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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アンチヒーロー

作者: 伊坂倉葉

 神様なんて居るもんか。もしも居るならば、神が掲げる、『思いは必ず届く、願いは必ず叶う』という如何いかにも嘘臭い法にのっとって、俺の願いも届いている筈だ。


 この世から全ての勇者を消し去ってくれと云う、全くもって平和的な願いも。


 しゃぐり、と落ち葉を踏みつける心地よい音が耳に届く。

「大丈夫かい?」

 木の葉降る森にて。泥だらけの身体で座り込んでいた俺は、その言葉を無視した。

 差し出された手に悪意しか感じることが出来ない俺は、多分、狂っているんだろう。

 優しく掛けられた言葉にすら嫌悪を覚える俺は、多分、イカれているんだろう。

 だが、それでいい。

 このイカれた世界には、それくらいが丁度良い。そうでなきゃ、多分俺は、狂っているんだろう。

 あれ、おかしいな。どっちにしろ、狂ってるんじゃないか。

 そりゃそうか。――だって俺は、元々狂っているんだから。

 ――あれ、と首を傾げる。気が付けば。いつの間にか、手首まで真っ赤だった。

 その手に握る小さなナイフは、どこまでも赤い。その切っ先は手の震えに応じて、カタカタと小刻みに震える。

 目の前に横たわるは、蜥蜴とかげのような、しかし背丈は俺ほどもある化け物。だが、そんな化け物は、既に死んでいた。首から、血を流しながら。

 いや、俺が殺したんじゃない。俺はこいつから、逃げることしか出来なかった。このナイフに着く血は、最初の不意討ちに近い一閃が運良く刺さったから。それだけだ。

 そのおとがいに、あっさりと刀を捩じ込んだのは、先ほど俺に話し掛けた勇者。

 ゆうしゃと、俺の間に広がる、何よりも広い差。俺が逃げることしか出来ない相手に、しかし勇者は小指一本で勝てる。

 それは、本当に、いくら努力しても決して埋められないであろう、差。

 これが齢十五にして見せつけられた、


 圧倒的不利な『現実ゲーム』だった。


 ――ああ、なんだか気持ち悪くなってきた。

 鉄錆の臭いが、鼻腔をくすぐった所為だろうか。


 ◇


 秋の風は冷たい。手はポケットに入れておかなければ、とても耐えられない。

 冬を目の前に据え置いた街を、一人の少年がゆっくりと歩いていた。

 街には普段、色々な言葉が飛び交う。しかし、今日この日に限って、その色々な言葉はしかしニュアンスは違えどある事についてのものだった。


『今日も勇者様が街を救ってくださったぞー!』

 喧しい、と少年は言葉に出さずに呟いた。

『勇者様、ありがとう……』

 馬鹿馬鹿しい、と少年は鼻で笑った。

『勇者様、お助けをー!』

 恥ずかしい、と少年は呆れた。


 この街に住むヤツは、揃いも揃って馬鹿ばかりだ、と少年――アルトは、思わざるを得なかった。


 何が勇者様、だ。

 あんな奴等に、何故助けを求めるんだ。

 ああ、ああ。確かに、彼等は強かろう。顔も良いかもしれない。潜在能力も高いのかもしれない。そして、アルトのような『勇者成らざる者』に対しても、彼等は優しい。一部、例外が無いことは無いが。

 だが、突如としてこの世界に現れ、良くも悪くも好き勝手する勇者達を、アルトはさっぱり好きになれなかった。

 それは産まれながらの英雄に対しての嫉妬ではない。アルトは勇者に憧れる無垢な少年、ではないからだ。

 彼等の力を認めない訳はない。しかし、街を救うために化け物を討伐した勇者達に、称賛の拍手を送る気にも、感謝の涙を流す気も更々ない。

 何故なら、その化け物達が街を襲うのは、間違いなく、勇者がそこにいるからだ。

 昔々、とアルトは頭の中で言葉を紡ぐ。

 昔々、そのまた昔。勇者なんて者が、この世界にだ、いないぐらい、昔。

 当然、その時にも化け物達は街の外に沢山いた。数こそ、今よりよっぽど少ないものの、アルト達一般人では絶対に太刀打ちできないほどに強い化け物が、街の外には常に犇めいていた。

 だが。

 一般人は、それでも勇者無しで昔から生き抜いてきた。

 それは、一般人達に身を守る秘策が有ったわけではない。ただ、化け物に街が狙われる事が、本当に稀だったのだ。

 化け物達が街を狙わない理由は分からない。しかし、理由がどうであれ、兎にも角にも一般人は、化け物達と接触する機会もほとんどなく、平和に暮らしてきた。

 ところが。ほんの数年前、突如として、『勇者』と呼ばれる一団が、いきなり、現れた。何の前触れもなく街の門扉を叩いた勇者達を、何故か街はあっさりと受け入れた。

 それからだ。突然、街が化け物に襲われるようになったのだ。

 本当に突然、だった。最初はたった一匹の蛇のような化け物に、街の一角が突然、そして刹那的な短い間に、更地にされた。アルトは、今も鮮明にそれを思い出すことが出来る。

 虐殺、と呼ぶことすら烏滸おこがましい程に、綺麗すぎる、惨状。

 建物の影形も、死んでいった人の血も、肉片も、微塵も残っていない。本当に完璧に全く何も残っていない。完全な破壊だった。本当に、その場にある全てを、その化け物は消し去っていた。

 化け物が更に街を壊そうとしたとき、勇者達は現れた。正に、英雄ヒーローは遅れて来るものだと言わんばかりに、ゆっくりと。自分達の圧倒的な力を示さんばかりに、汚ならしいほど豪奢な衣服に身を包み、物騒なぶきを腰にぶら下げて。

 そして、勇者達はあっという間に化け物を成敗し、英雄になった。街を救った英雄は祭り上げられ、街に於いての絶対的な地位を手に入れた。

 だけど今になっても、アルトは忘れることが出来ない。

 化け物を倒しているときの、勇者達の横顔。返り血を浴びて、赤く濡れた頬に浮かぶ、狂喜に歪む、笑み。それは、人間の心に必ず眠る、しかし普段は顔を出し得ない『攻撃衝動』と、『破壊衝動』。それらが同時に満たされる事による、満足感からの笑みだ。

 あの時、アルトは悟った。彼等と自分は、絶対に相容れることが出来ない、と。彼等は街を救う為に化け物達を倒しているのか、否。いや、街を救う為なのかも知れないが、刀を振るい敵を切り伏せるその行為自体を、勇者は楽しんでいた。

 歪んでいると、アルトは思う。

 しかしどうやら、歪んでいるのはアルト自身らしい。どうにも歪んでいないこの素晴らしい世界には、勇者達を受け入れていない者はアルト以外にほとんどいないだろう。尤も――いない、とは言わないが。

 化け物達の襲撃も一回だけならまだ、偶然としてあり得た。化け物に街が襲われることは、稀とはいえ確かに起こり得ることだったからだ。だが、一回だけではなかった。その後、短期間の内に、化け物達は何度も何度も街を襲い、しかしその度に勇者達はそれを撃退した。そして、その度に勇者には英雄という箔がべたべたと貼り付けられた。

 勇者の出現と、化け物の変化。それは、どう考えても、無関係とは思えない。

 正直な話。彼等ゆうしゃがどこから来たのかは、アルトにも、街の人にも、誰にも分からない。下手をすれば、勇者にも曖昧にしか分かっていないのだと思う。

 だが、そんなことはどうでも良い、とアルトは更に言葉を紡ぐ。それは頭の中に留まらず、独り言として、口からこぼれ落ちた。

「何にせよ、きっとアイツらが来なければ、化け物達が街を襲ってくることなんて無かったんだ」

 結局、それがアルトの理由だった。

 それだけで、そしてだからこそ、どうにもアルトは勇者を好きになれなかった。

 問題を起こした本人が問題を処理する。それは、当然の事ではないのかと、アルトは考える。だというのに何故、勇者は街を守って讃えられているのか。

 どこか、狂っている。確かに、イカれている。

 しかし、アルトの考えに頷く者は、いない。考えは受け入れられず、消え去り。ただ、その存在だけが現実リアルに残る。アルトの姿は、雑踏に混ざり、やがて埋もれてしまうだろう。

