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アグリニオン戦記 外伝 マンジューク防衛戦の始まり  作者: 田丸 彬禰


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天祐を呼び寄せた男たち 

 天祐。

 天の助けという意味があり、奇跡のような出来事が起きた時に感謝の意味を込めて使われることが多い言葉である。

 そして、ほぼ同じような思考を持つ生物がいるのだから、この世界でもその言葉がある別の世界と同じようなことを想像する場面は当然起こる。

 となれば、類似の表現も存在するわけなのだが、残念ながら「天祐」というその思いを端的に表す便利な言葉はこの世界にはまだない。

 だが、もし、その言葉がこの世界に存在したのであれば、彼らは間違いなくその言葉を口にしたであろう。


 なぜなら、ベンティーユ攻略に向かったアリターナ軍に現在進行形で起こっている出来事はまさにそう言いたくなる状況なのだから。


「カンポバッソ。おまえはこれをどう見る?というか、これから何が待っていると思う?」


 ひたすら前に進む彼らの目前には、阻むものは存在せず、その背を撃つ者もいない。


 間違いなく現実のことではある。

 だが、あまりも自分たちにとって都合の良い状況に、使われることがないままの剣を握ったまま先頭を進むベネペントはどこかでやってくるはずのそれについて、喘ぐようにカンポバッソに尋ねるのは当然のことである。


 ……つまり、さすがのこいつでもこれは間違いなく罠であると思っているということか。

 ……まあ、戦いの場でこの状況に出会い、罠の存在を疑わない奴がいたら、会ってみたいものだ。


 ……だが……。

 ……そうであっても、さすがにこれはあまりにも露骨すぎる。

 ……もしかして、裏の裏的状況が起きているのではないのか。


 そう考えたカンポバッソが選んだ答えはこれだった。


「では、聞く。ベネペント。おまえはどう思うのだ?」

「そうだな……」


「これは実にすばらしい眺めだ。そして、これは俺の日頃のおこないがどこかの誰かに評価された結果に違いない。つまり、おまえはこの幸運をもたらした俺に酒を奢るくらいはしなければならないということだ」


 ……くそっ。聞くのではなかった。


 カンポバッソは心の中で盛大に舌打ちにしながら後悔する。


 ……状況をすべて自分の都合の良い方向にしか考えない楽観主義者のこの男にそんな尋ね方をすれば間違いなくそう答える。

 ……それを知っていながら……。


 だが、このままにしていては了承したと取られる。


 ……たとえ戻れる可能性は恐ろしく低くても万が一のことある。手は打っておくべきだ。


 死地に飛び込んでいく者とは思えぬくらいに冷静なカンポバッソはお返しの言葉をまとめ上げるとさっそく披露する。


「寡聞にして、日頃のおまえのおこないを評価する暇人が存在するとは知らなかった。だが、そういうことなら言っておく。もし、これが本当に日頃のおまえの行動から来たものなら、最後に待っているものはろくでもないことに違いない。その場合にはおまえに一週間高級酒をご馳走になるから覚悟しておけ」

「その部分については俺も乗る。だが……」


「これがベネペントと言うとおりすばらしい状況であることはまちがいない。そして、理由はともかくこれだけの状況だ。利用しない手はない。風向きが変わらないうちにできるだけ進むぞ」


 ふたりの出来の悪い掛け合いを強制的に割り込み、すべてを引き取ったフロジノネの言葉どおり、五千人の部隊は当初の予想に反して抵抗を受けずに進み続けていた。

 目的の場所まであとわずかというところにまで。


 もちろんこれにはそれ相応の理由はある。

 そして、その原因となるもの。

 それは……。


 アリターナ軍の数の少なさ。


 この区域の魔族軍守備隊長ベリザリオ・カピバルテはアリターナ別動隊五千人が接近してきたという報を受けると、ベンティーユに報告するとともに、各砦に対してはこう指示を出したのだ。


「砦に囲まれたこの場所をたった五千人で襲撃するなどありえない。まして、ベンティーユを目指すのであればなおさらだ。つまり、この部隊は囮。本隊は我々が奴らの背を撃とうと砦を出た瞬間に姿を現わす」


