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幕間 ―紅に沈む前に
それは、まだ紅が生まれる前のこと。
森はまだ透明で、
空気はやわらかく揺れていた。
名もない少女が、祠の前に立っていた。
その手には、小さな花。
誰かのために摘んだのか、
あるいは、忘れるために。
笑っていた。
遠くで誰かの声がしていた。
呼ばれた気がした。
走って、転んで、泣いて、それでもまた笑って。
けれど、
声が、消えた。
花は、こぼれた。
気づいたときには、すべてが失われていた。
光も、音も、言葉も。
ただ、残されたのは――
痛みだった。
そして少女は、願った。
「この痛みを、どこかに埋めたい」と。
「誰にも踏み荒らされない、深く静かな場所に」と。
そうして森が生まれた。
赤く、深く、閉ざされた森。
痛みを忘れるための、夢の奥底に。
紅は、怒りでも恨みでもない。
ただ、思い出したくないほどの愛だった。
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それは、森さえも知らない“はじまりの夢”。
けれど今、旅人が触れたことで、
森の奥にほんのわずかに波紋が広がった。
──記憶は戻らない。
でも、祈りは、確かにそこにあった。