1 転生と出会い
「これにするわ。」
少女は俺を指差してそう言った。
「おい、飯だ。」
鉄格子の間から硬い黒パンとふかしすぎてボロボロになった芋が投げ込まれる。「なんて不衛生な。」そう思いながらも黙ってそれらを拾い口に運ぶ。
漫画やアニメを知り異世界転生に憧れ、夢見ること十数年。社会人になり働きながらも目が覚めたら異世界に!なんてことを毎日妄想し生きていた。
いろいろあって、天涯孤独に生きてきた俺だったが、そんな俺にもついに転機が訪れた。
横断歩道を青信号で渡る少女に向かって突っ込んでくるトラック。何度も読んで、見てきた転生の儀式が今、目の前に。俺は迷わず飛び出した。そして、少女を突き飛ばし、トラックの前で両手を広げる。
「いざ行かん、異世界ぺんっ……」
そこから先の記憶はない。気が付いたらここにいた……牢屋の中に。
異世界に来て三日が経った。どうやら、ここは奴隷商らしい。そして、俺はここで死んだ少年の体に転生してしまったようだ。目が覚めてすぐに、俺を袋に詰めようとするおっさんと目が合い、生き返っただのなんだの騒いでいたがそれどころではなかった。念願の異世界転生が叶ったのだ。聞き覚えが無いのに理解できる言葉。顔の造りどころか、ケモミミを生やしたおっさん。そして、若返ったこの十代の体。俺は涙を流しながら歓喜した。それはもう「ふふーっ!ひゃっはー!うっほほーい!」てな具合に。即刻、袋叩きにされて一人用の牢屋みたいな所に放り込まれたさ。
「ごちそうさん」
俺は旨くもない腹を満たすためだけの食事を終えた。
さて、かれこれ三日目になるのだがどうしたものか。首には読めない文字らしき刺青のようなものがあり奴隷商のおっさんが合図を送ると死ぬほど全身が痛くなる。初日に脱走しようとして食らったが二度とごめんだ。そして、これのせいなのか元々無いのか定番のステータス確認も魔法も怪力も一切使えない。使い方なんて、知りもしないが。
「まさか、このまま野垂れ死ぬなんて事は無いよな?」
転生初日にひゃっはーしたせいで奴隷商どもは俺を気味悪がって飯の時意外は全く寄り付かない。おかげで何の情報も得られないためこの状況をどう攻略すれば良いのかわからずストレスだけがガンガン溜まっていく。
「おぉ、神よ。この迷える子羊を救いたまえ。」
何となく祈りを捧げ、とりあえず寝ることにした。
「おやめください!ここから先には商品なんて置いてありませんから!」
なにやら、奴隷商のおっさんが騒いでるようだ。
「うるさいわね。商品になるかどうかは私が見て決めるわ!」
複数の足音が聞こえる。全く光の入らないここはおっさんの持ってくる飯以外で時間を知るすべが無いため今何字なのかもわからない。食事だって夜の一食だけだし。まぁ、なんせよ客が居ると言うことは俺の華々しい異世界生活が四日目に突入したことを示している。
「いけません!この先にいるのは気が狂った男が一つだけ。決して貴女様に売れるものではありません!」
おや、それは俺のことかな?
「それなら何で処分してないのよ?処分しないだけの理由があるんでしょ?」
「そ…れは…」
おっ?なんだか俺に秘められた力でもある流れか?
そんな会話を聞いてるうちにそれらはやってきた。
数本の蝋燭に火が点され、やってきたのは三人の人物。おっさんと小奇麗なケモミミ少女と執事風のこれまたケモミミのじいさん。
「ふぅん。」
狐かな?ケモミミ少女が俺を値踏みするかのような目付きで下から上へと視線を動かす。
そして、
「これにするわ。」
俺を指差してそう言った。
「んなっ!お、お言葉ですが、これは一度心臓が止まってまして、処分しようしたら息を吹き返したという曰く付きにございます!正直、いつまた壊れるかもわかりませんし、言動も死ぬ前とは全くの別物になってまして、もし買われた後に死んだり、何かしらの被害に遭われましても、返金はおろか保障もしかねますよ!」
なにやら必死なおっさん。なに、そんなに俺に売れて欲しくないの?
