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アグリニオン戦記 外伝 マンジューク防衛戦の始まり  作者: 田丸 彬禰


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フランベーニュの醜態 Ⅰ

 対魔族諸国連合条約が秘密裡に締結されたその日の夜。


 フランベーニュ王都アヴィニアの王宮内。

 王の前には息子でもある三人の王子が並ぶ。


「カミールとダニエルにとっては初めて聞く話となるが驚かずに聞いてもらいたい」


「我が国は、ブリターニャ、アリターナを含む五か国と同盟を結び、一斉に魔族どもの討伐をおこなうことになった」


 驚くな。


 そのような前置きがなければ、大声のひとつくらいは上げていた。

 それはそれくらいの内容だった。

 もちろんそのひとりはそれにふさわしい表情を浮かべる。

 だが、もうひとりといえば、冷静そのもの。


 まるで、何度も聞かされた、いや、その企てに自らが加わったかのように。

 

 それを聞かされてから百瞬程過ぎ頃。

 驚いていた方、第二王子であるカミールが口を開く。


「……つまり、忌々しいブリターニャとの戦いはしばらくないということなのでしょうか」


 やってきた問いに父王は重々しく頷く。


「そうなるな」

「ですが、なぜ突然そのようなことになったのでしょうか?」


 不満たらたら。

 その感情が音としてやってきそうなカミールからの更なる問いかけに王が答える。


「おまえも噂くらいは聞いていると思うが、最近勇者と名乗る流れ者の剣士たちが魔族領で暴れている」


「……それで?」

「奴らは相当な手練れらしく魔族どもも相当手を焼いている。なにしろわずか五人であるにもかかわらず百人ほどの魔族軍兵士をあっさりと倒してしまうのだそうだから」


 父王の口からやってきたその言葉を、黒い笑みとともに受け取った第二王子が口を開く。

 その言葉をほんの僅かも信じていない自らの感情のままに。


「……それは随分と勇ましい。ですが、父上。そのようなことは作り話の類。そのような……」

「カミールよ。父上が真偽も確かめもせずにしゃべっているとでも思っているのか」


 父王と第二王子との会話に強引に割り込んできたのは、カミールの兄で第一王子で、すでに王太子に叙せられているアーネストだった。

 もちろん王太子である以上、彼は王が今ふたりの王子に語った話はすでに聞いている。

 そういうことも含めて兄は弟を見下すようにその言葉を口にした。

 当然その香りは相手にも伝わる。

 顔を真っ赤にした弟が兄を睨みつける。


「どういうことだ?」

「決まっているだろう。それは本当のことだということだ」

「五人で百人を倒したという戯言が本当のこと?」

「そうだ」

「ありえない。絶対に」


「……なるほど」


「さすがは自分の都合の悪いことであるなら、それがたとえ万人の常識であっても信じない男として宮中で有名なことだけのことはある。おまえが自分の弟であることが私は本当に恥ずかしい。祖霊も愚かなおまえが王族であることを恥じていることだろう」

「なんだと」


 兄が口にした最後のひとことによって一気に激発寸前にまで熱量が上がるふたりの王子。

 そこに割って入るように王の言葉が届く。


「カミールよ。おまえの言うとおり五人で百人の魔族兵士を倒すなどたしかにありえなさそうなことなのだが、これは本当のことだ。それどころかその十倍の敵をなぎ倒したという話もある、そして、それが影響しているらしく、魔族どもは勇者退治にかかり切りになっている。我々に背を向けて」

「な、なるほど」


 やや分が悪いことを察した第二王子は王の言葉をしっかり掴み、話し相手を再び父王に乗り換える。


「……つまり、この機会に背後から魔族を討つと?」


「そうだ。しかも、これまではお互いに争いながらであったが、今回は過去のわだかまりは一時棚上げにして、一斉に攻勢をかけるということになっている。つまり、この間は休戦状態ということだ」

