フランベーニュの醜態 Ⅱ
それから時が進み、対魔族の一斉攻勢をおこなう日の三日前の夜。
王宮に前線の指揮を執る五人の将軍が王に呼び出されていた。
そして、その最後に名を呼ばれ、王が待つ謁見の間に入ってきたのはふたり。
ドミニク・アンジュレス。
クロヴィス・ザングル。
そう。
これから始まる大きな戦い。
紆余曲折と大いなる妥協のすえ、その重要な部分を担うことになったあのふたりである。
王から直々に軍の指揮官を命じる正式な辞令を受け取り、続いて宰相アブスノアから形式上ではあるがその概要が告げられる。
そして……。
「戦うにあたり、両将軍が担う部分について特別な注意がある」
王のその言葉に続いてそれを語る役として、ふたりの前に立ったのはそれまで脇に控えていた第三王子ダニエル・フランベーニュである。
「概要は宰相が説明した通りであるが、両将軍には絶対に忘れてもらっては困る重要な点がある」
そう前置きしたダニエル、一度両将軍を見やり、それからその続きとなる言葉を口にする。
「魔族の砦を落とし、耕作地の奪取も重要なことである。しかし、今回に限りもっとも重要な目標はそこではないことを心に刻んで軍の指揮を執ってもらいたい」
「……承知しました。それで、それはどのようなものでしょうか?」
ふたりのうち年下ながら格上のなるアンジュレス将軍からやってきた問いの言葉に、ダニエルが応じる。
「もっとも重要な目標。それは、山岳地帯の入口だ」
「それはたった今、宰相殿から第一段階の到達点とお聞きしました。それを忘れるほど耄碌はしておりませんのでご心配なく」
そこが最終的な目標であることは知っている。
何度も言うな。
アンジュレスは言外にそう言った。
まるで、生意気な子供を窘めるような口調で。
……やはり、父上にこの役をやらせるように願い出て正解だったな。
アンジュレスの言葉を聞きながら、ダニエルは心の中でそう呟いた。
……この男はあの場所を奪う重要性をまったくわかっていない。
……まあ、この点については隣の男も同じだろうが。
……仕方がない。もう少し強く言うか。
心の中で決心したダニエルが再び口を開く。
「将軍は少し勘違いをしているようなので、ここでそれを正しておきたい」
「……伺いましょう」
「そこは最終的な目標ではなく、もっとも重要な目標だ」
「つまり、ここを取るためには他の場所をすべて失っても構わないし、罪も問わない。その逆にここを取れなかったなら、他の場所をどれだけ奪おうが何の価値もない。そういうことだ」
「なるほど」
「では、殿下がそこまで言う理由を聞かせてもらいましょうか?」
本当にわかっていないのか。
それとも、わかっていながら敢えてその言葉を口にしたのか。
さすがに目の前の男の表情から察することはできない。
だが、問われたのであるから。正確にこたえなければならない。
少しだけイラつく表情を見せたダニエルが口をもう一度開く。
「先ほど宰相が話したように、そこは鉱山地帯に進むための入口だからだ」
「もちろんそれは承知しています」
「……なるほど」
アンジュレスからやってきた言葉に、ダニエルはその言葉で応じ、それから言葉を続ける。
「だが、このことはアリターナも知っている。当然アリターナもここを狙って進軍してくる。つまり、油断をするとアリターナに先を越される可能性がある。私が注意すべきというのはまさにこの点だ」
ダニエルがその言葉を口にした瞬間、ふたりの将軍から小さな笑いが起きる。
「殿下。それは何かの冗談でしょうか?」
「まったく。アンジュレス殿の言うとおり」
……チッ。
音が聞こえそうなくらいな勢いでダニエルは心の中で舌打ちをする。
そして、その感情が少しだけ滲んだ言葉で目の前の男に問い直す。
「はて。私は冗談を言ったつもりはないが、私の言葉のどこに冗談の要素が含まれていたのかな」
「もちろんアリターナに後れを取るというところに決まっているではありませんか」
「そのとおり。陛下の御前ではあるのは承知で申し上げれば、それは軍に対する最大の侮辱。いくら殿下でもそこまで軍を侮辱するのは許さることではありませんぞ」
……なるほど。
……強力な後ろ盾がいるから、第三王子など目に入らぬということか。
……まあ、いい。
……失敗されることがこの場での一番の問題なのだから。
「つまり、そのようなことは起こらないということかな」
「当然」
「……なるほど」
「そういうことなら、謝罪しておかねばならないな。申しわけなかった。だが……」
