第16話 罠の香り
「……おい、調子はどうだ? 俺達はここらで休むからな。お前もそのつもりでいろや」
扉を開くと、男のひとりはそう言うと、扉の外をあごで指した。
クラリスは、はっとして顔を上げた。
「休む、とは……。ここで、ですか?」
「そうだ。こんな暗い中、進んでも危なくてしょうがねえだろ? 朝になってから動くさ」
説明もほどほどに、男たちは手早く焚き火の準備を始めた。
クラリスは胸の奥にざわざわしたものを感じながらも、その様子をただ見ていることしかできなかった。
もし、今この人たちに見捨てられたら……
そんな思いが、少なからず心のどこかに漂っていた。
きっと、何も起こらない──だがそのささやかな祈りは、無惨に砕かれた。
「──そろそろ、いいんじゃねえか?」
男のひとりが、焚き火を見つめながらぼそりとつぶやいた。
「ああ。いくらこの道でも、もう、誰も通りやしねえ。あんたさぁ、ちょいと降りてきてもらおうか、お姫様」
男の口元に、ねっとりとした笑みが浮かぶ。
クラリスは、背筋が凍りつくのを感じた。
その膝は、わずかに震えていたが、決しておびえる様を見せてはならないと、男たちを睨みつける。
「……どういう、ことですか」
「くはは。どういうも何も」
男が大げさに両手を広げると笑う。
「聞いたぜ? あんた、今はもう追放の身なんだろ? そこまで連れてくだけでも慈悲ってもんだ。こっちも”報酬”がなきゃあ、やってられねえよな? だろ?」
「おとなしくしてれば、悪いようにはしねえからよ」
にじり寄る男たち。
クラリスは、男の手を払いのけ、後ろへ下がろうとしたが、狭い馬車の中に、逃げ場などどこにもない。
「やめて……! お願い……!」
男たちの手が、顔が、クラリスの眼前に迫る。
叫ぼうとしたが声が出ない。手は震え、その目は固く閉じられた。
──やっぱり、この人たちも。
そう思った、その瞬間だった、
「──ちょいとそこ、どきな!!」
森の奥から、力強い女の声が飛び込んできた。
次の瞬間、火花が散った。
筒のような何かが轟音と共に地を這い、慌てて馬車から飛び出た男たちの足元を駆け抜ける。
木片と火の粉が舞い、馬が悲鳴のようにいななく。
踊るように足踏みをしていた男たちだったが、お互いにぶつかると派手に転んだ。
「ぐ、な……なんだァ……!」
はーっ、という叫び声に続いて、バツン、と鞭を鳴らすような音が響く。
「ったく、なにしてんだい、こんな夜に女ひとり囲んでさ。感心しないねぇ。もう一発、猛獣除けをお見舞いしようか?」
月明かりの下、クラリスの視界に飛び込んできたのは、ずんぐりとした体に荷馬車の手綱を引く女。
もう片方の手には、自分の顔と同じ位の太さはあろうかという大きな棍棒を構えていたが、使い慣れているのか不思議と違和感を感じさせない。
続けて何台かの荷馬車も遅れてその場に到着し、数人が馬車から飛び出す。
棍棒を持った女はそれぞれに指示を出すと、自らは二人の男に向かい合った。
「おまえら……! だ、誰だよ!」
「名乗るほどのもんじゃないよ。ただの荷運びさ。……王都からのご依頼の荷物を取りに行ったってのに予定の場所にゃあ何もありゃしない。どこの盗人だか知らないけれど、先に持っていきやがって」
女は男たちを睨みながら、一歩、また一歩と前へ進む。
その足取りに躊躇はない。それは男たちに冷や汗をかかせるのに十分な“本気”を感じさせるものだった。
「その子、どっかに売るつもりだったんだろ? あんた達がその手でなにをしようとしてたかなんて、見れば分かるさ」
女が棍棒を軽く振り上げると、丁度棍棒の先端が、男の鼻先をかすめていく。
「ひぃっ!」
男は情けない悲鳴を上げると、尻もちをついた。
「悪いね! そんなに驚くとは思わなかった!」
女が冗談めかしたように言ったが、その目は笑っていなかった。
「さあ、荷物を返してもらおうか」
クラリスは、女の仲間に支えられながら、まだ震える視線でその光景を見つめていた。
やがて女の指示で、男たちの腕が縛り上げられると、女はその大きな手で男たちの襟首を鷲掴みにし、無理矢理馬車の中へと押し込む。
何か言おうとする男たちだったが、女はそれには構わず、バツン、と鞭を鳴らした。
「何しやが……わわっ!」
馬が激しく身体を揺さぶり、けたたましいいななきを上げる。
急に動き出した馬車に、体勢を崩した男たちが何もできずにいると、もう一度、鞭の音がなった。
「とっとと失せな!」
「うわあっ!」
男たちの悲鳴と怒声を残して、御者の無いまま馬車は夜道を走り去っていった。
「さてと──お嬢ちゃん。もう大丈夫だよ。怖い夢は、ここでおしまい」
まだ震えの収まらないクラリスに向かって手を差し出す。
「……私はバルバラ・レーン。あんたを迎えに来たのさ」




