拐った相手
「ラナンキュラス嬢?何をなさってるんです?」
後ろ手に縛られたままごそごそと手を動かしているレティーナにギルバートが訝しげに声をかけた。
「縄を切ろうと思いまして。そうすれば、とりあえずここから出られますから」
答えながらもレティーナは髪飾りで縄を何度も擦る。本当は太股の所にナイフも隠してはあるのだが、後ろ手に縛られている自分では取れないし、同じように縛られているギルバートにも無理だろう。
髪飾りの様に口で取って貰うことは可能かもしれないが、さすがにそれは頼めない。
ナイフほどの切れ味はないが、ナイフ状に細工を施してある髪飾りで、この縄を切るしかないだろう。
本当にそんな物で切れるのか?と、問いたげなギルバートの視線を感じながら、レティーナは同じ動作を繰り返す。
捕らわれた部屋の中、レティーナの縄を切るために髪飾りを動かす音だけが聞こえていた。
ふと、他の音が聞こえたような気がして、レティーナは動きを止める。
隣を見れば、ギルバートも何か感じ取ったのだろう。レティーナに向けていた視線を、閉ざされた扉へと向けていた。
少しの音も聞き逃さないとでも言うように、二人ともじっと息を殺して、扉の方へ意識を集中させる。
どうやら、誰かがこの部屋の方へ向かってきているらしい。
歩く度に微かに廊下の軋む音が、こちらへ近づいて来ているのがわかった。
人数は…3人?
レティーナは微かに聞こえる足音から人数を把握しようとした。
そして、おそらくこの部屋へ来るであろう誰かに、自分の手元が見られないようにと、ギルバートに身を寄せた。
そのまま、誰かが入ってくるギリギリまで縄を切ろうともがいた。
足音が大きくなり、扉の前で止まった。
微かに触れあう肩からギルバートの身体が強張ったのがわかった。
ガチャ。
重たい鍵を開ける音のあと、強面のがたいのいい男二人に挟まれる形で男が入ってきた。
金の髪に、スラリとした肢体を品の良いスーツで包んだ、壮年の男性。柔和な表情にオレンジがかった瞳。しかし、その瞳に宿るのは酷く凍てついた光。
どこと無くハイドライドに似た面差しなのは、彼らが甥と叔父の関係だからか。しかし、息子であるはずのギルバートとはその髪の色以外、似通ったところが無いように思えた。
「モンステラ卿」
呟くレティーナの隣で、ギルバートは父親から顔を逸らした。
「こんにちは、ラナンキュラス嬢。いや、もう、こんばんは、の時間かな?」
そんなレティーナにモンステラ卿はどこかおどけた様に声をかける。驚いているレティーナに卿は可笑しそうに嗤う。
「私が出てきて驚いたかい?まぁ、君を攫ったのは成り行きだったんだが、それでよかったかもしれない」
そう言って、モンステラ卿は近づいてくる彼に思わず後へ身を引いたレティーナの顎を捉えるとその顔を自分の方へ向けさせる。
「やはり君は美しいね。ハイドライドを王位に就け、彼女を手に入れられればそれだけで良いと思っていたけれど、君なら愛妾として囲ってあげてもいい」
自分を覗き込んでくる澱んだ欲望を湛えた視線を嫌悪するようにレティーナは顔をしかめた。
「彼女に汚い手で触るな!」
そんな父親にギルバートは汚物を見るような表情を浮かべながら、彼の手をレティーナから外させようと拘束された身体で体当たりをした。しかし、それは簡単に避けられ、モンステラ卿はそんなギルバートの様子にレティーナから手を離すと、倒れた彼の髪を無造作に掴み上げ、その顔を上げさせる。
「ここまで育ててやった父親に対してずいぶんな態度だな?ギルバート」
無理な体勢で頭を持ち上げられ、ギルバートの口から呻き声が漏れる。
「誰に対しても無関心で何にも執着しないお前にしては珍しく、彼女を気に掛けてるようだね?もしかして彼女に懸想でもしてるのか?だったら、尚のこと、彼女を手折るのは私でなくてはなぁ?」
モンステラ卿は下卑た笑みを浮かべ、舐めるような視線でレティーナを見る。
「そういえば、貴女は何故コレが顔を隠しているかご存知でしたか?」
そう言って、ギルバートの顔を無理やりレティーナの方へ向けた。先ほどまでは横顔しか見えていなかったのが、髪を掴み顔を上向かせられたままの痛みに歪んだギルバートの顔がレティーナの前で晒された。
それにレティーナは目を見開く。
目こそ無事だったのだろうが、額から右目の少し下の辺りまで、酷く引き攣れ、変色した肌。それは、無事な左側が整っているからこそ、余計に際立って見えた。
何も言わないレティーナの反応をギルバートの傷への嫌悪だろうと勝手に解釈したモンステラ卿はギルバートの髪から手を離した。
ゴツっと鈍い音がして、ギルバートの頭が床へ落とされる。
「さすがに女性に見せるものではなかったかな?」
そう言って、未だにギルバートを見つめているレティーナに再び手を伸ばした。
「触るな!」
床に転がされたままのギルバートがそれでもモンステラ卿を止めようともがく。そんな彼に憎悪を宿した視線が向けられる。
「せめてお前が女だったら、こんなことをせず、お前で我慢してやったんだがな。おい、黙らせろ」
後に控えていた男たちにそういうと、改めてレティーナに手を伸ばし、その頬を撫でた。
自分の頬を撫でるその感触の気持ち悪さにゾクっと肌が粟立った。




