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アグリニオン戦記 外伝 マンジューク防衛戦の始まり  作者: 田丸 彬禰


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3/7

アリターナの英雄たち

 ベンティーユ。

 魔族の言葉であるそれは、当地からの逃亡に成功した人間たちから伝えられたマンジュークへと続く山岳地帯への東側の入口の名である。


 フランベーニュ側の推測どおり、各国が一斉攻勢に出る協定交渉が進む中、アリターナの宰相直属の官史たちは軍の作戦担当員に対して攻略目標のひとつとしてこの場所を指定してきた。

 理由はもちろん有名なマンジューク銀山とその近郊に点在するという多くの金銀鉱山の奪取。

 そこがその入り口であるからである。


 だが、当然のようにそこには避けようのない問題が横たわる。


 いうまでもない。

 隣国フランベーニュの存在である。


 間違いなく彼らもそこを取りに来る。

 すでに確定的に手に入れている西側の入口とともに、そこを手に入れ、金銀鉱山へのルート独占するつもりで。


 つまり、どちらが早くその地に到着にするかという競争をしなければならないのだ。


 しかし……。


 ……ただ、走っていくだけなら勝ち目もある。

 ……だが、実際はそこまでに数多くの魔族を倒し、砦を落とさなければならないのだ。

 ……つまり、軍事力の勝負。

 ……そのような争いとなれば、我々は圧倒的に不利。


 口には出さないものの、軍幹部のうち年長者の顔にはその指示書を眺めた直後から諦めの表情が見えていた。

 そして、そこにあらたな問題が、情報の形としてやってくる。


 有名なボナール将軍が侵攻軍の指揮を執る。


 ……さすがにこれはダメだ。


 彼らは心の中で一斉に呟く。


 そもそも、自分たちの戦い方は強固な要塞に籠っての迎撃戦。

 野戦は不得意なうえに、攻勢に出て長期遠征となれば、なおさらその弱点が露呈する。


「……相手は我々の倍の兵を持つフランベーニュ」

「……しかも、指揮官があのボナール将軍」

「……万が一にも勝ち目はない」

「……つまり、大軍を仕立ててベンティーユに向かっても絶対に間に合わない。

それどころか、ようやく到着したころにはフランベーニュの国旗が並び、フランベーニュの勝ち誇った顔を見せられるだけだ」


「……フランベーニュに辱められるために、多くの死者を出すなど無駄の極致」

「……そういうことなら、最初から行かない方がよい」


「……つまり、ここは不戦敗もやむなし」


「……ベンティーユ攻略は中止し、その兵力を国境付近の耕作地を手に入れるために使い、領地拡大に専念するのが得策」


「……陛下にはそのように意見具申しようではないか」


 大幹部たちはその意見でまとまる。

 だが、軍幹部の全員がその意見に賛成していたのかといえば、そうではない。


 特に若手たちの一部は、年長者の無気力ぶりに怒り狂い、酒場で毎日のように怪気炎を上げ、その勢いのまま、「アリターナ軍は猿より弱い」、「敵を見るたびお漏らしをするのでアリターナ軍将兵には剣ではなくオムツが支給される」などなど数々の無礼極まる言葉を公然と口にするフランベーニュ軍を出し抜いて積年の恨みを晴らしてやろうという機運が盛り上がる。

 もちろん最初はあくまで酒の肴として。

 だが、熱は上がり続け、遂に現実のものとするために動き出す。


 まずは目標。


 奴らよりも先にベンティーユに到達する。


 その後フランベーニュと共同で魔族を追い払っても、とりあえず銀山への道は確保できる。


 議論を始めた動機と熱量を考えれば、随分とささやかなものに見えるのだが、彼我の戦力差を考えれば、極めて妥当な案。

 つまり、現実的なものだといえるだろう。


 しかも、彼らの背後には、あの「赤い悪魔」がいる。

 交渉にさせ持ち込めれば、十分に分があるものが得られるという目算もある。


 だが、最終的には他人の褌の相撲を取るにしても、その前提になるのは、自分たちがフランベーニュよりも先に目的地に辿り着かなければならないこと。


 そのためにはどうしたらよいのか?

