前哨戦
サンクリエイト本社を出ることはや5分。
目的地は南神夜のさらに最南端、楽園塔の唯一の出入り口である神夜空港。船での輸送は物資のみとなっているため、人の出入りはここからしかできないというわけだ。とはいえ禁止されているということでもなく、日本本土から気合だけで遠泳してきたという猛者までいた。この前ニュースで報道されていた気がする。
神夜町という島は一応のところ日本という国に属してはいるが、内情はほかの都道府県とは少し異なる。というのも研究都市として発展してきたこの島がひとつの国家に属してしまうと、閉鎖的な開発しか行えなくなってしまうからだ。それは研究という自由を狭めることにもなりかねず、それをこの島の長が許すはずがない。故に日本に属してはいるが政治や経済に関しては常に別々に行っているし、各国に対し研究の自由を掲げて中立を保っているのだ。言ってしまえば神夜町自体が一つの国家と言っても差し支えはない。
とそんなことはどうでもよくて。
神夜空港まではハイウェイを使うことで30分ほどの道のりとなる。その間の護衛が俺たちの任務、ひいては俺の初任務ということだ。しかし初任務だからと言って必ずしも何も起こらないとは限らない。脅威はいつも枕元のそばにあるのだから。
ふいにクレッドが口を開く。
「…残念だったな、ソウキ。お前の初任務は波乱万丈になりそうだ」
「それは一体…」
「そんなことは自分の目で確認しろ。目で確認できなければ気配で、気配でも確認できなきゃ勘に頼れ」
それを最後に口を引き結ぶクレッド。どうしたものかとコハクに助けを求めようとするがすでに狐耳を立てていぶかしげな表情をしている。索敵でもしているのだろうか。そんな中荒州さんが俺にフォローを飛ばしてくれた。
「勘でも何でもいいから自分の中にこうするっていう定規を決めておくんだ。そうすればいざという時にも迷うことなく判断を下せるからね。もちろん具体的な方がいい」
そのアドバイスをもとに少し考えてから、”定規”を設定する。
何でも試してみる。命の危険があるときは逃げろ。
俺では姿だけで相手の強さを推し量ることはできない。それは危険が隣り合わせにある実戦では不利を被ることになる。敵もこちらの技量を察する手段を持ち合わせてなければいいが、あいにくその保証はどこにもない。ましてやこれはすでに常識の範囲内にない戦いだ。交戦となれば八割方上手が相手となるだろう。
しかしせっかく貰ったチャンスだ。生かさない手はない。やれるだけやってダメだと一瞬でも判断したならあとはみんなに任せる。
その瞬間だ。
前方。東神夜と南神夜を繋ぐ連絡橋から何かが一直線に俺たち目がけて飛んできていた。面舵いっぱいにハンドルを切ってブレーキを踏み込むと、着弾地点一歩手前で車体が浮き上がる。漆黒の槍に深々と抉り取られた道路の空中でちょうど2回転した車体のタイヤは過たずアスファルトの地面を捉えた。
「君たちは下りるんだ。固まっていても格好の標的にされる。各々護送車の脅威を迎撃してくれ」
左手でゴーの指示を出したのに頷きを返して車から飛び降りると、橋の上にうっすらと縁取る人影が目に映る。ソレが横に手を伸ばすと、今の今まで地面に突き刺さっていたはずの黒槍がいつのまにかその手に収まっていた。
手元に戻った得物を再度振りかぶる。次に狙われているのは重要人物が乗り込んでいるトラックだ。あの一撃を貰ってしまえば車など一瞬で燃えた鉄くずに変わってしまう。だが俺はあの槍を弾き返すことはできないだろう。威力、スピードともに対応できるとは思えない。
俺の思考を待たずして二投目が放たれる。亜音速で風と音を断ったそれは目標を目前にしてコハクに撃ち落された。