 日がかげる。

 秋の日は釣瓶つるべ落とし。夜のとばりが下りるまでに、もう大した時間は必要ないはずだ。

 徐々に訪れる闇に紛れ込むように、からすが宙を舞う。

 その鳴き声が何故だか笑い声に聞こえて、アルトは自嘲気味に笑った。


 ――その笑いすら、誰も見ていない。


 ◇


「へくちっ!」

 馬車の中で、とある勇者はくしゃみをした。

「どうしたの?」

 側にいる少女が首を傾げながら尋ねると、何でもない、と勇者は首を振った。

 妙な寒気が走った、と勇者は鼻を啜りながら思う。

 夕日が眩しい。今日の内に、依頼クエストで指定された街まで行かなくてはならないのに、これでは間に合うか否かだ、と勇者は爪を噛んだ。

「……にしても、あの子供ガキはどうしたんだ?」

 勇者の後ろに座る、黒魔術士が訊いた。

「一人でダガー一本握りしめて、モンスターに立ち向かったらしいじゃねェか」

「そうそう。全く、勇敢なのは良いことだケド……そういうのはボク達、プレイヤーに任せてほしいね。あの程度の雑魚モンスター、小指一本で倒せるし、さ」

 先程の少女が肩を竦めながら言った。

「で、どうなんだ?」

「さっきの街で降ろしてきた」

 勇者は淡々と答えた。

「全くあのノンプレイヤーの子供……と言っても、俺と歳は同じくらいか、だけどな、どうにも意地っ張りなんだ。こっちが何言っても無視、差し出した手も取ろうとしない」

「へえ、そりゃまた嫌われましたねー」

「いつものお前なら即座に切り捨ててそうだな」

 黒魔術士の隣に座る付与術士の男と、更にその後ろに座る白魔術士の女が笑いながら言う。勇者はそんなことするか、とそちらを見ずに言った。

「しっかしアイツの眼は不思議だったなー」

「と、言いますと?」

「ん? ああ、なんだかな。アイツ、始めてみるの色をしていたんだよ」

「へぇ」

「でもあれは、あまり良い色じゃあないな……まるで」

 そこで勇者はすぅ、と一呼吸置くと、

「憎悪なんて云う炎に融かされたような……きたない色をしていたんだよな」


 ◇


 アルトは、ばしゃばしゃと手を洗っていた。冷たい水に、体温が奪われていく。

 きゅっ、とアルトは蛇口をひねって水を止めると、その手を近くにあったタオルでごしごしと拭いた。

 そのまま、手と一緒に洗った短刀ダガーを丁寧にタオルで拭き、その刀身をさやに戻す。それを机に置くと、側にあった椅子に、アルトはどっかりと腰掛けた。

 アルトは、一人暮らしだ。親と妹がいたのだが、化け物達の侵攻で、三人共を亡くしていた。

 今、そんなアルトが尤も頼る事が出来るのは、彼の唯一の友達だろう。だが、

「……アイツも、変わったからなぁ」

 言葉が静かに、闇に溶け出す。

 進化は必要だ、とアルトは思っている。人は歩むのを止めれば、その時点で人は只の肉塊と化す、と何かの本で読んだことがある。実際、そうだろう。進化を止めることは即ち人生を捨てることと何ら変わりは無い。

 だが、何故だろう。アルトは、親友の変化しんかがどうしようもなく悲しかった。その変化の原因は、きっとアルトと変わらない。であるのに、その変化の方向は、明らかに常軌を逸していた。

 ……まあ、どうでも良いんだけれど、とアルトは溜め息をつく。

 自分が人に云々言う程の度胸も資格もまるっきり持ち合わせていないのは、自覚していた。悲しいことだが、仕方がない。

 がたり、と音を立てながらアルトは立ち上がった。そろそろ、夕飯の支度をしなくてはいけない。

 一人の食事は正直、楽しい。どんな形であれ、空腹に堪えかねてテーブルについて食すのはやはり、楽しいのだ。心踊るのだ。食事はアルトのようなすさんだ心を持つ人さえ癒してしまう。路地裏で残飯を漁ってみても同じような事が言えるかと問われれば自信はないが、それ以前にそもそもアルトは路地裏で残飯を食べたことがないので分からない。

 だが、複数名で一つのテーブルについて食事をするのは、間違いなく一人よりも楽しい、とアルトは昔を思い出しながら考えた。暖かい食事以上に美しいモノを、アルトは多分今まで、見たこと無い。

「献立は簡単に……」

 キッチンに立ったアルトは、ぶつぶつ言いながら、短い包丁で野菜を切っていく。肉なんて高価なモノを食えるほど、アルトは裕福ではない。

 ボロい木のまな板を叩くとんとんと云う音が、暗い室内に似合わないほど心地よく響く。

「野菜でも炒めて……」

 切った野菜を油を引いたフライパンにざらざらと投入。アルトの調理はかなり自己流だ。良く云うなら豪快、悪く云うなら適当。ちょくちょく、フライパンから火柱が立ち上がったり、何か食えないものが鍋の底から出てきたりするが、しかしアルトは特にそれを気にしていない。未だに胡椒と山椒の違いが分からない舌を持つのだから、そもそも気にする方が可怪おかしかった。

 こんこん。

 と、アルトが今にも山椒をどばどばとフライパンに投入しようとしたとき、玄関の扉が叩かれた。

 アルトの家はLDK、一室しか無い。リビング、ダイニング、キッチンを兼ねる一室の中にベッドがある。トイレは流石に別に囲われているが、基本はワンルーム。玄関の音など、ダイレクトにキッチンに突き抜ける。

「はいはいっと……」

 手早く手を軽く拭いたアルトは、ぱたぱたと玄関まで駆けていって、その扉を押し開ける。その先にいたのは、

「やあ」

 アルトがよく知る、とある勇者だった。……先ほど、馬車で別の街に向かった勇者とはまた、別人である。

 その顔を見るとほぼ同時に、アルトの顔はむっつりとなった。本能的に、一歩身を引いてしまう。

「……一体、何の用ですか」

「ま、そう邪険にしないでくれよ」

 アルトが不機嫌に訊くと、勇者はやれやれと言いながらこたえた。

 別に悪い人ではない、とアルトは知っている。だが、さっぱり勇者を好きになれないアルトはどうにも、蠅が顔の周りを飛ぶような鬱陶しさ、或いは不快感を覚えずにはいられなかった。

「そもそも、用なんて口にせずとも、分かってるだろォ? オレがこうして来たッてことは」

 ああ分かっているさ、とアルトは頭の中で答える。また、『誘い』に来たのか。

 アルトは、本当に刹那的な逡巡をして、そしてそんな自分に何故か既視感を覚えて、そして、

「……行きません」

「やッぱりか?」

「俺の……勇者に対する態度は、もはや変えられるものでは有りませんし。無用ないさかいと流血は、もうこりごりです」

「……そうか」

 とある勇者は、静かに、頷いた。それをぼんやりと見ながら、アルトは耳を澄ます。そういえば風に乗ってゆったりと、しかし吐き気がするような破壊音と、悲鳴と。そんな喧騒が流れてくる気がしないでも、ない。