 アルコールの力を借りて毎日の、いや毎晩のように議論を重ねる。

 そして、ある晩、そのひとりがついに名案を思いつく。


 いつものように酒場。


 宴たけなわのところでグループのひとりアベラルド・キエーティが口を開く。

 そして、このようなことを口にする。


「この計画を前進させるために俺たちが絶対に持たなければいけない気概がある。まずそれをおまえたちが持っているか確認したい」


「それはおもしろい」

「それがどのようなものかを是非聞かせてもらおうか」


 次々にやってくる、その開陳を促すアルコール臭漂う言葉にキエーティは頷く。


「……もしフランベーニュの無礼者たちに恥を掻かせてやりたいと本気で考えているのなら……」


「我々アリターナ軍がフランベーニュ軍よりも弱いということを認めなければならない」


 唐突にやってきたこの言葉には、仲間たちから猛反発の言葉が返ってくる。


 もちろんその場にいる者全員が軍中枢部にいる者。

 アリターナ軍とフランベーニュ軍との間には大きな戦力差があることは十分過ぎるくらいに認識している。


 ただ……。

 認めたくないのだ。

 その差を。


 それなのに、突然高みから自分たちが弱いことを認めろと言われたのだから、その場にいる者全員が爆発するのは当然といえる。

 しかも、悪いことにキエーティを含めて全員の身体にはすでに大量のアルコールが充填されている。

 当然行きつくところまで行かなければ、ことは収まらない。

 勢いのまま終着点に辿り着いた彼らのなかに大きな怪我を負った者がいなかったのは不幸中の幸いといったところだろう。


「……とりあえず、全員が落ち着いたところで……」


 痛みが残る頬を押さえながらそう言ったのは、アルバーノ・ベネペント。

 このグループの中ではもっとも熱しやすく冷めやすい人物である。


「おまえのように自らを罵られることに快感を感じることもなく、甚振られることを生業ともしていない我々にも、おまえがそのおかしな考えに行きついた訳を教えてもらおうか。アベラルド」


 まだ収まり切らない感情が滲み出す言い回しで言葉を吐き出すベネペントに、口に出かかった反論の言葉を飲み込んだキエーティが頷く。


「もちろん俺だって自らを甚振って喜ぶそのような奇怪な趣味は持ち合わせていない。俺の言いたいことは、俺たちがフランベーニュと対等などという建前的な考えを前提に立てた策ではフランベーニュには絶対勝てないということだ」


 再びの怒気が立ち上るものの、さすがに一度聞いた話題であり、さらにここまで言うからにはそれなりのものがあることを悟ったベネペントは、まずは自らの感情を押さえ、それから他の全員を視線で黙らせると、もう一度口を開く。


「それで?」

「もちろん今回はフランベーニュ軍と直接やりあうわけではないのだが、それでも、奴らの兵数は我が軍の倍はある。しかも、そこに進むまでにフランベーニュ以上にやっかいな魔族兵がいることを考えればこれは大きい。しかも、フランベーニュの指揮官は……」

「あのボナール」


「言いたくはないが、たしかに奴はアリターナのどの将軍よりも有能だ」


「……忌々しいことだが、俺もそれは認める。俺たちが監察官として参加したベレンジの国境紛争では酷い目に遭わされたことは今でも忘れていない。おまえたちだって忘れていないだろう」

