第一章 2
2
アルトラス地方。大陸の中央部に位置する、城壁に囲まれた貿易で栄えた都市。この城壁も、他国の、というよりは動物の襲撃や、野盗の対策として建造されている。書類上ではダザルサーレ帝国の領土とされているが、実際には明確にどこかの国に所属していないので、税金の安さも、ここを貿易の中心都市として足らしめる要因なのだろう。周囲の動物も比較的大人しい事も起因している。
気候は春夏秋冬が明瞭で、それぞれの季節に、違った風景を楽しませてくれる。ここから、北に行った所には氷に覆われた大地にそびえ立つ連峰があったり、南に行けば、灼熱に照りつけられ草木の死んだ、死の土地があったりと、極端な変化が見られるので、やはり住みやすい環境だ。
そんな街で。
太陽が冲天に昇った頃。
朝の嵐は去り、太陽が雲の合間から顔を覗かせていた。
昼時という時間もあるのか、メインストリートは人がごった返し、石畳の道は人で埋めつくされ、軒先に連ねる露天や屋台も繁盛しているようだ。
道に隣接した家々は、屋根が統一の高さにされており、赤瓦が映えていた。
九条は、日が照っている中でも外套を脱ごうとせず、フードも目深く被ったまま、人混みを縫うようにして歩いていた。
彼が外套を脱がないのは、まあ見た目の問題があるからだ。
これまで、この容姿が問題事を運んで来たことが何度かあったから仕方ない。
さすがに暑苦しいので、外套の前を大きく開けるが、やはり暑いのは否めない。一応、これでも通気性は高いのだが、黒い色というのは熱を良く吸収してしまう。その伝わった熱はどうしようも無い。
(どうしようかな・・・)
待ち人がいるのだが、その時間まではまだ時間がある。それまで時間を潰したいのだが・・・、
(誰なんだろ・・・この視線は?」
誰かに見られている。尾行されているのだ。ついさっき、街に入った時からずっと。
別に尾行されてもやましいことは無いのだが、ずっと見られているのも気味が悪い。
(・・・見つけるかな)
九条は溜息を付くと、一本の路地に入る。
(どこに行ったの・・・?)
アンは困惑していた。
街に戻って、仲間を病院に連れていくと、暇を持て余していたアンは、『不審者』を見つけた。
これだけ太陽が昇り、薄着のアンでも汗ばむ天候で、外套を羽織ってフードを目深く被る人間はそうは居ない。
と思っていたのだが、不審者は路地に曲がると、そこで姿を消してしまった。
路地は一本道で、遮蔽物は無く、隠れる場所は無い。
いくら先に進んでも、不審者の影は見えない。
「あれぇ?こんな所で、君みたいなカワイイ娘が何をしているのかな~」
気色の悪い声と共に現れたのは、二人の大柄の男だった。腰には出来の悪い湾刀。
「何の用ですか?」
あくまで冷静に尋ねる。
(またこういう輩か)
こんな輩には辟易していた。この街だけでは無い。帝国でもこういう輩には腐るほど会った。
だから、早く終わらせる。
「そんな格好で、こんなアブナイ所に来ちゃダメだよ~」
「そうそう、アブナイ人達に捕まっちゃうよ~」
心底頭に来る連中だった。
アンは静かに手を回し、双剣の一本を掴む。殺すつもりは無い。足の腱でも切れば無力化出来るだろう。
「どうしたの~?怖くて声も出ないのかな?」
「それともホントに、『そんな事』をしにきたのかな?」
音も無く、剣を抜く。
「すみません。僕の連れです」
背後からどこかで聞いた声が聞こえた。と同時に、腕を掴まれたのが分かる。
動かせない。単純な力ではなく、関節を極められたのだ。
「(ここは僕に任せて欲しい。君の気が済まないかもしれないけど抑えて。『その武器』は人を斬るものじゃない)」
そっと耳打ちする闖入者。やはり聞いた声だ。
「あれあれ?この娘の友達なのかな?キミも一緒に楽しいことしたいのかな?」
言うが早いか男の一人が、こちらに手を伸ばしてくる。
それより疾く、アンの横を通り過ぎる影。
いつの間にか腕の極めが外されているのに気づくが、アンが手を出す暇は無かった。
長い黒髪を後ろで編み込んだ『少女』。どこかで会った気がするその人物がアンの前には立っていた。
その人物は、左手でこちらに伸ばされた腕を掴むと、男の懐に潜り込む。鈍い音共に、男の巨躯がくの字に折れるが、それでは留まらない。
左手で男の腕を勢い良く引いて、さらに前のめりさせると、男の襟首を掴んで、投げたのだ。
それも、真後ろでは無く、壁に叩き付ける様にして投げられた男は、悲鳴のひとつも上げずに沈黙した。
「お前、いい度胸してんな。無事に帰れると思うなよ!」
怒りと怨嗟に満ちた声と表情の男は、腰に下げていた剣を抜いた。
