勤労青年の起業日記
俺たちは雇われ人だ。雇い主は、ジョン・スミス。いわゆる、いかにもな偽名だ。俺たちは、何らかの事情で本名を隠しているのだろうと思っている。
仕事の目的は、よく解らない。儲けが出ているように見えないのに、雇い主は給料を払う。雇われ人は俺を含めて三名。全員が俺と同じ給料とすれば、かなりの出費だ。
「こっちの書類整理しておいて」
俺は言われた通りに整理をする。どこぞの村で、ミノタウロスからの被害が多くなっているとの陳情書。他にも、秋の実りをすべてオークに盗られてしまったり、野良インプに陰鬱な夢を見せられたり。
「マスター、また不履行」
俺はミノタウロスの事案をマスターに渡す。何を考えているのか、マスターは常々「働きたくない。だから人に働かせて、俺は楽をする」と言っている。
それで行っているのが派遣業務だとか。流れの傭兵を雇い仕事に行かせて、仲介金を取る仕事。仲介金なんて雀の涙、一人分の給料にもならない。意味が解らない。しかし給料が出る以上は文句を言わない。
「また? まあいいや。これで一組確保だ」
契約の不履行には、違約金を払うか、一定額に達するまで俺たちの子飼い傭兵になるか。違約金は、払えるような金額を設定していないので、間違いなく子飼いの傭兵になる。これで通算五組目。日々の生活費はマスターが出している。馬鹿じゃなかろうか。
「今は赤字でも、すぐに黒字転化するから大丈夫。しかし、子飼いの傭兵ってあれだね、感じ悪いね。俺たちの仕事も派遣業って解りにくいよね。俺たちの下に付いた傭兵は、冒険者と呼称しよう。伝統ってやつだね。それで、俺たちは冒険者ギルドってことで」
「伝統? 冒険者ですか。でも、やってることは魔物退治ですよね。いわゆる傭兵と何が違うのですか?」
横で整理していた女が声を出す。俺の同僚で、職場の紅一点。マスターと同じ人間で、どうやらマスターに好意を持っているらしい。なら、さっさと行為をすればいいと思うが、マスターが逃げ回っている。軟弱だな。
「今はないけど、そのうち魔物退治以外にも色々と手を出すよ。旅商の護衛や遺跡探索の仕事をしたりね。何でも屋っていう方が近いんだけど、やっぱりね。冒険者の方が格好いいよね」
なにやらマスターにはこだわりがあるらしい。よく解らない。
「じゃあ、一人は俺と一緒にミノタウロス退治、一人は僕と一緒に傭兵を追いかけよう。一人は私と一緒にお留守番ね」
はじめにこの言葉を聞いた時、可哀想な人なのだと思った。しかし、どういう理屈か、分身して本当に三箇所同時に存在している。もちろん、触れられるし、戦いも出来る。強さが三分割されるらしいが、それでも魔竜(注:竜種最強の個体。ブレスを吐くものをいう)くらいは狩れるらしい。本当に人間なのか、疑わしい。
マスターはサクッと三体に分身して「俺はジョン」、「僕はハンス」、「私はタロウ」と名乗った。これもいつも通りだ。
「はい、私ミノタウロス行きますっ!」
紅一点が元気よく宣言。全員同じだというのに、いつもジョンと名乗ったマスターと一緒に動きたがる。しかしお前、ミノタウロス退治に付いていって大丈夫か。
「では、俺が傭兵」
俺が志願して、残りの従業員であるひょろ長い男が居残りとなった。これもいつも通り。
「じゃあ、早速行こうか」
四人が事務所になっている建家を出て、さらに二手に分かれた。傭兵たちもマスターが魔法で目印を付けているので、見失う心配はない。マスターによると、隣町に向かっているらしい。おそらく、俺たちから逃げているのだろう。
私はマスターと一緒に旅をしながら、いつも通りワクワクと期待に胸を膨らませている。今回は目的地が少し遠く、行くだけで二泊かかり、向こうで一泊する予定らしい。つまり、五回も襲う機会がある。
「ねえ、マスター」
「何かな?」
「マスターの分身って、すべて繋がっているんですよね?」
「そうだよ。厳密には一つの脳で管理しているから、制御が大変なんだけどね。まさに自分が三人いる状態だから」
「じゃあ、マスターと一緒になれたら、夜は三人がかりで相手してもらえるんですね! ああぁ、私も繋がりたい」
