3 忽然
3 忽然
通学路を早歩きで行く。
暴力的に去勢させられそうになってから、寝台を下りられるまで回復するのに20分以上かかった。
おかげで朝食を食べる時間はなかった。
こいつが起こしに来なければ、余裕をもってスムーズに登校出来たはずなのに。
空腹の腹を片手で押さえ、不満の視線を横に向ける。
リンは女性としては背が高く、目線の位置は自分とほとんど変わらない。
「なによ」
「俺が子どもを産めない身体になってたら責任とれ……うおっ!」
咄嗟にしゃがんだ自分の頭上の毛先を、凶暴な風が弧を描きかすめた。
黒い布に包まれた棒状の得物が、顔面のど真ん中めがけて横振りで襲ってきた。
その得物はスラリと背の高いリンよりもさらに頭二つ分高く、槍のような長さを誇る。
「冗談に対して容赦なさすぎだろ。今の避けてなかったら顔面が上下に割れてたぞ」
「シンイチが朝からセクハラしてくるからでしょ」
「思春期男子の生理現象、元気で健康な証だろうが。少しは俺の息子を心配しやがれ」
「だから、どうして私があんたのお粗末なイチモ……って通学路で何言わせんのよっ」
またも顔面を凶器が襲ってくる。ギリギリで躱し、不満を述べる。
「そもそも起こしてくれなんて頼んでないだろ」
「はぁ。毎朝私が起こしてあげなきゃ毎日遅刻でしょ」
「そ、そんなことない……だろ?」
言葉に勢いがなくなり、おもわず疑問符が付いてしまう。
「どうせ昨日も深夜アニメ見て夜中まで起きてたんでしょ」
「残念。昨日は読書の海を溺れそうになる(限界寸前)まで泳ぎまくったんだ」
「はいはい。漫画とライトノベルね」
「そんで、寝たのは夜中じゃなくて早朝だ」
呆れたように言ってくるリンに勝ち誇ったように返すと、ため息を吐かれた。
「俺ときどき思うんだよ」
「なによいきなり」
「俺って運動神経いいじゃん」
「帰宅部のくせに無駄よね」
リンは冷ややかに言うが否定はしない。
「無駄言うな。球当てや出店の射的なんてプロ以上といっても過言じゃないだろ」
「ほんと無駄よね」
事実的才能を語っているのに、なぜか評価が下がる。
「きっと昔、俺は異世界で大活躍してたんだろうな」
「はあ?」
「元の世界に戻ってきたら記憶は忘れてしまうパターンのやつだ。その変わり。向こうの世界で鍛え身に付けた能力を、数%持って戻って来れる。そんな特典効果だろうな」
「頭、大丈夫?」
「俺の頭を心配するより、お前は俺の息子をもう少し可愛がる努力、うおいっ!」
またも顔目掛けて、リンの得物が襲ってきた。
「イチイチ凶器を振り回すな」
「あんたの自業自得でしょ。そのちょこまか避ける才能は腹立たしいわね」
頬を染めて怒り顔のリンを、得意げに指差す。
「ふっ。射撃スキルとともに、回避能力も異世界で身に付けたんだろうな。お前みたいな凶暴なモンスター娘と闘うために」
「誰が凶暴なモンスターよ」
「あの世界に帰りたいぜ。まったく何も憶えてないけどな」
「夢と妄想と現実の区別はつけましょうね」
空を見上げて遠い目をしていると、軽犯罪予備軍のような扱いで言われた。
「で、……大丈夫なの?」
「なにが?」
「……だから、その……」
リンは頬を赤らめ、チラチラと視線を上下に動かし、自分の下腹部を見てくる。
自分はリンが何に対して 何を心配しているのか、そうナニの何を心配しているのか気付いた。
不覚にも、もじもじしている姿が可愛いと思い、分からない振りをする。
「はっきり言ってくれないと分からないなぁ」
「シンイチの、大事な……アレが、ね……」
「俺の、何? それじゃあさっぱりだ。リンが少しでも悪いと思っているのなら、俺が分かるように、勇気を振り絞って、大きな声で、さあ、さん、はい」
悪戯っぽい笑顔で流れに沿うように促すも、ノリで言うどころか何も声が返ってこない。
真っ赤な顔のままリンは、急に、にこやかに笑う。
その目だけ笑っていない笑顔に、自分は凍り付く。
リンの瞳は獣が獲物を捉えているようだ。
ゆったりとした動きで武器を手に取り、中段に構える。
蛇に睨まれ固まった憐れな蛙に、撤退や、逃げ足を発揮する機会などない。
斜め下に向けられたリンの視線を辿るように、自分も視線を下げる。と同時に、
「ぐえあっ!」
潰れた蛙のような声を出し、通学路に崩れ落ちた。
「おまっ……突きは……まじで、しゃれに……ならね……え……」
呼吸すらおぼつかない程の激痛に、腹から絞り出すような声で、うめく。
「ねえ、なにそれ!」
リンの声は地に倒れ伏す自分を心配するではなく、なにか驚きの色を帯びている。
動かない体で懸命に開いた片方の視線だけ持ち上げる。リンを見ると、自分の下辺りを指差している。
促されるように視線を下に向ける。
そこには自分の大好きなアニメや漫画、ラノベなどでよく見かける。
魔法陣!
そう呼ばれるモノが、自分を中心に出現していた!
そして、突如白い光に包まれる。
あまりの眩しさに、反射的に瞼を閉じた。