静謐な紅の森・異聞抄 急 ― 最後の男
次の男もまた、
ほんの一瞬、目を離しただけでいなくなった。
傭兵が叫ぶ間もなく消えたと気づいた時には、
赤い葉が川のように、足元を這っていた。
錬金術師は、ついに一人になっていた。
その時──彼の前に、“それ”は現れた。
少女。
濡れたような深紅の髪。
閉じたままの目元。
吐息ひとつすら感じさせない、あまりにも静かな“存在”。
それはもう「人」とは呼べなかった。
けれど彼は、ただ叫ぶ。
「貴様が“魔女”か……ッ!」
「その力、我が式盤に捧げろ……! 魂に変換して、我が完全となれ──ッ!」
だが──彼女は一言も発しなかった。
声を出すことすら、必要なかった。
ただ、静かに“見た”。
その視線は、拒絶ではなかった。
哀れみでもなかった。
怒りもなければ、悲しみもない。
──完全なる“無”。
その瞬間。
錬金術師の喉が詰まり、視界が霞み、指先から色が抜けていった。
皮膚が乾き、ひび割れ、
樹皮へと変わる。
血管は葉脈に変わり、
骨は軋みをあげながら枝へと変じる。
苦悶の叫びをあげようにも──
その声帯はもう、風に擦れる木の音になっていた。
錬金術師は、もがいた。
だが、そのもがきすら“なかったこと”にされた。
ただの一本の木として──森に還されたのだ。
彼がいた場所には、何も残らない。
血も、爪も、衣の切れ端すらも。
あるのは、一本の紅葉した若木。
その根が森に溶けるように広がり、
彼の存在すらも、まるごと飲み込んでいった。
森は、ただ“静か”だった。
どこまでも、どこまでも。
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森は裁かない。
森は裁かないが──許しもしない。
ただ、静かにその身を取り込み、
「記憶」から削り取るだけ。
そうして、また一本──
忘れられるべき木が、森に増える。