「なるほど」


 第二王子から新しい言葉がないことを確認すると、彼の父である男は、言葉を続ける。


「さて、ブリターニャに特別な想いを持つカミールにも理解してもらったところで、おまえたちにふたつほど大事な話がある」


 そう言って、王はまずはカミール。

 それから、長男。

 最後に無言を貫く三男を眺める。


 そして、口を開く。


「そのひとつ。これは絶対に漏れてはいけない情報だ。特にアグリニオンの商人には。それを徹底してもらいたいということだ」


「なぜ、そこでアグリニオンの商人の名が挙がるのですか?」


 すぐさまやってきた長男からの問い。

 次男もそれに頷く。


 ……やはり、そうなるか。


 ため息交じりに王は心の中でそう呟くと、実際の言葉でそれを伝える。


「奴らは海賊どもと繋がっているのは誰でも知っている話。そして、その海賊は魔族とも交易している。金になるなら何でも売るあの者たちがこの同盟の話を知ればどう動くと思う?」


 ようやくそれを理解したらしいそのふたり。

 そのひとりが口を開く。


「……さぞ高く売れるでしょうね。その情報は」


 王太子からの言葉に王は頷く。


「もちろん王子であるおまえたち自身がアグリニオンの商人に情報を売りにいくとは思わないが、配下の者すべてがおまえたちと同じというわけではない。気を許した側近であっても話す内容は十分に気をつけるように」

「承知しました」


「それで、父上。もうひとつの話はどのようなことなのでしょうか?」


 王太子である長男からの言葉。

 もちろんここには四人のほかにも大臣クラスの者が控えている。

 公式なものとは言わないが、さすがに親子の会話でないのだから、父上という言葉を使うのはいささか常識から逸脱しているのでないか。

 大臣たちは心の中でそう呟くものの、王が咎めない以上、臣下が口を挟むわけにはいかない。


 ……聞かなかったことにしよう。


 そう割り切って全員が聞き流すなか、王がその問いに答える。


「もちろん侵攻軍の陣立てについてだ」


 そこまで言ったところで、王が視線を送ったのは宰相の地位にある男オーギュスト・ド・アブスノアだった。

 大臣たちが控える列から王の脇まで移動したその男が一礼後口を開く。


「二方向から侵攻を始める第一陣についての陣立てはすでに出来上がっております」

「……ほう」


 アブスノアの言葉に不機嫌色の声で応じたのは王太子である長男だった。


「もしかして、兄上も聞かされていなかったのですか?この重要事項を」


 兄の声と表情からその事実を瞬時に掴みとると、次男カミールがすかさず兄の傷口に塩を塗るように言葉を挟み込む。

 先ほどのお返しとばかりに。


「まあ、これは先ほど決まったことなので……」

「そ、そうか。それなら仕方がないな」


 さすがに宰相になるだけの男。

 すぐに、そのよからぬ雰囲気を嗅ぎ取ってどちらにも害が出ない言葉でその場を取り繕う。

 もちろん、実際はそのようなことがあるはずはなく、重要事項を王太子に捻じ曲げられぬようにギリギリまで伏せていたのではあるだが。

 

「では、聞こうか?それを」


 気を取り直した王太子の言葉に頷いたアブスノアの口が開く。


「まず、西部の平原地帯を北へ進み魔族の国の王都を目指す西方軍。いうまでもなく、これが我が軍の主力となるですが、こちらはアルサンス・ベルナード将軍率いる総勢二百五十万人の軍となります」


「それから、もうひとつの中央軍を率いるのはアポロン・ボナール将軍。こちらは総勢五十万人の軍となります」


「宰相に問う。兵の数については言うことはないが、なぜ西方軍の指揮官がベルナード将軍なのだ?中央の軍の指揮官ボナール将軍と指揮官を入れ替えるべきなのではないのか?」