「ああ」

「たしかにあれは酷かった。あのような奇策を大軍でおこなわれたら防ぎようがない」

「というか、あれを大軍でおこなうところが……いやいや、今は忘れたかったあの敗戦の話はどうでもいい。話を進めろ、アベラルド」


 コースアウトしかかった話を元に戻したのはキエーティの親友コンスタツォ・カンポバッソだった。

 その言葉に頷いたキエーティはさらに言葉を続ける。


「つまり、フランベーニュの奴らが考えているのは、俺たちとは逆ではないのかということだ」

「逆?」

「つまり、我々フランベーニュ軍は、惰弱なアリターナ軍ごときに負けるはずがない。そう考えているのではないかということだ」


「まあ、そうだろうな」

「そのとおり。それは奴らの日頃の言動を見ればわかる」

「まったくだ。それで?」


「そこが狙い目」


「おごり高ぶったフランベーニュ人の足を掬う」

「フランベーニュ人の足を掬う?」

「ああ」


「……悪くないな。それは」


 自らの問いに対してのキエーティの短い返答。

 そこから一瞬の数十倍の時間が経ってようやくやってきたその場にいる最年長者であるエンツォ・フロジノネの言葉。

 それは、彼とその言葉を聞いた全員の感情を雄弁に物語っていた。


 日頃自分たちを小ばかにするフランベーニュ人たちの鼻を明かすには正面から叩き潰すよりも、こちらの方が遥かによい。


 いや。


 積年の恨みを晴らすのにはこれ以上のものはない極上の策。


 一瞬にして全員の思考が同じ方向へ向く。


「たしかに、フランベーニュの奴らは俺たちに負けるはずがないと考えているのは疑いようがない。そうなれば、当然油断も生まれる。俺たちはそこを突くというわけか」

「そうだ」


「だが、相手はボナール。奴がそんな油断を見せるとは思えぬが」


 拭い難い大惨敗を喫した相手を忘れることができないアデルモ・アルネンタからやってきたもっともな問い。

 アルネンタはもちろん、その場にいる他の者も、当然キエーティがボナール込みでこの話を口にしていると思っていたわけなのだが、彼からやってきたものはそれに反するものだった。


「まあ、そうだろうな。当然」


「ど、どういうことだ?アベラルド」


 真面目に問うたのが馬鹿々々しいと思わせるその返答に再び怒気が立ち始めたアルネンタを、先ほどの続きを始められては困るキエーティは急いで次の言葉を差し込んで宥める。


「相手がボナールということになれば、俺たちごときの小細工は通用しないと言っているだけだ。その理由は先ほどおまえたちが言ったとおりだ」


「では、どうする?」

「どうするも何も、単純にボナールが相手では厳しいが、その他の将軍ならなんとかなるのではないかと考える。つまり、これはフランベーニュ軍の指揮官がボナールではないことを前提にしているということだ」


 相手となるフランベーニュ軍の指揮官がボナールではないとなれば、たしかに、成功する確率は高くなる。

 キエーティの言葉は理に適っている。

 だが……。


「ということは、その軍の指揮官はベルナードということか?だが、ベルナードは奇をてらうことはないが堅実。こちらが相手だって簡単ではない。そもそも爵位持ちのベルナードはフランベーニュ内ではボナールよりも格上で陸軍最高位にある。つまり、一番の大軍である西方の平原を進む部隊を指揮するだろう」


 やってきたアルネンタのその言葉。

 キエーティはその言葉に大きく頷く。

 先ほどまでは見せなかった黒い笑みとともに。


「そのとおりだ。つまり、ベルナードでもない。では、諸君に改めて問う。それ以外ならどうだ?」

「……それ以外?」


 キエーティの問いに、各人は自らの心の内にあるフランベーニュ軍の人名録を広げる。

 もちろん多くのフランベーニュ軍の将軍の顔が浮かぶものの、これと言えるものが出てこない。

 困惑の表情を浮かべる同僚たちを眺めながら待っていたキエーティだったが、ある結論に達したところで口を開く。


「そう。皆は誰を想像しているかまでは知らないが、たとえ誰であってもたいしたことはない。少なくてもボナールやベルナードに比べれば、数段落ちる。これであれば十分成功するのではないか?」

「……たしかに」


「そうなると、ボナールを前線に出さない策。それが肝というわけか」

「そうなるな」

「だが、そうは言ってもフランベーニュだって、ベンティーユの重要性は十分に認識しているだろう。そのような重要な戦いの指揮をボナール以外の者にやらせることなど、どうなれば起こるのだ?」


