第三話 温泉天国!
待望の温泉回です。お楽しみに。
「ああ、いいよ。行っておいで」
という、意外にも肯定的な台詞に送り出された二人は、近所の「温泉保養センター」へと行くことになった。
正直、璃々は、こういった公共の銭湯や温泉施設への免疫がない。
と、いうより、母親以外の人と一緒に風呂に入るという経験が全くないのだ。
「も、もちろん、男女別々よねぇ?」
「はぁっ? いいじゃねぇか、まだガキなんだし、一緒でも!」
実は一つ誤解がある。二人は同学年の同い年である。
璃々の体は、歳の割に小柄である。この時点での身長は138センチ程度、体重は32キロという小柄さであり、一方俺、神童は、逆に歳の割にガッチリした体型で、身長155センチ体重55キロ、体脂肪8.4%という細マッチョ体型である。つまり、璃々のことは可愛さはともかく、年下だろうと思っていた、俺からしたら小さい子の面倒を見てあげているつもりでいたのであった。
璃々からしたら、自分の裸見たさにとんでもない提案をされている気がするのだが、相手は一向にそれを気にしている素振りすらない。女子として、すごい屈辱である。
「それに、裸の付き合いで、腹を割って話したいこともたくさんあるからな!」
「温泉保養センター」は、神童の家から200m程先にある。
当時は、波打際の大露天風呂があるだけで、あとは仮説の脱衣所があるだけであった。
一応、利用料は大人800円、子供400円となっているが、島民は無料で利用できる。
もっとも、集落から来るとなると、バスで来る程度の距離なので、週末ならともかく、平日に利用しようとする者は、近所の何件かしか無いのだが。
ちなみに、観光客は、この時間食事中である。彼らは、もっと遅い時間にやってきて、大人の社交場代わりに利用するようである。
閑話休題
覚悟して、脱衣所に入っていった璃々は、神童の待つ露天風呂に顔を真っ赤にして乗り込んできた。
胸と腰をタオルでがっちり武装して。
「なによ! ここ、水着着用じゃないの!!」
「あれぇぇぇっ、言ってなかったっけー」
すっとぼけた。
「まぁ、腹を割って話したいってのは、本当なんだけどな」
お楽しみの方は後にとっておこう。もうすぐ秘密兵器が到着する頃だし。うひひ。それよりも、
「もう一度確認するけど、あのバカ親父の養女になるんだよな?」
「ええ、正確には、一八さんがうちのママの婿養子に入って私と親子になった訳なんだけど」
「母親はどうした?」
すると、璃々は、船の上で見せた憂い顔になる。
まずいこときいたか?とも思ったが、家族になる以上、避けては通れないだろう。
「自殺したの……私の目の前で」
「一八さんと入籍した翌日だったわ。私たち家族は、麻布十番のタワーマンションに住んでいたんだけど」
これは、びっくり! セレブってやつか?
「元々ママの仕事がうまく行ってなかったの。一八さんは、軽薄で調子いいことばかり言う信用できない人だけど、ママからしたら、そういう所が救いになっていたのかもね。だから、結婚に反対ではなかったし、感謝もしているの」
「へぇ。あのバカ親父がねぇ」
「だけど、完全に手遅れだったの」
つまり、聞いた話としては、こうである。
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元々、麻布十番に住んでいた橘家は、マンション計画に乗っかって自宅を売却。代わりとして、建ったマンションの二軒分を持分として、片方を月100万円で貸して生活をしていた。
璃々の母親、橘 アンジュは、フランス人の父と日本人の母との間に生まれたハーフであったが、結婚を両親に反対されていたため、母親が引き取り、日本で育てていた。
幸い、祖父の残した財産のおかげで生活に困窮することは無かったが、アンジュは、娘に働く自分を見せたいとおもっていたのであろう。確固たるイメージを持たぬまま起業したらしい。
まず、始めたのは、フランチャイズチェーンのアイスクリームショップであった。場所柄、これはそこそこヒットしたらしい。すると、当時の銀行が、色々と投資話を持ち込んでくるようになる。
