哀しみの果てに
翌日は朝5時半に起きた。昨日コハクが言っていた通り、体は別人のように言うことを聞いてくれる。なんでも稲荷大神の憑依者特有の恩恵だそうだ。枕元にあった目覚まし時計を拝借していたので、仕事から解放するべくアラームスイッチをoffに入れる。昨日の話では毎日6時から鍛錬を始めようと言うことになっていたはずだ。日中は学校もあるわけだし、朝と放課後しか時間がないからこうなって当然なのだが。ひとまず動きやすい服に着替えようと思った矢先に重要なことを思い出す。そう、ここは自宅ではない。さてどうしたものか。ベットの上で頭を悩ませていると不意にドアが開く音がした。
「お、もう起きてたか。おはよう、蒼輝君。この前は大変だったねー」
体中包帯だらけの荒州さんがコーヒーカップ(中身入り)を三つ、器用に持って入ってきた。やはりこの大怪我が階段で転んだ程度には見えない。
「おはようございます。無地でよかった。あ、あと、場所を貸してくれてありがとうございます」
「何をかしこまる必要があるんだ?君と僕の仲だろ?いい加減ですます調はやめて欲しいんだけど」
「いいんですよ、これで」
「僕は嫌なんだけどなー」
簡易テーブルに置かれたコーヒーカップを傾ける。やはり淹れる腕は一級品なのではないだろうか。カップもしっかり暖められているのか、余熱が手に伝わってほっこりする。
荒州さんはほか二つのカップもテーブルに並べて、片方を俺同様に口につけた。ゆっくりとした時間が流れていく。そのうちプラチナブロンドに寝癖をがっつりとつけつつも、ランニングウェアっぽいものに着替えを済ませたコハクも俺の部屋に現れた。
「おはよー…」
「おはよう、コハク」
「おはよ。昨日はよく眠れたかい?」
「うーん…。ちょっと、足りない…ふあ」
眠たそうな紅玉の目を擦って大あくびをかます。美少女だからこそ映えるのか、その姿はまるで寝起きの子狐のよう。しかし頭で自己主張をしていた狐の耳はなくなっている。あと10分だけと床に寝っころがって丸くなりだすコハクに、荒州さんが淹れてくれたほっこりコーヒーを勧めると片目だけ開いて受け取ってくれた。
荒州さんに運動着っぽい物はあるかどうか聞いたところ、昨日の間に日用品は俺の家から回収したという返事が返ってくる。着替え、タオル、勉強道具、趣味娯楽一部、PC、それからなんと枕。荒州さん曰く、
「コハクちゃんが、”枕、おんなじのじゃないと寝付けない”って言い張るものだから」
だそうだ。声のトーンが絶妙に違ってなかなか面白かった。爆笑していたら二人そろってコハクに絞められたのは言うまでもない。
だがそうとなると木が気でない質問をしたくなるのは自然だろう。俺の口からは意識もせずにその質問が飛び出した。
「じゃぁ、紗奈は…」
「うん。そういうだろうと思って、一応まだ葬儀はやっていないよ。そもそも、だ。親が帰国できない状況下で、唯一国内にいる家族の了承を得ずに決断してしまうのは、無粋の極みだろ。顔を見るのは今日の午後にしよう。それから今週の土曜日、つまり明日だね。葬儀場を取り計らっているから、そこで送ってやる、それでいいかな?」
「…はい。ありがとう、ございます」
「おいおい、いまから特訓なんだろ。妹ちゃんの分まで、精一杯生きろよ、少年」
うなだれていた俺の肩をぽんっと叩くと、部屋を出ていってしまった。自らの足元の左をみれば、コハクが寝っころがりながらコーヒーを飲んで俺の表情を窺っていた。そうだ。俺は、これからやらなくちゃいけないことがたくさんある。そうだろ?
「ほぅ。ソウキ、なかなかいい顔になった」
「そっちこそ。なかなか面白いことしてるな。アホの子そうだぞ」
「むぅ」
本日二回目のお仕置きにコハクの腕をタップして降参を示すと、着替えを準備してベットの毛布にくるまった。行く場所がないとはいえ、さすがに女の子の前で着替えるわけにはいかない。もぞもぞと窮屈に動き回って着替えを完了する。
二人で部屋を出ると、そこは長い廊下だった。なるほど。これがCEO様の居城か。壁にはいくつものドアが張り付いている。しかし窓は一切ない。おそらく身の安全を最優先したからだろう。俺が寝ていた部屋も窓は一つ、ベットから離れたところにあった。さきほどちらっと覗いてみると、一般的な民家からの景色がうかがえたのだがきのうせいだろう。
コハクとランニングシューズを履いて玄関を出るとそこに広がるには、
「なんだ。普通の住宅街じゃん」
「ソウキ、それは違う。ここ、一等地ばっかの高級住宅地」
「そ、そうなのか」
まあそうだよな。CEOだし。宅内めっちゃ広かったし。
後ろを振り返ってみればばかでかい邸宅があった。いままでここで寝泊まりしていたと考えると、一体いくら払えば済むだろうかと思ってしまう。首を振って雑念を取り払うと、準備運動らしきものをしていたコハクにこれからの予定を聞くことにする。
「で、これから何すんの?」
「まず準備体操。そのあと往復10キロ走る。昨日の間にコースは作っておいた」
「10キロ!?おいおい、それうちの学校のマラソン大会と同じ距離だが!?学校行く前に筋肉痛だが!?」
「そうなの?でも10キロ走ってもらわないと困る。これからどんどん増やしていくつもりだし。私、本気出せば1時間で30キロ走れるし」
「そうなんすかー」
何だよこの化け物!?一時間で30キロ!?マラソン世界チャンプでもびっくりスコアだわ!
かく言うが、この少女はすでに常識の外にいる人物だ。そして俺の目的も常識の外。ということは俺も常識という現在位置からはみ出さなければならない。
意を決して走り出す。コハクは俺のペースに合わせてくれるらしく、隣り合って風をきっていった。
ついに締め切りを切られてしまいました。
進行スピードは落ちると思います。