「まあ、それを考えるのが俺たちの仕事というわけだ」


 もちろんこの世界にも特定の人物にご退場願う手立てとして暗殺をおこなうという手段は存在する。

 だが、これをおこなって露見した場合、得た利益以上の代償は絶対に払わなければならない。

 それどころか、正式に露見しなくても、報復が始まることも多い。

 つまり、どれだけ巧妙に隠し証拠が隠蔽されようとも、被害者がその者を加害者と指定するだけでお返しの行動はすぐさま実行に移されるのだ。

 そして、報復の連鎖によって泥沼に陥った過去の教訓から、基本的には国家間の揉めごとでそれをおこなう国はない。


 もちろん今回もそれは真っ先に排除される。


 となれば、それ以外のもの。


 それぞれが様々なものを思いうかべるものの、すべてが一長一短であり、決め手となるものはない。


 もちろんそれはキエーティも同じ。

 正解となりうる案を持っていたわけではなく、心のなかではこの辺が話の限界だろうとも思っていた。


 ……どうせ酒の席での話。

 ……十分に楽しんだのだ。もういいだろう。


 アルコールで濁った頭で必死に考える仲間を見ながら、キエーティは心の中でこう呟いていた。


 まさか、その条件が本当に現れる、しかも相手の方から転がってくるなどとは思わずに。


 そんなものは絶対に存在しない。


 それを前提に話をしているはずのその場にいる者でさえそう思った、フランベーニュの名将ボナールにベンティーユ攻略部隊を指揮させない策。


 だが……。


 しばらく経ったある日、それはやってくる。


「非常におもしろい情報が手に入った」


 いつもの酒場での会議。

 その日の会議で、真っ先にこの言葉に口にしたのは、アレッシオ・マナネッロだった。


 だが、ちらちらと周辺の様子を伺い、安全を確認してから口を開くものの、その声はいつもとは比べものにならないくらいに小さい。


 そして、マナネッロがこっそりと伝えるもの。

 それがこれである。


「……間者からの報告でボナールはやはりこちら側の軍を指揮するようだ。もちろん裏を取った」


 その言動からそのおもしろい情報とやらに大いに期待した一同は、その瞬間一斉に盛大なため息をつく。


「まあ、そうだな。わかっていたよ。そうなることは」

「というか、それのどこがおもしろいのだ。俺には不機嫌な話題にしか思えないぞ」

「まったくだ」


 自らの報告に対して続々とやってくる不平不満の声。

 だが、それを極上の肴のようにして酒を飲むマナネッロはすべてクレームを聞き終わると、ニヤリと笑う。


「もちろんここからが本番だ」


 そう言ってから、もう一度周囲を気にすると、マナネッロの口がもう一度開かれ、その情報が言葉として漏れ出す。


「……奴らはアリターナとフランベーニュの境界地域の戦いに関して二段階に分けて準備をしており、前半の指揮をおこなうのがボナール。後半の指揮官はロバウ、アンジュレス、ザングルという三将にするそうだ。そして……」


「ここが最も重要なことだ」


「……フランベーニュは、アリターナが両国間の国境に位置する魔族領を手に入れることに軍を集中すると読んでいる。そして、その阻止に全力をあげるつもりだ」


「これが何を意味するかわかるか?」


「ああ……」


 マナネッロの問いに対して不愛想の極みのようにそう答えたキエーティだったが、もちろんそれはその意味がまだわかっていないからというわけではない。

 というよりも、十分過ぎるくらいにその意味は伝わってくる。

 そして、それは彼の同僚も同じである。


 ……なるほど。

 ……これは重要情報だ。

 ……そして、これはこちらがそれを知っていることをフランベーニュ側には知られたくない情報でもある。


 ……それから……。


 ……これこそ我々が待ち望んでいた状況ではないか。

 ……すばらしい。


「席を変えようか。これから話をする内容にはここは賑やかすぎる」


 キエーティのその言葉に全員が頷いた。


 そして、彼らが移動した先。

 それはいつもの酒場からそう遠くない場所にあるいかがわしい香りが充満する宿屋。

 その一室。


 そこは、マナネッロが軍の若手幹部という肩書に隠された本業をおこなう仕事場だった。

 その目的のために外に声が漏れぬように特別なつくりに設えられているのだが、その代償としてそこでおこなわれている際に発生する鼻に突く独特な匂いは消えぬまま残っている。