「私もこれには同意見です。西方軍司令官はボナール将軍にすべきでしょう」

「なるほど。たしかに」


 王子ふたりからやってきた意見に一応肯定的に応じたものの、もちろんそれがアブスノアの本心ではない。


 ……まあ、そう言ってくると思っていましたよ。


 アブスノアは表情を変えず、心の中でそう呟くと、ゆっくりと口を開く。


「それは、ボナール将軍の能力がベルナール将軍より上だからという意味でしょうか?」

「ベルナール本人には悪いが、実績からみればそうなるだろう」

「まったくです」


 ……最大規模の軍の指揮官を任せることに尽力した。

 ……そう言って国民から人気のあるボナール将軍に恩を売るつもり。

 ……ただそれだけのために喚き散らしているのでしょうが、そうはいかない。


 心の中で王子を嘲り終わると、アブスノアが再び口を開く。


「……名前もよく知られていますし、能力についてもおふたりの言葉は正しいのかもしれません。ですが……」


「そういうことであるのなら、なおさらこの陣立ては正しいということになります」


「どういうことだ?」


 少々の怒気とともにやってきた王太子の言葉を撥ね退けるように語ったアブスノアの言葉。


 それは……。


「……中央軍の戦果こそ我が国の将来を左右するからです」


 宰相であるアブスノアの言葉によって、中央軍が重要だということは十分に伝わってくる。

 だが、肝心の理由がわからない。

 この短い言葉にはそれが含まれないどころか、それを読み取るきっかけになるものすらないのだから。


 ……もしかして、アブスノアは我々を試しているのか。


 その疑い深い性格を端的に現わした心の声を口にしたのはカミール。

 だが、王太子であるアーネストはさらにそれの上をいく。


 ……王子である我々を愚弄するつもりか。

 ……たかだか侯爵の分際で。


 当然、先に激発したのは長男だった。

 と言っても、自らのよりどころとしている王太子という地位を貶めてはいけないという自覚はある。

 さらに言えば、父王の御前。

 最低限のマナーに覆われた言葉を口にする。


「宰相殿。説明というには、少々言葉が足りないような気がするが」


 ……まあ、才はまったく感じないが尋ね方としては及第点と言ったところだろう。


 アブスノアは心の中で呟くと、おもむろに口を開く。


「失礼いたしました。たしかにそのとおりでございます」


 事前に予想したとおりの言葉が王太子からやってくると、薄い笑みを浮かべながらそれを受け止めた宰相である男は、こちらも最低限の礼儀を施し、それから言葉を続ける。

 ふたりの王子を簡単に手玉に取る、いや、誘引した自らの才を誇るように。


「では、ご説明いたします」


「中央軍が、西方軍より重要な理由。それは……」


「彼らが受け持つ戦場は、アリターナとの国境に接していること。そのうえ魔族領が我が国の領地に深く入り込んでいるうえに複雑に入り組んでいることです」


「……申しわけないが、宰相殿」


「もう少しだけ詳しく説明くれ」


 理由の一端こそわかったものの、そのどこが中央軍の重要性になるのかは把握できないふたりのうちのひとりカミールは先ほどまでとは打って変わった腰の低さを感じさせる表情と言葉で説明を求める。


 ……よろしい。


 やってきたその言葉によって心の中で満足感に浸ったアブスノアは沈黙を貫く第三王子をチラリと眺める。


 ……すべてを知っていれば当然か……。


 意味深長な言葉を感想として呟いたアブスノアが再び口を開く。


「我が国として、この地域をすべて手に入れ、我が国の領土したいわけですが、それはアリターナも同じ。実際にアリターナはそのような準備に入っているという情報もあります」

「つまり、早い者勝ちというわけか。ちなみに、条約の中では領地分配はどのように定められているのだ?」

「もちろん王太子殿下の言葉どおり早い者勝ちです。ただし……」


「両者が接触した場合の境界は、双方の話し合いで決めるということになっております」


「まあ、同盟を結んでいるのだから、それは当然だろう。まさか、敵前で小競り合いを始めるわけにはいかないのだから」

「そのとおりです。ですが、そうなった場合にアリターナの代表として姿を現わすのが誰かといえば……」


「あいつらか……」

「……そう。間違いなく『赤い悪魔』が現れることになるでしょう。そうなれば……」

「言葉巧みにアリターナの都合の良いように国境線を引かれてしまうということか」

「残念ながら……」


「だが、それとボナール将軍を中央軍の指揮に当たらせるのはどう関係してくるのだ?」

「まずは、ボナール将軍が速攻を得意としていること。つまり、より多くの地域を占領できる」

「アリターナの占領地をできるだけ小さくすれば、『赤い悪魔』がどれだけ蠢動しようが被害はたかが知れているということか。なるほど」


「それと同時に、ボナール将軍の名声はアリターナにも当然届いています。それを利用して『赤い悪魔』を黙らせることもできます」

「さすがだな。良く練り込んである」

「まったくです。宰相殿の説明で十分納得できました」


 ふたりの王子からやってきた賞賛の言葉を十分に味わうと、アブスノアは仕上げの言葉を口にする。


「ありがとうございます。そして、最後につけ加えておけば、西方軍が進む大平原。たしかに大軍ではありますが、ここの戦いはあくまで数がすべて。特別な策は必要ありません。というよりも、正攻法こそ上策。そういう点でいえば、ベルナール将軍こそ適役」

