第10話:地獄キッチン
「……うえぇ。もう無理。限界。ギブアップ……」
私は今、ダンジョンコアの横で、昨日仕留めた「なんかおっきい虫」の肉を、生のまま齧っている。
レベルが上がって身体能力は上昇した。脚力も反射神経も、確実に別次元だ。
だけど――味覚とメンタルは、相変わらず“普通の女子高生”のままだった。
「誰よ、ジビエは生が一番とか言ったの……! 猪肉の刺身だって、もっとこう……配慮があるわよ……!」
ぐにゃ、とした弾力。鉄っぽい匂い。鼻に残る野生の後味。
口に入れるたびに、精神がゴリゴリ削れていく。
「食事って……もっとこう、キラキラしてて楽しいものでしょーが! 誰かー! 私の専属シェフ連れてきてー!!シェフー!かもーーん!」
虚空に叫ぶ。返事はない。静寂だけが丁寧に返ってくる。
……いや、分かってる。
分かってるわよ。「火を通せばいい」って話でしょ?
でもね!
(火は怖いの! 危ないの! また煙で死にかけるの嫌なの!!)
あの換気地獄を思い出した瞬間、全身の脚がゾワッとした。
熱いし、苦しいし、目が痛いし、床もボコボコになるし。
つまり、火は敵。
「……でも、生はもっと敵なのよね……」
私はため息をつき、余った肉を糸でぐるぐる巻きにして天井から吊るした。
「乾燥させれば……いけるかな?干し肉。サバイバルの基本よね!」
淡い希望を託して、その日はそれで終了した。
――数日後。
「……おげぇぇぇぇぇ!!?」
帰ってきたのは、希望ではなく絶望だった。
湿気た洞窟。ぬるい空気。
結果として完成したのは、“保存食”ではなく“事件現場”だった。
「くーーーっさ!! なにこれ!! バイオハザードじゃない!!」
吊るされた肉は、見事に腐敗し、異臭の暴力装置と化していた。
私は泣きながらそれを糸ごと切り落とし、遠くへ放り投げた。
「もうやだぁ……お嬢様の部屋がゴミ捨て場とか……人生設計狂いすぎでしょ……」
だが、その瞬間。
「……あ」
ひらめいた。圧倒的なひらめき。
「直接火を使うからダメなのよ。なら、“火に触れずに火を使えばいい”じゃない!」
私は即座にコアへ意識を集中する。
ダンジョン管理者(仮)。つまり、構造の支配者(見習い)。
床も壁もいじれるなら、熱源だって分離できるはず。
「――ここに、穴。深く。もっと深く……」
物置へ続く通路、その脇に縦穴を生成。
そしてその底へ――
ドロリ、と赤く光る溶岩を呼び出した。
「でもこのままじゃ近づけないし……」
私はその上に、薄く平たい石板を“ぽん”と置いた。
「はい完成。天然フライパン(高火力)!」
じわじわと石板が熱を帯び、やがて――
ジュー……
「きたぁぁぁ!!」
音。香り。温度。
すべてが“文明”だった。
「これよこれ! これが人類の勝利よ!!」
さらに私は、隣にもう一つ穴を作る。
「これはゴミ箱ね。腐った肉はここにポイーっと。即・消滅。エコだわ!」
動線は完璧だった。
切る→焼く→食べる→捨てる。無駄がない。
「……天才かもしれないわ、私。知ってたけどね。」
その頃、通路の奥では。
「……なんだ、この匂い」
三人組の冒険者が、足を止めていた。
「めちゃくちゃ美味そうな……肉の匂いだぞ」
警戒と空腹がせめぎ合う。
その時、背後から“それ”が現れた。
「ギチギチッ!!」
「大サソリ!? 来るぞ!」
戦闘が始まる。
だが、サソリが一歩踏み込んだ瞬間――
ガシャン!!
床から突き出した刃が、巨体を真っ二つに裂いた。
「な……なんだこの罠……!」
さらに視線の先。
赤く光る溶岩。焼ける熱気。
「二段構え……!? ここ、やばすぎるだろ……」
彼らは息を呑む。
だが一人が、冷静に指をさした。
「待て。あそこ……石の板がある。あそこなら通れるんじゃないか?」
それは“フライパン”だった。
「……よし……行くぞ」
一歩。
バキッ。
「……え?」
次の瞬間。
ボッシューーー!!
「ギャアアアアア!!」
男は、そのまま溶岩へと消えた。
「逃げろォォォ!! ここはヤバすぎる!!」
残された仲間は、武器も忘れて逃げ出した。
「……ん?」
私は焼き上がった肉を頬張りながら、顔を上げた。
「今、なんか聞こえた?」
気のせいだろう。
だって今、人生で一番大事な瞬間だから。
「ぁあ……おいしい……」
外はカリッと。中はじゅわっと。
生とは別物。完全に別ジャンル。
「勝ちね」
私は満足げに頷いた。
「よし、おかわり焼こっと」
――その裏で。
“匂いで誘い、切り刻み、焼き尽くす地獄”として、
このダンジョンの噂は、静かに、確実に広がり始めていた。