 そう。

 ここを使うのは特別な人間だけ。

 そして、彼とともにこの部屋にやってきた客は大抵の場合、生きては出られない。


 そういう場所である。


「久々に来たが、やはり嫌な臭いだな」

「まったくだ。使用者の趣味と人間性に卑しさを感じさせる」


「言っておくが、俺だって好きでやっているわけではない。……おい。なんだ。その疑わしそうな目は……」


 同僚たちの言葉と視線に精一杯の抵抗をしたものの、その程度の言葉ではその評価は覆すことは叶わぬとあっさりと諦めたマナネッロは一度咳払いをして強制的に仕切り直しをし、それから言葉を続ける。


「そうは言うが、ここなら何をどれだけ大声で話そうが誰にも聞かれない。これは間違いない事実だ」


「まあ、そうだな」

「そこだけがここの取り柄だ」

「唯一の……」

「そのとおり」

「もっとも、その目的は密談の声ではなく悲鳴が漏れないためなのだが」


「もういい。始めるぞ」


 密室を提供したにもかかわらず、誰にも評価されない。

 いつまで経ってもその風向きはまったく変わらないことに、表情とアクションによって盛大にガッカリしていることをアピールすると、マナネッロは投げやりの口調でその言葉を口にする。

 彼の視線の先にいた男はそれに応えるように大きく頷く。


「……では、先ほどの続きだ」


 その短い前置き後、その男であるキエーティがあの場所でとっさに打ち切った話の続きを語り始める。


「皆もわかっていると思うが、フランベーニュは我が軍の動きを完全に読み切っている」


「まあ、それは我々の戦力やこれまでの戦い方を考えれば、十分に導き出せる答えでもあるのだが……」


 そして、その続きとなるものを口にしたのは、この部屋で先ほどまでおこなわれていた自らの本業によって情報を手に入れてきた張本人となる者である。


「そのとおり。そして、おおかたフランベーニュ軍の幹部はこう考えているのだろう。アリターナのことだ。とにかく手をつけさえすれば完全に掌握できなくても、交渉には持ち込める。そうすれば、『赤い悪魔』が何とかしてくれる。だから、薄く広く攻撃を始めると。まあ、それはまさに我々が敬愛する軍首脳が考えている策そのものなのだから奴らの予測は当たりとなる」


「では、そう考えた場合、それを阻止するためにフランベーニュはどう動く?」

「大軍による速攻。そして、有力者とともに大軍を国境確定まで駐屯させる。まあ、こんなところだろうな」


 カンポバッソからやってきたその答え。

 その言葉にまず頷いたマナネッロは全員の顔を眺めてそれが全員一致のものであることを確認すると、そこからさらに続きとなる言葉を口にする。


「情報にあった第一段階とはこの部分。そして、ボナールがこの軍の指揮を執るということは、ボナールはこのままこの地に留まる。我が軍に蠢動をさせないように。つまり……」


 そこでマナネッロは言葉を切り、全員を見回し、右手で答えを口にするように促す。

 それに応えたのはアルネンタ。


「……ボナールはこの後の作戦には参加しない。そして、そこから始まるのが第二段階ということか」


 もちろんそれを望んでいたのは事実である。

 だが、そのようなことは起こるはずはないと思っていたのも事実。

 