 悔しいかと訊かれたら、当然、悔しい。出来ることならば、今すぐにでも、この勇者を押し退けて、飛び出したい。

 しかし、どうしようもない。アルトの手には負えない。いや、アルトだけではない。一般人の手には、負えない。

「――るとするならば、一人で。とはいえ、それにしたって、貴方達が頼りにするほどの力は、俺には全く有りませんよ」

 アルトはきっぱりと言い切った。その拳は、いつの間にか固く握られている。

「冗談はしてくれ」

 勇者は、掌を前につき出しながら言う。その目が、それ以上は聞きたくないと言外に告げている。「全く、笑えねェから」

「それならば、無理にでも笑ってみては如何いかがです」

 けれどアルトは、勇者の仕草など、表情など敢えて意に介さない。

「どうせ貴方達にとってこの世界は、遊びなのですから。そうでしょう?」

 アルトは首を傾げながら、皮肉混じりに問う。そこに深い意味はない。ただ、化け物達をゲーム感覚で退治している勇者達に向けて当てつけただけだ。

 だけどそれは端から見れば、何故かアルトの方がよっぽど、皮肉を浴びせられている勇者より苦し気に見えた。

 ああそうだよ、と返事をする代わりに、とある勇者は扉を勢い良く閉じた。その表情と仕草にはじわじわと苛立ちが滲み出ている。だがその苛立ちは、本当の苛立ちとはどこか違う。まるで、クロスワード・パズルが解けなくて投げ出す寸前の人から滲み出るような苛立ちだった。

「ッたく。これで何回目だ? 全く、突破口が掴めないンだが……」

 上手くいかないモンだねェ、と勇者は疲労感と倦怠感、そして言い様の無い徒労感に肩を落とした。

 と、先程から聞こえてきていた喧騒にも増して、一際大きく甲高い悲鳴が、夜空を切り裂く。女のモノだろうか、なんて軽く考えた勇者は、それが聞こえてきた方に向けて走り出した。


 ◇


「あら、あらあらあらァ? うーわ気持ち悪ゥ……てか、期待外れ……」

 勇者が辿り着いた先。街の城壁近く。尤も、その城壁は一部分が破壊されていた。遠目に見ても分かる、モンスターの襲来だ。そしてその砕けた城壁の周りに、人だかりが出来ていた。

 人混みを掻き分けて、騒ぎの中心を見てみれば、そこには一面にべちゃべちゃと血肉が撒き散らされていた。……といっても、別にノンプレイヤーの血肉では無いようだが。

「可愛い女の子守って、そのままホテルインコースだと思ったんだけどなァ……」

 赤ペンキが一缶まるごとぶちまけられたのでは、と疑うレベルだ。非現実的過ぎて反吐へどが出そうだ。

 美しい煉瓦敷の歩道の上に血溜まりが出来ていて、細かい、といっても拳大程度の肉片がその血溜まりに沈むように飛び散っている。その中央には良く分からない、しかし人形ひとがたではないと判断できる程度に化け物の形をしていたであろう肉塊がぼとりと落ちていた。

 肉塊、は本当に肉塊だ。それはただの退治という次元を越えて破壊されており、何らかの恨みすらそこに見受ける事が出来た。

 だが、血溜まりは徐々に無くなっていく。煉瓦が少しずつ、吸収しているのだろうか。肉塊も、もう少しすれば消えてしまうだろう、と勇者は思った。そうすればきっと、この街は何もなかったかのように、再び殆ど全てが回りだす。

 バグだ――と、勇者は考える。これは言うなれば、この平和な世界に一時的に生まれたバグ。バグはしかし、人が手を加えずともこの平和な世界が勝手にデバッグしてしまう。そうすれば、『何もなかった』ことになる。

 本当は、確かに世界が破壊されていたのに、それも忘れられる。いや、『忘れて』などいない。最初から『何もなかった』のだから、ノンプレイヤーは何も『知らない』のだろう。残酷な話だ、と勇者は顔をしかめた。

「ま、全員が『忘れる』訳じゃあ無いらしいけどなァ。……何故か」

 赤い水溜まりの向こうには、叩き潰されたかのようにぺちゃんこに壊された民家。しかし、特に病院云々という言葉が飛び交わないあたり、どうやら死傷者はいないようだ。だがそんなこと、勇者にとっては正直、どうでも良かった。どうせ全て、リセットされるのだ。それは、人の生死に至るまで。

 このイカれた世界では、それで良いのだ。

 『非』現実こそが常識で。常識こそが『非』常識で。そしてそれが当然で。寧ろ当然でなければ、この世界は回らなくて……。

 それを『知っている』勇者は、そしてそれを『当たり前』と捉えている勇者は、特に何も思わない。感じない。だって、本当に人が死んでいる訳ではないのだから。

 勇者はゆっくりと消えていく、いや本当は戻っていっている光景を、腰に手を当てて、ともすれば愉しそうに、眺める。

「いやしかし。こいつァ一体、ドコのドイツがやったんだ? プレイヤーか? にしては雑魚に手間取りすぎだな……」

 呟かれたその言葉に、勿論もちろん、惨状は答えない。人だかりはそもそも、話を聞いていない。

 だが、勇者はしばらくすると、

「あ、なーるほどなァ、ノンプレイヤーか……ならば、この破壊も納得がいく。父さん母さんの敵、ッてか。うん? いやね、近頃のノンプレイヤーはどうやら、とッても過激らしいし、ねェ……」

 答えを得ていた。

 ともあれ、ここにもう用は無いな、と勇者は呟くと、人だかりの外に出る。これ、年齢制限無いんだから笑えるね、と呟くその顔は全く笑っていない。彼の思考は既に一人の少年――アルトに向かっている。

 冷たく、鋭い夜。鼻を突く鉄錆のような臭いを無視すれば、とても美しい夜だった。

 尤も勇者は、その臭いを嗅ぐことは出来ない。


 ◇


 アルトは、とある勇者と話しているうちに、フライパンの上で焦げて炭化してしまっていた野菜を捨てていた。流石に食べる気にはなれない。

 とある勇者の誘いは、至極単純なものだ。『一緒に化け物を退治しに行こう』――なんて事だ。簡単に言わないで欲しい。

 一応、一度はその話に乗ったことがある。しかし、あの勇者に連れられて行った先で、彼の仲間である他多数の勇者から好奇心と警戒心が混ざったような視線を向けられて、それに堪えかねて勝手に帰ってしまった。

 しかもただ帰るだけなら良かったのだ。それだけなら、ただの契約破棄に過ぎない。

 瞬間的に掛かった強度のストレスにパニックを起こしたアルトはその場で抜刀し、勇者何人かを切りつけてしまった。

 パニックだったとはいえ理性はあったので、更にパニックゆえに刀を握る手も震えていた為、誰にも致命傷は勿論深い傷一つ負わせなかった。しかしながら抜刀し流血沙汰を起こしてしまったのは、今でもアルトの心の中に深い傷を残している。

 普通は、そんな事件があれば勇者達はもう二度と誘いに来なくなるものではないだろうか、とアルトは思う。しかしあの勇者は、それ以降も、街を化け物達が襲いに来る度にアルトを誘った。恐らく先程も、アルトとあの勇者が話し込んでいるその瞬間にも、街をぐるり取り囲む城壁の近くで、化け物と別の勇者がドンパチしていたのだろう。

 一体、あの勇者がアルトに何を期待しているかは分からない。だが、あの勇者を含むあの時の彼等の視線は間違いなく、何か特殊なものを期待するモノだった、とアルトは事件を思い出しながら考える。

 アルトは生まれてこの方、火を吹いた事も無ければ予知をしたことも無く、PKサイコキネシスに目覚める事もなかった。つまりは平凡な人生を送ってきたため、何も特殊性を持ち合わせていない筈なのだが。

「何にせよ」

 アルトは野菜を再び、まな板に載せて切る。切り終わったそれをフライパンにざらりと流し込んで、火をつけた。

「勇者に協力することなんて金輪際無いって」

 それは断定というよりは、決意。実は先程も、ほんの一瞬ではあるけれども、アルトの心は揺れたのだ。

 それは、良心からではなかった。まるで、本能が疼くような感じだった。理性の間に隠れた心が見えたような気分だった。

 嫌だな、とそんな自分にアルトは嫌悪感を覚える。

 覚えたところで何も無いのだけれども。何かに嫌悪を覚えようが、好意を持とうが、どんな感情を向けても、その何かは変わらないのだから。

 けれど、自分とあの勇者達が、なんだかダブって見えて嫌だった。

 アルトは勇者かいぶつには成れない。そして、成りたくもない。破壊に愉悦を覚えるような異常性を持ちたいとは、思わない。

 勇者になるとはつまりそういう事なのだ。

 勇者に成れるかなんて、ポイントは一つしかない。命有るものへの攻撃破壊を厭わず、そしてそれに対して快感、或いはそれに似た感情を持つことが出来るか否か、だ。一般人は当然、持つことが出来ない。