「まったくそのとおり」

「感服しました」


 再びやってきたふたりからの賛辞に十分に満足したアブスノアが視線を王へ送る。


「まあ、そういうことだ」


「さて、おまえたちの意見を聞きたいのはここからだ」


 そこから、王が口にしたこと。

 それこそが、ダニエル・フランベーニュの言う、失敗の元凶。

 その始まりとなる。


「もちろん西方軍は迎え撃つ魔族どもを打ち倒し、立ちはだかる城を落としながら波のように北上し、敵王都へ誰よりも早く到達することを目指すのだから重要な部隊であることは間違いない。だから、西方軍より中央軍のほうが圧倒的に重要という言葉は少々言い過ぎではあるが、兵数の差などの見た目よりは遥かに重要である。そういうことだと考えるように」


 王は、まずそう前置きのように言葉をつけ加えて、王子たちの勘違いに釘を刺し、それから「肝心の話」を始めた。


「中央軍はまず我が国とアリターナ周辺にある魔族の支配地域をできるだけ多く手に入れる。これが第一段作戦となる。そのあと、中央軍はふたつに分かれる。実際にはボナールが占領地域の安定を図っている間に、後方に待機していた別の部隊ふたつが、二方向に進軍する。すなわち、東方軍と新中央軍だ」


「そして、おまえたちに尋ねたいのはその指揮官だ。先ほどアブスノアが言ったように第一段階で占領した地域が完全に安定するまでボナールはここを動けない。ということは、さらに先に進む軍の指揮をボナールには任せられない。だが、ボナールらと同格の上級将軍の地位にある残りの者は王都を離れることができない。そうなれば、この規模の軍を任せることができるのは……」


「ロバウ、アンジュレス、ザングルだけ」


 ロバウ。

 エティエンヌ・ロバウ。

 四十三才となる平民出身のこの男は、幹部は貴族が大部分を占めるというフランベーニュ軍のなかでこの歳で将軍のなかでも十人もいない上級将軍と呼称される他の将軍たちを差配できる特別な地位にまで登り詰めている。

 それだけですでにその才と戦歴は証明されているといってよいだろう。

 ただし、平民出身であること。

 そして、不愛想というその性格のため、後ろ盾になる大貴族はいない。


 アンジュレス。

 ドミニク・アンジュレス。

 四十二歳の伯爵家の次男で自身は男爵の爵位を持つ。

 爵位持ちの上級貴族でありながら前線指揮官にとどまっているという珍しい存在であるこの男は、根っからのいくさ好きというのがもっぱらの噂で、その戦功も上級将軍の地位にふさわしいものである。

 ただし、戦功に比例して、というよりも、戦功に比して損害が多い。

 それは彼の武勲と名声のために死んでいくことになる従う兵にとって由々しき事態であるわけなのだが、その理由として常に挙げられるのは、彼の戦い方が策を弄すことなくひたすら力攻めをおこなうからだというものである。


 ザングル。

 クロヴィス・ザングル。

 五十三歳の下級貴族である。

 爵位がないものの、貴族は貴族。

 更に戦歴が長い。

 その結果今の地位に就いた。

 だが、自らが主張する「戦上手」という言葉に反して、「輝くところは何もない指揮官」というが兵士たちの彼に対する評価となる。

 さらにいえば、一の戦果を十にする自己宣伝力はフランベーニュ軍のなかでもトップクラスであり、「現在の地位は戦場の外での戦いの戦果によるもの」というあまり好意的ではない言葉も存在する。