「砦から出て攻撃してはならぬ」


「こちらからは手を出すな。放置せよ」


 そう。

 作戦立案の過程でマナネッロが口にした「一方にとってだけ都合のよい話」が、現実になったのである。

 だが、当然それを疑う者は魔族の中にもいた。


「ですが……」


 次々と指示を出すカピバルテに対して、控えめに疑義を申し出たのは参謀役を兼ねる副官のベルキオール・パルナミンである。


「このまま西に進ませてしまっては、簡単に奴らはベンティーユに辿り着いてしまいますが……」

「心配はいらない」


 あっさりと。

 そう。

 本当にあっさりと、実は正しかった副官の言葉を退けたカピバルテだったが、当然カピバルテには彼なりの明確な根拠があった。

 それがこれである。


「ベンティーユには五千人が駐屯している。我が軍が同数の人間、しかも、人間の中でも最弱とされるアリターナ軍に負けるはずがない」


 もちろんこれは魔族軍の常識であり、大部分については間違っていない。

 自信満々にそう言い切ったカピバルテは言葉を続ける。


「それよりも問題なのは奴らに続く本隊だ。それこそ、全力で防ぐしかない。どれだけの数でやってこようとも」


「気を抜かず、アリターナの本隊が来るのを待て」


 そう言ったカピバルテと、その配下はそれからずっと来るはずのないその敵を待つことになる。


 この地の決着がつき、予想外の命令を受け取るまで。

 

 そして……。


「……あれがベンティーユか」

「ということは……」

「ついちまったということか。俺たちは」

「ああ」


 結局敵と一合も剣を交えることなく、目的の地に辿り着いた、いや、辿り着いてしまった彼らは、その場所を眺めながら、周りが敵だらけという状況とは思えぬ間の抜けた言葉を交わす。


「……頑丈そうではあるが、そう大きなものではない」

「砦というよりは、田舎町の城門程度だ。これなら……」

「いや……」


「小さいといっても、三千や五千はいる。俺たちだけではとても落とせない。まずは予定どおり……ん?」


「それであれをどうする?」


 最初に「それ」に気づいたカンポバッソが最年長者となるフロジノネに尋ねたのは、目の前に起こっていることに対してどう対応するかということだった。


 そして、彼らの目の前に起こっていることとは……。

 あきらかに非軍人、というより女子供の大集団がその狭い入り口に向かって逃げているというもの。


「まあ、俺たちが予想外に早くやってきたので、避難が間に合わなかったのだろうが……」

「当然今から戦闘を始めれば、全部巻き込むことになる」

「だが、この混乱に乗じて攻めれば、五千人でも一気にベンティーユを奪えるかもしれない。絶好の機会。当然すぐに攻撃を開始する」


「……と言いたいところだが……ここは俺に任せてもらおうか」


 カンポバッソにそう言うと、ニヤリと笑ったフロジノネはおもむろに隊より前に出ると、口を開ける。

 その彼の口から共通語とも呼ばれるブリターニャ語の姿をして流れ出たもの。

 それは敵味方双方にとって予想外のものだった。


「我々はアリターナ軍の精鋭であり、ベンティーユを奪いに来た者である。ただし、我々の望みはベンティーユの奪取だけであり、女子供、それに年寄りの命ではない」


「全員の完全な避難。それから、家族との最後の別れが終わるまで攻撃はしないと約束をする。ゆっくりと避難するように。必要であれば、忘れものを取りに行っても構わん。それから……」