まずは、店舗の土地を担保に、二号店、三号店がオープン、その後は、バブル期に突入したこともあって、土地の手当てがなくなると、次は金融商品の紹介。株や金、債券に始まり、最後には、馬主の資格を取り、競走馬の投資話と手練手管を使い、アンジュの会社から、資金を絞り出していった。
問題となったのは、競走馬を購入した際のやり方のまずさであった。
競走馬を購入するには、主に、牧場に行って直接購入する「庭先取引」と、年に数回のオークション形式でセリをする「市場取引」の二種類がある。
それに先立って、所属する馬主協会が推薦する馬を数頭購入しなければならないのだが、これが、揃いも揃って走らない。連戦連敗はまだ良い方で、中には、一度もレースに出られないまま肉屋へ直行という馬もいるというありさま。悪いことに、アドバイザーとなった馬喰も、銀行が紹介したほぼ素人の新人で顔がきかない。年間一億円の予算で馬主をと思っていたところ、あっという間に予算の半額を使いはたし、一か八かの逆転を「市場取引」にかけ、強い馬を購入しようと試みた。
ここで、アンジュは二つのしてはいけないことをしでかした。
一つは、予め預託する調教師にお願いをしなかったこと。これまでにも数人の調教師に委託していたものの、こういった場には、調教師か、その代理人を連れていかなければ、せっかく買った馬を面倒見てくれないという事もあるのだ。特に当時は競馬ブームの始まりで、調教師の力が強く、金を払う馬主が、金を受け取る調教師にペコペコ頭を下げることが当たり前の風潮があった。
にも、関わらず、どの調教師にもお伺いを立てずにセリの当日を迎えてしまったのだ。
更に、いま一つは、彼女が狙っていた馬が、大手牧場、大物馬主、一流調教師の三者で談合して、購入後のスケジュールが出来上がっていた馬であったこと。件の馬は、「市場取引馬」というカテゴリーで、
必ずセリに出品し、そこで落札されなければいけないときめられている馬である。しかし、生まれた際に牧場で見初めた大物馬主が、約一年半の間に関係各所へ根回しをして、自分が購入する予定であることをロビー活動で周囲にアピールしていた。
こういった馬は、セリに出品されても、他の馬主は、横取りしないことがマナーであるし、まともなアドバイザーがついていれば、それはしてはいけない事だと諭すことができるはずだ。
しかし、不幸なことに、まともでないアドバイザーしか着いていないアンジュは、これらの常識を知らずに競っていってしまう。
結局、大物馬主とアンジュの一騎打ちとなり、価格が高騰する中、来年分の予算までつぎ込んだ結果ついに、アンジュが競り勝ってしまう。
怒りの収まらないのは、大物馬主である。彼は毎年40頭近くの馬をあちこちの調教師に預けている大物で、アンジュの預託厩舎の調教師にも顔がきく。彼は、報復として、アンジュが購入した馬を預かる厩舎が無いように、圧力をかけてきた。当然、逆らえば、大口顧客を無くす厩舎側は、この申し出に逆らえるわけもなく、結果、大枚はたいて購入した馬は、行き場を失ってしまった。
それでも、予め誰かしらの調教師に声をかけてセリに挑んでいれば、預かろうという人も居ただろう。
結果、賞金の高い中央でのデビューは叶わず、地方競馬でのデビューとなるが、元々が芝馬であり、ダートコースの地方競馬では実力を発揮できず、約一億円の値で落札された件の馬は、獲得賞金六万円で競争生活を終えた。
更に、件の大物馬主は、本業が不動産屋であったのだが、その仕事振りは、典型的な地上げ屋であった。まず、アンジュのアイスクリームショップの地主から、土地を買い取ると追い出しの為の嫌がらせを開始。周囲に迷惑を振りまき、アイスクリームショップは、結局全て撤退となってしまった。
それで、復讐終了とならない程、大物馬主の方も執念深く、次は、撤退による経営危機をアンジュの会社のメインバンクに御注進し、銀行融資を引き揚げさせ、さらには、知人の税務署員を利用し、査察に入らせる。些細なミスに因縁を付けさせ、多額の追徴金支払を命じられ、心身共にボロボロにされ、アンジュの会社は倒産した。
