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三谷永太一の物語 その8

 姉ちゃんが何を言おうとも止まるつもりはない。とはいえ、それを口に出したら間違いなく喧嘩になる。俺は黙っておじさんの家の鍵を渡し、出入りはしないことを一応誓った。


 さて、翌日の1月24日。期末テストが近いせいかいつもより少し混んでいる大学食堂で、俺は四人の友人と共に昼食を取っていた。期末テストについてのアレコレや、週末行われる競馬の勝ち馬予想などについて話していても、ふとした拍子におじさんの一件が頭によぎってしまう。


 こんな調子で期末のテストに挑むのは無謀だ。単位の方は順調に取れているし、いっそのことすべて忘れておじさんの件の調査に本腰を入れるというのもアリな気がする。そうなれば、頼るべきなのは〝正義のマスコミ〟だろうか。


 明太子クリームパスタを食べながらそんなことを考えたその時、背後から「太一さんですよね」とよく通る声が聞こえてきた。こんな風に俺を呼ぶ人なんてひとりしか覚えがない。振り返れば、そこにいたのはやはり江連さんだ。白いセーターにロングスカートを着込む姿は清潔感と上品さを備えている。


「やっぱり。太一さんでした」

「江連さん。どうしてここにいるんですか?」

「たまたまこの大学の近くを通る用事がありまして。それで、ここの食堂がテレビでも美味しいって紹介されてたのを思い出して入ってみたんです。そしたら、あなたを見つけました」


 そう言って彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。甘い香りすら漂ってきそうな笑顔だが、騙されるわけにはいかない。


 気を引き締める俺の心中など知らず、一緒に昼食を取っていた友人たちは「すげー美人じゃん」「紹介しろよ」とからかうように囃し立てる。無闇に頬が熱くなるのを感じながら「黙ってろって」と軽く手で払うと、その光景を眺めていた江連さんは楽しげに笑った。


「す、すいません。失礼な奴らで」

「いいんです。それより太一さん。今日の講義が終わった後で、もしお時間があるようでしたら、ご一緒したいところがあるんです。ご都合いかがですか?」


 いったいなんの企みがあるのだろうか。だが、向こうから近づいてくれるというなら好都合だ。逆にこっちが真意を探ってやる。


「大丈夫ですよ。ちょうど昼食べたら帰ろうかと思ってたとこですから」

「よかった」


 ホッと息を吐いた江連さんは食堂の外で待っている旨を伝えた後、「それでは」と残して去っていった。


 彼女の背中が人混みの中に消える前から、友人たちが「このやろう」「お前だけずりーんだよクソ」「代わりにお前の姉ちゃん紹介しろや」などと俺のことを突っつき回してくる。「やめろって」と半笑いでそれを受けながら、俺は胸中に渦巻く緊張感をひしひしと感じていた。



 友人たちと別れトイレで小用を済ませた後、俺は江連さんの元へと向かった。壁を背にして車いすに腰掛ける彼女は膝に乗せたパソコンでなにやら作業をしている最中で、やけに険しい顔をしている。


 近寄るのもはばかられる雰囲気だが、近寄らなければ始まらない。俺は彼女に「すいません。お待たせしました」と声を掛けた。


 すると顔を上げた江連さんは一転して穏やかな笑顔を浮かべる。


「いえ。全然問題ありません。仕事をして待ってましたから」


 江連さんの提案で、俺たちは大学を出て駅の方向へ歩いたところにある『しまうま』という喫茶店に向かった。値段設定がやや高めの個人経営店ということもあり、店内に学生らしき人の姿はあまり見当たらず、サラリーマン風の男性が数人いるばかりだった。


 窓際の席に向かい合って座り、注文したホットコーヒーが運ばれてきた頃合いで、俺は話を切り出した。


「江連さん、今日はいったいなんの御用でいらっしゃったんですか?」

「実は、お願いしたいことがありまして。太一さんは、荘慈さんのお家の整理をなさってるんですよね」

「ええ。以前お話した通りですが、それがどうかしたんですか?」

「荘慈さんには小説をお預けしているんです。原稿用紙に書かれた手書きの小説でして。片付けをしている時に見かけませんでしたか?」

「小説ですか。あったかなあ、そんなの……」


 考え込むように「うーん」と唸って小説の存在を隠したのは、江連さんの真意を探るためである。


「それで、その小説がどうされたんですか?」

「実はその小説、私が書いたものなんです。もし見つかったらお返しいただけないかな、と思いまして」

「なるほど。ちなみにどんな小説なんですか?」

「お話するのは少し恥ずかしいんですが……あ、タイトルは『痩せた両腕』で、ペンネームはフジノカズミです。ページの最初の方に書いてあると思います」


 実は、俺はおじさんの家で発見したあの小説に一度も目を通していない。だから彼女の言うことが正しいかどうかはわからないが、ここまで堂々と言えるということは恐らく嘘ではないのだろう。