「魔族軍の司令官に告ぐ。すべての避難が終了後、その旨を知らせていただきたい。戦闘再開はそれからだ」


「おい。フロジノネ。気前が良すぎないか」

「そうだ。この混乱を利用すべきだろう」

「それどころか、不意打ちを食らうかもしれない」


 同僚たちからやってくる当然すぎる非難。

 だが、フロジノネは顔色ひとつ変えずにそれに応える。


「そう言うな。俺だって騎士を気取って戯言を口にしたわけではない。奴らが今の話をどう受け取るかは知らないが……」


「これは俺たちが必要とする時間を稼ぐための偽装」


「そして、その時間とは……」


「どうやら今なら使えるらしい転移魔法による増援……」

「それに休息」


 カンポバッソとベネペントがそれぞれ口にしたその言葉にフロジノネはニヤリと笑う。


「……そういうことだ。そして……」


「魔族軍は俺たちの言葉を好意的に受け取ったらしい」


 戻ってきたベンティーユの守備隊長アルトゥール・ウベラバと名乗る者からの謝意と休戦合意の言葉に頷きながら、フロジノネは言葉を続ける。


「……とにかく休戦になったのだ。この機会を逃さず、やってきた魔術師をすべて自軍に送り返し、味方を連れてきてもらえ。急げ」


 もちろんアリターナのこの動きはすぐに魔族軍の知るところとなる。


「ウベラバ様。奴らは魔術師を送り返しているようですが放置していて本当によろしいのですか?」

「そのとおり。このままでは間違いなく増援が来ます」


 ベンティーユの砦上方でアリターナ軍の様子を腕組みしながら眺めるウベラバに対し、ふたりの側近エジバウト・キリーニャとベンジャミン・アララングアがそれぞれの言葉に上官に注意を促す言葉をかける。


「我々もこの時間を使って味方を呼び寄せ、アリターナの愚か者たちを休戦が開けた直後に包囲殲滅するのが……」

「不要だ」

「不要……ですか?」


 自らの提案をあっさりと斬り捨てたウベラバにキリーニャは驚くように問い直し、アララングアはあらたな提案をする。


「では、魔術師が消えた直後に転移避けの魔法を展開させるということですか?」

「いや」

「ですが……」


「おまえたちの言うとおり、あれは間違いなく味方を連れてくるための算段だろう」

「そういうことならば……」

「いいのだ」


「というよりも、できれば多くの増援を連れて来てもらいたいのだ。私は?」

「相手は人間の中でも脆弱で有名なアリターナ軍。まとめて始末するということですか?」

「なるほど。そういうことであれば、命令があるまでこちらから手を出すなと厳命されたのも理解できます」

「……いや。そうじゃない。俺が考えていること。それは……」


「圧倒的な数であれば、撤退の理由になる。そういうことだ」


「撤退?撤退ですと……」


 上官からやってきた考えもしなかった言葉に絶句し、それ以上の言葉が思いつかずにふたりの副官は目の前の男が何を考えそのような発言をしたのか思案する。

 だが、まずアララングア、続いてキリーニャはそれを諦める。


「……理由をお聞かせいただけますか?」

「ああ」


 キリーニャからやってきたリクエストに短い言葉応じたウベラバは、ふたりの副官を眺め直してから、もう一度口を開く。


「実際のところ、どれだけ抵抗しても数が足りない。そのうえ我々はその少ない兵を多くの砦に分散している。あれでは十対一どころか二十対一の戦いだ。どれだけ抵抗しようが、確実に落ちる。それだけではない。ここの砦もそれほど堅固ではないのはおまえたちも知ってのとおり。数で攻めれば落とすのはそう難しくはないだろう」


「だから、撤退をするのですか?」

「そうだ」

「ですが、そうであってもここを守るのが我らの務め、勝てなくてもひとりでも多くの敵兵を道連れに……」


「その気構えがあるのならなおさらここを放棄すべきだ」

「意味がわかりません」

「わからぬか?」

「まったく」

「そうか……」


 そう言ったところで、ウベラバはニヤリと笑う。


「砦の奥を見ろ。あの狭い渓谷を……」


「あそこは数の戦いができず個々の強さだけが生きる場所。つまり、我々が圧倒的な強さを見せられる。明け渡す、奴らから見れば手に入れるとなるわけだが、とにかく、ここを押しつけられた奴らはその戦いに引き摺り込まれるわけだ」


「ついでに言っておけば、この渓谷を突破しマンジュークへ到達する最も良い手。それは……」


「敗走する我が軍と入り乱れて進むこと。負けた挙句、敵軍をマンジュークまで引き連れる愚は絶対に犯してはならないのだ」

「な、なるほど」


「さらに……」


「小集団に分かれていたものをまとめて戦ったほうが我々にとって有利。そして、ここより北にはその拠点となる場所がある」

「……ミュネンウ城」

「そう。ここを守備する兵の半数をあそこまで下げる。同じに死ぬにしてもここで袋叩きに遭うよりも遥かにいい」


「さらに、もうひとつ」


「この一帯アリターナに占領させれば、我々にとってよりやっかいなフランベーニュは北上できなくなる」


「どれもこれもすべて我々が有利なのだ。この一帯をアリターナに渡すということは。だから、くれてやる」


「奴らがここまできたのはここベンティーユを手に入れるためなのはまちがいない。拒むことはないだろう。ただし……」


「条件をつける」


「条件?」

「そうだ。周辺一帯の砦に籠る兵たちが安全に撤退できるということだ。まあ、フランベーニュが手をつけているところは無理だが、それ以外についてはアリターナにくれてやるという条件なら交渉もできそうだ。どうやら、ここにやってきた部隊の指揮官は物分かりの良さそうだし」