「させない」
短刀大だったコハクの装具、かつて北欧の主神が作り上げたとされる魔剣の銘を継ぐそれは、すでに伝承通りの長大な剣と化している。落ち着いていた紅玉の目は爛々と蒼く光り敵影を刺し貫いていた。それを気にすることもなく黒槍を再度手元に引き寄せた敵影は三投目を放つ。それは今までの直線の軌跡を引かずに縦に長い楕円を描いて上空からトラックを穿たんとするが、それもトラックの上に陣取っていたクレッドの巧みな槍捌きに少しだけ軌道をずらされて当初の目標は未達成に終わる。
やはり影が手を伸ばすとその黒槍は手元に戻ってしまう。これでは埒が明かない。踏み足に力を込める刹那、一瞬のその隙にその影は俺に肉薄していた。
鮮血を宿したかのような赤黒い瞳で俺を刺し貫く。邪龍さながらの獰猛な笑みを浮かべて一瞬とも言えない間に口を開いた。
「やるじゃねぇか。テメェら」
言葉からは想像できないほど少年じみた声でそう言うと、握っていた槍で俺を串刺しにしようとする。間一髪のところで避けるとシャツの端が音もなく裂けて地肌にうっすらと血が滲んだ。だがやられっぱなしでは終わらない。いや、終われない。ツキギリの柄をぐっと握りしめると水平に抜刀する。少年はそれに恐ろしいスピードで反応し槍を引き込みつつバックステップで回避すると、そのまま投擲。弾き返せずともずらすことならできると判断した俺は返す刀で黒槍の軌道を修正する。宙を引き裂いた黒槍はすぐに主の手のひらに戻った。
「くっ…」
重い。
投擲物であるはずの黒槍を切り払った右手がしびれてツキギリを取り落しそうになる。
幸いだったのは追撃が来なかったことだ。今の一瞬でもう一度槍を投げられていたら腕の一本は持って行かれていたかもしれない。
それはいいとして、なぜ奴は攻め手を緩めたのだろうか。百害あって一利ないその判断の根拠が見えてこない。これがただの気まぐれだというのなら問題はないが…。
道路脇に寄せられた自動車から荒州さんが下りてきて件の少年と対峙する。それに続くようにシセツとフィオナもトラックから降りてきた。少年は己のくすんだ金髪を掻き上げると、なおも狂気の表情を張り付けたままその場を一歩も動こうとしない。まるでとぐろを巻いた蛇のようだ。
荒州さんはメガネのずれを直してから口を開いた。
「…何者かとはあえて問わないが、これだけは聞かないと気が済まない」
一呼吸を置く。場の緊迫に唾を飲んだ。
「うちの社員は全員無事なんだろうな…?」
少なからず目を見開いたのは俺だけではないだろう。あれだけ自信ありげに自社の防備は大丈夫だと言っていたのにも関わらずその言葉が出てくるということは、サンクリエイト社で何かがあったということをまざまざと教えてくれた。
「さぁ、な。無茶な抵抗をしたヤツはもうこの世にはいないんじゃねぇの」
その問いに対し蛇は面白くもないといった態度で応える。口ぶりを窺う限り、サンクリエイトの社員が人質として囚われていることは間違いない。歯噛みをする荒州さんを見ていられなくなりそうだった。
同じように思っていたのだろう。コハクはそのまま少年に一足とびで突っ込むとグラムの刃を振り下ろす。少年はすらりとそれを躱すと指を鳴らした。
ザッ。
それを合図に少年の仲間であろう二人が夜闇からコハクを狙って左右からそれぞれの得物を振る。片方はショーテルのような小ぶりの短刀だ。肩口を狙って振り下ろされるそれをコハクは大剣ではじき返すと、もう一人の針使い(ニードル)が放った無数の針を剣の背に隠れてやり過ごす。
「一体あなたは誰?何が目的?」
細められたコハクの眼は邪魔をされてなお少年一人を見据えている。その視線におどけて見せる少年。対するコハクの反応の薄さに一つため息をつく。
