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雷神の一擲の如き

 この国は、周辺国からは“風の国”と呼ばれている。

 その成立時期については諸説があるが、南東に隣接する山岳地帯から流れる大河の支流に人が集まり、いくつもの町ができ、やがて国となった、というのが大まかな由来だ。国土は平野部が多く、気候は温暖だが乾燥しており、名前の通りに、年中通して強い風が吹いている。


 東には強大な魔獣が多く生息する“魔の森”。

 西には広大な砂漠を有する“砂の国”。

 北東には“雪の国”。

 南東には“山の国”。

 平野部が多く、大河による実りも多い我が国は、古来より周辺国からの侵略の標的となっていた。数多くの戦争が起き、数多くの命が失われたが、およそ70年ほど前に起きた大陸全土を巻き込む大災害を機に停戦協定が結ばれ、それ以降は平和な時代が続いている。


 それでも、築かれた屍山と流された血河は、いつしか我が国を屈強な武装国家として成長させ、それを律するための法制度の発達により、“風の国”といえば大陸きっての法治国家としても名を馳せるようになった。

 そんな我が国において、多くの偉大な法律家を排出し、司法における最高位である大法官を任じられていたムウマ伯爵家の御当主様――ファズ=ムウマ様が、昨年に事故で亡くなられた。


 ファズ様の長男であったフィオ様は急ぎムウマ家を継ぐこととなったのだが、それを認められるためには伴侶を得る必要があった。

 しかし、御年25歳であったフィオ様には、故あって婚約者がおらず、それでも他ならぬ司法の長であるムウマ家の次期当主が国法に抗うわけにもいかず、さりとてそう易々と相手を決めては今後の貴族家のパワーバランスに悪影響を与えてしまうかもしれず。


 その生来の潔癖さから適当に相手を決めることもできず、方々に意見を窺い、議論を重ね、検討を重ね、知恵を振り絞ったフィオ様が目を着けたのが、貴族名鑑の端っこに申し訳程度に名前を載せてもらっている、猫の額程の領地を細々と経営する貧乏男爵家の行き遅れ喪女こと、この私――メオ=ミレオだったのである。


 その雷神の一擲の如き文を受け取った我が家の地は揺れ、屋根は震え、窓は割れ、犬は吠え、鶏は鳴き、主から使用人まで一人残らずガクガクブルブルと震えあがりながら、持ちうる限りの最大戦力をかけて私を着飾り、送り出した。


『よく来てくれた。我が家の事情に巻き込む形になってしまい申し訳ない。伯爵家夫人として()()()覚えてもらうこともあるかもしれないが、それ以外は好きに過ごしてくれて構わない。若輩の身だが、どうかよろしく頼む』


 そんなセリフを、お歳の割に渋みのある素敵ボイスで告げられ、その光り輝かんばかりのご尊顔に目を眩まされたのが凡そ一か月前。

 旦那様を亡くされたばかりのはずのビスク様はこちらが申し訳なくなるほど私に気を使って下さり、使用人の人たちもみな優しい人たちばかりで、こんな奇跡のようなことがあってよいのかと、恐れ戦いた。


 初夜の儀もスマートに済ませ(自己採点)、しかし伯爵家を継いだばかりのフィオ様に、本格的に子宝を望むのは少し待ってほしいと言われ、その間に私も伯爵夫人としてのあれこれを勉強するということで今後の方針の話し合いもスムーズに終わった。私はイエスしか言っていないが。


 まあ、フィオ様が初日に仰った()()()という言葉の意味を私が理解していなかったという問題はあるが、まあまあまあ。覚えろというなら覚えましょう。身につけろというなら身につけましょう。

 相手の身分に合わせた挨拶も、外出時の服装のルールも、歩く時の歩幅から馬車に乗るときの姿勢まで。

 

 家の中の家具の置き場や書物や食器の並べ方にまでフィオ様が事細かな規則を設けていることには驚いたし、ひょっとして司法の長たる先代様の後を継ぐことの重責に、必要以上に神経質になっているのでは、とご心配を申し上げたところ、『あの子は三歳の頃には自分のおもちゃの仕舞い方に規則を設けていたのよ』というビスク様のセリフに戦慄を覚えたものだ。

 それでも――。


『お疲れ様、メオ。なかなか捗らないと聞いてはいるが、よく頑張ってくれている。さあ、昼食の時間だ』

『メオ。これは私が最初に勉強した法学の教本だ。今は覚えることが多くて余裕がないかもしれないが、時間のある時にでも読んでみてくれ』

『ここの食事は口に合うだろうか。よかったら君の好きな料理も聞かせてくれないか』


 一応は貴族の末席を汚す身でありながら、彼の求めるマナーや知識の水準に遥か及ばない私を、フィオ様は厳しくも温かく見守ってくださった。

 周りの人間に言わせれば、彼が見るのは出来不出来よりも真剣に取り組んでいるかどうかなのであって、その点私は十分に及第点なのだという。

 昔からドン臭くて物覚えの悪い自覚がある以上、せめて誠意だけでもアピールしなくては、という戦略が功を奏したと言えよう。


 順風満帆とまでは言えないまでも、まあぼちぼちやっていけそうかな、とそんな風に気を緩めてしまったのが良くなかったのだろう。


 それは先週のこと。


『はあ。どうしようかしらねえ』

『ビスク様。どうかされたのですか?』

『やあね、メオさん。いつも言っているでしょう。私のことはお母様と呼んでくれて構わないのよ。それより、ねえ、聞いてくれるかしら』

『はあ。私でよろしければ』


 話を聞けば至極単純で、それゆえに重大で難しい選択を、そのときのビスク様は迫られていたのだ。

 来週の夜会に参加するためのドレスが、決まらないのだと言う。


『母様。そんなものは行ってみなければ分からないでしょう。いったいいつまでそうやって悩むおつもりですか』


 フィオ様はお話を聞いて呆れ声を出していたが、こればかりは異を唱えねばなるまい。

 女性にとって夜会のドレス選びは結婚相手を探すことよりも難しい問題。ましてやビスク様ともあろうお方となれば、他の参加者や主賓の奥様との兼ね合いも考えねばならず、悩んで悩みすぎということはない。


 私も自分の勉強をほったらかして、ああでもないこうでもないと使用人の皆様とも知恵を出し合い、なんとか二択にまで絞ることはできたのだが、そこから先がにっちもさっちもいかなくなってしまった。

 そこで、ああそういえば、と思い出した私が、ついうっかり口を滑らせてしまったのだ。


『宜しければ、カードで占ってみましょうか?』

『え?』

『え?』


 その時の、フィオ様の――


 困惑(今なんと言った?)

 理解(占い? 占いと口にしたのか?)

 驚愕(馬鹿な。そのような胡散臭い代物を信じているものがいるのか?)

 憤怒(しかもそれを我が家にて行うだと!?)


 無言のままの、四季の移り変わりのように見事で、誰の眼にも雄弁な百面相を、私は生涯忘れることはないだろう。

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