 そう言って、ウベラバはもう一度笑った。


「何か言うことはあるか?」

「いいえ」


「では、準備入れ。ただし、こちらの意図に気づかれると交渉が不利になる。慎重にやるように」


「もちろんその前に逃げて来たものたちの収容をおこなうこと。相手が待つと言っているのだ。慌てずにゆっくりとやれ」


 実はアリターナ王国の伯爵だったキエーティが金とコネの力でかき集めた約六百人にも及ぶこの部隊専属の大魔術師団におかげで一気に一万一千人にまで膨れ上がったアリターナ軍。


 ベンティーユの城門を守備しているのはその半分ほどであるものの、周辺の砦を合わせればその数倍にはなる魔族軍。


 休戦状態が解ければ、一気に戦いが始まる。

 そして、過去の戦いを参考にすれば、それは一方的なものとなるのはあきらか。


「わざわざ殺されに集まって来るとは酔狂なことだ」


 アリターナ軍が布陣する後方にあたる位置にある砦の隊長で、三百人の部下を率いる魔族軍で騎士長の階級を持つアンドレ・アルプアンが口にした言葉通り、実をいえば攻撃側であるアリターナ軍が圧倒的に不利。


 当然ながらフロジノネ以外の者は混戦に持ち込む機会を逃したことを悔やんでいた。

 もちろんフロジノネ自身もその思いはある。

 多少ではあるが。


 ……さすがに時間をかけ過ぎたか。

 ……だが、もともとこのような状況になるはずだったのだから、これでも五分五分というところだ。いや。

 ……これだけの無傷な兵がいるのだ。やはり、条件は予定より良い。

 ……とにかく、ベンティーユを落とすことに専念したうえ、手に入れた後は救援を待つしかない。


……まあ、この策を口にした手前、ベンティーユ攻めはカンポバッソに任せ、やってくる敵兵を防ぐ役は俺がやるしかあるまい。


 考えがまとまったところでフロジノネが口を開く。


「そろそろ始まるが準備はいいか?俺が攻め手を防いでいる間にベンティーユは絶対に落とせよ。カンポバッソ」


 実はこれは形を変えた別れの挨拶。

 すぐにそれを察し、その言葉に対して何か言いかけた相手を右手で制すると、フロジノネは今から戦う相手に対して、再びブリターニャ語による呼びかけをおこなう。


「お互い準備ができたようなのでそろそろ始めたいと思うのだが、そちらの準備はできたか」

「ああ」

「ん?」


 戻ってきたのは実に歯切れの悪い言葉だった。


「まだ準備ができていなのなら……」

「いや。一応確認するが、おまえたちアリターナが望んでいるのはベンティーユの砦を手に入れることだけでいいのか?」

「はあ?」


「最初にそう言っただろうが」

「奴は何を言っているのだ?どうなのだ?フロジノネ」

「知らん。というより、俺が知りたい。おい。マナネッロ。せっかく転移して来たのだ。仕事をやるからなんとかしろ」

「お、おう」


 魔族軍の隊長からやってきた意味不明の言葉に対応を迷ったフロジノネは、あっさりと、というよりは強引にその大役を押しつけた相手。

 その人物は、こういうことについてはこの中の誰よりも秀でている者だった。

 だが、そのマナネッロにとっても、さすがに相手からの返答は理解しがたいものだった。


 ……言葉だけを聞けば、降伏したい意思が透けて見える。

 ……少なくても、ベンティーユを放棄して撤退したいというものだ。


 ……だが、過去の事例を考えれば降伏はあり得ない。

 ……アリターナを含めて、人間側が、捕らえた魔族をどのような扱いで遇してきたかを考えれば。

 ……しかも、我が軍はたしかにベンティーユの守備隊よりも多いようだが、それでも俺たちの数で勝てるのは相手が数千の時だけ。さらに、周辺からの援軍を考えれば、どう考えても負けるのは俺たち。