 ……まさかそれがやってくるとは思わなかった。


 その複雑な感情を表わすかのように絞り出すようにして吐き出されたアルネンタの言葉。

 そのすべてを引き継いだマナネッロはさらに言葉を重ねる。


「とりあえず我々の希望は叶ったわけだ。そして、フランベーニュからの極上の贈り物を受け取った我々がこの後どうするべきかといえば。それはもちろん……」


「やつらが考えているとおりに動く」


「つまり、アリターナはベンティーユ奪取を諦め、国境付近の土地を手に入れることに専念するとフランベーニュが考えているのなら、奴らの希望通り盛大に動いてやるべきだろう。大いなる贈り物に対するお礼の意味を兼ねて。そうすれば……」


「我が軍の動きを見たフランベーニュは大きく頷くわけか。『予定通り』と」

「そう。だが、実際には盛大に罠にかかっているというわけだ。そして、その結果といえば……」


「悪くない。本当に悪くない」

「ああ。まったくだ」


 彼らの一世一代の悪巧み。

 その算段はさらに続く。

 

「信じられないことではあるが、ここまでは完璧なくらいに我々の希望通り。だが、ハッキリいえば、ここからが本番だ」

「そうだな」


 キエーティが口にし、ベネペントが相槌を打ったその言葉。

 実はまったくそのとおり。

 実際のところ、ここまでは事前準備のようなものであり、キエーティたちが企むフランベーニュを出し抜いてベンティーユに辿り着くというその競争。

 それに関しては、彼らはまだスタートラインにすら立っていなかったのだから。


「今回の策。それをおこなうにあたり……」


「数で劣る我々が勝つためには、魔族兵との交戦は避ける」


「目標であるベンティーユでは確実に魔族兵とやり合わなくてはならないのだから、当然それなりの数の兵の数を確保しなければならない。それから、もちろん時間の節約。その両方からこの基本姿勢は有効である」


 ベンティーユに辿り着くまでは魔族兵とは戦わない。

 つまり、ベンティーユまでのルートに点在する魔族軍の砦を無視してゴールまで一気に走り抜ける。


 キエーティのこの言葉は十分に説得力のあるものであり、実際にアリターナがフランベーニュを出し抜いてベンティーユ奪取に成功した要因のひとつがこれであった。

 だが、当然不安もある。


「キエーティは簡単にそう言うが、ある程度砦を落とさなければ目標に向かう背中を撃たれる心配がある」


 カンポバッソからやってきたこの疑念はもっともなことである。


「もちろん砦に籠る魔族には絶対に手を出すなと言っているわけではない。俺が言いたいのは、欲に駆られて不要な場所を攻撃し、時間を浪費することのないよう徹底させなければならないということだ」


 ……それくらいのことは気がつけ。


 自らの指摘に対して、その心の声とともに強い語気で返ってきたキエーティの言葉。

 もちろんカンポバッソもキエーティの言いたいことくらいは十分にわかっていた。

 だが、過去の事例から考えれば、これを実行するのは大変難しい。


 そう。

 アリターナもフランベーニュと同様、砦を落とし多くの土地を奪うことが戦後の論功行賞の評価ポイントであり、ついでに言えば奪った土地の何割かを領地として得られることも慣例となっている。

