第59話 カワカミアヅキ
人にも見える。勿論声も聴こえる。
だが誰も認識しない。意識しない。『群衆』に紛れる。
恐らくは無意識の油断から、ぼそりと呟いた愚痴。
それを聞かれたのだ。
誰だって、『自分のこと』を話している会話は、すぐに聞き分けられたりする。
『……離してくれ』
「だめ! 離さない!」
『……何故だ少女よ』
地上での会話は、必要最小限が原則だった。目立ってはいけない。
「さっき、わたしを『憐れな少女』って呼んだでしょ!? どういうこと!?」
『…………特に意味は無い。それにお前のことではない。気分を害したのなら謝ろう。とにかく、急いでいるんだ。離してくれ』
「嘘よ!」
『嘘ではない』
「いーや! 嘘よ! 『分かる』んだから!」
『…………』
困った。
人間の子供の相手などしたことは無い。だが知識としては知っている。
『こう』なると頑固で、一歩も引かなくなるのだ。
『親でもない大人達に囲まれて、持て囃されて、可哀想だとは思った。それだけだ』
「どういうこと!? わたしはマリア様よ!?」
『…………』
困った。
強引に引き剥がすことはできるが、それでは目立ってしまう。この少女が泣き叫んでしまえば支障が出てしまう。
記憶を消せば、『上』にバレる。今回の任務では力を使うことは記されていない。
『……まあ、多少は良いか』
「!」
結局は、『ボロ』を呟いてしまった時点で負けていた。やれやれと、気だるげに諦めた。
この者は、割りと『不良』だった。
『良いか。何を知りたいか知らないが、私の話は誰にも聞かれてはならない。話をするなら場所を変えるぞ』
「分かったわ。秘密基地があるの」
『案内してくれ』
詳しく調査していた、と言えば。多少長引いても大丈夫だろう。
気楽に考えていた。
——
『何が訊きたい』
愛月が連れてきたのは、ソフィアとよく遊ぶ場所だった。町の外れの丘の上で、この場所から夕日を見るのが好きだった。
誰だかの所有する土地らしく、誰も立ち寄らない丘。
切り株のテーブルに座った彼の正面に、愛月は両膝を抱えて座った。
「どうしてわたしが『憐れ』なの? ほら、綺麗でしょ?」
ポケットから、無造作に入れられていた大きな宝石のネックレスを取り出した。
「こんな、どの子も持ってないようなものも、信徒さんに言えばすぐ買ってきてくれるのよ?」
『…………何も知らないからだ。自分のことも、その組織のことも』
「なによ、あなたは知ってるの?」
『お前よりは客観的に物事を見れる』
「きゃっか……なにそれ?」
『お前の顔に泥が付いているぞ』
「えっ! うそ! どこ!?」
『自分では見えないだろう』
「見えない! どこ!?」
『それが、主観と客観だ。お前は自分の顔を確認できないが、私からはお前の顔が見える。どうなっているのかが分かる。……お前より、他人の方がよく見えるのだ』
「!」
愛月は物事を知らないが。
回転は速かった。
「また、嘘吐いた。泥なんて無いんでしょ」
『お前が言葉を知らなかったからその説明に例を用いただけだ』
「だからなによ」
『子供の誘拐は犯罪だと知っているか?』
「当たり前じゃない。そんなの」
『ならお前は、10年もの間、その犯罪者達と一緒に暮らしているのだ』
「!!」
たった、それだけで。
愛月の奥底に眠っていた記憶が呼び覚まされる。
「…………お母さん」
『そうだ』
「お父さん」
『そうだ』
「……赤ちゃんが!」
『ああ、そうだ。お前をマリア様と奉る奴等は、お前の母を腹に居た赤子諸とも切り裂いて、お前を拉致して遥か海の果て、このイングランドまで連れてきた国際指名手配の犯罪者だ』
「ぅ……!! あ……っ!」
顔を押さえる。頭を押さえる。気持ち悪い何かが、脳を這いずり回る音がする。
「ぁあ……ぁ!!」
甦る、母の笑顔。
そして最期の顔。
「ぁぁ…………あああああああああ……!!」
悲壮。後悔。憤怒。喪失。戦慄。屈辱。絶望。
数多の感情が、一度に去来した。
『お前はカワカミアヅキだろう。マリアではない』
機械のように冷静に。冷徹に。冷酷に。
淡々と、真実を告げられた。
——
『(さて。そろそろ帰らねば。この娘も真実を知り満足しただろう。これからどう生きるかは知らないが)』
「待って……」
『なんだ? まだあるのか』
しばらく、愛月は放心していた。思ったより、涙は溢れなかった。余りにも。
この10年は。たった10年だが。幼い愛月にとっては人生の殆どの期間であり。