 ……降伏どころか、戦わすに撤退することだってありえない。


 ……つまり、罠。

 ……または俺たちに対する降伏勧告。


 ……まあ、いい。


 ……とりあえず、乗ったふりをして、話を聞き、穴を見つけよう。

 ……まあ、手っ取り早くしないといけないな。

 ……これからは、時間は相手に対して有利になるのだから。


 この手のプロらしくあっという間に頭の中で考えをまとめ上げたマナネッロが前に進み出ると、口を開ける。


「ここからは司令官に代わりにこの私、部隊の次席指揮官のアレッシオ・マナネッロが交渉にあたる」


 そう名乗ったマナネッロ。

 その肩書はもちろんたった今でっち上げたもの。

 まあ、このような場で交渉するためには必要なものであったことは間違いないのだが、許可もなく部下にされた仲間内では当然大不評である。

 背中から聞こえてくる各種取り揃えられた罵詈雑言の嵐をBGM代わりに聞き流しながら、マナネッロはさらに言葉を続ける。


「先ほどフロジノネ司令官が言ったとおり。我々はそのために来たものであるし、簡単に終わらせるつもりでもある。ただし、我々は野蛮人の集まりであるフランベーニュ軍とは違う。潔く砦を明け渡すというのなら、撤退する者の背を撃ったりはしない。もちろんそれはその野蛮人の手に落ちていない砦を籠る者たちも同じである。つまり、命が惜しければベンティーユ及び周辺の砦をすべて引き渡せ」


 もちろんこれは当のアリターナ人が腹を抱えて笑い出したくなるくらいに彼我の状況とはかけ離れた、盛大な、そして出来の悪すぎるハッタリである。

 ただし、日頃から自分たちを下に見ているフランベーニュ人を野蛮人と言い放ったところだけは大きな共感を呼び、アリターナ軍内から大きな拍手が起こる。


 ……少し言い過ぎた感もあるが、どうせ結果は同じ。

 ……せっかくハッタリをかますのならこれくらいやっても構わないだろう。


 そう心の中で呟いたマナネッロは、要求をすべて言い終わると、少しだけ間を置いた後に、この言葉で自らの主張を締めくくる。


「返答は如何に?」


 もちろんこれは即座に怒号によって拒否されることを前提としたものである。

 だから、「少々検討する」という回答が返ってきたときにはマナネッロはもちろん、同僚たちも拍子抜けの見本のような表情をしたのは仕方がないことであろう。


「強者である奴らは何を考えているのかさっぱりわからん」

「時間稼ぎ以外には考えられないだろうが、奴らにそんなものが必要なのか?」

「知らん」

「まあ、とにかく待つしかあるまい。どちらにしても転移避けの魔法でもう離脱は不可能なのだ」

「こうなってくると、先ほどまで転移できたのは意図的に兵を呼び寄せたとしか思えないな」

「まったくだ。俺が来る前に魔法を張ってくれれば、こんなところに来なくて済んだものを」

「それは貴様の日頃のおこないが悪いからだ」

「そのとおり」


 先ほどの妄言に対するお仕置きを兼ねてマナネッロを全員で弄りまわしながら、時間を潰しながら全員が待つ。

 もちろん開戦の報となる拒否の言葉を。


 だが、それほど時間をおくことなくやってきたのは、彼らにとって全くの予想外のものだった。


「いくつかの条件を追加したいが、とりあえず大筋でそちらの要求を受け入れる」

「ちょ、ちょっと待て……」


「要求を受け入れるとはどういうことだ?」

「ベンティーユを明け渡し、我々は撤退するということだ。それ以外に取られるなら、私の言い方か、そちらの語彙力に問題があると思われる」

「いや。おそらくどちらにも問題はない……ないのだが……」


 声を裏返しての確認。

 それは偽りの肩書の権威が一気に剥げ落ちた瞬間だった。

 もちろん当事者たるマナネッロにとってそれはそれだけの内容ではあったのだが、それはアリターナ軍全員の思い、そして、始まる前に勝ち試合を放棄することになった魔族軍にとっては逆の意味でとなるのだが、とにかく誰にとっても同じである。