「もう一度言わせてもらう。何があろうともあの入口をアリターナに奪われてはならぬ。だから、できるだけ早く入口にフランベーニュに旗を立てること。ここだけは肝に銘じておこなってくれ」
「くどいですぞ。殿下」
「心配ご無用。万が一それに失敗するようなら、我が首を殿下に献上することを約束しましょう。どうかな?アンジュレス殿は」
「もちろん構わん。そうなった場合は私は自分で自分の首を落としてみせましょう。まあ、そんなことには絶対に起こらないのだが」
「わかった。では、よろしく頼む」
だが……。
対魔族の攻勢が始まって、しばらく経ったある日、その場面がやってくる。
「アンジュレス様。い、一大事です」
「どうした」
「アリターナの国旗が上がっています」
「……どこにだ?」
「山岳地帯の入口。我々の最終目的地ベンティーユに……」
「なんだと」
副官であるアドリアン・マルマンドの報告に、アンジュレスは呻き、その方向を睨みつける。
「ザングルの部隊はいったい何をしていたのだ?」
その罪を擦り付けようと、同僚の部隊の動向を確認しようとするものの、それでどうなることでもないのはアンジュレスもわかりきっている。
「くそっ。こんなことなら……」
現在攻めている砦を後回しにして最終目的地ベンティーユの攻略を優先させるべきだった。
だが、この砦を落とせば周辺の耕作地はすべて手に入る。
それは「なるべく多くの土地を手にし、自分に献上せよ」という王太子の指示に沿う。
逆にいえば、ベンティーユ攻略を先におこなえば、放棄したこの地もライバルのものとなる。
だから、アリターナ軍が迫ってきている報を受けながら、攻撃を続行したのだ。
「ザングルの部隊もアリターナが近づいていることに気がついているだろう。では、あれに手をつけるのは奴らに任せて、我々はこの砦と耕作地の手に入れることにしようではないか。ついでに、奴らが手放すことに決めた耕地もありがたく頂戴する」
そう言って。
「なぜ、ザングルはベンティーユに向かわなかったのだ?アリターナが迫っているのを知りながら」
アンジュレスが絞り出すように口にしたその問い。
実をいえば、同じ頃、ザングルも同じ問いを口にしていた。
もっとも、主語は「ザングル」から「アンジュレス」に変わっていたのが。
そして、これがその言葉となる。
「アンジュレスはなぜベンティーユを取りにいかなかったのだ?わずかだが奴の部隊の方がベンティーユに近かっただろうが。目先に利に囚われたか。愚か者が」
そう。
実を言えば、こちらもアンジュレスと同様、同じように砦と耕作地の占領に勤しんでおり、僅かな報奨金にしかならない面倒なベンティーユ攻略は同僚に任せたのである。
連絡も取らず。
相手が動くと勝手に思い込んで。
いや。
こちらが動かなければ、相手が動かざるを得ないと読んで。
そして、その結果がこれである。
「どうされますか?」
副官シャルル・ジャラールメからやってきた指示を請う言葉を聞きながら、ザングルはあの日、王の前で自らが口にした言葉を思い出す。
ベンティーユ奪取に失敗するようなら、我が首を殿下に献上する。
……このままでは終われない。
……終わるわけにはいかないのだ。
そうして、目まぐるしく思考を動かしていたザングルの胸に浮かぶ黒い計画。
……こうなったら、ベンティーユを占領したアリターナを討つしかない。
……一人残らず斬り殺せば、証拠隠滅できる。
……土煙から察するに奴らは一万もいない。そして、あそこまで辿り着き砦を落としたとなれば、残っているにはよくて三割。
……つまり、三千も残っていればいい方。
……やれる。
だが、ここでさらに黒さを増した囁きがザングルの心に聞こえてくる。
……いや、待て。
……それはアンジュレスにとっても同じこと。
……どうせ、奴も同じことを考えているに違いない。
……そういうことであれば、我々はそれを傍観し、手を汚さずに果実を手に入れよう。
……そうすれば、万が一、協定違反が露見しても罪はアンジュレスひとりが負う。
……もちろん同僚であるのだから多少の咎はあるかもしれないが、少なくても死罪になるまい。
……これが上策。
「我々は砦攻撃を続行する」
だが、これが裏目に出る。
なんとまったく同じことをアンジュレスも考えていたのである。
そして、アリターナの増援部隊が大挙して現れたことを示すように周辺の砦にもアリターナの国旗が上がったところで、ようやくお互いに相手が動いていないことに気づく。
だが、もうこうなればアリターナには手は出せない。
いくら後悔しても。
「こうなったら、陛下の前で奴の落ち度をぶちまけて逃げ切るしかない」
再びふたり分の同じ言葉が戦場に響いた。