励装でなければ業物の剣でもないが、人を殺すのはそれだけで十分だ。
その剣を頭上に構えると、不気味な気合と共に振り下ろす。
間に割って入る事は出来なかった。
『少女』は左足を右足と直線上になるように体に引きつけると、降り下ろされる剣を躱した。
そして、剣が地面に衝突する時には、『少女』は右足を軸にして、剣の軌跡と交差させるように左回し蹴りを放ち、男の顔に叩き込んだ。『少女』の後ろ髪が華麗に舞う。
派手に吹き飛ぶ事は無かったが、男はその場で膝を付いて倒れる。
「こんなものかな」
『少女』は前髪を掻き上げながら、一つ息を吐いて呟く。
アンは放心していた。一日に二度、しかもこんなに短時間に放心するとは思っていなかった。
『少女』はそんなアンの事情など知るはずも無くこちらを振り返る。
前を大きく開けた外套を羽織り、長く編み込まれた髪が特徴的な『少女』は、微笑みながら、
「色々とごめん。君なら何とか出来そうだったけど----」
『少女』は目を見開いていた。奇遇な事にアンも驚愕を隠せなかった。
この特徴に合う人物には一度会っている。周囲の暗さもあって顔がよく見えなかったのだが、これほど印象的な出で立ちと実力を持っていれば、それだけで気づける。
「・・・君は・・・朝の・・・?」
口火を切ったのは相手の方からだ。やはり相手の方も覚えていたようだった。
「やっぱり、あなたは朝の・・・?」
口を開けたまま、しばし顔を見合わせていたが、どちらともなく笑う。
「まさか、また会うとは思っていなかったよ」
「そうね。私もまたお会い出来るとは思っていなかったですよ」
ひとしきり笑ったあと、思い出した様に頭を下げる。
「え・・・っと、ありがとうございました」
改まって口にしてみると若干気恥しさがあったが、それよりも気になる事がある。
「僕の顔に何か付いてるかな?」
「あ~と、いえ。そういう訳では無いですけど・・・」
この人物の『性別』だ。中生的過ぎる顔立ちに、長髪を見ると、女性に見える。だが、この人物の振る舞い方を見ると男性に見える。
(この人、どっちだろう・・・?)
考え込んでいると、彼もしくは彼女は何かに合点がいったのか、納得したような顔をする。
「なるほど。ごめんね、迷わせっちゃって。僕は、これでも男だよ」
「あっ・・・。いえ、そんな事は無い・・・ですけど・・・」
相手が男だと分かった瞬間、一気に緊張し始める。
男性に慣れていない訳では無いのだが、こうも衝撃的な出会いをすると、どぎまぎするのは人間の性では無いだろうか。
「そういえば、何で僕の後に付いて来ていたのかな?まさか偶然じゃ無いだろうし・・・」
完全に忘れていた。不審者を見つけて尾行していた事を。
「え・・・あ・・・っと、もしかしてあなただったの?さっきの外套の人って」
彼は苦笑を浮かべる。
「気分を悪くされたのなら謝ります。格好が周りと違っていたもので・・・」
言葉をどう選んでも相手を不快にすると悟ったので、出来るだけオブラートに包んで答えると、
「あ~なるほど。やっぱずっとこの格好は変だとは思ってたけど、不審者に見えてたんだね」
そう言いながら、暑そうな外套を脱ぐと畳んで腕に掛ける。
外套を脱いだ彼の姿は、おおよその予想通り、体の線も細く、余計に中性的だ。
だが、そんな彼が腰に帯びているのは異様な剣だった。抜けるのか分からないが、鞘が緩く反っていたのだ。朝に見た時には、薄暗さで刀身まではっきり見えなかった。だが、あの時、彼はその剣でメラスの群れを屠った。
「あなたも『狩人』?」
「まあ、そういうことになるかな。多分、君とは少し『違う』と思うけど」
最後の方はよく聞こえなかったが、彼も同じらしい。
「でも、どこで学んだの?励装の扱い方とか、戦い方全般は?」
彼の戦い方は、何というか『特殊』だ。
剣術についてもそうだが、今時『狩人』で体術を磨く人はそうそういない。体術を磨くとしたら、『護衛』専門の『狩人』だ。だが、彼らは一様に、重武装をして、励装を持っていない。なので、彼らは小型の動物や賊を相手にしている。
普通、大型動物を専門にする『狩人』は防具をあまり付けない。大型動物の一撃は、そんな防具を粉々に砕くためだ。重い防具なんて付けていたら回避なんて出来ない。
一撃を食らったら終わる。
そんなギリギリの戦いをするのに、防具は邪魔なだけだ。
そして、彼の服装や持ち物を見ても、その手の物は無い。そこが不思議なのだ。
「それが知りたいなら付いてきた方が早い。・・・道も訊きたいし」
彼の最後の言葉を聞いて、一気に脱力する。
