第20話 リスク
陽が昇った。
後部座席では、まだ双子がすやすやと寝息を立てている。
「………………」
ちらりと、バックミラーでそれを確認する。
その愛らしい寝顔と。
記憶にある、昨晩見た『モノ』を頭の中で比べる。
「…………」
赤く光る瞳。つり上がった三日月のような口。
それ以外が全て、影絵のような暗黒。
「なんだったんだあれは……」
あの後ふたりは、車の中ですぐに眠ってしまった。あの中で何があったのか。どうやって脱出したのか。それはまだ文月には分からない。ただ、もうあのアパートに帰るのは危険だとアルテに告げられたため、適当に車を走らせている。
「……どうしたもんかね」
美裟と別れ、後の処理は警察に任せてきた。
急に。
生活は一変したと言って良い。
——
「おはようございます」
「……ああおはよう」
座席の間から、アルテがひょっこりと顔を出した。文月は少しだけひやりとしたが、なんのことはないいつも通りのアルテだった。
「大丈夫ですか?」
「……何が?」
アルテは文月を心配した様子で、申し訳なさそうに呟く。
「ごめんなさい。こんなおおごとに、巻き込んでしまって」
「…………」
「アルテ達は、もう少し大人しくしているべきでした。それが、馬鹿みたいにはしゃいでしまって」
文月は考えた。思い返していた。この双子が日本へ来てから、今日までのことを。
「別に、その件でお前達を責めるなんてことは無いよ」
「でも……」
「お前達の……俺達家族の問題だろ? 巻き込む巻き込まない、とかじゃない。初めから渦中に居て、向き合うべき当事者だ。寧ろ10年、遅れてすまないと思ってるよ」
「……お兄さま」
「だからこそ……何かあれば包み隠さず教えてくれ。俺はお前達の力になりたいと本気で思ってるんだからな」
「…………はいっ」
赤信号を見計らって一瞬、振り向いて目を合わせる。ハーフらしい青い瞳。兄を頼ってくれる、期待と尊敬と感謝の瞳。
「朝飯を食おう。どっかで停める」
「はい」
——
車をコンビニに停めて、適当に食事を摂って。
セレネも起きた所で、文月が切り出す。
「昨日、何があったんだ」
「はい」
追っ手が来る可能性がある。話は車の中ですることにした。
「赤橋先生に捕まって、あの診療所へ連れて来られました」
「ああ」
「密室でしたが、時間と方角から場所が割れたのでお兄さまが駆け付けると予想し、魔術を使って脱出しました」
「…………んん」
アルテの説明は、簡潔だった。その事実は理解しているが、「如何にして」の部分で文月は納得できていなかった。
「……魔術か」
「はい。道具も無く賭けではありましたが、上手くいきました」
「…………道具が無いと危険なのか?」
「そう言えば、なんだかんだと説明はできていませんでしたね。魔術は強力ですが、リスクがあるんです」
「リスク」
「例えば昨日セレネが使った『邪眼』は、使用後に失明します」
「はあっ!?」
驚愕した。
すぐにセレネを見る。
「…………?」
「セレネ」
起きたばかりのセレネは、まだ眠そうにしながらコンビニのパンを齧っている。
「大丈夫なのか!?」
「はい。もう」
「もう?」
失明しているようには見えない。きちんとパンを両手で持ち、確実に口へと運んでいる。青い視線もパンを捉えている。
「お兄さまに治していただいたので」
「!」
驚愕した。
自分の両手を見る。
ああ触っている。気にすらならないほど、何度も妹達と触れ合っている。
文月の意思と関係無く、『治す』。自分と居る限り、ふたりに怪我や病気はあり得ない。
それを、アルテは計算に入れていたのだ。だから、失明のリスクを取って脱出を図った。
「…………他には」
「小さな魔術では、そこまでおおごとになりません。大抵は、『血液が減る』とか、そのくらいです」
「…………血」
初めて会った時。通行人の貧血を治していた。その後双子は空腹を訴えた。あれは血が無くなったからだ。
「そーだね。フミ兄が居るから、これからはもっと凄い魔術だって使えるよ」
「待て」
「フミ兄?」
セレネが、のほほんとそう言った。
もっと凄い魔術。
失明より?
