酒瓶に酔った夢
旅の男は言ったろうか?自分の事を吟遊詩人だと。
「ねぇ、聞いてる?おじさん」
吟遊詩人はハッとして目を見開いた。
「…ああ。聞いているとも少年」
青い瞳の先には何も映されていなかった。
少年はいなかったのか?いや、違う。
「…私はここにいる?」
問いかけに少年はまつげを震わせた。
いつの間にか吟遊詩人の座っていた椅子の上と目の前に立っていた少年の位置が逆転している。
立場が入れ替わり、少年は詩人に、詩人は少年になっていた。
「これは僕か?」
問いかけに少年は微笑んだ。
椅子のそばの酒瓶が少年を見上げていた。
YES…だろうか?
ざわざわと喧騒がはびこっている。
白い漆喰のひび割れが目立つ壁に背を持たれた一脚の椅子とその前に立つ少年。
街の中、振り返る人もいない今何故このようなことが起きるのか。
吟遊詩人は分からなかった。
「少年、君は何故ここにいる?」
詩人は問いかけた。
「貴方に己の意味を教えるためここにきた」
突然ニヤリと笑って不敵に笑う少年に詩人は怯えた。
"己の意味"だって?答えるまでに何年もかかる問いかけを何故ここで?
「…どうして今」
呟くように詩人は言った。
「何故だろう」
僕も分からないというように少年は笑った。
「君は夢か?」
思いついた問いかけに詩人は安堵した。
正解なら夢は消える。
「そうかもしれないし、そうじゃないかも」
少年の答えに詩人は落胆した。
「望みは?」
詩人は嫌気がさしてきた。
「罪の釈明」
どきりとする。
詩人はその言葉に心当たりがあった。
ゆっくりと少年が耳元に近づいてきた。
「人殺し」
囁かれた言葉は刃のように詩人を貫いた。
そして胸元は真紅の薔薇が咲いたように赤く染まり、詩人はそのまま項垂れた。
少年は風のように消えていなくなっていた。
真っ赤な血が広がって、人にわかるようになるのに時間はかからなかった。
遅れて誰かの口から悲鳴が飛び出し、ざわめき出す街の喧騒は時が動き出したように大きくなっていった。
後には風に乗って聞こえる少年のような笑い声が、ただただこだましていた。
「さよなら、僕を殺した吟遊詩人」