マスターが、書類の上にお茶を吹いた。
「マスター、大丈夫ですか?」
「う、うん。ごめん。ちょっとね」
おそらく、いつもの通り、あの子がお馬鹿な発言をしたのでしょう。馬鹿な子ほど可愛いとは言いますが、あれはちょっと変態じみています。
「マスター、一度ビシッと彼女に言っておく方が良いのでは?」
「あー、うん。でもねー」
煮え切らない態度です。マスターも憎からず想っているのでしょう、きっと。だとすれば、何も言うことはありません。
「きつく言うと、それだけで喜んで悶えるんだよ。疲れるというか、勘弁して欲しいというか」
ならばどうして彼女を解雇しないのか、不思議で仕方がありません。
三日目の夕方ごろ、ミノタウロスに襲われた村に到着した。夜、マスターを襲おうとしたら、痛みも快感も得られない縛り方で捕獲された。手首に形も残らない。もっと上手に縛って欲しかった。
「まずは村長さんに挨拶だね」
マスターは普段通りの様子で、仕事を進めようとする。それより私との仲を進めて欲しい。
「村長さんの家は、あっちだそうです。案内します、行きましょう」
事前に調べておいたので、道案内は容易い。ふふふ、役に立つ女を見せつけますよ。マスターは私の案内に従って、村長の家に着いた。お屋敷と言うには小さく、家と呼ぶには大きい。何とも微妙な大きさです。
さっそく挨拶をして、村長さんに説明します。傭兵、じゃなかった冒険者たちはここまで来て戦ってから逃げたそうだから、村長さんも次の傭兵は来ないだろうと諦めていたそうです。諦めたらそこで終了ですよ。
「俺が退治しますので、ご安心ください」
「しかし、武器はどこに?」
「え? これですよ」
マスターは、手元の棒を見せる。どう見ても、ただの棒だ。
「村長さん、マスターはこう見えて凄腕の棒使いなのですよ。炎が飛んできても棒を回転させて消してみせたり、逆に棒の先を地面とこすって摩擦で炎を出して投げつけたり。超火炎なんとかって名前を付けて。魔法で炎を出す方が楽なのに何を考えているのかと思いますが、凄いのは間違いないです」
「お前、ちょっと黙れ」
マスターのこめかみに青筋が立っている。褒めたのに。
「お強いのでしたら、文句はありません。よろしくお願いします」
村長さんの大人な台詞にマスターが笑顔で応じる。なんと可愛い笑顔だろう。食べちゃいたい。
そして翌日、私はマスターに引っ付いてミノタウロスの棲家へ向かった。洞窟に棲んでいて、中に入ると腐った肉の臭いと、酸っぱいような臭いがする。
「危ないから、きみは下がってなさい」
「大丈夫です! マスターが守ってくれますから!」
「いやそれ、偉そうに言うことじゃないよね……」
マスターはそれ以上の問答はせず、黙って歩き出した。こういう時、マスターは折れるのが早い。いいえと言えないのは人種的な特徴だとか言っていたが、よく解らない。
歩いていると前方から雄々しい雄叫びと、女性の叫び声が聞こえてきた。マスターは舌打ちをするや、すぐさま駆けていく。私も遅れまじと後を追う。
マスターに遅れること数秒、すでに決着がついていた。目の前には、頭のないのと、胸元に通気性の良い穴が空いたのと、真っ二つになっているのと。三体のミノタウロスが、死体になって転がっていた。奥には、裸で乱暴されていた女体が一つ。
「大丈夫ですか」
マスターは、優しいけど馬鹿だ。ミノタウロスに乱暴されて、大丈夫な女の子がいるわけない。
外套を被せて、浄化の魔法をかけている。時折女の子からゴポッと鳴って、その都度、うんっと小さく喘ぐ。マスターは真っ赤な顔で視線を逸らしながら、回復に務めている。
マスターが、私以外の人に欲情したら大変だ。助け舟を出そうと歩きかけた時、いきなり何かに掴まれて足が浮いた。
「な、何?」
何も見えないのに、確かに掴まれている。訳も解らず足掻いていると背中に凄まじい衝撃が走る。
「ぐぅ!」
歯を食い縛って悲鳴を抑えると同時に、掴まれていた手が解放されて、地面に崩れ落ちた。