 そのくすんだ色の将であるが、兵士たちにとってありがたいことをひとつ挙げておけば、彼は逃げ上手であり、勝てないと思えば、すぐさま撤退命令を出すところであろう。

 そのため敗戦の数は多いが、こうしてまだ生き残っている。

 そして、いわゆる「二階級特進」なしで昇進できた理由のひとつもそこにあると思われる。


「指揮する兵の数が多いので、やはり将軍の中でもそれなりの地位にあるものでなければならないのだ。さて、おまえたち。この三人の誰を指揮官に任じるべきだと思うか?」


「やはり、アンジュレス将軍は外せない。彼のような勇ましい男でなければ、魔族を蹴散らして進むことはできないだろう」

「それを言うのなら、ザングル将軍だって負けない。彼の長い戦歴と経験は大いなる財産。そして、それはこのような時のために培われたもの」


 王の言葉に、すぐさま反応したアーネスト、それに続いてカミールが声を上げる。


 ……まあ、そうなりますな。


 その言葉とともに、多くの心の声が大臣たちから上がる。

 そう。

 ふたりの王子が候補者として挙げたドミニク・アンジュレス、クロヴィス・ザングルであるが……。

 実を言えば、このふたりの将軍はそれぞれに近しい者となる。

 つまり、ふたりの王子は自らの縁者を指揮官にするように要求してきたのである。 


 ……まあ、陛下があのような言い方をすれば、当然こうなるな。

 ……というより、これが本題か。


 居並ぶ大臣たちは異口同音的な言葉を心で呟く。


 ……能力からいえば、ロバウ将軍を落とすことなどあり得ぬ話だが……。

 ……この三人のうちひとりを落とさなければならないのなら、止むを得ないか。


 そう。

 三人のうち、ふたりが王子に近しい者。

 そのどちらかを落とすということが難しい以上、始まる前から削られる者として選ばれるのはひとりだったといえるだろう。


 能力にはまったく関係ない大いなる妥協の産物によって、その人事が決まりかけたときのことだった。


「ひとつよろしいでしょうか?陛下」


 それはこれまでひとことも発することなく完全沈黙を保っていた第三王子ダニエル・フランベーニュからの言葉だった。


「起きていたのか?ダニエル」

「まったくだ。てっきり目を開けて寝ていたのかと思っていた」


 ふたりの兄からやってきた出来の悪い嫌味を無視という形で払いのけた第三王子は父王と、それから宰相に視線をやる。


「指揮官を決めるにあたり、やはり向き不向きがあると思いますので、ここは、まずそれぞれの戦場と目標となるものをお示しになるべきではないでしょうか?」


 ……せっかく決まりかけたのに余計なことを。


 同じ香りがする視線を送るふたりの兄。

 それを無視する第三王子。

 三人を同じように眺めた直後、父王からその答えとなるものがやってくる。


「たしかにそうだな。今のふたりにするにしても、どちらの軍を任せるのかを決めなければならないのだからな」


「ふたりもよろしいな」


「ご随意に」

「私も異義はありません」


「では、アブスノア」

「承知いたしました」


 再び王の脇に立った宰相であるその男が口を開く。


「まずは、新中央軍ですが、魔族どもの南の拠点である以前から堅固な城塞として知られる目障りなミュランジ城を落としてから草原地帯を北上しクペルなる場所にある比較的大きな砦を手に入れ、根拠地としたあとに、キドプーラという名がつく近くの入口から山岳地帯に入ります」


「一方の東方軍ですが、穀倉地帯に点在する砦を落としながら進み、こちらも最終的には山岳地帯入口ベンティーユ砦に辿り着くことが目標となります」

「宰相殿。少々待ってもらおうか」


 その声の主は王太子。

 あきらかにアブスノアの言葉に否定的な物言いであり、その後にやってきた言葉も当然それにふさわしいものとなる。


「進行方向が山岳地帯となる新中央軍はともかく、東方軍の目標が山岳地帯の入口というのはどうなのだ?そのまま穀倉地帯を北上し、西方軍と敵王都を挟撃すべきだと思うのだが」

「私もそう思いますね。大軍でそんな山に入って何をするつもりなのですか?」


 敵を殺し、城を落とすこと。

 そして敵から土地を奪取する。

 これがこの国の軍人の頭にある戦の戦果。


 当然それを知るふたりの王子にとって山に入るための入口など、ついでのついででしかない。

 だが、宰相である男はまったく動じない。


 ……目のまえのことにしか、気が回らない。

 ……つまり、遠い未来に思いを馳せることができない。

 ……そこがあなたがたの限界だ。

 ……だが、手柄だけで生きる軍人ならともかく、国の頂点に立つあなたがたはそれでは困るのです。


 ……もっとも、そのために私がいるのですが。


 心の中でたっぷりと嘲笑する。


 だが、相手は王子。

 もちろんその心の声など、声どころか表情にも欠片ほども見せることなくアブスノアはそれに対する答えとなるその言葉を口にする。


「金銀鉱山の奪取」


「金銀鉱山の奪取?」

「はい。そして、この山岳地帯の頂上付近にあるのが有名なマンジューク銀山となります」


「……マンジューク銀山」

「皆さまならすでにご存じでしょうが、魔族の力の根源であり、我々の世界で流通している銀貨の何割かはこの銀山で採掘された銀でつくられているということになっております。さらにいえば、その途中にもいくつかの鉱山の入口があるようです」