「《覇龍》。お前たち貴き光を殲滅する者の名だ。しかと刻め。死人に口なしとは言うが己を殺した者の名くらい餞別として送ってやろう。では死んでその護送物品を奪われるか、奪われてから死ぬか。さぁ選べ」
一つ身動きをすればすぐに戦闘が始まろうという空気。お互いに目で誰をターゲットするか簡単に伝えるとアスファルトを蹴る。足のばねが解放され…。
「おやおや、若い者同士で何を争っておる。ここは一度、仕切り直すべきではないかね?」
場違いなほど落ち着いた声は静まりかえったこの場に大きく響いた。弾かれたように後ろを振り返れば法衣をきた禿頭の老人がトラックの隣で杖をついて佇んでいる。《覇龍》に続き今度は何者だ。その答えは頼まずとも荒州さんの口から零れ落ちることになる。
「義時様…。なぜ外に出ていらっしゃるのです?」
義時様と呼ばれたこのご老人こそが今回の護衛対象のようだ。翡翠のその眼を開くと真剣な声音で荒州さんの問いに応える。
「聡いぬしのことじゃ。すぐに理解できよう?」
「貴き光を…我々の掲げた理想を捨てるとおっしゃるのですか?」
何が何だか分からない。義時と呼ばれたあのご老人は何者なのか、アルブレヒトとは何の組織なのか。ただ一つ分かるのは、そのアルブレヒトとやらに所属している荒州さんにとって、ご老人の脱退は深刻なものだということだけだ。
荒州さんの問いかけに対し、老人は顎をさすってどう説明しようかと悩んでから口を開く。
「わしらの組織に属する憑依者や継承者はみな隠れて生きてきた。それはなぜか。憑依者の存在により世界が変わってしまうことを恐れたからじゃのう。この未知なる力によって人災でも起きてみよ。たちまち敵性存在として叩かれるじゃろう?人はみな、自分より強き者、異なる者を数で排斥したがるからのう。そうならぬために我らは世界中の憑依者らしき者たちに声をかけ、組織の一員となるよう声をかけてきたな」
懐かしむかのように夜空を見上げてそう語る義時。だがその細く開いた翡翠の瞳には憂いの色が濃い。
「だがその中に能力が公になって殺される者もおった。忘れもせぬ。あの同族以外を認めぬという目を。いまは数少ない憑依者もいつそうなるか分かったものではないのじゃ。故にわしは望む。手始めに機能などまるでしていない国連を潰す。そして我らの存在を世に知らしめ、確固たる地位を得るのじゃ」
強い意志をこめてそう言い切った。この老人の中にあるのはこれがすべて。すべてが憑依者の未来のために、だ。確かに人々は異端を忌み嫌ってその片鱗があっただけで悪しと決めつけてきた。異端審問、宗教戦争、魔女裁判。そしてそのたびに同じ過ちをしてはいけないと誇張しながら、いずれまた同じことを繰り返す。
だが。
「よくは理解できないが、それは武力行使でなければならないのか?」
俺のその発言に義時だけでなく荒州さんもぴくりと反応した。心当りがあると言わんばかりに。
「少年よ。話せば分かりあえると、そうは言うが言葉で伝わらぬことも多い。荒州も覚えておろう。各国の政府に掛け合ったときのことを。話にならないとはあのことに違いなかろうな」
「確かに政府の反応は芳しいとは言えなかった。だが対話を止めて武力に頼ってしまえば軋轢はさらに広まってしまうことになる!」
その言葉に待ったを唱えたのはラースだ。今までの禍々しい冷笑はなりを潜め、代わりに何もかもが憎いと言わんばかりの表情で毒づいた。
「…対話など成立するはずがない。奴ら人間どもと分かり合うなどできるわけがない」
そう言い切った少年を案じるかのように義時は瞑目した。何かを詫びるかのような懐古のしぐさに俺は違和感を覚える。
「もういいだろ、じじぃ」