「……待ってくれ」
理解が追い付かない。文月はまた、パンクしそうだった。
「…………その、『邪眼』というのは何だ?」
絞り出すように質問を投げ掛ける。
「見た相手を不幸にする魔術です。病気や怪我など。原因不明の腹痛とか、偶然転ぶとか。それで、アルテ達は脱出しました」
「……んん」
見た相手を不幸にする。
その冷たく恐ろしい言葉がアルテの口から吐き出され、文月の耳を通って脳内へ届く。
届いた頃には、文月の脳は恐怖で埋まっていた。
「…………そうか」
「……お兄さま」
兄がパンクしそうであると、アルテは見抜いていた。この人は『そう』なのだと。そういう性格なのだ。
他人に対して優しすぎる。
「もう邪眼の効力は切れていますので、彼らに更なる不幸は起きません。警察に捕まって、普通に取り調べを受けていると思います」
「…………そうか」
その奇異な、稀有な能力を持ったが為か。それとも逆か。
文月は。
『治せるから怪我をしても良い』とは、絶対に考えない。
「……もう、魔術は使わないでくれ」
だから、彼はこう言う。
もし、自分が間に合わなかったらどうしていたのか。
治る確証など無い、失明。今後一切の光を感じることのできない人生に。
このふたりは、軽く踏み込みかけたのだ。
「どうしてですか?」
そしてそんなリスクなど。
ふたりにとっては当然で普通で当たり前のことだった。
だから、何故彼がそう言うのか分からない。
治るから良いじゃないかと。
「人を不幸にする。お前達も不幸になる。……そんなの駄目だ」
赤橋達がどうなったのか。文月には分からない。だが無事では済んでいないだろうと予想はできる。
「お兄さま。アルテ達は狙われています。自衛は当然です」
「…………そう、だけど」
「それに、魔術のリスクはお兄さまが治してくださいますから。実質リスク無しですよ」
「……だけど」
アルテの言う通りだ。不幸になるとは言え、自分達を狙ってくる相手に慈悲など掛けていられない。こっちは聖人でもなんでもない。
また怪我をしても文月が治せば良い。確かに、彼女達の全てを治すだろう。だが。
例え治るとしても、傷付いて欲しくないと思う。
それが文月だった。
「……魔術は駄目だ」
「どうしてですか」
「…………」
言葉が見付からない。
「俺はお前達に傷付いて欲しくない」
「…………どうしてですか」
「アルテ?」
睨まれた。
アルテの目には涙が浮かんでいる。
「………………!」
兄の気持ちはよく分かる。優しい感情はとても嬉しい。
だが。もしかしたら『ここ』が、日本人の感覚なのかもしれない。優しいのではなく。
甘い。
「それは、アルテ達の10年を全て否定する発言です」
「……えっ?」
何故、母はふたりに魔術を教えたのか。
今なら分かる。
敵から身を守るためだ。
この為に、必死に勉強してきたのだ。
「アルテ達は、『生きてさえ居れば良い』。何故ならお兄さまが一緒に居るから。敵は全部防いで、お母さまの所へ。……アルテは間違ってません」
「……アルテ」
最強である。さっきセレネも言った。
文月さえ居れば、どんな危険な魔術もリスク無しで使える。
人を殺すが、自分も衰弱してしまう魔術や。
廃人になるが、死霊を操る魔術なんかも。
「……なのに、どうしてそんなこと言うんですか」
「!」
これで『安全』に、3月末まで過ごせる。
なのに。
『お兄さま』は、その理解が無い。
たった10年だが、人生を全て捧げてきた魔術を否定する人間は。
アルテが最も嫌いな人間の種類で。
「おい、どこ行くんだ!」
「…………トイレですよ」
兄がそれとは信じたくなくて。




