第五話 母と子と……
重い話です。
その夜、深夜零時を回った頃。一八氏がやえに電話をかけてきたらしい。
らしい、というのも、かなり後になってからその事実と話の内容を聞かされたためで、なおかつ、その時の話の内容を祖母が語ることを、ためらうような内容であったせいではあるが。
『もしもし、オレオレ! お袋! 俺だよ!』
現在なら一発で通報されるようなセリフから、十一年振りの母子の対話は始まった。
「まったく、相変わらず知性の欠片も感じない話し方だねぇ。大体想像はつくけど、何の用だい?」
『今日、そっちに女の子が尋ねていったろ?』
「ああ、あんたの紹介状とやらを持って現れたよ。でもね、『あとはまかせた』なんてのは、端折り過ぎじゃないかい。5W1Hはどこにしまい込んじまったんだい。まったく!!」
『実のところ、一緒に東京に置いとけない程、超やばいんだよ。あの子の母親が、自殺したって話は聞いたか?』
「一応聞いてはいるよ」
『その時、一緒にいたあの子に、母親殺しの疑いがかけられている。もっとも、それを言い出したのは、五堂組っていうヤクザの親分なんだけど。今、あの子の身柄を拘束するために、警察のコネを利用して、容疑者扱いさせて、警察官にさがさせているんだ』
「ちょっと待ちな。一体何の話をしようってんだい?」
『あの子の母親、アンジュってんだが、彼女が会社を倒産させてから、数件の債権者が時価十億円の借金を返せと迫ってきた』
「まぁ、道理だね」
『ところが、アンジュは死に、会社は継ぐ人間も居ない。このまま廃業になると、借金は全てなくなる。そこで、五堂組の舎弟企業が債券を買い叩いて自分たちのものにした。十億円の返済を受ける権利を一千万円でな。璃々の相続放棄が成立すれば、そんなもん払わなくていいんだが、悪いことに、裁判所に圧力をかけて、債券放棄の妨害をされている。このまま債券放棄が却下されると、璃々が何としても十億払わないといけなくなる。ヤクザの金づるになった若い女がどんな扱いを受けるか、あんたなら良く知っているだろ?』
「するってぇと、何かい? 警察や裁判所はヤクザもんの下請けになって璃々を捕まえにくるってのかい?」
『本土じゃ、こんな案件珍しくもないけどな。ま、そっちの心配は、いくつかフェイクを仕込んで璃々に手出しさせないように根回ししてるけど、仕掛けが効いてくるまで一年位かかる。その間璃々のことを匿ってほしいんだ』
やえは、考えこんだが、すぐに腹を決めた。
「わかった、璃々のことは、まかしときな。神童もあの子のことを気にしてたし、悪いようにはしないはずさ。それにしても、あんたのモチベーションの原動力が何なのか、知りたい所だね。また、何か悪さ考えてんじゃないだろうね!?」
『……これでも、アンジュのこと、愛してたからな。璃々のこと、くれぐれもよろしく!』
ガチャンと、電話はきれた。
「ふん! 少しはましな生き方してるようだね。人の親はともかく、男の顔するようになったじゃないか。顔、見えてないけどね」
やえはひとりごちて、受話器を置いた。
その夜、
{ママ、ママ、死なないで! こっちへ戻ってきて!!}
璃々は悪夢に魘されていた。
「璃々、ごめんね。ママ、限界みたい。もう……疲れちゃった」
同じ場面を何度も何度も繰り返すだけの夢。
「ママ!! ママ!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
どん!!!!
ベランダの柵を越えて飛び降りる母、たった、それだけのことで、人は死ぬ。
そんな、救いのない事実を何度も繰り返し追体験させられる。
「ままは私を捨ててまで、楽になりたかったの? 私がいけない子だったの?」
自覚もある。
ここ一年程は、母親の顔を見るのが怖かった。
あれ程優しかった母が、ずっと笑顔を見せていなかった。
時には、八つ当たりの暴力を受けたこともある。
それでも、全てがうまく行けば元通りになると、信じていた。
いつしか、母の邪魔になってはいけないと、話しかけなくなった。
いつのまにか、知らない男が家に来て母と寝るようになった。
邪魔にならないよう、家にいる時間も短くなっていく。
もう、いつから話をしていないか分からなくなってきた。
そうして、やっと、母と会話できる機会が訪れた。
そう、思っていたら……
母はこの世を去った。
私を置いて。
その日から、その時の光景を繰り返し、繰り返し、夢に見るようになった。