「分かったわ。私はアルン・トゥム・ブリュンヒルデ。アンって呼んで」
「ああ。僕はクジョウ・サイカ。よろしく」
彼はゆっくりと手を伸ばす。その伸ばした手を取る。
「面白い名前ね。クジョウ、で良いのかしら?出身は?」
「大陸の東。アンセス地方って聞いたことあるかな?」
アンセス地方。
彼の言うとおり大陸の東方、極東に位置する島国を含む地方の総称だ。固有の動物も各種生息しており、『始まりの地』とも呼ばれている。
「かなり東方ね。ここには何しにきたの?」
「質問が矢継ぎ早だね。もう少し落ち着こうよ」
クジョウは爽やかに苦笑を浮かべる。
「あっ・・・ごめんなさい」
「いや、良いんだけどね。僕だって珍しい人が居たら好奇心が湧くしさ。僕は、人に会いに来たんだ」
彼は柔らかに微笑みながら質問に答える。
「君はどうする?さっきも言ったけど、場所を教えてくれると助かるんだけど・・・」
「私も一緒に行っても良いのかしら?迷惑とかにならないの?」
「『あの人』の事だから大丈夫だよ。君が『ハンターズ・スクール』の生徒なら、多分知ってるんじゃないかな」
「?」
よく事情を呑み込めていないが、彼は来て欲しいと言ってるいるし、断る理由は無い。
「分かったわ。どこに行きたいの?」
「交渉成立だね。食事処【時雨】って名前の店らしいけど、分かる?」
「ええ大丈夫よ。何度か行ったことがあるから」
「じゃあ行こうか。道案内よろしく」
クジョウは先んじて歩き出すと、路地から出ていく。その背を追って、アンも歩き出す。
食事処【時雨】。
『ハンターズ・スクール』の『ある講師』がよく顔を見せる、東方の茶屋をモチーフにした店の名前だ。アンもその講師に連れられて何度か訪れた事がある。
入口には暖簾が掛けられており、入口にベンチが一席置いてある。そこで緑茶や茶菓子を嗜むことも可能だ。
中もこだわられており、畳が敷かれた座敷に背の低い机が置いてある。机の下は掘り下げられており、いかにもな意匠になっている。
店員は東方の着物に身を包んでおり、草履という履物まで履いていて、どこまでも徹底している。
そんな喫茶店に二人は到着した。
「にしても、ここまで凝ってると凄いな」
感嘆というよりは呆れたように呟くクジョウ。
「実際もこんな感じなの?」
「まあ、無いことは無いけど・・・。ここまで徹底している店はあんまり見ないかな」
本場より本場らしい喫茶店の暖簾をくぐると、結構繁盛しているのか席は満席だった。
クジョウは中を見回し、首を傾げた。
「どうしたの?」
「・・・探していた人がいないんだ。時間は守る人だったはずだけど」
眉を顰めたクジョウはしきりに周囲を見回す。
「多分、個室に居るんじゃない?二階が個室になっているから」
「へー、そうなんだ・・・。でも、大丈夫だよ」
クジョウは言いながら、何故か外に出る。
今度はアンが首を傾げながら、その後に続く。
どうしたのか訊こうとするが、口を開く前にクジョウは道のん中で立ち止まる。だが振り返ることなくその場に立ち尽くす。
サァァァァァァッッッッッっっっっーーーーー!!
異様な威圧感が辺りを埋め尽くした。朝、メラスの群れと対峙した時とはまた違った威圧感だ。メラスの群れが恐怖での支配なら、これは慈愛に満ちた保護だった。
声を掛けていいものか逡巡していると、突如日が翳る。だが不思議に思って空を仰いだ時には日が差していた。
突如、空を仰ぐアンの耳に打撃音が鳴り響いた。
驚愕の声が口から漏れ、咄嗟に視線がクジョウに向く。
そこには、黒髪を風になびかせながら踵落としを加える女性と、その蹴りを頭上で両腕を交差させて受け止めるクジョウの姿があった。
「なっ!?」
驚愕したのは単にクジョウが襲われている、だけでは無い。
彼を襲っている、店員に似た服装を肉抜きにした着物を身に付けた黒髪長身の女性についてだ。その女性は、宙で一回転すると地面に着地する。
「あなたって人は・・・いきなり何してるんですか?龍神先生」
頭に手を当てて、一人呆れた声を漏らす。
この女性の名前は龍神睦月。
人間と友好関係を築いている唯一の他種族である竜神族だ。そして、彼女は『竜神銃三士』の一人でもある。剣の腕は一流で、神威流と呼ばれる東方の流派を修めている。齢は三桁に届くらしいが、それでも時折見せる笑顔は無邪気なものだ。そんな睦月は『ハンターズ・スクール』の非常勤講師でもある。その睦月に連れられて、この食事処に何度か訪れたのだが・・・、
その睦月は、クジョウに拳や蹴りを繰り出しており、クジョウはそれを危なげなく躱している。
さて、これは止めるべきなのだろうか?