 逆に今回のように戦略的に重要な場所であっても、領有後にたいした実りをもたらさない場所を攻略してもその功は多少の報奨金で済まされる。

 つまり、攻める者としてはあまりうま味がないのである。

 しかも、今回は激しい抵抗が予想され大きな損害が出るのは確実。

 そうなればその指揮官の評価は下がることはあっても上がることはない。


 百害あって一利なしとまでは言わないものの、それに近いものであるとは言えるだろう。


 ……方針としては悪くはないが、それだけでは人の欲と保身の気持ちを制御するのは完全に難しい。

 ……それが絶対に必要ということであれば、なにか明確な基準と罰則を……。

 ……いや。今ここでその話をしても、議論が停滞するだけでなんの実りもない。


 ……ここは一旦流そう。


「わかった。だが、そうなると、指揮官の人選は気をつけねばならないな」


 カンポバッソは自らが気づいたキエーティの言葉の裏側にある問題点を飲み込み、直接的にはそれに触れることなく注意喚起を込めたその言葉だけをつけ加えた。

 話の腰を折らぬために。

 だが、ここで予想外の言葉がやってくる。


「まあ、その点はほとんど心配いらないだろうな」


「どういうことだ?フロジノネ」


 自分の配慮を台無しにするようなその言葉に、怒りを込めて問い直すカンポバッソにフロジノネがニヤリと笑う。


「簡単なことだ。ほぼすべての指揮官は国境から進む軍の指揮官にあてられる。つまり、今さらあたらしい策を上程しても、それを指揮する者などいない。たとえ、国内にまだ指揮官になりうる者がいてもそのような危険なだけでうま味のない策に乗る者などいない。そうなれば、必然的に……」


 ……なるほど。

 ……たしかに。


 一斉に異口同音的心の声が漏れ出す。

 そして、そのひとりアルネンタの口から、実際の声として漏れ出す。


「提案者である俺たち自身がその指揮官に任じられるというわけか。たしかに、それであれば、指揮官の欲に関して余計な心配をする必要はないわけだ」


「そうだ。だが、それに付随してもうひとつ問題があることも忘れてはいけない」


「それは我々が指揮をする兵だ。将軍クラスが皆そちらに向かうのなら当然兵も大部分はそちらに回されるのではないか。特に熟練兵は。そうなると、我々が指揮を執ることになるその部隊にやってくるのは新兵。それもほんのわずかな数」


 カンポバッソの言葉に応えた直後フロジノネから示された難題。

 さすがに今度は即答できない。

 一同が渋い表情を浮かべるなかで、答えを強引に引き出したのはベネペント。


「ものは考えようだ。というよりも、なければ、あるだけのものでやるしかあるまい」


 いかにもこの男らしく厳しい現状をたいしたことがないように完全に肯定するような結論に続いたのは、いつもならこの男とは対照的な意見を口にするマナネッロだった。


「たしかに成功するために数は多いほうがいいに決まっている。だが、それと同時に我々の競争相手となるフランベーニュにも我々の意図が感づかれやすくなる。我々がおこなうのはフランベーニュが魔族の砦を攻撃している最中にコッソリ裏門から入るコソ泥のようなもの。少ない数の方がかえって好都合とも考えられる」


「それから、もうひとつ。これは我々にとって都合の良い解釈で魔族側から見たものとなるのだが……」


「無視してもいいくらいの敵兵が目の前を通り過ぎた。普通ならすぐさま叩き潰しに砦を出る。だが、後方に大軍が迫っているという状況となれば話は別だ。ここで砦を出てしまっては戻れない可能性もある。それどころか、それが目的ではないかと疑う。あれは開門させるための囮だと。そうなれば、気づいても見過ごすことも十分にあり得るのではないか」

「なるほど」


「だが、それであれば兵の質はなおさら重要になってくるのではないのか?」


 キエーティからの問い。

 それは正しい。

 だが、実際にはそれを揃えるのは確実に無理なのだ。


 では、どうする?

 それに対してニヤリと笑ったマナネッロの答えがこれである。


「まあ、数が少ない分、質の良い兵が揃えられればいいのは当然なのだが、新兵には新兵の良さがある」

「なんだ?それは」

「素直であること。我々の命令通りに動く。これは今回の策を成功させるには重要なことだ。とにかく、先ほどのベネペントの言葉ではないが、高望みをしてそれが手に入るのならともかく、そうでないのだから手持ちの戦力に満足してやるしかない。それからもうひとつ、それを補って余りあるくらいのありがたい情報がある」


「なんとフランベーニュがベンティーユを手に入れるための部隊の指揮官をふたりにしたのだ」


 マナネッロが意味ありげに口にした新情報。

 だが、発言者の意図に反して、聞いた者はその意味は伝わらない。

 まずは顔を見合わせて、お互いに相手がその言葉を理解していないことを確認すると、全員の視線で代表に指名されたカンポバッソが口を開く。


「それのどこがありがたいのだ?マナネッロ」


 その言葉にマナネッロがニヤリと笑う。


「考えてみろ。本来であればひとりで済む指揮官をふたりにして二部隊にわけて攻める理由を。どうだ?カンポバッソ。思い浮かぶことはあるか?」

「わからんな。そんな理由は」


 当然返ってくると思われたその答えをマナネッロは深みを増したどす黒い笑みで応える。


「もちろん難所がありどちらかが手間取っても、もう一方がベンティーユを落とすよう予備的に指揮官をふたりにしたという可能性もある。だが、こちらにやってくるふたりの将軍アンジュレスとザングルは共にひも付きだ」

