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「どうやら地球が最期らしい」  作者: 見上まくら
6/8

友達と暮らす

「今までありがとうございました」

 そういってこの家族も彼のもとを去っていった。その人が出ていったことによりこの広い介護施設に残った人間は二人だけになった。

 ずいぶんと広くなったなぁ、と彼は施設を見て思う。今までが楽だったかというとそんな事は全くなく、毎日毎日苦労をして、必死になって、怒られて、泣いて、辞めたくなった事もあったが、結局最後までこの施設に残った職員は、何年も働いていた先輩職員でも泣きながらそれでも頑張っていた後輩職員でもなく彼になっていた。


 いつもならキュルキュルと音を立てて車椅子が通っていたり、足音と共にコンコンコンと軽い音を立てていた杖もどれだけ耳を澄ましても聞こえてくるはずもなく、今はたった一人分の足音だけが寂しく響いている。

 カラカラカラと引き戸を開けると、よく日が差し込む窓辺の特等席を陣取っている老人が一人。お洒落な格好をしていて、これからどこかへ出掛けるような雰囲気である。

「ゲンゾウさん、お待たせしました。続きをやりましょう」

「・・・ふん、お前なんかを相手にしたって面白くもなんともない」

「まぁまぁ、そういわずに」

 ゲンゾウさんは窓の外を眺めている。テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰かけた彼は、テーブルの上に並べられた対局途中の将棋の駒を一つ手に取って盤上に乗せた。

「・・・それじゃ二歩で失格だ」

「えぇ!?そうなんですか?じゃあもう一回やりましょうよ」

 フンッとゲンゾウさんが一度鼻を鳴らすと、顔を彼に向けて駒と交互に見やりしょうがないなといった風に駒を最初の位置に動かした。それを見た彼は嬉しそうにゲンゾウさんを真似て並べると、自分側の駒が二つ多い事に気が付いた。

「あれ?ゲンゾウさんの方の駒、二つ足りないですね。どこかに落としたかな?」

「素人相手に本気でやってどうする。ほれ、俺の方は飛車・角落ちでやってやる」

 そういったゲンゾウさんは駒を収納している木箱を振ってみせると、カランカランと渇いた音を響かせた。それを見た彼はまた嬉しそうな顔をして、よろしくお願いします、と頭を下げた。


 彼は今まで将棋を指した記憶は無い。覚えているのは幼い頃に祖父母の家にあった木で作られた将棋盤の上にその駒を使ってドミノ倒しをして遊んだことくらいで、それら本来の遊び方など見たこともやったこともない。祖父が一所懸命に教えようとしていた気もするが、大人になった彼にはルールや駒の位置も記憶に残っておらず初めて触れる物とたいして変わらなかった。


 コトン、パチン、コトン、パチン

「これってどう動くんでしたっけ」

「これはここ、こう来るからこう」

「あぁ!そっか!」

「まぁ、ここから狙えるから結局は俺に取られるぞ」

「あぁ!?そっか!!ちょっと待ってください!今考えますから・・・」

 そうしてもう何度目になるかも分からない「待った」を、ゲンゾウさんはニヤニヤと余裕たっぷりの表情で見つめていた。ゲンゾウさんの前でうんうん唸りながら盤上を見つめている彼は、どうにか勝とうと必死になっている。そうして見つけた勝つための作戦は、またしても簡単に崩されては白旗を振る事になるのだが。

「あー!また負けた!ゲンゾウさん、もう一回やりましょう」

「またか?何回やっても同じだぞ」

 小さい子供のようにもう一回を繰り返す彼に、ゲンゾウさんも悪態をつきながらも表情は楽しそうでそれに応じる。またパチン、コトン、と駒が動けば、彼からの少しの質問とゲンゾウさんのアドバイスが交わされるだけでそれ以外は静かなものだった。


「あ、そろそろご飯にしましょうか」

「もうそんな時間か」

 二人は随分と楽しんだようで、時計を見るとすでに昼時を過ぎた時間になっていた。何か作りますね、と彼が立ち上がり歩いている後ろ姿を見送ると、片付ける事をしなかった彼の代わりにゲンゾウさんが机の上を綺麗にした。

 たくさん会話があるわけではない。それでも彼からの言葉を無視することもなく二人の食事は進んでいく。後になって思い返しても思い出せないような当たり障りのない会話だけれども、今の二人にはちょうどよかった。

 食事の後に掃除だのなんだのと家事に勤しむ彼を、ゲンゾウさんは遠くから見つめていた。何か言おうと口を開こうとして、少し考えて口をつぐむ。どうかしましたか、と優しく声をかけられてもなんでもないと言うだけだった。


 二人で過ごすようになって数日が経った。若干の距離感を感じつつも慣れれば案外悪くないもんだと互いに感じている。たまに何かを言いたそうにこちらを見ているゲンゾウさんが気がかりである彼は、それでも何を聞いても何も言わないゲンゾウさんに少しモヤモヤしていた。