「それで、条件とは?」

「突然の撤退だからその説得にかかる時間だな」

「なるほど……」


 ……まあ、それは相当時間がかかるな。

 ……だが、これで決まり。


 ……相手は魔族。

 ……普通にやれば勝てるもののために、ここまで小細工はするはずがない。

 ……つまり、これは……。


 ……本物だ。


 心の中で呟きつつ、マナネッロは相手の心情を読み切った。


「すべて承知した」


 人間と魔族との戦いにおいて初めてとなる交渉による要衝の無血開城。


 もちろんその出来事は当事者とその周辺の者たちに様々な未来を与えることになる。


 まず、一方の当事者であり、要衝を失いダメージを受けた魔族軍。

 当然のようにこの撤収を決めたウベラバに対して多くの批判が集まったものの、ウベラバ本人から語られたその理由を聞いた後は批判する者はなく、それどころか彼はすでに得ていた将軍の地位を保っただけではなく、その中でも上位に位置する立場にまで昇進するという処遇を得ることになる。

 つまり、魔族軍は彼が上層部に無許可で撤退したことを不問にしたどころか、英断として評価したのである。


 それに対し、ベンティーユとその周辺を無傷で手に入れたはずの人間側はなぜかその影響はほぼすべてが負の側に傾き、さらに長く尾を引くことになる。

 そして、その議論がもっとも激しく、その悪影響の中心となったのはこの出来事では直接的には関わることがなかったフランベーニュだった。

 彼らの主張、その主なものはこうである。


 魔族とアリターナ。

 両者の間に何らかの裏取引があったに違いない。


 もちろん魔族側がどのような考えのもとにベンティーユを放棄することにしたのかというところを把握できれば、この撤退の意味は容易に理解できる。

 だが、それが可能となるのはこの時代よりもずっと先のことであり、この時代においては魔族側の考えを手に入れることなど当然不可能なため、起こったことだけを眺めたフランベーニュ人がアリターナ側の語る言葉を疑い、怪しいと主張するのは当然のことといえるだろう。


 そして、フランベーニュ人がこの主張をするときに必ず挙げる根拠となったのがこれである。


 アリターナ軍は撤収する魔族軍の背を撃たず見送ったこと。


 もちろん、事実はアリターナ側の発表どおり、それこそがベンティーユ引き渡しの条件だったわけなのだが、これ以降両者、というより、「すべてを手に入れたあとはそのような話など反故にすればよかったではないか」と主張するフランベーニュのアリターナに対するわだかまりは残り続け、それがこの地の戦いの幕引き、その一助となる。


 さらに、この時フロジノネたちアリターナ軍が魔族軍との引き渡し協定を破ることなく去っていく魔族の姿を見送ったことが、最終段階において多くのアリターナ人が救われる理由ともなるのだが、それらはすべて約三年後に起きたあの出来事に含まれる。


