第26話 二重スパイ「わ」
僕とイリスのささやかな安住の地だったはずの木造平屋建ては、いつの間にか闇の女神ディスフィア様の「前線活動拠点」と化していた。壁や床は以前と変わらないはずなのに、そこに漂う空気は明らかに異質だ。戦場にも似た緊張と、神の意志が介在する圧迫感が、日常をじわじわと侵食している。
王国諜報部から送り込まれたスパイ兼暗殺者のノワールは、早々に正体を明かしたため、返り討ちにあって絶賛寝返り中だ。もともとがディスフィア様を深く信仰していた筋金入りの信者。僕の血で復活した彼女の精神は、以前にも増して「闇のサイド」へと傾倒していた。忠誠心と恍惚がない交ぜになった視線は、もはや疑いようのない狂信者のそれだ。
闇の女神ディスフィアが、聖女イリスの体を借りて、跪くノワールに冷徹な、だが楽しげな命令を下す。
《ノワールよ、今の状況を利用したい。お主はこのまま、わしらのパーティーに潜入し続けるのじゃ》
「ははっ! 仰せのままに、わが女神よ」
ノワールはうっとりとした表情で、イリス(の中の女神)を見つめる。盲信、と言っていい。その熱に浮かされた瞳は、命令を「報酬」として受け取っているかのようですらあった。その熱烈な視線に気圧されながら、僕は首を傾げた。
「あの……それってどういう感じなんですか?」
《うむ、つまりは『二重スパイ』じゃな。こちらを監視していると見せかけて、実はわしらが諜報騎士団を探り、操るのよ》
「ホーッホッホッホ! 流石はディスフィア様ですわ。それなら当面、わたくしたちの真の活動は隠蔽できますわね!」
ユリシアが高笑いしながら賛同する。しかし、アシュレイが不安げに眉をひそめた。その視線はノワールに向けられているが、実際には「王国」という巨大な敵そのものを見据えているようだった。
「でも、それじゃあノワールちゃんがずっと、あの変態騎士団長イノカワに……その、酷いプレイを強いられちゃうんじゃ?」
「くっ……マスターとディスフィア様のためです。わたくし、頑張って耐えてみせます……っ!」
ノワールは細い肩を震わせ、拳を握りしめる。その姿は忠義に燃える戦士というより、覚悟を決めた殉教者のそれに近かった。元々は敵だったとはいえ、僕の血で復活したこの子が、あのロリコン騎士団長にいじめられるのは正直に言って寝覚めが悪い。
「嫌だなぁ……僕の血を与えた子が、そんな目に遭うのは嫌ですよ」
《まあ……良一郎がそう言うなら、極力こちらで活動させて、騎士団には報告だけ送る形にするかのう》
「本当ですか!? そうしていただければ助かります!」
パッと顔を輝かせたノワールが、期待に満ちた上目遣いで僕らを見つめる。その反応があまりにも素直で、逆に胸の奥がちくりと痛んだ。
「あの、このようなことを申し上げるのは大変恐縮なのですが……なにか、その、ご褒美をいただけないでしょうか?」
「そうですねー。ディスフィア様、ノワールさんは私から見て闇の教団の大先輩……なにかお願いできませんか?」
イリスが僕の隣でぴょんぴょんと跳ねておねだりする。その無邪気さと、場の物騒さの落差が妙にシュールだった。女神は《そうじゃなぁ》と顎に手を当てた。
《今のままの吸血鬼じゃ何かと弱点や制約もあるからのー。よし、お主を『リッチ(アンデッド最上位)』へと進化させてやろう》
「ええぇっ!? よろしいのですか!? 闇の大神官か魔王クラスの実力者にしか与えられない栄誉を……!」
ノワールが震え上がる中、イリスの体から溢れ出した濃厚な闇の魔力が彼女を包み込む。空気が粘つくように重くなり、視界が歪む。見た目は変わらないが、彼女の存在密度が圧倒的に増していく。心臓への杭打ちといった弱点は消滅し、さらには相手の生体エネルギーを直接吸収したり、経験値を奪い取ったりする新たなスキルが発現した。
《ただし今は制約付きじゃ。良一郎の支配下に入ること。引き続きこの男を主として仕えよ》
「はい! それはもう、こちらからお願いいたします! 我が主、良一郎様へ絶対の忠誠を誓います!」
こうして、見た目はゴスロリJS美少女、中身は最強アンデッドという、僕の処理能力を遥かに超える従者が誕生したのだった。
***
翌日。僕らは全員で冒険者ギルドへと赴いた。ノワールは昨日と変わらぬゴスロリ姿にレイピアを下げ、僕の斜め後ろを影のように歩く。僕らがギルドの端に陣取り、今日のクエストを物色しているふりをする中、彼女は人混みに紛れてスッと姿を消した。
彼女はギルドスタッフ用の通用口を使って裏手に回り、そこでコードネーム「あ」ことミランダと対面した。 ミランダが、イノカワから託された「支配用ペンダント」をかざす。それは相手を支配下に置き、強制的に真実を語らせる呪いのアイテムだ。
ノワールは真っ黒なサングラスの奥で、完璧な演技を開始した。支配されたフリである。
「コードネーム『わ』、現状を報告しなさい」
ミランダの冷たい声が飛ぶ。ノワールは、感情を殺した機械的な声で応じた。
「報告します。わたくしは闇の勇者アズマのパーティーへの潜入に成功しました。昨日から今日にかけて数々の会話を交わし、かなりの信頼を得たと思われます」
「それはよかったわ。さらに何か新しい情報はあるかしら?」
ノワールはサングラスを直し、淡々と、だが巧妙に嘘を混ぜていく。
「各人の個人的な強さを観察していますが、全員さほど脅威ではありません。ダークエルフは強力な力を有していますが、主人である吾妻良一郎……この男が人畜無害のヘタレ野郎でして。王国の脅威には到底なりえない穏やかな性格をしています」
(……まあ、我が主様に関しては嘘じゃないしね)
ノワールは胸中で苦笑する。実際、良一郎が「へなちょこ」なのは動かしがたい事実なのだ。ミランダは不審そうに眉をひそめたが、ペンダントの魔力がノワールの発言を「真実」として判定している以上、信じる他なかった。
「他のメンバーはどうなの?」
「爆弾令嬢ユリシアの呪印は健在で、魔法の使用には支障があるようです。アシュレイなる魔術師も、恩義で一時的に協力しているだけのようで、いずれメンバーから外れるかと」
「……そう。全員始末できそうかしら?」
「指令があれば。ですが、暗殺する価値もないほどの大したことないパーティーです」
「わかったわ。上にはそう報告しておく。引き続き監視を続けなさい」
ミランダは満足げに頷き、身を翻して去っていった。ノワールは胸の奥で、今の今まで彼女の首筋に向けていた「殺意」をゆっくりと収める。もしミランダが今「直ちに暗殺を」と命じていれば、その瞬間に彼女の口を永遠に封じるつもりだったのだ。
様子見を選択したことで、結果的に命拾いしたミランダ。だが、彼女が監視しているつもりの「アズマ一行」は、すでに王国の想定を遥かに超える魔窟と化しているのだった。
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