「そして、その攻略をこちらからおこなうために進む道は二つ。その入り口を手に入れること」


「なるほど。そこを落とせば世界の金銀は我が国のものとなるわけか」

「そのとおりでございます」


「確認したい。東方部隊の進む先には小さな砦しかないのか?」

「情報ではそのようになっています」


「もうひとつ問う。ミュランジ城とそのクペルなる砦の間は草原地帯なのだな?穀倉地帯ではなく」

「多少は耕作地もあるでしょうが、基本的にはそのようです」


「……わかった」


 侵攻部隊の第一次目標は、山岳地帯へ入るための入口。

 そこから山岳地帯に入り、その頂上へたどり着くと、そこには有名なマンジューク銀山がある。

 更に、その途中にも金銀鉱山が存在するらしい。

 東方軍が進む先には豊かな穀倉地帯が広がっているが、新中央軍の侵攻ルートには耕地はほとんど存在しない。

 さらに、敵の根拠地になる城は、新中央軍の進むルートのみにあり、東方軍は基本的にある程度の損害も考慮しなければならない攻城戦は想定しなくてもよい。


 アブスノアが語った説明から手に入れた情報をまとめ上げ、どちらのルートを配下の将軍に担わせるのがよいのかを、ふたりの王子は胸算用を始める。


 ……抵抗が少ないうえに、穀倉地帯が手に入る。

 ……そうなれば、進むべきは当然……。


 もちろん両者とも結論は同じだったのだが、先手を打ったのは長男だった。


「父上。私王太子アーネスト・フランベーニュは、アンジュレス将軍を東方軍の指揮官に推薦します」


「理由は?」


 当然やって来る王から問いにアーネストは迷いなく答える。


「東方軍の進む先には城がなく、戦いはほぼ野戦に限定されると思います。もちろん将軍は城攻めも苦手ではありませんが、その力を発揮できるのはやはり野戦。ミュランジ城の攻略が含まれる新中央軍ではなく東方軍の指揮がよいと思われます」


 僅かな時間で考えたにしては出来の良いその答えに王は大きく頷く。


「……なるほど。それで、カミールはどうだ?」

「私はその意見に反対です。父上」

「理由を聞こうか?」

「もちろんアンジュレス将軍の勇猛さは多くの兵が知るところ。強固なミュランジ城の攻略の指揮を執るのはアンジュレス将軍しかおりません」

「なるほど。それも一理ある。では、東方軍の指揮はどうする?」


 ……よし。


 第二王子は心の中でそう叫んだ。

 表面上兄が推す将軍を讃える言葉となっているが、実をいえば彼の目的はもちろん王からやってきたこの言葉を引き出すことだった。

 そして、待っていましたとばかりにその言葉を口にする。


「……経験豊かなザングル将軍に任せればよいかと」


 そう。

 つまり、兄が抱えるアンジュレスに新中央軍を押しつけ、うまみのある東方軍を自らの影響下にあるザングルに任せる。

 それがカミールの狙いだったのである。


 だが、それを許すはずがない兄からはすぐさま同じ姿をした反論がやってくる。

 そして、そこから始まるのは、もちろんふたりの王子による新中央軍の譲り合いの形をした押し付け合い。


 いつ終わるともわからぬふたりの王子によるその不毛な言い争いも聞き流しながら部外者たちは心の中でこの茶番を盛大に嘲る。


 ……まあ、ミュランジ城攻略の大変さなど、このふたりの頭の中には存在していない。

 ……つまり、一見すると、ミュランジ城が問題のように見えるが、実際のところ東方に広がる耕作地帯を配下の将軍に占領させ、自らの自由にしたい。

 ……そういうことなのだろう。

 ……占領地は基本的にその戦いに功があった者に多くを分け与えるというのがこの国の伝統。

 ……こうなるのも当然と言えば当然のことなのだが……。


 ……さて、陛下はこれをどのように捌くのか?