襲われてはいるので止めた方が良いのだろうが、この二人、顔にうっすらと笑顔が浮かんでしまっている。となると、積極的に止めたいとも思えなくなってしまう。
だが、それはそれ。傍から見ればじゃれている様にしか見えなくとも、完全に置いてけぼりを食らっているアンにはそんなもの関係ない。
「いつまで、そんな事やってるんですかーーー!?]
かろうじて敬語?を保つと、励装の補助全開で、未だ攻撃を繰り出す睦月の背中へと飛び蹴りをかます。
が、腐っても『竜神銃士』の一人。
一切後ろを見ることも無く、体を横にずらすと、その蹴りを華麗に躱す。すると当然、相対していたクジョウにその蹴りが飛んでくる訳で・・・
「ちょっと躱さないでよ!?」
「わっっ!ちょっと待っ----」
クジョウが言葉を言い切ることは無かった。
激しい衝突音と共に、体勢を崩したアンの体がクジョウの体にぶち当たったのだ。そのまま二人は転がるようにして道を横切ると、向かいの建物にぶつかって静止する。
「いててて・・・大丈夫?」
自らもアンの体を受け止めて、アンが建物にぶつからないように抱き止めているのに、それでも九条は上に乗っかる形になっているアンを心配していた。
「私は大丈夫だけど・・・ッッっっ!?」
何やら、九条の上に乗っているアンは顔を紅潮させ、声が上ずっていた。
「・・・どこか打った?」
「うっ・・・うるさい!何でも無いわよ!」
心の底から心配して尋ねたのだが、少女は怒りに頬を染めて顔を逸らすと、一発顔面に拳までお見舞いされた。
確かに、抱き止めずに躱した方が、彼女も綺麗に着地できたかもしれないし、怒られて当然なのだろう。自分の実力を甘く見られる事は、彼女の様にプライド高い人物には屈辱だったのだろう。実際は、スカートで男性に飛び蹴りをかましたことや、男性に抱き止められた事が動転の理由なのだが、九条にはそこまで頭は回らない。
アンは九条の上から退くと、こちらに一瞥もせずに龍神の方に歩いていく。アンが退いた事でようやく立ち上がる九条は髪を掻き上げると言い争っている・・・というより一方的にまくし立てるアンと、それを暖簾に腕押し糠に釘、といったふうにどこ吹く風で受け流す睦月。
見ていて微笑ましい気もするが、残念ながらそんな時間は無い。
「そこまでにしなよ、アン。この人に悪気があったわけじゃ無いだろうからさ」
まくし立てているアンを睦月から引きはがすと、どうにかなだめすかす。
「そうだよ、アンちゃん。顔もそんなに紅潮させちゃってさ。そんなにウチの倅の腕の中は心地よかったのかな?」
「なっ・・・そっ、そんな事あるわけないじゃないですか!」
「それに僕はあなたの『倅』じゃ無いんだが?睦月さん」
「そんな悲しい事言わないでよ~。災禍ちゃんは照れてるの~?」
そんな事を言いながら、九条の頭に手を当てると、成長した我が子でも見るかの様に温かい目で眼差しを送る睦月に、本気で嫌がる素振りは見せず、こちらも親の愛情を恥ずかしがるような、そんな感じだった。
----だけど、僕にはそんな権利は無い。こんな眼差しを向けてもらえる資格なんて無い。だって僕は----
「何ムズカシイ事考えてるの?顔が怖いよ」
「もう良いでしょう。この手を退かして下さいよ」
「反抗期なのかな。まあ良いか、たまにはそんな時もあるよね」
手を跳ね除けると、睦月は殊更悲しそうに言って悄気返る振りをする。
「で、ここで話すのかい?僕は中に戻った方が良いと思うけど」
周囲に目を向けてみれば分かるが、周りの目はこちらに向いていて、注目を集めているのはひと目で分かる。
そんな中で、『あの話』はしてもらいたくはないので、店の中に戻る様に促すと、睦月に似合わずあっさり引き下がった。それを若干不気味に思うが、言うことを聞いてくれる分には問題ないので、一緒に中に戻る。