 実際は、身体能力そしつなんて、関係無い。ただ、その精神が勇者いじょうであるか否かで、全ては決まる。

 だからこそ、アルトは成りたくないのだ。勇者に。

 勇者に成れる素質がある? もしもそんなことを言われたら、アルトはかなしくて死んでしまいそうだ。

 自分の心の隅にもしもそんな心が有ったら、そしてそれを知ってしまったら、アルトは。

「その時は、潔く首を掻き切ってやるよ」

 アルトは、誰に言うでもなく、呟いた。それは決意とも違う、誓約。

 因みに。フライパンからもうもうと黒い煙が立ち上がっていることに、アルトは気付いていない。



 ◇


 やった。遂に、果たした。

 赤く濡れた手は、『勇者』の証。

 その手に握られる短刀は、『勝利』の象徴。

 遂に俺は果たした。後悔など無い。当然だ。悪いことなど、何ひとつしていない。

 なのに、何故だろうか。

 どうしようもないくらい、心が冷えきってしまっている。

 興奮も、快感も何一つ無い。

 ただ、俺の心に溢れ出したのは、恐怖。

 城壁に背を預け、肩で呼吸する。

 身体に大した傷はない。でも、心には傷がついてしまったことが、はっきり感じられた。

「は、はは」

 笑いたい。自分の愚かさを呪いたい。

 そうだよ。当然さ。

「はははは、」

 俺は、越えてしまったんだ。

 一般人が決して越えてはならない、ラインを。

 その、当然の報いなんだ。

「ははははははははは! あはははははははははは! は、ははは、ははははは、は、は!」

 俺は、開けてしまったんだ。

 勇者のみが開けることを許された、パンドラの箱を。

「は、……」

 もう、戻れない。

 こうなったら、どこまでも『勇者』に堕ちてやろうじゃないか。

 取り敢えず、と腰を上げる。もう一匹くらい、潰しに行きますか。

 待ってろよ化け物。タルタルステーキにしてやるから。


 ◇


「俺達って結局、何だろうなァ? ……この世界において」

 勇者は、ビールの泡をぼんやりと眺めながら、訪ねた。彼は今、街の酒場に、彼の友人と共にいる。この酒場は、アルトの家とそう離れていない。そこに、この勇者の未練がましさが浮き出ていた。

 ジョッキに注がれた黄金色の液体。勇者は特にこの飲料が好きと云う訳ではないが、なんとなくこれを頼んでしまう。

 自分の存在意義とは? と勇者は首を傾げる。

 全てが造られているこの世界に於いて、勇者とは一体何なのか。それは、紛れもなく、

「主役、じゃない?」

「そうかァ?」

「この世界ってさ……要は、僕ら勇者プレイヤーが楽しむために造られている訳じゃない?」

「そりゃま、そうだわな。けどさァ、だからといって、俺達が主役とは限らないだろ?」

「じゃあさ。お前は、誰が主役だと思っているんだい?」

 うっ、と勇者は言葉に詰まる。

「……それが分かんねェから訪ねたんだろうがよ」

 ただどうにも、俺達が主役っていうのは、違うと思うんだがなァ。勇者は、そう続けた。

「……どうだろうね」

「ア?」

「どうだろうね、って言ったんだよ。僕は僕ら勇者が主人公だと思っているさ。男ならヒーロー、女ならヒロイン。誰もが物語の中心に居られなければ、この世界は意味がないだろう? でも、もしも、それが違うって云うんなら……どうだろうね。僕には手に負えない」

「……珍しく、難問か?」

「いや、奇問だ」

「鬼門か……そいつは良くねェな」

「うん、全くもって良くないね……どうでも良いけれどさ」

 漢字が違っても音さえ合えば意味は通じるらしい。

「それで。例の、上手く行ってるのかい?」

 友人は建設的とは言い難い下らない話題を打ち切った。例の、とは勿論、アルトの件である。

「ああいや、ありャあ、ダメだ」

 勇者は首をふるふると横に振る。

「突破口が見えねェのさ? なんか角度を変えて攻めなきゃ、ありゃあ、どうにも……」

 そう言うと勇者は、木で作られた小さな樽のような形のジョッキから、ビールを口内に流し込んだ。苦い、と彼は顔をしかめる。普段酒を飲まないので全く、慣れない。

「確か、アルトって言ったっけ。あのノンプレイヤーの少年」

「ああ」

「うーん。押してもダメ、引いてもダメか……」

 ふぅむ、と勇者の友人は唸ると、あごに手を当て、そして、

「やっぱり、何か条件が有るんだと思うよ、この課題クエスト。……ここまで解けないって云うのは、おかしい」

「そりゃそうだろうな」

「言外に、『んな事分かりきッてんダヨ』とか匂ってんだよ。バレバレだって」

 寧ろ言外それが汲み取れないならお前は真性バカだよ、と勇者は思うが、しかし言葉には出さない。

「にしても、自力で解くのはやはり、中々難しいなァ……」

「それはしょうがないさ。そもそも、簡単に解けちゃあ面白くない」

「……ごもっとも」

 がた、と音を立てながら、とある勇者の友人は席を立つ。

「そろそろ、僕は落ちるよ。お前は?」

「……まだ残る」

「そう。ま、精々頑張ってね♪」

 ひらひらと手を振りながら、友人は去っていった。勇者はその後ろ姿を眺めつつ、

「ケッ。落ちるの早すぎだろうがョ。ッつーかてめえの代金ぐらい置いてけよな」

 精々頑張って、か。だから簡単に言うなし、と愚痴が頭の中をぐるぐると回る。

(……つか、本当に条件が分かんねぇ)

 考え事を始める勇者。しかし残念ながら、知的な時間であるそれは、数分も続くことは無かった。

 ノンプレイヤーの慟哭が、その耳に突き刺さったから。


 ◇


 アルトの就寝は早い。大体、時計の針が8の時を回れば、アルトはベッドに潜り込んでしまう。

 何もする事が無いのだ。家族で和気藹々(わきあいあい)と話すこともなければ、趣味も仕事も無い。楽に見えるだろうか。アルトにとっては苦痛でしかない。

 故に、寝る。寝てしまえば朝は直ぐに訪れ、退屈することもない。尤もこの季節。朝は肌を刺すような冷気に苦しめられる為、アルトはあまり、朝も好きではない。

「明日こそ勇者が全滅していますように」

 さらりと寝る前にとんでもないことをお祈りするアルト。両手はご丁寧に合掌で、更に明日『こそ』と言っている故に、このお祈りは少なくとも初めてではないようだ。

「やっぱりこの世界に英雄ヒーローなんて要らないと思うんだよね。平凡、万歳。お休みなさい」

 徹底的に勇者アンチなアルトは、欠伸あくびを一つかますと、ベッドに潜り込んだ。潜り込んだ、とはいえ、掛け布団もマットレスもぼろぼろで、バネや綿が飛び出ている。

 それでもアルトは幸せそうに掛け布団にくるまり、目蓋まぶたを閉じて、いざ夢の世界へ、というところで、

 どんどん!

