表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/21

余話 ― 紅の根にて

森を離れて、もう三日が経っていた。

けれど女旅人は、まだ少しだけ、夢の匂いを纏っていた。


ふとしたとき、空が揺れて見える。

人の声が遠く感じる。

朝日がまるで、あの森の紫がかった紅に似て見える──そんなことが続いていた。


男旅人は気づいていたが、言わなかった。

彼女がようやく前を向いたのだ。

それが“癒え”ではなく、歩き続ける覚悟であっても、きっとそれが答えだった。


だから、今日は彼が先に口を開いた。


「……この村の外れに、変な噂があるらしい」


「変な噂?」


「うん。数日前、木が突然一本、生えたって。

 誰も見ていない間に、広場の真ん中にだ」


女は眉をひそめた。

「どういうこと……?」


「夜の間に出てきたらしい。地面に裂け目もなく、

 まるで最初から“そこにいた”ように。

 しかも、妙に……形が人間っぽい、って」


女は小さく息をのんだ。


紅の森のことを思い出した。

木々の並び。

沈黙の重み。

あの場所で、確かに感じた“なにか”を。


「……紅い葉……じゃないよね?」


男は、少しだけ言葉に詰まり──

静かに首を横に振った。

「いや、普通の葉だった。でも──

 木肌だけ、少しだけ、紅みがかっていたってさ」


ふたりは、それ以上何も言わなかった。

言葉にすれば、きっと“現実”になってしまう。

森にいたこと、夢を見たこと、そして──見てはいけない何かも。


沈黙のなか、女がふと口を開いた。


「……森は、なにかを“返して”くれた。

 でも、なにかを“戻さなかった”気がする」


男はうなずいた。

「たぶん、それでいい。

 そういう場所なんだ、あそこは」


遠くで、教会の鐘が鳴った。

静かで、やさしく、でもどこか不安を誘う音色。


女は手にしていたカップを置くと、

立ち上がってこう言った。


「見に行ってみようか。

 ……その木。どんな顔してるのか、知りたい」


男は一瞬迷ったが、

それからゆっくりと立ち上がる。


「怖くはないのか?」


「怖いよ。でも、見ないときっと──

 夢の続きを勝手に作りそうで」


男は小さく笑った。

そして、ふたりはまた歩き出した。


旅は続く。

森を越えても、夢は消えない。


たとえ木々がなにも語らずとも、

静かに“記憶”は根を張る。


──とある村の片隅、

紅みがかった樹皮の木の下で、

葉がひとつ、静かに落ちた。


それは風が吹いたからではなかった。

ただ、夢の重みに耐えかねて、

自然と落ちただけだった。



---


> 森の声は届かない。

けれど、確かに“見られて”いる。


静謐な紅の森は、

いつでも夢の奥で、

何かを待っているのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