「なるほどね、だから生かしてるんだ。研究所に持っていけば高く買い取ってくれるでしょうからね…特にニンゲンなら。」
えっ…なに今の意味深な発言。
「えぇ、まぁ。ですが、不良品であることには」
「買うわ。うん、これでいい。バルド。」
「はい、お嬢様。」
「ちょっ、困りますって!元々売る気のあるものではありませんし、研究所にも…っと、これは……まぁ、死んだ事にすれば…うむ、死体も腐ったことにすれば、まぁ。」
尚も食い下がろうとしたおっさんに執事さんが、多分金の入った袋を渡した瞬間に態度が一変。そんな高額なの?
「では、お売りしますが、くれぐれも返金やクレームは」
「しつこいわね。その辺は最後にバルドにでも言ってちょうだい。」
そう言って、狐の少女は檻に手を
「お、お待ちください!せめて契約を済ませてから落ち被きください!」
さすがにおっさんだけではなく執事さんもあせったような表情をしているが俺ってそんな危ないやつじゃないぞ。
「そう。ならさっさとしてちょうだい。」
「はい、すぐに!」
それから、すぐにおっさんが檻の鍵を外し、入ってくる。
「わかってるな、抵抗するんじゃないぞ!」
どこから出したのか鉤爪のついた棒を俺に向けてにじり寄ってくる。あれだ、まるで猛獣の扱い…やられてるこっちの方が怖いわ。
「っ」
じわりじわりと近づいてくる鉤爪。それが触れた瞬間思わず引いてしまったのがいけなかった。
「このっ!」
「うぐっ!」
慣れた手つきで鉤爪を肩口の衣服にに引っ掛け、引き倒される。
「この、大人しくしろ!!」
僅かに肉が裂けたのだろうじりじりとした痛みと踏みつけられて床に抑えられる苦しさから、思わず動こうとしてしまう俺。それを見て、おっさんが俺を指差す。それは、あのすごく痛い何かの合図。
「っ?!」
「待ちなさい!」
身構える俺を庇ってくれたのは狐の少女。
「もうこれは私のよ?むやみに傷つけるのは止めてもらえる?」
「わ、わかりましたから、余り近づかないでくださいってば!」
「構わないわ。契約を始めなさい。」
這い蹲る俺の鼻先まで近づいてきた少女。意外といいやつ
「ぐぶっ?!」
なんて思ったのがいけなかったのかなんと、当たり前のように踏みつけてきやがった。
「右足で?」
「えぇ。」
「では。」
えぇ…なんか知らんけどこのまま契約とやらを?
「終わりました。」
「ご苦労。では、立ちなさい。」
床しか見えない内に終わってしまった契約。
「っ…よいしょ。」
首筋にぴりっとした衝撃が走る。このまま寝ていたらやばい。俺はさっと立ち上がり少女と向き合う。
「ご主人様を見下ろすなんていい度胸じゃない。」
「へっ…あがっ?!!」
そして、全身を貫く電撃に似た衝撃。初めて受けた時と同様に俺は意識を失った。
「うぅ…ぐっ!!?」
目が覚めた俺は眼球が焼けるような痛みに襲われる。
「…っ……あぁ。」
そこは馬車の荷台だった。俺以外にも僅かに荷物が載っていて、俺は手足に枷を付けられた状態で転がされていた。
そして、この馬車はどこかに向かっており、荷物を覆うようなものは無く、俺は転生して初めて夕日とはいえ陽の光を浴びるのだった。
「すげー。」
そこは、いかにもファンタジーな町だった。夕焼けに照らされながらたくさんの人が行き交い、屋台のような店がずらりと並び客を呼び込む。やや荒っぽい人が多いのか野次のような声がたまに聞こえる。そして、なによりもファンタジーなのが、全員、ケモミミだということ。
「あ?起きたか。逃げんなよ?逃亡奴隷は殺しても罪にはならねぇが、ロディア家様に睨まれたくないんでな。」
「あ、はい。」
まじか、逃げたら殺されんのか…。てか、返事したら御者のクマミミおっちゃんに驚かれたんだけど。
「では、サインを。」
「はい。」
「確かに。では。」
それから、ドナドナされること十数分。それはもう、誰が見てもお偉いさんの家だとわかるような豪邸に辿り着いた。その豪邸のでっかい門の前で受付を行い、ケモミミの兵隊さんの案内で敷地内へ。そして、玄関の前にはあの執事さんが待っていた。
あの暗い場所ではわからなかったけどこの執事さん羊だった。頭の上に垂れた耳と曲がった角からして間違いない。
「ついてきなさい。」
受け取りが済むとクマミミはケモミミの兵隊さんと一緒に退場。俺は無表情な羊の執事さんに連れられ豪邸の裏庭に。そこには数名のケモミミメイドと井戸……寒い気温ではないけど井戸水って冷たいんだよ?
