生産性のない私と、愛した彼女
こんな女子大生が居たらいいな
私と桃子は大学構内のカフェテラスでケーキをつついていた。私の前にあるのは小さなイチゴのショートケーキ、桃子の前にあるのはチョコレート・ケーキだ。今時は食品も科学によって生ゴミを色々と操作して作られたりしていて、私の前にあるケーキの上に乗っかっているイチゴも実際そう作られたのだが、天然物と何が違うのかは私にはよくわからなかった。それなのに天然ものの方が何倍も高いのだから人間とはわからないものだ。
時折私たちの隣を通り過ぎていく店員代わりのロボットを横目に、小さなトングで角砂糖をつまんで紅茶へ落とす。赤い液体に小さな波紋ができるのを見ながら砂糖の入っていた容器に蓋をした。
「……私もチョコレート・ケーキじゃなくて陽菜と同じショート・ケーキにしとけばよかったわ」
しばらく黙々とケーキを食べていると、口の端にチョコレートを付けたまま桃子が口を開いた。
「どうして? チョコレート・ケーキも悪くないと思うけど。……あと、口にチョコが付いてるわよ」
私がそう教えると桃子は丁度通りがかったロボットの側面に取り付けられていたお手拭きを一つ抜き取り、それで口を拭った。
「呼び止めればいいのに」
「時間の無駄よ、注文するわけでもないんだし」
「お里が知れるわよ」
「減るものじゃないから良いのよ」
「そういう問題じゃないでしょう」
「それに、いまここには私の親友しかいないんだし、どうしてそんなこと気にする必要があるのかしら?」
臆面もなくそう言ってのける桃子に、思わず赤面してしまいそうになる。桃子のセリフが親友では無くて恋人へと変わってくれることを願うが、その機会が訪れることはおそらくないだろう。今まで桃子と一緒にいて私と同じ人種で無いであろうことはすでにわかっている。
「そう言えばあのロボットって『ロボット同好会』が作ったんだったっけ?」
桃子が紙のおしぼりを机に置いて言った。
「確かそうだったはずよ」
ロボット研究会は私たちの通う大学にあるサークルの一つだ。活動内容は名前が示す通りロボットを研究し、開発することで大学構内にはこのサークルが作ったロボットがいたるところを駆け回っている。正直なところ邪魔でしょうがない。少し前にはお掃除ロボットが大きな石を吸い込んだのかすさまじい音を立てながら左右に大きく揺れながら走っていた。
「正直、無駄よね。あれなら普通の券売機でも良いし。わざわざあのロボットが机の近くに来るまで待たないと注文できないっていうのが馬鹿みたいじゃない?」
「まあそういわないの、そういう一見無駄と思える発明から何か画期的な考えが生まれるかもしれないでしょ」
咄嗟にフォローしたものの、私もあの発明から何かいいものが出来上がるとは到底思えなかった。
「無理だと思うけどね」
「……ところで、どうして急にショートケーキの方が良いって言ったの?」
私がそう問うと桃子はケーキの一片をフォークに突き刺して私の顔の前に差し出してきた。
「これを一口食べてみれば分かるわ」
「……」
ここで私がこれをこのまま食べてしまえば間接キス成立である。
私と桃子が同性である以上気にする必要はないのだろうが、相手が桃子であるから少しだけ躊躇してしまう。それは私が桃子を嫌っているからというわけではもちろん無くて、むしろ好意からくるものだと理解していただきたい。
今、私の精神の深層から語り掛けてくる声はそれをそのまま――つまり、桃子が一度口に含んだそのフォークを自ら口に含んで――ケーキごと桃子の唾液を体内に摂取しろと、そう告げている。
しかしながら精神の上層、つまり表面に露出している私の精神はそれを食べることで起こる私の感情の昂ぶり、それによって起こるであろう現象――つまりは桃子に対する変態的行為――を懸念し、一度桃子のフォークからケーキを分離させることで桃子の使っているフォークを直接口腔内に侵入させることを防げ、とそう告げている。だがこの行為はある危険性を孕んでいることを私は見抜いていた。それはこの行為によって桃子が私に嫌われているのではないかと誤解してしまうことだ。仮に考えていただきたい、友人にフォークで刺した食べ物を何気なく差し出したときにその友人が露骨に自分のフォークを避けてきたら――その友人が自分のことを嫌っているか、若しくは嫌われていなくとも自分のことを好いていないと考えるに相違ない。そう考えると今私がこのケーキをフォークから分離させて食べてしまうのは悪手と言う他ない。