 と玄関の扉が、今までに無いほど強く叩かれた。

 驚いたアルトは、ベッドの上で跳ねて、そして床にうつ伏せにびたっ! と落ちた。

 一体全体なんだ、とアルトはしたたかに床に打ち付けた鼻を擦りながら、アルトは立ち上がる。アルトはこんなことで泣きはしないが、しかしその瞳にはうすい涙の膜。

 その間も、玄関の扉は絶え間なく叩かれる。今にも突き破って突入してくるのではないかというほど、強く叩かれている。

 なんだなんだ泥棒さんか? とアルトはいぶかしんだが、それにしてはあまりにも扉を激しく叩きすぎる。これでは家主に起きろと言っているようなものだ。

 しょうがないから扉が壊れる前に開けようと扉に近付いていったアルトだったが、アルトが扉を開ける寸前、その扉を留めていた蝶番ちょうつがいが弾け飛び、ドアが家の中に向けて倒れてきた。反射的にアルトは後ろに跳び、そしてドアはアルトが一瞬前まで居た空間を押し潰した。

 何するんだよ、とアルトは文句を言おうとしたが、だが、それより先に、玄関に立っている扉が無くなった原因を作った人物が口を開いた。

「アルト。今すぐ俺と一緒に来い」

 先ほども家を訪れたとある勇者だった。その口調は、今までに無いほどに命令的だ。

「……何でですか」

 当然、アルトは承服しない。不満と不審を混ぜたような視線を勇者にぶつけながら、外れて地に伏すドアを指差す。

「それより扉を――」

「扉なんてどうだッていいんだ」

 勇者はアルトの言葉を遮った。その語調には、焦りから来る苛立ちが顕著に現れていた。

「良いから来い。お前の親友が危ないんだ」

 勇者は、続けて状況を簡単に説明しようとした。しかしながら、それは全く必要なかった。

 何故なら、アルトは。

 親友が危ない、と聞いた次の瞬間には、勇者の脇をすり抜け、表に出ていたから。


 ◇


 化け物が居れば、そこからは悲鳴と怒号とが聞こえ、砂ぼこりと炎とが立ち上がり、非常に目立つ。

 ましてや今は、夜だ。ほむらあかは、夜空に良く映える。つんざくような悲鳴も、殆ど慟哭に近いような怒号も、良く通る。

 夜の冷気を引き裂きながら、アルトは街道を駆け抜ける。

「あそこに――彼、が?」

「ああ。前に、たッた一度だけお前と一緒にクエスト行ッたとき……あんときに、写真見たからな、間違いねェ」

 並行して走る勇者が頷いた。

 クエスト? とアルトは首を傾げたが、勇者は気にしない。




 ……時は、少し巻き戻る。

 酒場にて慟哭を聞き、それじゃあちょいと片付けに行くかと化け物が暴れまわっている現場に向かった勇者は、そこで化け物相手に短刀ダガー一本握り締めて立ち向かう一般人ノンプレイヤーを見た。成る程こいつがさっきモンスター潰した奴か、と腑に落ちると共に、

 あ、と。

 あの一般人ノンプレイヤー、死んだな、と。

 勇者は直感的に思った。

 夕方ぐちゃぐちゃに倒されていた、モンスターは、あくまでも雑魚。勇者なりたての新人ルーキーでも瞬殺出来るような、カス中のカスだ。

 だが、このモンスターは違う。こいつはそこそこ、出来る。勇者プレイヤーでも、そこそこレベルが高く無ければ退治出来ないくらいには、強い。

 対して、立ち向かう少年。歳は、15程だろうか。こっちは、はっきり言って、ゴミクズだ、と勇者は酷評を下す。

 そりゃあ、少年は一般人ノンプレイヤーにしては身体能力は高いのだろう。だが、一般人ノンプレイヤー勇者プレイヤーには海よりも深く山よりも高い隔たりがある。基本が違うのだ。

 一般人ノンプレイヤーがどれ程勇者プレイヤーを気取ろうと、それは所詮、無駄な足掻きでしかない。どう頑張っても、そこら辺の石はダイヤモンドには成らないのだ。理屈以前に、無理。幾ら磨いても削っても、どうしようも無い。それが、現実リアルだ。

 更に言ってみると、少年は確かに身体能力や武器の取り扱いは、一般人ノンプレイヤーの平均以上だろう。だが、……いかんせん、彼は身体に恵まれていない。体格が良くない。小柄過ぎている。あれでは万が一にも、負けないなど有り得ない。

「ありゃあ、直ぐ死ぬだろうな。まあ、お疲れさんッて事で」

 敬礼、と勇者は背筋を正して、真っ直ぐに五本指を揃えた右手を、おでこ右側に当てる。

 この時点では、勇者はその一般人ノンプレイヤーに対して、今までと同じ感情を込めた視線を向けた。即ち、無関心、という冷たい感情を。……しかし、その顔をちらと見た瞬間、勇者のその視線は、変わった。

 ――その顔は、紛れもない。アルトが昔見せてきた写真に写っていた、それそのもの。

 勇者はそれを思い出し、気付き、そして驚くと同時、もしかして、と、ある考えが生まれた。

 その考えに基づいて行動した結果が、アルトの家のドアをぶち抜く、という事である。




 勇者はそんな事情の後半。内心、もしかして、と思ったところをすっぽり抜かして、アルトに簡単に事情を説明した。

「成る程」

 アルトは当然だが、特に疑問も抱かずに頷く。勇者はそれを当然と思いつつも、何故だかほっとした。

 しばしの沈黙。二人とも、黙って足を動かしている。

「あ、こッちのが近いぜ」

「はい」

 と、勇者が脇道に入ると、アルトはすんなりとそれに従う。普段なら勇者の言いなりになんて、と意地でも勇者に反発するアルトだが、今は場合が場合である。

「それにしても。何でですか? 貴方はそうまでして?」

「?」

「そうまでして、俺を連れ出したいのですか? 貴方がその場で、化け物を倒してしまえば良かったのに」

 しまった、と勇者は舌打ちした。それについての言い訳を考えていなかった。

「……それは、」

 頭を回転させ、上手く言い訳をしようとはかるが、勇者がその答えを導き出す前に、

「まあ、良いです。今更遅いですし、あいつは俺より勇者嫌いが強いですから、助けに入ったとして、刺されていただけでしょう。ただ、もしもあいつが死んだりしていたら……先は、言わなくても、お分かりでしょう?」

 アルトは柔らかい笑みと共に、冷えた眼差しで、勇者を脅迫おどした。全く笑っていない目が、なまくらなナイフのように、濁った、それでいて鋭利な光を放つ。

 決して切れ味は良くなく、しかしだからこそ普通のナイフより遥かに痛みを味わわせそうな、鈍ら。

 ぞくっ、と勇者の背筋に冷たいものが走る。あれ、と勇者はそんな自分に不審を覚えた。アルトも当然、ノンプレイヤー……自分には程遠く力は及ばぬ筈なのに、一体今の悪寒は何だ。何に恐怖したのだろう、自分は。

「あ、ああ」

 勇者は冷や汗を垂らしながら答える。

 アルトはそれを尚も冷ややかに横目で睨め付けながら、

「……どうやら、大分、近付いてきましたね。何だか嫌な臭いもするような」

 言いつつ、アルトは鼻をひくつかせる。

「安心しろ。悪臭それはお前の親友のモンじゃねエ。あいつが戦ッているときには既に、一般人ノンプレイヤーが一人、殺られていたからなァ。そいつの血の臭いだろう」

「ノンプレイヤー、というのは? 俺ら一般人の事でしょうか?」

「ん? ああ……」

 勇者は普段、一般人ノンプレイヤーと話をするとき、彼等の事を彼等が彼等自身を指す語、即ち『一般人いっぱんじん』と呼ぶ。だが、今アルトと話をするときに何故だかノンプレイヤーと言ってしまった。

