第3話 この度、完全に詰みました(ただし、開き直った)
僕は宿を追い出され、イリスを連れて逃げ出した。宿を出た瞬間、「邪神の下僕」を連れている僕らに、人々の視線が突き刺さる。とても街を歩ける状況ではない。
結局、人目を忍んで辿り着いたのは、街外れの小さな公園だった。深夜、明かりもまばらなベンチに腰を下ろし、僕は恐る恐るイリスに声をかける。
「あのー、イリスさん。お願いがあるんだけど」
イリスは、ローブの隙間から、銀色の前髪に隠された顔を出し、僕の声に耳を傾ける。その瞳は、赤いルビーのように夜闇で光っていた。
「はい! ご主人様、なんでございましょうか?」
僕は胃が痛くなるのを我慢して、一番言いたくなかったことを切り出した。
「あのですね……この奴隷契約、白紙にするんで、一人で故郷に帰っていただくというのは……ダメかなぁ?」
それを聞いたイリスは、顔を覆い隠すように俯いた。彼女の肩が、微かに震えている。
「……もう、故郷はありません」
絞り出すような、とても悲しそうな声だった。
「それに……人間に嫌われている私が、この国を一人で旅するなんて、死ねとおっしゃっていることに他なりません……」
「そ、そうなんだ……!」
僕は咄嗟に頭を下げた。
「すまなかったよ! 君の事情も都合も考えずに……! 僕が浅はかだった!」
「いえ……ご主人様が私を遠ざけたい気持ちは、痛いほど分かります。ですけど、私は、他に頼れるお方はいないから……」
彼女の寂しそうな声が、僕の胸にグサリと突き刺さる。
(くそっ! なんて健気なんだ! この子を野放しにしたら、誰かに酷い目に遭わされるに決まってる!)
「そうか……それなら……」
僕は、翌朝の奇跡に賭けることにした。その夜は、僕とイリスは街中の路地裏で、ホームレスみたいに身を潜めて野宿したのだった。
* * *
翌日。僕らは人目を避けるようにこそこそと、あの奴隷商の館を尋ねるのだった。
「た、たのもうーっ!」
威勢よく言おうとしたが、声は震えた。
商館の従業員が現れ、僕らを館内に招き入れる。そして、奥の豪華な部屋で、僕は再びあの腹黒そうな商人と対峙した。昨日の今日だというのに、商人はニヤニヤしながら僕らを迎える。
「おやおや? 昨夜はごゆっくりとお休みになられましたか、アズマ様?」
「あのですね……この奴隷……返却します! クーリングオフします!」
僕の精一杯の抗議に、商人は目を丸くした。
「は? 返却ですか? クーリング……なに?」
「この娘を買ってひどい目に遭いましたよ! どうしてダークエルフがあそこまで嫌われているとか、呪われるーとか、重要な情報を教えてくれなかったんですか!」
商人は耳をホジりながら、平然と答える。
「いやぁ、特に聞かれませんでしたし。それに、この国の常識でしょう? ここじゃ、誰も聞くまでもないことで」
「ぐっ……!」
ぐうの音も出ない。僕がイリスに目をやると、彼女はシュンとしてコクコクと頷いた。
(ちくしょう、本当に常識なのか……!? この世界、人権教育がなってなさすぎるぞ!)
僕はショックを受けつつも続ける。
「と、とにかく、お返ししますので引き取ってください!」
「仕方ありませんな。それではお引き取りしましょう」
商人は顔のシワを寄せて、満面の笑みを浮かべた。
「ただし。引き取り料は……金貨200枚です」
「ええぇぇぇぇーっ!?」
僕の頭の中で警報が鳴り響き、白目を剥きそうになった。
「お、お金取るんですか!? しかも200枚って!」
「当たり前でしょう! こんな厄介者をお引き取りするんだ。金貨200枚でも安いくらいですぞ。それに、契約書をよくご覧ください。『購入後の契約破棄、および返却時には、奴隷の保管料として購入額の十倍を支払う』と明記しております」
金貨200枚!
僕の全財産は18枚だ。十倍返しなんて、どこぞの倍返しドラマじゃないんだぞ。
すごすごと退散するしかなかった。
* * *
僕とイリスは、奴隷商館を重い足取りで後にした。
詰んだ……完全に詰んだ。
あの奴隷商は、僕が転生者であることを見抜いた上でイリスを斡旋してきたのかもしれない。この世界にまだ慣れておらず、「差別はいけない」という転生者特有の倫理観を逆手に取り、お金まで巻き上げて彼女を押し付けたのだ。
彼女は行き場もなく、この街に居場所もない。僕らに残された選択肢は、もうひとつしかなかった。異世界から来て孤独な僕と、この世界に居場所のない彼女。お互い助け合って生きるしかない。
僕は、イリスと二人、街中を彷徨い、やがて郊外の誰も住まないスラム街にたどり着いた。崩れかけた廃屋に身を寄せ合う。申し訳なさそうな彼女の顔を見て、逆に僕の中にファイトが湧いてきた。
そうだ、どうせこの世界はご都合主義だらけのテキトー異世界じゃないか。きっと彼女の問題もなんとかできる。その辺の露店に便利なマジックアイテムがあったりするんだ! うんうん!イリスはそんな僕を見て、心なしか顔が明るくなってきた。
僕は、彼女に真剣な眼差しで、はっきり伝えた。
「ごめんよ。イリスをまた売ろうとして」
「ご主人様……その、売れなくてごめんなさい」
「謝らなくていいよ。僕が悪いと思う。それでだ……もう僕は開き直ることにした」
イリスが、真っ赤な瞳で僕を見つめる。
「ど、どうなさるのですか?」
僕は背中に背負った魔剣に力を込めるように、胸を張って宣言した。
「君を意地でも僕のパートナーとして認めさせて、世界中どこでも大手を振って歩けるようにしてやる! この世界を、僕らの都合の良いように書き換えるんだ!」
「ご主人様……!」
イリスは感激に目を輝かせた。
「素敵なお考えです! 私も微力ながら、命を懸けてお手伝いいたします!」
「うん! 一緒に頑張ろう!」
逃げているときに買った、固いパンと安いワインを分け合いながら、僕らは初めて心を通わせ、廃屋の隅で身を寄せ合って眠りにつくのだった。この小さな空間だけが、僕らのユートピアだ。
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