 ……これはちょっとした見ものだ。


 心の声とはいえ、臣下とは思えぬやや皮肉めいた言葉を口にしながら皆仲裁をおこなう王の言葉を待つ。

 そして、ネタ切れを起こした両者の言葉が途絶えたところでようやくそれがやって来る。


「両者の言い分はよくわかった」


 ……ようやく終わりか。


 王の言葉にその場にいる者たちは皆安堵する。

 だが、王が口にしたそれに続く言葉は大方の予想を外すものだった。


「それで……」


「おまえなら、この件をどのように処理する?ダニエル」


 なんと王が言葉をかけたのは、宰相アブスノアではなく部外者感だけを纏ったもうひとりの王子だった。

 そして、答える。


 その男が。


「三人の有能な将がいるが、指揮する軍はふたつだけ。当然このままではひとりがあぶれることになりますが……」


「せっかくです。三人すべてに仕事を与えてはいかがでしょうか?」


「……つまり、ロバウをどちらかの副司令官にするということか?」


 第三王子が口にした一見すると妙案に見えるそれ。

 だが、それを聞いた多くの者は顔を顰める。


 ……あのロバウが、他者の下でおとなしく副司令官の務めをするはずがない。

 ……早々に司令官とぶつかり、大喧嘩になる。


 王太子から発せられた疑問は、実をいえば、その場にいる全員の共通する思いだった。

 だが、全員が予想したそれは見事に外れる。


「……まさか」


 第三王子は長兄からやってきた言葉を一笑に付す。


「私も何度かロバウ将軍と話をしましたが、自らの戦い方に絶対的な自信を持っていると感じました」


 つまり、上下関係や忖度などというような非軍事的理由で自説を曲げるタイプではない。

 第三王子の言葉は言外にその本質を射抜いていた。


 第三王子の言葉はさらに続く。


「つまり、彼を副司令官にした場合、戦術の相違によって司令官になる方と口論になるのは必然。敵前でそれがおこなわれる可能性高い人事を敢えて選択するのは愚者の所業といえるでしょう」

「では、どうするというのだ?」

「まず、ロバウには困難な城攻めが含まれる新中央軍の指揮をおこなわせます」


 ……ということは……。


「残りふたりのうちのひとりを副司令官にするということか」

「そうはいかない」


 一方が口にした言葉をもう一方がすぐさま否定するのには、当然理由がある。

 残りふたりのうち、アンジュレスは男爵、もう一方のザングルは爵位のない下級貴族。

 この国において、このような場合は爵位持ちが下級貴族の上位になることはあっても、その逆はない。

 つまり、副司令官の地位を押しつけられるのはザングル。

 彼の後ろ盾になっているカミールが反対するのは当然である。


「そういうことなら、ザングル将軍を新中央軍に任せればいいだろう」

「まあ、私はそれでも一向に構わないが」


 大慌てで先ほどまで大反対していた新中央軍の指揮官を奪い返そうとする弟の醜態を、嘲りに多少の憐みの要素が加えられた目で眺めながら、アーネストは鷹揚に応えた。


 ……決まりだな。これは。

 ……さすがダニエル王子。手際のよいことで。


 その様子に多くの大臣は心の中で賛辞の言葉を贈るのだが、そうでもない者もいる。


 実はこの策を用いてケリをつけようとしていた別の人物。

 すなわち、宰相アブスノアである。

 だが……。


 第三王子が再び口を開く。


 そして、そこから語られたものことこそがダニエル・フランベーニュの用意した本当の仲介案となるものだった。


「まず新中央軍ですが、ここはロバウ将軍に任せるのが賢明でしょう」


「それから、東方軍ですが……」


「こちらは二隊に分け、それぞれをアンジュレス将軍、ザングル将軍にお任せします」


「……東方軍を二隊に分ける?ん。悪くない。たしかに悪くないぞ。それは」

「こちらも異存はありません。でかしたぞ。ダニエル」


 ……お互い、どうしても東方軍をやりたいのならこれくらいの妥協案はすぐにでも思いつくだろうが。すべてを手に入れる。その一点でしか思考が働かない者には、このような簡単なことも思いつかないようだな。