 「・・・おい、」

「なんですか?」

 いつものように囲碁や将棋を楽しんで、そろそろ夕飯の支度をしようとキッチンに向かった彼にゲンゾウさんは声をかけた。

「・・・今日は、何にするんだ」

「そうですねぇ、昨日は魚だったから肉系にしましょうか?」

そういって彼はゲンゾウさんに意見を聞いた。するといつもならそうだな、と一言返すだけのゲンゾウさんだったが今日は少し言葉につまった。彼は頭に疑問符を浮かべたがすぐに冷蔵庫を開けて献立を考えているようだ。

「・・・お前は何が食べたいんだ」

「へっ!?」

 それはゲンゾウさんから彼への初めての言葉だった。

「・・・いつも、俺に合わせてくれてたんだろ。お前は何が食べたいんだ」

 そう言うゲンゾウさんの声はいつもより優しい。IHの上にフライパンを準備して点火スイッチの場所を確認するあたり、今日は自分が作る気らしい。

「若いんだからガッツリ食べたいだろ」

「え!でも・・・」

「いいから食べたいものを言え。ほら、なんだ」

ほらほらと急かすがやはり声は優しくて楽しそうに弾んでいる。彼は戸惑いが隠せないまま、あの、えっとと意味のない単語を溢しただけだ。

「唐揚げか?ハンバーグか?親子丼か?・・・昔な、息子に作ってやった事があるんだ。俺みたいなやつを料理男子っていうんだろ?テレビで見たぞ。お前よりもずっと前から、俺は料理男子なんだよ」

その表情は知り合いのおじいちゃんというより父親の顔をしていて、彼はゲンゾウさんのそんな表情を初めて見た。

「・・・お、親子丼が食べたい、です・・・」

 その言葉を聞いたゲンゾウさんは嬉しそうに、そうかそうかと頷いて冷蔵庫から食材を取り出した。恥ずかしそうに要望を伝えた彼もまた、施設の職員から一人の息子の顔をしていて、ゲンゾウさんの少し後ろをまるで幼い子供のようについて歩いた。


「いただきます!」

「召し上がれ」

 いつもより元気に挨拶をした彼は、瞳をキラキラさせて親子丼を口に運んだ。ゲンゾウさんはそれを心配そうに見守っていたが

、どうやらそれは杞憂だったらしい。

「おいしい!」

「そうか」

「はい!本当においしいですよ!」

そういってどんどん食べ進めていく姿は見ていても気持ちが良いものだ。ゲンゾウさんも自分の分に手をつけて、久しぶりにやったが上出来だなと笑みを溢し心のなかで呟いた。


 「すっごいおいしかったです!ごちそうさまでした!」

「お粗末様」

 夢中で食べた彼とゲンゾウさんの間には久しぶりに会話が無かった。しかし、今日の料理で少し距離が縮まったと感じたゲンゾウさんは、今まで聞けなかった事を聞くなら今しかないのではないかと、テーブルの下で握り拳をつくり気合いを入れて重い口を開いた。

「・・・帰らなくていいのか」

「へ?」

 ゲンゾウさんの問をまるで理解していない表情を浮かべた彼にさらに言葉を続けた。

「いつまでこんな所にいるつもりなんだ。そろそろ家に帰ったらどうだ?あまり長居をすると、本当に家族に二度と会えなくなるぞ」

「家に帰る気ないですよ?自分の必要な物は全部持ってきましたし、両親にもそれは伝えてます。それに両親の元には妹もいますし大丈夫でしょう」

 さも当然のように言った彼に面食らったゲンゾウさんは、あっけにとられた顔をして次の言葉を失った。それを知ってか知らずか彼はさらに続ける。

「・・・まぁ、家族は大切ですけど、なんかちょっと気を使うっていうか、あんまり言いたいこと言えないっていうか・・・あ!別に仲が悪いとかそんなんじゃなくて、むしろ良いと思うんですけど、変に気を使うっていうか・・・ゲンゾウさんといるときの方が、友達といるみたいで楽しいんですよ」

 そう照れ臭そうに言った彼にゲンゾウさんはあれ以上の事は何も言わず、ただ自分と居ることが苦ではない事を知って安堵の表情を浮かべて、知らずのうちに入っていた力を抜いて椅子の背もたれに体を預けた。

「そうか・・・じゃあ明日からは俺にあんまり気を使うな。掃除も洗濯もそんなに毎日やらなくていい。やる時は俺にも手伝わせろ。料理もだ。わかったな?コウジ?」

「!」

 初めて名前を呼ばれた彼は、それは嬉しそうに返事をして何度も頷いた。


 あの日を境に年の離れた友人二人は、互いの話をよくするようになった。二人しかいない広いこの施設はそれでも楽しそうな声が響き、そしてあの日以来、コウジのネームプレートと職員のユニフォームは着られていない。

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