 さて、未来へと続く余談はこの辺までにして話を進めよう。


「……すべての民の避難は終了しました。次は砦の引き渡しになるわけですが……」


 副官ベンジャミン・アララングアの表情、そしてその言葉からは濃い色の疑いと不安が滲み出していた。

 だが、彼の上官にあたる者はそれとは対照的になにひとつ不安を感じていな様子だった。


 副官の言葉に応じるようにその男の口が開く。


「すべての砦の部下たちが退去するまで、ベンティーユは明け渡さないと言ってある。奴らにとって最も手に入れたい場所を我々が押さえているのだ。心配はないだろう」

「たしかに……」


「……ですが、ウベラバ様は彼らを随分信用されているのですね」


 もうひとりの副官エジバウト・キリーニャの口から漏れ出すようにやってきた言葉にウベラバは大きく頷く。


「とりあえずこういうものは相手を信用しなければ成り立たない。たとえそれが人間であっても」

「ですが、これからやってくるアリターナ本隊までそれを守るのかどうかは……」

「心配ないだろう」


「もう少しで目当てのものが無傷で手に入るのだ。ここで揉め事を起こして台無しにするほど奴らも馬鹿ではないだろう」

「つまり、何か起きるのは引き渡しが完了した直後ということですか?」


 もうひとりの副官からやってきた問い。

 実をいえば、それこそが自らにとっての唯一の不安だったウベラバの口がその短い言葉を呟くために開いたのは少しだけ時間をおいてからからだった。


「……そうなるな」


「……それにしても、彼らがこれだけ素直に命令に従ったのは少々驚きです」

「私も。徹底抗戦を叫ぶ者も少なからずいるといましたので。日頃の勇ましい言動からは想像できませんでしたが意外に命が惜しいようですね。彼らも」


 その重い話題から強引に話を変えるため、私物を抱えて砦から出てくる自軍の兵士たちに視線をやったふたりの副官が口にするやや大げさに表現したその言葉。

 その意図に気づかぬふりをしたウベラバもそれに応える。

 二重の意味を込めて。


「まあ、それについては俺も同じだ。それに、それは悪いことではない」


「生きる希望がなければ戦いなどやっていられないのだから」


 そして……。


「すべての砦から兵が出ました」

「わかった。では、ここをあいつらに渡すとするか」


 この地に残る最後の魔族となったウベラバと側近のふたり、さらに護衛の兵士が五人。

 アリターナ側がその気になれば、一瞬でカタがつく。


「さて、人間はやはり人間なのか。これは見ものだ」


 なかば冗談、残りは本気の言葉を口にしたウベラバは少しだけ緊張しながらベンティーユの扉を開く。


「……これは……」


 それを見た瞬間、ウベラバの口からは苦笑いともにその言葉が漏れ出した。


「一応お伺いしましょうか。これはどういう意味なのかな」


 八人の魔族が見たもの。

 それは整列したアリターナ兵士。

 その前に立つ五人の指揮官らしい男たち。


 つまり、ウベラバが可能性として考えていたものとは正反対の光景だった。


 その一人が一礼後に口を開く。


「このような場合のあなたがたの作法を知らなかったので、こちらの流儀でやらせてもらった」


「それからこれを……」


 その男に続き、隣に立っていたカンポバッソが手渡したのはガラス製の瓶。


「総司令官の部屋に忍び込んでくすねてきた葡萄酒。味は保証すると言いたいところだが、高級過ぎて我々程度では手に入らぬ逸品だ」

「それから、こちらも総司令官用の菓子。これはそちらの方々で分けてください」


 ……アリターナ産の葡萄酒。

 ……そして、それ自体が高級品となるガラス瓶。

 ……まあ、そう簡単には手に入らぬものだ。


 それを受け取りながらウベラバはもう一度口を開く。


「感謝する。だが、いいのかな。そのようなことをして……」


「まあ、見つかれば怒鳴りつけられるでしょうね。こいつが」

「お、俺なのか」

「当然だろう」

「マナネッロよ。それ以外におまえがここにいる理由ない」

「ひどすぎるだろう。それは」


 再び始まった出来の悪い寸劇で笑い合ったところで、お互いに真剣な表情になる。


「今日のことは感謝する」

「こちらこそ。今も、そしてこれからも敵同士であるのだから、変な言い方ではあるが、壮健であれ」

「あなたも」

「では、次は戦場で会おう……」


 そう言うと、アリターナ側からの贈り物を手に持った魔族の将は、彼らに背を向けて渓谷へ向かって歩き出す。

 振り返ることをなく。


 さすがに護衛の兵士は剣を抜いてあとずさりしていったのだが。


「今ならあの魔族の将を簡単に討ち取れるぞ。カンポバッソ」


 フロジノネからやってきた言葉にカンポバッソは愛想よく答える。


「そうだな。だが、せっかく気持ちよく別れたのだ。騙し討ちのようなことはしたくないな」

「勝つためなら何でもするおまえらしくもない」

「自分でもそう思う。だが、今日はそんな気分なのだよ。それに、それはおまえだってそうだろう。フロジノネ」

「そうだな。魔族相手に無血開城させた偉業に泥を塗るような真似はしたくない。マナネッロではあるまいし」

「そんなことは俺だってやらん」


「では、彼の姿も消えたことだし、そろそろ中に入ることにしようか」

「ああ」


 カンポバッソの言葉にこの計画を立ち上げたメンバーのうちの五人が先頭になって門をくぐる。


 ベンティーユがアリターナ側の手に渡った瞬間だった。


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