最初、この大物馬主の方も、ここまで徹底して貶める気は無かったようである。アンジュを愛人にでもして、適当なところで手打ちにしてやろうと思っていたらしい。しかし、プライドの高い彼女は、屈することを良しとせず、また、このころ出会った一八氏に入れ込み、男としては、全く認められていなかった大物馬主が嫉妬に狂い、落とし所を見失ったゆえの悲劇である。
もっとも、この話の詳細は、ずいぶん後になって判明した事実が多く、この時点では、璃々の母アンジュが、心身とも衰弱した状態で自宅マンションから飛び降り自殺したということが語られたそうである。
余談ではあるが、件の大物馬主氏も、バブル崩壊による景気悪化により破綻し、この件から十年を待たず自殺して最期を遂げた。人を呪わば穴二つである。くわばらくわばら。
~ジョー=コッカー記す~
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「と、いうわけで、ママは、私の目の前で飛び降り自殺したの……」
「う~ん。おまえも、辛い人生を送ってきたんだなぁ」
しみじみと、知ったふうに言う俺。軽く聞いたつもりが、想像以上にヘビーな身の上を聞いてしまった。抱きしめて慰めようとしたら、さっと、体を引かれて空ぶりする。
「おまえ、俺の妹になるって言っていたけど、実は、それは無理なんだ」
「へ? 私と兄弟になれないって、どういうことかしら?」
「簡単な話で、俺は、戸籍上、桜田 一八の子供じゃないからだよ」
つまり、
「俺は、小さい頃にばあちゃんの弟の所に養子として出されているんだ」
元々、桜田の家は、祖母、やえの実家であり、祖父 源一郎は婿養子である。そして、本家を継いだのが、やえの弟で周作となる。そして、神童が、本家に養子として出されたのには理由がある。
「俺は親父が島の外の女に産ませた子供だから、半分島民以外の人の血がながれている。ここまではいいだろうか?」
璃々は頷く。
「この島の住民は、1800人位だけど、人の出入りは多くないから、島民の粗方は血の繋がった親戚みたいなものなんだ。島の中だけで結婚を繰り返すと、島民の血が澱むことになる。ばあちゃんは、島の住民だけど、じいちゃんは、他の島から来た婿養子で、その子の子が半分外の血であると。つまり、俺の血は75%が余所者の血でできてることになる」
なんとなく、理解できるような、理解できないような、こんがらがって璃々の顔は眉間に皺が寄っていた。
「だから将来、本家に種馬として入っていろんな女と子供を作らなきゃいけない。そうしないと、島の血統が飽和状態になって将来島の人たちは澱んだ血の人ばかりになる」
「なんか、男に都合のいい話ね」
「人ごとじゃないぞ。お前もこの島に住み着くなら、いろんな男と子供を作るように強要されるかもよ?」
一瞬、そんな光景を想像してしまい、ブルっとしてしまった。
「まぁ、慣れてしまえば、この島も悪くはないよ。慣れるまでは、ばあちゃんも容赦しないだろうけど」
「慣れるまでって……。それに、この島のいい所って?」
「まず、ひとつめ。そのまま湯船に浮かんで上みてみな!」
言われた通りに湯船にあおむけで浮かび天を見上げると……
「うわぁーっ」
夜空には満天の星の海。
「すごーい!! 天の川、初めて見た!!」
この露天風呂は、近くに光源が無いため、湯船に浮かぶと、丁度全天がプラネタリウム宜しく天上だけ見える、天体観測の穴場である。
すごーい、すごーい、と笑顔で足をばしゃばしゃバタ足する璃々は、歳相応の笑顔を島に来て初めて見せた。あまりばしゃばしゃするので、タオルがほどけて見えそうであるが、指摘するのも野暮である。
金髪の少女が満天の星空の下ではしゃぐ姿は、まるで天使のようだ。
「なぁ、やっぱ、おまえも俺の嫁にきて、俺の子供産んでくれよ!」
と、声をかけると、
「ええっ? ヤダぁ!」
と返してくる。その笑顔だけでご飯三杯はいける。
二人はこの島に楽園を感じていた。
すぐ、そばに恐ろしい刺客が迫っていることに二人は全く気づかずにいた。