第107話 魂
「天使が追って来ないんだな」
「神域ですから。本来『神』という地位にならないと入れないんだと思います」
「非常時なのに暢気ね」
宮殿内には、足元に霧が立ち込めていた。壁も天井も傷ひとつ無い純白色をしており、また人の気配は無く、入ってからはすんなりと歩を進められていた。
長く広い廊下を走る。途中いくつかの部屋を通ったが、気配は無い。
「……確かに、天国と言われれば納得してしまいそうな空間だ」
「静かね。……外では戦争しているのに」
文月と美裟に続いて、色葉も共に走る。恐ろしく巨大で広い宮殿の中から、『数の神』を探さなくてはならない。
「多分、その3神以外の神々が全員地上へ出向いているのだと思います」
「……攻め込まれる心配なんかしない訳か」
「そうですね。何が起きても平常運転。人間相手に『対策』なんてこれっぽっちもしていないでしょう」
「嘗められてるわね」
「本来は、それだけの力の差がありますから、この余裕は妥当です」
「…………」
——
『…………つき』
「!?」
文月が、急停止して首を90度曲げた。
「なに?」
「聴こえた」
「?」
美裟が文月の顔を確認する。
焦り。または半信半疑といったような表情。
「あの部屋だ」
「えっ?」
「行きましょう」
返事を待たずに、文月は進路を変えて走り出した。色葉も同調する。そもそも神の居場所など分からないのだ。
——
——
「……ふむ。このいくさ、聖宮に紛れ込んだ異物が決め手になりそうか? 我々が、負けるか? なあ。……どう思う」
円形の部屋。陸上競技場がいくつも入りそうなほど広い、殺風景で何もない部屋。
そこに、大柄な神と、透明な石で作られた『鳥籠』があった。籠の大きさは、人がひとり入れるほど。透明な石は淡く光っており、またその籠には入口が見当たらなかった。
籠の中には、彼女が囚われていた。
「……カワカミアヅキよ」
「母さんっ!!」
「ん」
その部屋に、文月が到着した。
『…………文月』
「母さん! なんで! どうしてそんなところに!」
籠の中の愛月は、黒髪ではなく白髪になっていた。服装も、純白のワンピースを着ている。それ以外には身に付けておらず、裸足である。
瞳と表情には、生気は感じられない。動こうとせず、じっと座り込んでいる。
だが確実に。母だと断言できる。多少様変わりした程度で文月が見紛うことはない。
「……ネフィリム人の子孫か」
「!」
籠の隣で腕を組む、巨体に気付く。巨体である。愛月と比べると、目測で身長は3メートルを越えている。
髪もボサボサ、無精髭、不適な笑み。
「お前は誰だ」
文月は臆さず、その男を睨み付けた。
「正確には、これはカワカミアヅキの『魂』だ。我は『魂の神』。地上に伝わらぬ名はルアッハイムだ」
「……『魂の神』!」
ルアッハイムは腕を広げて名乗る。
「そうとも! この世の生命! 精神! 霊魂を司る! いのちある所に道を作り、死者の行き先を我が決める! 下賎な悪魔がこそこそと利用しているようだがなっ」
「…………ルシファーが言っていたのは、母さんの魂はここに連れてこられてたのか」
「……エインヘリヤルと同じってことね」
愛月は文月の名を呼ぶが、虚ろな目で悲しげに、寂しげにしている。文月はこれを見て、明確に怒りを露にする。
義憤を。
「どうしますか? 敵はひとりですが」
「やろう。俺も戦う。母さんを救うんだ」
「えっ」
色葉は、文月の言葉を不思議に思う。戦闘能力は、彼には無い筈だ。敵は仮にも『神』。何か策があったとして、通用するなど考えない方が良い。そしてそんなことは、彼が最も良く理解している筈だ。
「わはは。ここで潰しても良いが、我も我で色々とあってな。ここは『任せよう』」
「!?」
ルアッハイムが、籠を持ち上げて姿を消した。
「待てっ!!」
軽々と、愛月の入った籠を片手で掴み。跳躍したかと思うと霧に紛れて姿は見えなくなった。
「——ルカよ」
「!」
最後に、そのひと言を残して。