「……その通りだ」

 勇者はそう答えたきり、走る速度を上げた。アルトを先導するように、彼の前を走る。

「なァ。アルト、お前は自分が何故生まれてきたと思う?」

 勇者は、酒場での友人との会話を思い出しながら訊いた。

「なんでそんなことを訊くんですか?」

 とアルトは不審そうな視線を勇者に向けた後、

「そう……ですね。生きるため、ではないですか?」

「これは単純な」

「或いは、誰かの言葉を借りれば、『何故生まれてきたかを探すために生まれてきた』といったところでしょう」

「そんな事言った人いるのかねェ?」

「さあ……。僕のオリジナルなら、それでも良いです。誰かのアレンジなら、それも良いと思います。言いたいのは、答えは無いって事です。何故生まれたかを探す為に生まれた? そんなの、可笑しいじゃないですか」

「……」

「人生は不思議です。生まれてきた理由なんて、みんな無いんですよ。気が付いたら産まれていて、気が付いたら生きているんです。例え、その本人がそれを望まなかったとして」

 死ぬ理由はみんな有るのに、不思議なものですね、とアルトは暗い笑みを浮かべながら付け足す。勇者は『死ぬ理由って?』と訊こうとしたが、どうも宗教的な臭いが鼻をついたので止めておいた。

 代わりに、

「そこを、左に。そうすれば、いよいよだ」

「あいつは、生きているでしょうか」

「それは神のみ……」

 神のみぞ知る、と言おうとして、勇者はやはり止めておいた。アルトから凄まじい視線が突き刺さったから、というのが主な理由である。

「……」

 信じてますよ、だから信じてください。アルトは小声で呟いた。

 それが誰に対してのモノなのか、しかし本人すら分かっていないのだが。


 ◇


 決して血の海にはなっていない。

 だが、辺りには鉄錆びのようなどろどろとした濃い臭いが漂っていた。出所はあの化け物の口からのような気がする。きっとそうだろう。明らかに洋服に使われるような鮮やかな布地が、その熊のような化け物のギザギザとした歯と歯の間に挟まっているから、十中八九間違いない。

 無力じゃあなかったと思う。

 攻撃の癖は読めた。対策も建てた。

 だが、悲しいかな。俺にはその対策を実行に移すだけの力が無い。結果としては役立たたずだ。

 或いは、途中過程の頑張りも評価してくれるのか? 答えは当然、NOだ。化け物を前にしては結果しか意味がない。途中幾ら頑張ろうと、負けてしまえば問答無用で死有るのみ。努力賞など、はなから用意されていない。

 街中で暴れている化け物を見て、挽肉ミンチにしてやろうと飛び出していったは良いが、俺は自分の実力を分かっていなかった。ロクに相手にダメージを入れられないまま、気が付けばこっちがダウン寸前だ。

 一体化け物を血祭りに上げたことで、間違いなく調子に乗っていた。所詮一般人と勇者には天と地ほどの差があると身を持って知ったのが、今日の朝か、昼か。

 なのに勇者に自分が成れたように錯覚した。真性バカか俺は。何が『勇者に堕ちてやる』、だ。悔しいが、憎き勇者様達はこんな無様な姿は晒すまい。

「あー、やっぱやめときゃよかったなぁ……ま、」

 もう身体に力は残っていなかった。

「今更遅いんだけどね♪」

 弱々しく、しかし気丈にも虚勢を張るかのように軽い調子で言葉を吐く。ほら、気持ちで負けたら終わりとか、言うだろ?

 だが、次の瞬間、

「ごぼっ!」

 口から血が呼気の泡を作りながら、溢れた。気持ちとか、もう関係ない領域テリトリーだった。

 そこまで、俺の体に溜まっているダメージは甚大のようだ。じくじくとした痛みが身体を縛り上げる。

 吐き出された汚い色をした血が、右手にばちゃっ! と掛かる。さっき、城壁に背を預けていたとき、この右手は化け物の血でべたべただった。それが今はどうしたことか、いつの間にか俺自身の血でべちゃべちゃになっていた。

 既に両膝が地についている。宝物である小さなナイフを握る力ももうない。そいつはもう、足元……今は膝元か、に転がっている。


 だが、遅い。


 化け物は目の前で今にも俺を食わんと大口を開けている。俺の命は、このままではもう直ぐに果ててしまう。

 なのに、遅い。どうしてだ、まだ来てくれないのか、お前は。そう、頭の中で問い掛ける。口を動かす程の力など、とうの昔に無くなっている。

 それとも、英雄ヒーローは遅れて現れると言わんばかりに、俺が死んでから、お前はやって来るのか。

 もしくは。これは俺に対する罰なのか。それなら、それも良かろう。俺は罰を受けるに十分値する男だ。神様だってこんな俺の事を守りはしまい。護る価値無しと、あっさりと切り捨てるだろう。

 だが。信じていたい。

 何も約束をしている訳ではない。一心同体、運命共同体な訳でもない。俺のために命を掛ける義理も彼奴あいつには無かろう。

 それでも。

 俺が信じていない神がもしも、思いは必ず届くと。願いは必ず叶うと。そう、何の保証も無く、ただ約束してくれるなら。

 彼奴アルトが来ることを、願っても良いでしょう? それすらも、許されませんか?

 問い掛けに答えはない。当然か。

 諦めと痛みに、肩の力を抜く。と、その時。


 がくん、と唐突に意識が遠退いた。


 え、と思う。意識が遠退いた事もさることながら、それを知覚できた事に驚きだ。

 思考力が著しく低下した世界の中、どこか遠くから、グメルを呼ぶ声が聞こえた気がした。――でもきっとそれは夢だ。だって何故だか、目蓋が重いんだ。眠いんだ。心から。

 ああそうだ。そうなんだ。これはきっと全て夢で、俺が産まれたこと、それを含めた全てが幻で――。

 軈て、平衡感覚が消える。辺りが暗闇に変わる。音が消えた。触覚も消える。上も下も、天も地も、全てが消える。僅か残る世界がどんどん閉じていき、後には微弱な意識だけが残る。

 なんだか、無重力空間に浮いているみたいだ。なんだか、無性に心地良い。


 心地良いんだ。本当に。



 ◇


「グメル――――――ッ!」

 アルトは、惨状を目の当たりにするやいなや、走り出した。

 アルトの親友――即ち、グメルは、アルトの叫びを全身に受けながら、モンスターの前で崩れ落ちた。

 一瞬の内にアルトはグメルの元に辿り着き、最早肉塊になる一歩手前の彼を抱き上げた。全身から力は抜けていてマリオネットのようではあるが、弱々しい脈が未だある。未だ、生きている。

 横から出てきた割込野郎アルトに怒りを覚えたのか、化け物は吼えながらアルトに噛み付こうとする。

 だが、

「うるっせぇ!」

 アルトがその顎にアッパーを叩き込んだ。硬く握られた右拳が綺麗にその顎に入り込み、

「グギゥ!」

 化け物を後ろに飛ばした。

 少し離れたところからその様子を見た勇者は、

「……!」

 驚きで目を剥いた。

 化け物は地面を転がり、その身体に埃を纏ってゆく。勇者は、いや勇者だから分かる。化け物は、さっきの一撃でダメージを喰らっている。

 それは、有り得ないことにも関わらず。

 先ほども述べた通り、『一般人』に『勇者』の真似事は出来ない。路傍の石ころは石ころ。それ以上には成れない。故に、『一般人』には化け物を殺す力はない。

 だが、その例え話は、一つの可能性を残している。即ち、路傍のダイヤモンドはダイヤモンドである、と云うことだ。詰まる所、その例えには、『路傍には絶対にダイヤモンドが落ちていない』と云う条件は含まれていないと云う話。

 そうだ。

 もしもアルトがそのダイヤモンドであるなら――アルトは。


 生まれながらの勇者である。


 先ほどアルトは、『生まれてきた理由が何かは分からない』、と言った。

 冗談はよしてくれ、と勇者は思う。全く笑えない。その何かは、これ以上無いほどはっきりと現れているではないか。

 勇者の心象を他所よそに、グメルを担いで勇者の元に走り寄ってきたアルトは、グメルを勇者に押し付けながら指示を飛ばす。

「こいつを安全な所に運んでやって下さい!」

「いや、その前にモンスターを……」

「言った筈です」

 アルトはぴしゃりと言い切る。

「殺るならば、一人で。勇者の方と一緒に戦うつもりは、ありませんよ」

「……分かった」

 ここで言い争うのも賢くないと思ったのか、勇者は食い下がらずにグメルを引き受けると、小走りで路地の方に消えていった。

 アルトは地に落ちている親友の短刀ダガーを拾う。それは、アルトが親友グメルと何かの記念の時に買った、お揃いのダガーだ。何の記念かは忘れたが、いつの間にか、そのダガーは二人の友情の証のようなものになっていた。