 ……まあ、彼らの頭のなかには常に白と黒しか存在しない。つまり、彼らは灰色のない世界の住人。そうなるのも当然のことではある。

 ……だが、今後多くの場面でこういう事態は起こるだ。灰色の重要性をもう少し認識してもらいたいものだ……。


 王とふたりの兄に一礼しながら、ダニエルは心の中で呟く。


 もっとも、彼自身も自らが提案したその案に完全に満足していたわけではなかった。


 ……まあ、兄たちはとりあえず満足したようだが、私にとってはこの案だって完璧なものではない。


 ……いうまでもない。

 ……ロバウはともかく、残りのふたりはとても大軍、しかも非常に重要な部分を担う軍を指揮できるだけの能力があるとは思えない。


 ……しかし、我が軍の切り札であるボナールをケリがつかないうちに前線に出してしまったら、せっかく手に入れた土地をアリターナに奪われる。

 ……となれば、使える手札はこの三人。その手札で勝負するのなら、やはりロバウを東方軍、残りのふたりを新中央軍に回し、アリターナとの決着がついてもなお城が落ちていなかったら、ボナールを援軍として差し向ける策が最善の一手となる。

 ……だが、残念ながらロバウを東方軍の指揮官にするという選択肢はこの状況では存在しない。

 ……つまり、これは大いなる妥協。というよりも、選択肢はこれしかないという方が正しい。


「いかがでしょうか。陛下」

「いいだろう」


 満足げに頷いて王もその案を承諾し、ダニエルが提案した仲介案が採用される。


 ……まあ、妥協の産物であるこの案にも利点がある。

 ……両将軍がどれだけ無能であっても、二隊でおこなえば、手間は半分。

 ……どちらか一方に任せるよりもはるかに短時間でケリがつく。

 ……そこに、エサをぶら下げて競わせれば、さらに効率的にことは進むはず。

 ……さらに協力することはなくても、お互いが補完し合える。

 ……ふたりもいれば失敗することもないだろう。


 ……これで最大の懸念である東側の入口をアリターナに奪われる心配もなくなるわけだ。


 自らを納得させるようにそう心の中で呟いたダニエル・フランベーニュ。


 だが、実をいえばこの提案をしたこと。

 そのことがのちに彼を大いに苦しめることとなる。


 東方軍の重要性をあれだけ認識していたのだから、あの場面では、つまらぬ妥協案など示さず、ロバウを東方軍の指揮官に推すべきだったと。


 そう。

 ダニエル・フランベーニュが口にした失敗の元凶。

 実をいえば、その見取り図をつくったのは彼自身だったのである。


 もちろんダニエルにも言い分はある。


 ダニエルの言葉どおり、あの場面ではあれ以上の選択肢はなかった。

 そして、あの提案をしなくても、作戦を失敗したアンジュレス、ザングルのどちらかが東方軍の指揮官になっていたのはまちがいないなく、そうなれば結果は変わらなかったのもほぼ確実。

 しかも、ダニエルはその事態についての注意喚起を何度もおこなった。


 だが……。


 あの場で唯一起こりうることを認識し、他の策を用意できたにもかかわらず、それを怠ったのだから、ダニエルの責任は大きい。

 さらに、ダニエルが同じ戦場に同格の二者を並べなければ、より強い責任感が生まれ、このような事態にならなかった可能性は十分に考えられる。


 これが後世の歴史家たちによる彼への追及の言葉となる。


 むろん後世の評価など知る由もないが、ダニエル自身その点については重々承知していた。

 ただし、承知していたものの、やはり、この責任のすべてが自らにあるという意見には納得しかねるものがあったのも事実のようである。


「無能を策の根幹に据える提案をした。それについては私の失敗。それは認める。だが、どんな馬鹿でもわかるようにこの策のもっとも重要な部分がどこかは何度も話をした。しかも、指示されたとおりに行動していれば失敗など起こらなかった。それなのに、なぜ、そこで失敗するのだ……」


「あの惰弱なアリターナ軍相手に……アリターナになぜ出し抜かれたのだ」


 その知らせを聞いたとき、ダニエル・フランベーニュはそう呻き、口惜しさのあまり持っていたガラス製の器を床に叩きつけた。

 ダニエルに長く仕える者の日記は、その時の様子をそう伝えている。

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