「……趣味が悪いわね。『神様』というものは」
「えっ」
その声が。台詞が。言葉が。
隣の美裟からではなく。
ルアッハイムの消えた地点から聴こえた。
——
着物。
否。
『巫女装束』に、身を包んでいた。紅と白の、綺麗なコントラストが霧吹ける部屋に映える。
「…………先生」
「!」
色葉が溢した。
黒髪。地面に着くかというほどの長さ。
身長。体格。佇まい。
全てが、文月の中の『妻』と被った。
「……まさか」
「やっぱり!」
最も驚いていたのは、美裟本人であった。
「……『萩原縷架』!!」
「!?」
視線は鋭く。容姿は20代の女性。しかし叫ばれた名は、明治生まれの人物の名前。色葉にとっては、恩師にあたる。
「よく知っているわね。……萩原美裟」
「まじかよ……」
「エイン、ヘリヤル……」
死した英雄の魂を集め、最強の軍隊を作る。
それは何も、歴史に名を馳せた者達だけではない。実力が認められれば、どこの誰でも関係無い。
『生前の最も充実していた頃』の肉体を与えられた、百戦錬磨の英雄の魂。
「…………!」
美裟の拳が、震えた。
「さあ、見せてみなさい。貴女の精神を」
話にしか聞いていなかった、『文月と同じ奇跡を持つ巫女』が、目の前に立っている。
——
「……あんた達は先行きなさい」
「!」
美裟が呟いた。その視線は、縷架から切らさず。彼女だけが感じている『危機』が、告げているのだ。
手を抜いてくれる相手ではないと。
「ちょっと待ってくれ! 萩原縷架、さん、なのか!? 本当に!」
「……ええそうよ。川上文月さん」
「!」
文月が呼び掛ける。この剣呑な雰囲気を彼は好まない。
「敵対する理由が無いだろ!? 俺は、俺もネフィリムで! 『治癒』の奇跡を」
「無駄よ」
「!!」
言葉の途中で。
文月は『吹き飛んだ』。
「がはっ!!」
「文月!」
縷架が、刹那の直前まで文月が立っていた場所に居る。美裟は、その動きを全く捉えられて居なかった。以前見たシレークスの比ではない。
「私の魂は『神様』の支配下にあるから。誰にも、どうすることもできないわ。だから、会話は無駄」
「っ!!」
その蹴りが、美裟と色葉をも吹き飛ばす。3人は3方向にそれぞれ飛ばされ、壁に激突し、または床に転がった。
「……うっ」
「きゃ!」
「くそっ!!」
文月が立ち上がり、美裟が立て直す。色葉は飛び上がり、美裟の隣へと着地した。
「美裟さん。訂正してください」
「…………色葉さん、貴女最初から」
「はい」
「…………」
縷架は、こちらを見ている。文月になど、目もくれていない。
『流石だ』と、美裟は感じた。この縷架という女性の『強さ』を。
「文月! あんた先行きなさい!!」
「!」
息を吸って、思い切り叫んだ。
「愛月さんが! 待ってるでしょうが!」
「…………!!」
文月が飛ばされた方向は、正にルアッハイムが姿を消した方向だった。
「……済まん!」
文月は。即座にこの場を離れた。美裟や色葉を心配していない訳ではない。だが。
最善を、最も早く導き出さなければならないのが『リーダー』であると、彼は考えていた。
先へ。
自分だけでも。
「……だから、謝罪じゃなくて。あんたがするのは感謝なんだってば」
美裟は、少しだけ笑った。萩原縷架。この人は『とてつもなくお人好しで優しい人柄』なのだ。だから、気も楽になった。
「逃がさないわよ」
「いや、それはあたしが許さない」
「……」
丁度。
文月と縷架の間に、美裟と色葉が立ち塞がった。
「……そういうことですか。神に支配されながら、ここまで『自由』に動けるなんて」
「何の話かしら」
「いえ。……またお会いできて嬉しいです。……萩原先生」
色葉は。これを予期していた。ケイとも相談していた。
この人は、必ず『天界』に連れていかれていると。
「楽王子さん。貴女も、あれからどれだけ成長したか見てあげるわ」
「お願いします」
美裟も話を聞いて、そして今確信した。
この人を止められるのは自分だけだと。