両親や日本のことなど。思い出そうとしても思い出せない。今の愛月ではこれが限界であった。
「……名前」
『ああ。お前はカワカミアヅキ——』
「ううん。あなたの名前、聞いてない」
『……人に教えてはならぬことになっている。悪いがもう時間だ』
「ねえ…………」
そろそろもう帰らねばと立ち上がった所に、裾を掴まれた。力は弱い。すぐに振り払えるだろう。
だが動けなかった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で——
「助けて……」
『……』
そう言われたからだ。
『(本来お前を殺しに来たのだ……と言っても無駄だろうな)』
「お願い……」
人間の子供に懐かれるという経験も無い。少しだけ、興味が湧いてしまったのだ。
『どうしたいのだ。お前は』
「…………わかんない」
『考えろ。思い付かないなら私は帰るぞ』
「まっ。……待って。考える、から」
『……』
切り株へ座り直す。見ると夕暮れだった。これから『夜』だ。ここまできたら仕方が無い。朝までは居てやろう、と考えた。
愛月も裾を握り締めたまま、隣に座った。
——
「……日本へ帰りたい」
『お前は身分証が無いから、飛行機や船など正規の手段では無理だ』
「警察でも駄目なの? 誘拐なのに」
『お前の信者に警官は居ないのか?』
「あ……」
『息の掛かっていない町までは徒歩では無理だ。そして交通機関を使うこともお前ひとりでは無理だな。金も無いし乗り方も分からないだろう』
「連れてって」
『それが一番無理だ。私は地上……お前達の住む世界に影響を与えられない。お前には知識以外に提供できるものは無い』
「じゃあ、どうすれば良いの」
『それはお前が考えねばならぬことだ』
「…………ケチ」
『ルールだ。私の吝嗇具合とは関係の無いことだ』
「……じゃあ、信徒達をどうにかすれば、警察がちゃんとするよね」
『そうだな。お前の誘拐は日本でニュースになっている。お前を崇める宗教団体もいくつかの嫌疑がある。それを暴くか、どうにかして壊滅させられればお前は自由になる』
「……壊滅」
『大勢の信者は、お前が拉致されてきたカワカミアヅキだということを知らん。本当に聖母マリアの生まれ変わりだと、本気で信じている』
「…………そっか。分かった」
『そうか。なら終わりだ』
「ねえ待ってったら。結果だけ見守ってよ」
『何をするつもりだ?』
「気になる? 分かんない?」
『教義の矛盾を突くか、自らがマリアではないと証明するのか』
「ちょっとなんで分かるのよ」
『誰でもこの程度は予想できる』
「つまんない。でも見ててね。帰っちゃやだよ」
『……良いだろう』
その承諾を得て。ようやく裾を手離した。
——
「こんにちは」
「えっ……。こんにちは。日本語上手だね」
「うん。お兄さんお姉さんは新婚さん?」
「そうだよ。新婚旅行さ」
「ちょっとだけ、お願いがあるの」
「なんだい?」
「わたしの顔、見たこと無い? ニュースとかで」
「えっ。はっ? ……あっ。この子……!」
「いんたーねっと、ってやつ、使える場所無いかな。記事を印刷できれば良いんだけど」
町へ出れば。日本人観光客はそこまで珍しくない。誰かが愛月を『見付け』さえすれば、それで良い。
日本人は基本的に、『困っている人』を見過ごせない性質があるからだ。
『(ほう……。インターネットか)』
当時のイギリスでは、インターネット普及率は30%以下だった。だが偶然にも、出会った旅行客の友人が、新しいもの好きで所持していた。
とにかく10歳の子供が普通に思い付ける手段では無かった。
——
「…………マリア、様……?」
「違う。わたしを、その名前で呼ばないで」
「教主様は誘拐犯だったのか!?」
「おい! どういうことだ!」
「ただの日本人だと!?」
それを見せ付けて。
自分の名前を言う。
愛月がすべきことはそれだけで良かった。
「教主を出せ! ぶっ殺してやる!」
「畜生! 俺達がどれだけ貢いだと思ってやがる!!」
一夜にして。
教団は血の海となった。
——
「……なんか、脆い」
『ほう?』
「たった、こんなことで崩れるんだね。とても、不安定で歪な組織だったね」
『そうだな。……この規模の宗教団体はどこも似たようなものだ』
「あのガキも殺せ! 俺達を騙しやがって!」
「えっ。助けてっ」
『……仕方無い』
子供の作戦でここまで上手く運べたことに感心していた。多少命を守る程度はしてやろうと考えた。