だが、精神の深層の声を鵜呑みにしてこのケーキを何の策もなく口にした場合、まず間違いなく私は興奮を隠しきれずに桃子のドン引きを誘うことであろう。そうなった場合もう桃子は私を何かに誘ってくれることはないだろう。
つまり、今現在の私は桃子に嫌われるか、或いは桃子を私が嫌っているという誤解を桃子に植え付けるかの二者択一を迫られているのだ。
「……おーい、どうしたの? 急に固まっちゃって」
どうやら少しばかり思考に時間を割きすぎていたようで、桃子に心配の声をかけられてしまった。
「え、ああ、ちょっとぼーっとしてたわ……ゴメン」
「別に謝るほどのことじゃないわよ」
どうやら桃子は気にしていないようであった。そのこと自体僥倖ではあるのだが、私はあることに気が付いてしまった。
「あれ、ケーキは?」
「え? ……反応が無かったから食べちゃったわ。もしかして食べたかった?」
なんということであろう! 一瞬思考に気を取られていたことで千載一遇のチャンスを私は逃してしまったのである。
私が深い絶望に打ちひしがれていると、桃子が何かを察したのか先ほどのお手拭きで口をふいて私の顔を見た。
「でもま、食べなくて正解だったわよ、あのケーキは。チョコレート・ケーキっていうよりはカカオ・ケーキって名前にした方が合ってるんじゃないかと思わせるような味だったから」
「甘くなかったってこと?」
「そう。時々カカオ90パーセントとか書かれたチョコが売ってるじゃない? あれをそのままケーキに使ったみたいな味。まあ好きな人は好きかもしれないけどね……あんまり一般受けするようなものじゃないわね」
たとえ味がどうであれ、桃子のフォークを使って食べたのなら私にとっては至上の甘露になったであろう。
「ま、気になるなら今度自分で注文してみることね。おすすめはしないけど」
「……遠慮しておくわ」
私が気になるのは桃子のケーキだけである。そう考えた瞬間にふと、天才的な考えが私の脳内をよぎった。
今、桃子の口の中は苦みに支配されているに違いない、そして私たちは甘味を求めてこのカフェに来たのである。そのことを考えれば桃子は今、甘いものを求めているはずだ、それも相当に。そのことを考慮すれば今私が自分のケーキを桃子に分けてあげることはなんらおかしいことではないはずだ。つまり――今なら自然に桃子にあーんができる!
「ね、ねえ桃子」
「ん?」
桃子は口直しのためか先ほどから何度も紅茶を口に運んでいる。これも甘いものを求めているからであろう。
「良ければ私のケーキ、口直しに一口食べる?」
私のセリフになんら不自然な場所はなかったはずだ、なので桃子がこれを断る道理はない筈である。
「え、いや流石に悪いわよ」
「良いの良いの、私は桃子に食べてほしいのよ」
おっと、思わず本音が少しばかり漏れてしまった……まあ、この程度不自然ではないだろう。
「じゃあ、一口頂いちゃおうかしら」
私のもくろみ通りに桃子は申し訳なさそうな顔を浮かべながら言った。
「じゃあ口、開けてくれる?」
「分かったわ」
イチゴのショートケーキのできるだけ私のフォークに侵食されていない部分を選んで切り取って持ち上げた。
「はい、あーん」
「あーん」
努めて平静を装う私の脳内はピンク色に埋め尽くされていた。目の前では桃子が私に向けて口を開いている、許されるのならここに私の唇を押し付けてやりたいものではあるのだが――さすがにそのようなことをしてしまえば桃子の心証を悪くしてしまうどころか私の大学生活が終焉を迎えてしまうこととなるだろう。
今まさに私のフォークを桃子がその口に咥えようとしている。そう考えると自然鼻息が荒くなる、桃子に気づかれてやしないだろうかと我ながらひやひやした。
しかしながら桃子はそんな私の内心に気付く様子はなく、ケーキの一片とともに私のフォークを口に含んだ。
「うん、やっぱりケーキは甘い方が良いに決まってるわよね――苦いケーキなんて一体どんな人が好んで食べるのかって話よ」
桃子に食べさせたこのフォークを今すぐにでも嘗め回したいところではあるのだが、そう露骨に行動に移しては妙に感じられてしまうだろう。
「とりあえずそれを作った職人は好きな味なんじゃないかしら」
「ま、確かにね――」
私がフォークを片手に弄りながら悶々としていると、今まであちらこちらと動き回っていた桃子の目線が唐突に私の顔を正面から射抜いた。桃子は相変わらずきれいな顔をしている。
「でも、一つ良いことがあったわ」
「良いこと?」
一体それが何なのか私はわからず、考えていると桃子は微笑とともに口を開いた。
「陽菜にあーんしてもらえたことよ」
私は赤面した。
反応が合ったら続くかもしれない。