プロローグ
プロローグ
病床――自宅の寝台に伏せる幼い少女。
頬は痩せこけて、短い手足は細く骨にわずかな肉がつく。肌は病的にひどく白い。
生気が感じられない幼い少女は息も絶え絶えに、最後の言葉を家族に残す。
「わ、たし……ママと、パパの、こどもに……おねえちゃんの、いもうと、に……なれて、ほんと……う……に、し……あわせ……だっ……た……よ……。あ、りが……とう……」
微かな力を振り絞って握り返していた少女の小さな手が、するりと、母親の手の中からこぼれ寝台に落ちる。
医師が少女の容態を確認し、無力に打ちひしがれた様子で静かに首を横に振る。
母親の滂沱に濡れた娘を呼び続ける声が、部屋の中に木霊する。
その後ろで、瞳の端で必死に雫が零れないように堪えていた8才の姉が、並んで立つ父親に嗚咽混じりの涙声で問いかける。
「もう……ひぐっ、泣いても、うぅ、いい……かな」
父親は自分の感情を息と共に呑み込んで必死に抑え、長女の頭に優しく手をのせる。
「……ああ、偉かったぞお姉ちゃん」
その言葉に、姉は決壊したように妹の名を泣き叫ぶ。
愛する大切な家族を失った悲しみが部屋の中に満ちる。
一人の幼い黒髪の少年が、その悲痛な家族の様子を、通りを挟んで向かいの建物の屋根の上から見下ろす形で見つめていた。
想像していた状況と全く異なる初めての現場(――役目)に、重たい口調で問う。
「……なあ、あの部屋にアナザーが現れるんだよな?」
「まだ時間はあるわ。だから、そのままもう少し待機していて。……ごめんね」
その深い謝意は『待機』に対するものでない。
それを察した幼い少年は、どうして隣に座る指導者の少女が心底申し訳なさそうに謝罪の念を今ここで付け加えたのか、今までのやりとりで得た印象からは理解できなかった。
指示に従い待機すること15分が過ぎた頃、少年は初めて感じる異色のモノに気付いた。
「なあ……」
「やっぱり君は特別だね。ええ、ここからが君の役目よ」
少年の察知を裏付けるように、同じモノを感じ取っているだろう指導者の少女が遮ると、一変、真剣な雰囲気を醸し出す。
家族の悲しみが緩和する様子はない。
未だ母親と姉は息を引き取った幼い少女に泣きついている。
不意に、間違いなく亡くなった少女の指が、ぴくり、と動いた! 続いて、永遠に閉じられたはずの瞳が、ゆっくりと開かれた。
その奇跡に、理解など無視して、家族は歓喜する。
悲しみの涙が喜びの涙に、神への感謝へと変わる。
その信じ難い奇跡の光景を目の当たりにした少年は全てを察すると、喜びとは真逆の、絶望的な面持ちで隣に座る指導者を見る。
「おい……。あの子を、俺に……殺せっていうのか……?」
「ええ」
きっぱりと抹殺命令を下す指導者の少女に、戦慄する幼い少年。
「あの家族に、もう一度あの子を失う悲しみを味わらせろっていうのか?」
「ええ、そうよ」
少女の天秤が揺れることは一切なく、力強く頷き返される。
「――――」
「……忘れないで。君がなんのためにここに来たのかを」
思わず、幼い少年は言葉を失って黙り込んでしまう。それを見た少女に複雑な感情が過った。かける声はこれまでと違って優しい。しかし、目を逸らしたり、二の足を踏むのは許さない。といった配慮の中に強制が感じられる言い方だった。
「それは、世界を……」
「そう。存続させるため、でしょ」
その日、幼い少年は、初めて人を殺した。