私は地上……お前達の住む世界に影響を与えられない。お前には知識以外に提供できるものは無い』

「じゃあ、どうすれば良いの」

『それはお前が考えねばならぬことだ』

「…………ケチ」

『ルールだ。私の吝嗇具合とは関係の無いことだ』

「……じゃあ、信徒達をどうにかすれば、警察がちゃんとするよね」

『そうだな。お前の誘拐は日本でニュースになっている。お前を崇める宗教団体もいくつかの嫌疑がある。それを暴くか、どうにかして壊滅させられればお前は自由になる』

「……壊滅」

『大勢の信者は、お前が拉致されてきたカワカミアヅキだということを知らん。本当に聖母マリアの生まれ変わりだと、本気で信じている』

「…………そっか。分かった」

『そうか。なら終わりだ』

「ねえ待ってったら。結果だけ見守ってよ」

『何をするつもりだ?』

「気になる? 分かんない?」

『教義の矛盾を突くか、自らがマリアではないと証明するのか』

「ちょっとなんで分かるのよ」

『誰でもこの程度は予想できる』

「つまんない。でも見ててね。帰っちゃやだよ」

『……良いだろう』


 その承諾を得て。ようやく裾を手離した。


——


「こんにちは」

「えっ……。こんにちは。日本語上手だね」

「うん。お兄さんお姉さんは新婚さん?」

「そうだよ。新婚旅行さ」

「ちょっとだけ、お願いがあるの」

「なんだい?」

「わたしの顔、見たこと無い? ニュースとかで」

「えっ。はっ? ……あっ。この子……!」

「いんたーねっと、ってやつ、使える場所無いかな。記事を印刷できれば良いんだけど」


 町へ出れば。日本人観光客はそこまで珍しくない。誰かが愛月を『見付け』さえすれば、それで良い。

 日本人は基本的に、『困っている人』を見過ごせない性質があるからだ。


『(ほう……。インターネットか)』


 当時のイギリスでは、インターネット普及率は30%以下だった。だが偶然にも、出会った旅行客の友人が、新しいもの好きで所持していた。

 とにかく10歳の子供が普通に思い付ける手段では無かった。


——


「…………マリア、様……?」

「違う。わたしを、その名前で呼ばないで」

「教主様は誘拐犯だったのか!?」

「おい! どういうことだ!」

「ただの日本人だと!?」


 それを見せ付けて。

 自分の名前を言う。

 愛月がすべきことはそれだけで良かった。


「教主を出せ! ぶっ殺してやる!」

「畜生! 俺達がどれだけ貢いだと思ってやがる!!」


 一夜にして。

 教団は血の海となった。


——


「……なんか、脆い」

『ほう?』

「たった、こんなことで崩れるんだね。とても、不安定で歪な組織だったね」

『そうだな。……この規模の宗教団体はどこも似たようなものだ』


「あのガキも殺せ! 俺達を騙しやがって!」

「えっ。助けてっ」

『……仕方無い』


 子供の作戦でここまで上手く運べたことに感心していた。多少命を守る程度はしてやろうと考えた。

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