 血がべったりとこびりついたダガーは、汚れきったグメルを表しているようだ。

 しかしアルトは、アルトのダガーは未だ汚れていない。そして、

「今、俺は親友ヒトのダガーを使って、罪を犯そうとしている……やっぱり、ずるいかな」

 罪を擦り付けている気がして、アルトは良い気分がしなかった。

「勇者、勇者ねぇ……ははっ」

 言った筈だ、とアルトは繰り返す。

 勇者に成れるか否かは、その異常精神にのみ掛かっている。そしてアルトは、親友の為ならその精神にすらなれることを、確信していた。

「俺は優しくない。俺の親友をあんな風にしたお前を、痛み無く殺せる自信もない。だから――」

 アルトは化け物に静かに語りかける。その右手には、汚れたダガー。その左手には、綺麗なダガー。

 勇者に堕ちるつもりはない、と勇者アルトは二本のダガーをしっかりと握り締める。

「歯ァ食い縛って覚悟しろよこのクソ野郎」

 主人公にはやはり、ありきたりな悪口が良く似合う。


 ◇


 泣けとおっしゃるなら、泣きましょう。

 笑えと仰るなら、笑いましょう。

 行けと仰るなら、行きましょう。

 脱げと仰るなら、脱ぎましょう。

 死ねと仰るなら、死にましょう。

 そう、何時だって私はあなたのものです。

 私は、あなたの為に生まれてきました。

 さればこそ、教えてください。

 あなたは、誰の為に生まれてきたのですか?


 ◇


 夜とはいえ、街は明るい。それは、短間隔で立てられた街頭と、それと立ち並ぶ家々からの光だろう。――とはいえ、夜空には闇がしっかりと立ち込める程度に暗くもある。

 だが、そんな折角の明るい街の一角には、とある理由により人気がなかった。君子危うきに近寄らず、とでも言わんばかりに、皆が家々に引きこもり、ドア、窓は勿論、カーテンなども閉めきっている。大半のカーテンの隙間から覗く眼は、野次馬精神旺盛な一般人ノンプレイヤーに因るものだろう。

 理由、というのは当然。モンスターの出現と、それを沈めようとする勇者の戦いに巻き込まれたくないゆえ、である。

 残念ながら、現在モンスターと対峙しているのは、一般人なのだが。




「ふんっ!」

 アルトのダガーを握る右腕が突き出される。モンスターはそれを一歩下がって避けて、そのまま右拳を打ち出した。

 アルトは慌てずに身体を反らしてそれを避ける。ばしゅっ、と凄まじい風圧がアルトの顔を押す。

 厳しいか、とアルトは冷静に考えた。このままじゃあ勝てない。単純に、アルトの力が劣っている。

 かといって、アルトの攻撃が全く通っていない訳ではない。寧ろ、その逆。しっかりとモンスターにはダメージが入っている。

 単純に、このままいけばアルトの体力が先に底を尽きる、という事だ。

 アルトは親友グメルとは違い、今まで『勇者の代わりにモンスターを狩ろう』と考え、それを行動に移そう等とする事はなかった。故に、単純戦闘力は確かに勇者並みでも、凡人並みかそれ以下の戦闘技術しか持ち合わせていない。それが今、体力という形で現れた、と云うところか。

 はっきり言えば、無駄が多い。隙が多い。矢鱈とモーションの大きい右、しっかりと狙いが定まっていない左。攻撃が来ると認識していながら、反応できない反射神経。攻撃を正面から受けて、受け流す気は更々ない防御。

 一つ一つが出来ていないから、どうしようもない。

 アルトは最初からその事を分かっていて、だからそこを力と頭脳で賄う。反射出来ないのなら予測しろ。避けられないのなら避けないで良いように何とかする。気持ちを冷静に保ち、視野広く状況を把握する。

 だが、それでも五分、或いはそれ以下。

 モンスターの左手拳が振り上げられ、まるでハンマーのように力強く落とされる。綺麗にしなりながら、ハンマーはアルト目掛けて落ちた。

 アルトはそれをすんでのところで回避。ハンマーはアルトの足元の石畳に叩きつけられ、めこっ、と石畳が凹む。

「あーぶなっ!」

 言いつつアルトは素早くその腕にダガーを走らせる。ぞりぞりぞり! と気分が悪くなりそうな音。浅く、しかし長く腕を斬りつけられ、モンスターは小さく悲鳴を上げて一歩引いた。

 太股に、とアルトはモンスターの内股に視線を向ける。

 人体において、ナイフ一撃で致命傷を与えられる場所は思いのほか少ない。その少ない内の一つが太股、その内股だ。太い動脈が通っているここを綺麗に裂くことが出来れば、相手が人間ならばダメージは大きく、かつ的としても大きいので簡単に攻撃できる。

 他にも重心に近いため位置を変えづらく、しかしやはり致命傷に成りやすい肝臓もあるが、内股のほうが簡単だろう。

 だが問題は。それは人体においての話であり、このモンスターに果たしてそれは通用するのか、ということだ。

「まあでもそこは……」

 やってみるしかない、とアルトは覚悟を決めた。

 その顔面に、右ストレートが突き刺さった。

「…………ッ!」

 ズドン! という凄まじい音と共に、アルトの身体は後ろに飛ぶ。顔面が確かに崩壊する音。鼻が折れる嫌な感じ。不思議と痛みはない。痛覚が追い付いていない。

 綺麗にバウンドしながらアルトは地を転がる。途中、本来曲がらない筈の方向に左腕が曲がる。モンスターに殴られると、関節の可動領域も広がるようだ。

 アルトはそのまま、背中から建物の壁に叩きつけられた。ばしゅっ、と肺から空気が抜けて、上手く呼吸出来ない。

「いっつ……!」

 立ち上がろうにも足がふらふらだ。随分と綺麗に決められてしまった。

 だが、堪えて、立ち上がる。ひゅー、と喉から変な音がした。

 狙いは変わらない。あの、内股。取り敢えず、あそこに何とかして一撃を入れようと、アルトの頭が回転する。

 その間にもモンスターからの攻撃は続くが、アルトは意識の20%程をそちらに注ぎ込んで回避、残りの80%は内股への攻撃について回転する。

 何かないか、何とか出来ないか。次々と様々な案が浮かんで、そして消えて行く。だが、これといって良い策が思い付けない。

「やっぱり、正面突破しか無いかね……」

 暫くして、結局、短絡的な策が弾き出された。アルトだってそんな知性的でない方法は取りたくないが、といって他に方法は見つからない。

 ダイエットで唯一絶対の効果が保証されているのは、最も強引な法である断食である。それと同じ、シンプルイズベスト。複雑でない故に効果は高い。

 やってやりますか、とアルトはダガーを構える。

 そんなアルトに向けて、モンスターは腕を大きく振り回すように攻撃を仕掛ける。身体の捻りを加え、凄まじい速度でアルトに叩き付けようとする。反射的にそれを迎撃しようとしたアルトは、その腕を、