「では、ついてきなさい。」
まるで洗車のような扱いで洗われた俺は裏口のような場所から豪邸内に入る。絨毯の敷かれた長い廊下に高そうな壷やら絵がちょこちょこと…俺ってこれからどうなるの?
「お嬢様。連れてきました。」
それから少し歩いて辿り着いた部屋。羊の執事さんがノックして声を掛ける。
「入りなさい。」
そして、室内へ。
「ふぅん。やっぱりニンゲンね。」
第一声がそれ。室内には、狐の少女と無表情なメイドが一人。お茶の時間だったのか手にはティーカップ。テーブルには何やらクッキーのようなものがあり、室内には紅茶と何やら甘いにおいが充満していた。
「ふむ。」
狐の少女は手に持っていたティーカップをテーブルに置くと立ち上がり歩み寄ってきた。
「………」
「………?」
そして、見つめ合う二人。
綺麗な銀髪に整った顔。まさしく美少女だった。耳と尻尾さえ見なければ普通の人と変わらない。
まさしく、ファンタジー……なんて、考えていたら思い出した。今の俺は、狐の少女を見下ろしていることに!
「あ」
「ひざまづきなさい。」
「っ…うぐっ?!」
命令遂行を促す軽いぴりっとする衝撃と共に慌てて膝を付く俺。そのまま顔を上げようとしたらズシッとした衝撃。
なぜ踏む?
「躾が必要ね。」
とりあえず足をどけろよ。業界によってはご褒美かもしれんが、室内でも靴を履いてるから痛いのなんの。
「お嬢様。」
「なによ?」
「僭越ながら、これの躾は私にお任せ頂けたらと。」
「必要ないわ。私のものは私が躾けるわ。」
「…はっ。失礼致しました。」
えぇ…まじでこれどうしよう。せっかく異世界に来たのに奴隷とか…
「じゃあ、バルドにレイは出てってちょうだい。」
「っ!なりません、お嬢様。奴隷契約が済んでいるとはいえ誰も付けずに」
「バルド。二度も言わせる気?」
「申し訳ありません。私は部屋の外に控えます。いつでもお声掛けください。」
あっという間に二人っきり。と言っても、反抗なんてしようものなら首にある契約に瞬殺されるだろうけど。
「来なさい。」
二人が出て行くと、狐の少女は足を退けベッドの方へ。そして、ベッドに腰を下ろし俺を見上げる。
やばい。どうしよ、まさか隣に腰掛けようものならどんな目に遭うか。
「ん。」
そんな俺の心境に気づいたのか狐の少女は俺の座る場所を指差した。
「はい…ぐっ」
ですよね。狐の少女の足元に正座した俺の横っ面を蹴る勢いで踏みつけ、横倒しになった俺の頬に足を置く。下は絨毯で体重も乗ってないから痛くは無いのだけれど…無性に虚しい気持ちになるな。
「あんた、何者?」
このまま、会話すんの?
「とりあえず、足だけでも退かしてくれない…かな……なんて、はは…すいません。」
だめだ、狐の少女が指差してやがる。
「立場を弁えなさい。質問してるのは私。わかる?」
「はい。」
違う。俺の思い描いていた異世界生活はこんなんじゃない。むしろ、ケモミミ奴隷を手なずけてにゃんにゃんしたいくらいの気持ちでいたのに…おかしいな、なんだか目の前が滲んできた。
「無視?」
やばい、殺される。てか、何者って…転生者で通じるのだろうか?世界観もわからないし、現状、人間って珍しいみたいだし……どう答えたら正解なのだろうか?