目を向けると、マスターがノッペリとした白い人型の物体の顔を、棒で叩き潰していた。凄く長い爪だ。これでバッサリやられたのだろう。
「大丈夫?」
またそれだ。
「大丈夫じゃないです。マスター、回復のキスをください」
「馬鹿を言えるようなら大丈夫だね」
回復の魔法をかけられて、背中の怪我が治る。普通は血が大量に流れると貧血になるが、マスターの回復魔法は増血効果もあるらしい。
マスターが差し出した手を掴み立ち上がると、ハラリと布が地面に落ちる。ほぼ同時に、私を見ていたマスターが、凄まじい勢いで顔を背けた。
自身を見下ろすと、ほぼ全裸で、靴下と靴だけ残った肢体。というか私の裸。あわわ。
「きゃあ」
叫びながら、目の前のマスターに抱きつく。
「ちょっと、こら、何を考えてんの、はしたない。離れなさい!」
慌てて振りほどこうとして、でも、どこに触れたらいいのか解らずアワアワしている。これはいける。
「あのー」
うるさい、今いいとこなんだ。
「後ろ、残りの魔物が戻ってきてます……」
女の子からの警告に、入り口の方向に目を向けると、ミノタウロスがまだ二体。
「ち、しょうがない。マスター、お願いします」
「お前、後で覚えてろよ」
「はい! お仕置きどんとこいです!」
マスターは身震いを残して、ミノタウロスを狩った。
でも、さすがに裸は恥ずかしい。地面に散らばった服の残骸を集めて、切れてしまった背中部分を前に持ってくる。
「マスター、これをコの字に曲げてもらえますか?」
「うん」
マスターはこちらをチラリとも見ずに受け取り、加工する。たった二本の針だけど、あって良かった。下腹部のあたりと、胸元を針で留めた。しかしこれは……
「マスター、一応、服は留められました。ありがとうございます」
「それは良かった」
振り向いたマスターは、赤くなりながらも顔は背けず、普段なら全然興味なさそうなのに、チラチラと目線を向けてくる。開けっぴろげな全裸より、チラリと太ももやおへそが出ていて、胸も半分以上こぼれているのだ。それはもう、非常にそそるのだろう。
でも、目線をくれるのは嬉しいが、非常に恥ずかしい。先ほど全裸を見られているのに不思議なものだが、もじもじと太ももと胸元を手で隠した。
「あの、これ、思ったより恥ずかしいです……」
「ぶほっ」
先ほどから、捕まえて殴り倒した傭兵たちを叱りながら、赤くなったり青くなったりしていたが、いきなりむせたかと思うと、後を頼むと言い残して部屋から出て行った。
今日は、順調に進めばミノタウロスの討伐をしている頃だろう。またあいつがくだらないことをしたのだろう。
「マスターは怒りで話もしたくないそうだ。いいか、お前ら。敵前逃亡は死あるのみ。恩赦を与えたマスターの心意気に感謝しろ。もし次に裏切ったら、まだ俺がここで働いていた時には、この尻尾にかけて、この俺がお前らの息の根を止めてやろう。解ったか?」
一斉にハイと声を返す。よろしい。
俺たちリザードマンが尻尾にかける、という時は、それは人間でいうところの全てをかけるというのと同じ意味を持つ。ただ、気軽に口に出すことではない。俺も生まれてからこの仕事に就くまでは、一度も使っていなかったのだ。
なぜ使うようになったのか考えてみると、荒れていた頃マスターに絡んで、完膚なきまでに叩きつぶされたからだろう。強さは正義である。
マスターがむせた。いつものことだ。
「マスター、そろそろ身を固めてはいかがですか?」
「な、何を?」
「僕が言うのもおかしいですが、あなた、明らかに彼女に好意を寄せてますよね。どうしてあれだけ言い寄られて何もしないのか、意味が解りません」
私が告げると、マスターは難しい顔で考え込む。
「彼女はああ見えて経験ないし、たぶん私が本気で迫ったら逃げ出すよ」
「へえ、マスターにもそう見えますか。案外、物事を見ているのですねえ」
「私を馬鹿にしてるだろう? まあ、普段の態度からは想像も付かないけどね」
おやおや。マスターは凄く優しい目をしている。
「では、まずは本当の心を預けてもらうところからですね」
これは、伝説となった冒険者ギルド創始者四人の、決して後世には伝わらない一幕。