「ひも付き?」

「つまり、ふたりの将軍には飼い主がいる。しかも、その飼い主である王太子とその弟は仲が悪いうえに両方とも欲が深い。そうなれば、その理由は別のものとなる。どうだ?ここまで言えばわかるのではないか」


「もしかして周辺に広がる耕作地か」


「ほぼ間違いなく目的はそういうことだろう。そして、そうであれば、最も重要な目標であるはずのベンティーユは彼らの頭のなかでは二の次になっていることも考えられる」

「なるほど……」


「……そうなれば、彼らが耕作地を手に入れるためにせっせと魔族の砦を落としている隙をつくことは十分に可能ということか」

「そうだ」


「悪くない。というより、非常にいい」


「まあ、すべてこちらに都合のいいように情報を組み上げた結果ともいえなくはないが……」


「少なくてもどんなことをやっても望みがないよりはいいだろう」


 そう言ってキエーティは仲間たちと同じようにニヤリと笑った。


「基本方針は決まったが、いよいよ具体的に何をどれくらい用意するかということだが……」

「この策を実行するにあたって絶対に必要なものがある」

「聞こう。カンポバッソ」


「魔術師。それもかなり大人数」


「そこまで言うからにはこれを成功させる妙案が浮かんだと思っていいのか?カンポバッソ」

「ああ」


 キエーティの問いに、短い言葉で答えたカンポバッソが続いて口にしたその妙案。

 その概要はこうである。


 少数の兵。

 と言っても一撃で塵になるような数ではお話にならないのだが、とにかく少数兵で構成されたグループを数集団用意する。

 もちろんそのグループは別々のルートでベンティーユを目指すわけだが、物理的に進むのが困難になったり、フランベーニュに先を越されたりすることも十分にあり得る。

 当然そうなれば、戦線離脱をすることになる。

 その場合のために十分な数の魔術師が必要になる。

 そして、魔術師を揃えるのにはもうひとつ重要な理由がある。

 それは、転移魔法を使った増援。


「とにかくどのグループかがベンティーユに辿りついたとしよう。そこから転移魔法でこちらに待機していた増援部隊を派遣する」

「そのために多数の魔術師をつれていくわけか、たとえ残った魔術師がひとりであっても転移をくりかえせば、十人、百人となるわけだ」

「ベンティーユの守備隊がどれほどいるかはわからないが、できれば、こちらは一万人くらいにはしたいものだな」

「ああ。それから、ベンティーユを奪ったあとに、耕作地帯に取り残された魔族……」


「彼らが逃げることができる道を用意すること。具体的にはベンティーユ以外の場所から撤退できるように北へ進む街道は絶対に占領してはいけない。理由はわかるな」

「逃げ場がなかったら、死に物狂いでベンティーユを奪い返しにくるから」

「そういうことだ。逆に、完全な形で退路が残っていれば、意外にあっさりとカタがつくかもしれない。特にフランベーニュが猛攻をしかけている状況であれば」

「ということは俺たちの成功を援護してくれるわけだ。フランベーニュが」

「痛快だろう」

「ああ」


「そのためにも魔術師の確保は必須だ」

「だが、厳しそうだな」

「ああ。兵でさえ集まらなさそうなのだ。魔術師となればなおさらではないか」


「それについては俺がなんとかしよう」


 薄い笑いとともにそう言ったのはキエーティだった。


「こういうときのためにある侯爵という肩書だ」


 ……普段は目障りなだけだが、こういう時にはありがたみを感じるな。

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