「何者って聞かれても、ただの人間で奴隷なんだぐげっ」
踏みつけるな。
「飼われてる奴隷は何人か見てきたけどあんたみたいに生きた目をした奴隷は初めて見たわ。それに…」
「それに?」
「丸腰で獣人を真正面から見れるニンゲンなんて聞いたことも無いわ。」
どゆこと?
「獣人とニンゲンでは力の差がはっきりとしてるわ。森なんかで出会ったニンゲンは相手が獣人と知れば武装してても情けない悲鳴を上げて逃げていくのに、あんたの目からは微塵も恐れを感じない。まるで、獣人を初めて見る赤子みたい。」
あぁ…もしかして、この世界で獣人って恐ろしい敵ポジなの?
「契約紋がある限り、あんたは魔法も使えなければ反抗も出来ない。なのに、なんでそんなに余裕なのかしら?」
「あぁ…余裕なわけではないんだけどな。ただ、抵抗が無意味なら仕方ないし、この世界のことは何もわからないから俺もどうしたもんかと…。」
「この世界?」
おっと、しまった。転生のことを言っていいのか判断出来てないのに…うん、誤魔化そう。
「言い間違いだ。ただ、数日前から記憶をっ…ぐっ…は…っ…」
なんだ、めっちゃ苦しかったんだけど?
「っ?!」
狐の少女と目が合った。ものすごく冷たい目をしている。寒くも無いのに寒気と嫌な汗をかいてきた。
「奴隷は主に嘘がつけないの。次は無いわよ?」
次…とは、次に嘘を吐いたら命が無いってことか?
仕方ない。素直に話してどうなるかわからんけど、それ以外に方法もないしな。
「へぇ、勇者…聞いたことがあるわね。」
それから、俺が転生者でありこちらの記憶や知識が一切無いことと、聞かれたことについては素直に答えた。意外にも、割とすんなり信じてくれたようで勇者についても数える程度には前例があり、とりあえず納得してくれた。
「あの…」
「なによ?」
「そろそろ、足を退けて頂けませんかね?割と首とか肩がぶぇ」
痛い。いきなり力を込めるんだもん、舌を噛んだじゃんか。
「あんたは、私の奴隷よ?わかる?口答えするんじゃないの。」
あぁ、狐ってネコ目イヌ属イヌ科で紛らわしい言い方するけど犬の仲間だもんな。犬って上下関係厳しいし犬社会で下のやつは上のやつに圧し掛かられて関係を証明したりするし狐も似たようなものなのだろうか…って、人型なんだからもう少し上品に出来ないのかね?
「お嬢様。」
そんな時、羊の執事さんが扉をノックしてきた。
「いいわよ。」
そして、許可を貰って入ってくるのだが。俺、こんな情けない格好なんですけど。
「失礼します。夕飯の準備が整いました。」
「そっ。それじゃ、私は行くからこれを見ておきなさい。」
「畏まりました。」
そう言って出て行く狐のしょ…キツネっ子。これで十分。そして、俺は無表情な羊の執事、基、バルドと二人っきりとなる。
「………」
「………」
とりあえず、床に座りなおし、バルドを見る。
でも、バルドは入り口に立ち、目を瞑っており、なんか無関心な感じ?
「あの…バルドさん」
「………」
「バルドっち?」
「お嬢様に何かあれば奴隷紋なんぞに頼らず叩き潰しますのであしからず。」
「あ、はい。」
この人あれだ。表情には出さないけど、キツネっ子の命令で仕方なく俺の存在を許してる感じだ。きっと、内心、俺を排除したくって仕方ないんだろうな。
「ねぇ、バルドさん。」
「………………はい。」
悩んだなぁ。
「俺ってこれからどうなりますかね?」
「さぁ。」
さいですか。
それからしばらくキツネっ子が戻るまで、バルドとの会話は無かった。