 とはいえ、どうしておじさんが江連さんの書いた小説を持っているのだろうか。彼女と親交なんてなかったはずのおじさんが。


 いまそんなことを考えても仕方ない。俺は「わかりました」と表面上友好的にうなずいた。


「見つけたら江連さんの家にお持ちしますね」

「よかった。よろしくお願いします。大事なものなんです」


 見つかったら連絡をよろしくということで連絡先を交換し、少しぬるくなったコーヒーをすすったところで、彼女は恐る恐るといった様子で「あの」とつぶやく。


「太一さん、〝超人〟ってご存じですか?」

「超人って、ウルトラフォースみたいなスーパーヒーローのことですよね」

「いえ。わたしが言う超人はもっと精神的なもので……簡単に説明してしまえば、自分が信じたものや価値観を決して曲げない人のことを言うんです。だから、あんな風に空を飛べたり、岩を素手で割ったり、弾丸をはじき返す肌を持ったりしてなくても、超人って呼べるんですよ」


 その定義の超人なら、一般教養で取った哲学の授業で習った覚えがある。教授はニーチェがどうだとか言っていた気がするが、細かいところまでは記憶にない。


 もっとしっかり授業を聞いておくべきだったなと思いつつ、「その超人がどうかされたんですか?」と問えば、彼女は「いえ」と首を横に振る。


「ただ、そんな〝超人〟が存在するなら、きっとそういう人をスーパーヒーローって呼ぶんじゃないかなって、そう思ったんです」


 彼女の言葉になんと返せばよいのかわからず、俺は「はあ」と首を斜めに振るしかなかった。



 その日の夜の20時過ぎ。夕食と風呂を済ませた俺は、ふと思い立っておじさんの部屋から発見された例の小説を読んでみることにした。


 棚にしまってあった原稿用紙の束を取り出し、ベッドに転がりながら手書きの文字に目を通していく。小説のタイトルは『痩せた両腕』、ペンネームはフジノカズミ。この辺りは江連さんの言ったとおり。


 幼少期、死に際の母親から「自分のためじゃなくて人のために生きなさい」という遺言を残された男は、その言葉のとおり自分を滅して人のために生きるようになる。三十歳を過ぎたころ、男は自分ではなく他人のために己を殺して生きてきた人生に疑問を抱くが、今さらこの生き方を変えることはできないことに嘆き悲しむ……。


 だいたいこのような内容の話を自伝的に綴っていったもので、一人称の自分語りが多め。というよりも、ほとんどそれに終始している。


 純文学的ではあるが、文章にはややつたないところがある。面白いか面白くないかで言えば……天山さんの言っていた通り面白くない部類に入るだろう。


 なんだかやるせなくなってきた。とくにおかしなところもないし、早く江連さんに返した方がいいかもしれない。なんてことを考えながら原稿用紙を畳んで、ごろ寝の体勢のままスマホをいじる。


 臨時ニュースのバナーがスマホの画面上部に表示されたのはその時のことだ。『ウルトラフォースの死について警察が会見 生中継』という文字につられタップしてみると、動画サイトに飛ばされた。


 会見席には三人の警察官が横並びで座っている。中心の席に座っている眼鏡を掛けた壮年警官は、神妙な面持ちでマイクを片手にマスコミに向かって喋っていた。


「――つまり、ウルトラフォースこと佐々木邑李氏は、何者かによって殺された可能性が極めて高いというわけであります。無論、犯人につきましては目下捜査中でありまして、詳細な情報は話すことはできないわけでありますが、日本警察の威信にかけましても、本事件の犯人は必ず――」


 天山さんの言っていたとおりだ。ウルトラフォースの死は事故や自然死などではなく事件だった。


 しかし、彼は超人だ。刃や弾丸なんて難なく弾き返す。毒はおろか、放射線だってきっと効かないだろう。


 となれば――誰がスーパーヒーローを殺したのだろうか。

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