「つぇあっ!」

 切った。

 いや、正確には切断した。アルトが軌道をずらさんとして下から押し上げるように斬りつけた為だ。

 無論、それは狙っての事ではない。偶々、相手の腕を落とすことに成功した。それだけだ。

 だが、それが例え偶然であっても必然であっても、相手に大きな隙が生まれる事に変わりはない。

「―――――――ッ!」

 モンスターが最早声にならない叫びを上げる。アルトは切り落とした腕には目もくれない。モンスターに出来た隙を見逃さず、その股を潜り抜けるように走り抜けながら、

 ぞざざざくり。

 なんて音がしそうな程深く、大きく、その内股を斬った。

 モンスターの慟哭どうこくが、瞬時に耐えられない程の大音量となる。それは公害ともいえる汚い音。

 ぶしっ、と傷口から赤い液体が吹き出る。それはアルトの顔と、服を染める。熱いくらいのそれは、しかし本当に臭かった。猛烈な金属臭が鼻をつく。

 それでもアルトは構わずに、もう一度、同じように攻撃を繰り返す。

 先ほどより更に、全身がぬるりとした液体に覆われた。

 もう一度。

 もう一度。

 もう一度。

 もう一度。

 もう、一度。

 何度も、何度だって繰り返す。最早そこに、『勇者』対『モンスター』という構図などない。これは一方的な苛虐である。

 攻撃を重ねる度に、血に、汚れに染まっていくアルトの肉体。だが、その顔に快楽も愉悦も浮かばない。有るのはただ、ひたすらの苦痛である。

 それでも、繰り返す。

 全身がぐちゃぐちゃに濡れる。顎から滴るのは、赤い液体。足跡すらも、赤いスタンプを捺したようだ。シャワーのようにそのどろりとした液体を浴びながら、アルトは恐怖と苦痛に心が締め付けられてゆくのをしっかりと感じた。

 ――軈て。

 ぐらりと、モンスターの身体が傾ぐ。

 いつ死んだのか、最初の内股への一撃が致命傷となったのか否か、そんなことは何にも分からないけれど。

 モンスターが血塗れで地に伏して初めて、アルトは自分がモンスターをころした事を自覚した。

 これが、アルトが初めて覚えた『罪』の味になった。


 ◇


「あーらあらあら、こいつァまた、派手にやらかしたもんだねェ……」

 アルトの戦いが終わるとすぐに、勇者がタイミングを見計らったように現れた。

「グメルは」

「安心しろ、弱ッちゃあいたが、死んじゃあいねェよ。今は『病院』にいる筈だ」

 良かった、とアルトは胸を撫で下ろす。

「それにしたッて、アルト、お前さん大分汚れたね? ま、そこまで染まると誰も血とは思うまいがねェ」

「……汚れちゃいましたね、俺」

「ぅん?」

「汚れちゃいました。絶対にあなた方みたいにはならないって決めていたのに」

 その両手に握られたダガーは、共に真っ赤に染まっている。

「愉悦も快楽も、関係無いですね。『勇者』となること自体が、俺達にとっての『罪』。例えそれが真似事であっても――例えば、自分の信仰する宗教があったとして、その宗教の神、或いはそれに等しい存在の真似事をする事は、決して許されないのと同じ」

 俺ァ無信仰だからわッかんねェ、と勇者は小声でぼやいた。

 アルトは後悔していた。如何に怒りに任せての暴挙とはいえ、決して犯してはならない法を犯したのもまた、事実。

 例えアルトが、『一般人』の中のアブノーマル――『勇者成りうる者』、であったとしても。それは、深く反省するに値する。

 だがその一方で。アルトは安堵し、誇りすら覚えていた。その訳は当然、

「ですが、俺は誇りに思います。俺はやっぱり、『一般人』だった。『勇者ヒーローの精神』は持ち合わせていなかった。ああ、ああ――喜ばしいです」

 どういう事だ、と勇者は訝しむが、アルトは答えない。

「ああ――俺は、汚れました。罪にまみれました。ですが、それでも俺は、自信を持って言うことが出来ます」

 アルトは血塗れの顔に、精一杯の笑みを作る。内心、未だに恐怖と苦痛は収まらないのだが。それでも、笑う。


「俺達は、アンチヒーローなんだって」


end……?

































 ◇


人間は、ベッドの上に横になったまま、静かにゴーグルのようなモノを外した。

 そのゴーグルは、つけると脳に直接作用して仮想世界に意識を飛ばすことが出来る機器なのだが……そんなことは正直、どうでも良いので割愛する。

 人間はそれをつけて、ついさっきまでゲームをしていた。

「ッたく、やッと終わッたよくそッたれが……と、いけないいけない。これはゲーム内での口調だったわ」

 そう言うとその性別は♀である若い人間はこほんと一つ咳払いをして、

「あー……でもほんっとうにアルト君面倒だったなー……やっぱり、攻略サイト使うんだった。でもそれだけに、あの『ミッションコンプリート』の文字は嬉しかったわね、うん」

 人間はついさっきまで、ゲーム内のミッションを遂行していたのだ。『アルトと云う少年にモンスターを狩らせろ』と云う、正直なんの意味があるか分からないミッションを。それが終わったから、仮想世界から現実世界に帰ってきた。ただ、それだけの話だ。

「まさかグメル君……だっけ? がクリア条件だったなんて……気付かないでしょ」

 人間はぶつぶつ愚痴を言いながら上半身を起こすとベッドに腰掛けて、そこでふと、一つの疑問が浮かんだ。

 ぎしり、とベッドが嫌に軋む。

「はて。アルト君達の記憶って、多分ミッションがあるから残っていたのよね? そうじゃないと、ミッションのストーリーが成り立たなかったから……」

 その疑問は、何だか嫌な色をしていた。

「なら、ミッションが終わった今……アルト君たち、まさかデバッグされてるんじゃ無いでしょうね?」

 だが、人間はそれを確認しに行くほど、その疑問を重要視していない。

「ま、いっか」

 その人間の今の姿は、殆ど大事な所が透けて見えてしまっているような薄いネグリジェだ。出るべき所がしっかりと出た、見るも艶やかな裸体が半分公開されている、といっても過言ではない。

 人間は、美麗な自分の肉体をネグリジェの上から一撫でする。そして、

 まずは着替えなくちゃね。

 そう呟くと、人間はベッドから立ち上がって数歩、歩いて部屋の扉を開ける。

 そして、出ていく。扉が閉まる。部屋――寝室に、平穏が訪れる。

 後に残るのは、静寂と、闇。


 答えは常に、闇の中に。



(ここまで読んだら)True End……。
































 ◇


「かっこいー! 勇者様、さっすがー!」

 とある少年が目を輝かせながら言った。その目に宿るのは、純粋な『尊敬』。

「俺もああなりたいなぁ……」

 もう一人の少年も、同様に。但しこちらは少し気弱である。

「成れるさ! 俺達にも!」

「そうかな……無理じゃないか?」

「成れるって! 大丈夫!」

 勇者に群がる雑踏の一部に過ぎない、彼等。『勇者に成る』事の真意を全く理解できていない、彼等。

 『勇者』に憧れ、『英雄』に痺れ、『一般人』に嫌気が差し、『日常』を『非日常』に変えたがる、極々普通の一般人ノンプレイヤー

 主人公どころか、脇役にすら成れない、天性の『モブ』。彼等の物語は今この瞬間を最後に、二度と巡っては来ない。彼等の物語は、物語にすら成らない内に、完結する。もう二度と、彼等にスポットライトが当てられることはない。

 最期に。彼等の名前を紹介しておこう。

 アルト、グメル。


 バグにより生まれた、一つの悲劇。彼等に、精一杯の、拍手を。


(ここまで読んじゃったら)Bad End……?

後書き





 最初連載にしようとしたんですけどね? あまりに僕に掛かる負担が大きい故に、短編止まりですよ。1~2万字程度の、読み切り的な? まあ結果的に24000字になっちゃいましたが。





 グダグダ結構多いし、ま、その辺我慢してここまで読んでいただいたのならありがとうございます。





 流血もいつもより多いし、何より鬱い……というか、厨二臭かったですね。まあ良いけど。





 ていうか、あれ。また異世界モノ?





 ヒロインはきっとあのとある勇者……いや、人間だったんでしょうね、うん。



・再投稿後のあとがき


 臭すぎ.長すぎ.

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