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三谷永太一の物語 その7

 さして正体の知れていない女性である天山さんの〝お願い〟なんて丁重にお断りしてもよかったところを、どうしてもないがしろにできず「わかりましたよ」と受け入れてしまったのは、俺が彼女に対して姉ちゃんに近しいところを感じていたからなのかもしれない。つくづく、弟に生まれてきた人間は年上の女性に対して抵抗できないようにプログラミングされている。


 翌日。1月23日、昼の13時過ぎ。待ち合わせ場所に指定されたおじさんのアパートの前で待っていると、定刻より十分遅れて天山さんが車に乗って現れた。紺のジャケットにチェックのスラックスを合わせた服装の彼女は、なんだかやけにやつれた顔をしている。自分の運転に酔ったんだろうか。


「やっほ。元気そうじゃん」と彼女はだるそうに手を振る。


「天山さんは……寝れてない感じですか?」

「まあね〜。厄介なことがあってさ」

「厄介なこと、っていうのは」

「まあ、お聞かせするほどのことでもないから」


 どうやら天山さんには詳細を話すつもりはないらしい。まあ、恐らくはマスコミ活動が忙しかったとか、そういうくだらない理由だろう。


 それから、おじさんの部屋の整理が始まった。自ら持参した軍手と三角巾を身に着けて準備万端の天山さんは、俺の指示に従い黙々と作業を続けている。ひょっとしたら片づけ以外の目的があるのかもなんて勘繰りをしていたが、そういった心配は不要らしい。


 作業をはじめてから三十分ほど経ったころ。俺は世間話の延長線で、「そういえば」と彼女に話を振った。


「昨日、また江連さんに会ってきたんですよ」


 俺としてはこの程度、何気ない会話のつもりだったのだが、どういうわけだか天山さんは途端に険しい顔つきになり俺の両肩を掴んできた。


「ちょ――君、大丈夫だったの?!」


 まったくわけもわからず、ただ困惑するしかなかった俺はとりあえず首を斜めに振る。


「だ、大丈夫だからここにいるんですけど……」

「……そうだよね。それならいいんだけどさ」

「あの、ひょっとして何かあったんですか?」

「いや。わたしの気のせい。ゴメンね、忘れて」


 潮が引いたように落ち着きを取り戻した天山さんは、「それで?」とこちらの話の続きを促す。俺は彼女の態度を妙に思いながらも、ひとまず話を続けることにした。


「それで、江連さんともう一度話をしたんですけど、あの人ウソをついてるみたいなんですよ」

「だから、それはわたしが教えてあげたでしょ」

「それはそうなんですが。それにしたって想像以上でして」


 俺は作業を続けながら江連さんとの会話や、その際に感じた不審点について天山さんへ残らず話した。時折「なるほど」と相槌を打ちながら俺の話を聞く彼女の表情はいつになく真剣に見える。


「これはあくまで憶測でしかないんですが、おじさんのスマホから俺にメッセージを送ったのは江連さんだと思うんです。じゃないと、クラークケントなんて馬の名前が出てくるはずない」


「だとすると、太一くんは江連さんがおじさんを殺した犯人って言いたいの?」

「そこまで言いたいわけじゃないんですけど……でも、あの件になにか関係はしてるんじゃないかなと」

「それを証明したいなら、証拠が必要だね。言い逃れができない確実な証拠が。アテはあるの?」

「アテはないですが……しいて言えば、おじさんのスマホがまだ見つかってないんです。それを江連さんが持っているかも」

「持ってるかなあ、そんなの。普通なら捨てるよね」


 天山さんの言う通りだ。持っていたってなんの得にもならないどころか、自身と事件を紐づけるだけのものなんて、普通なら真っ先に捨てるだろう。


 疑惑は疑惑のまま終わってしまうのだろうか。なんて考えたその時、ぎゅうぎゅうに洋服を詰めてあるクリアチェストを雑にひっくり返した天山さんが、「ん。なにこれ」と声を上げた。なにを探し当てたのかと思えば、彼女が持っていたのは数十枚の束になった原稿用紙だ。


「なんですか、それ」


 天山さんはぱらぱらとページをめくった後、「小説、なのかなあ」と俺に原稿用紙を開いて見せる。


「君のおじさん、そういう趣味あったの?」

「そんなことは聞いたことありませんが……。それに、文字もおじのものとは違うように見えますね」


「そっか」と答えた天山さんは次々とページをめくってからひと言、「あんまり面白くないね」と呟いた。


「そんな軽く読んだ程度でわかるものですか? 実はきちんと読み進めたら面白いとか」

「わかるよ。最近は昔に比べて娯楽が増えたからねぇ。小説で勝負したいなら、1ページ目から攻めなきゃダメなの。自分語りをツラツラ並べてるようじゃ論外の論外」


 直球に辛辣だ。自分のことじゃないのになんだか胸と胃が痛くなる。


「でも、君のおじさんが書いたんじゃないなら誰のものなんだろ」

「友達が書いたものを試し読みするために預かった、とかなんですかね」

「だったらその友達は困ってるかもね。手書きの原稿がこんなところに放置されたままなんだもん」

「俺が預かっておきますよ。もしかしたら、その人から連絡がくるかも」

「その方がいいね。あ、ついでにあんまりおもしろくなかったって言っといて」と言って天山さんは俺に原稿を雑に手渡す。非常に気の毒な気分になりながら、俺はそれを黙って受け取った。



 天山さんの手伝いのおかげもあって片づけは一気に進み、作業は八割ほど終了した。これならあとはひとりでやっても一日足らずで終わるだろう。


 おじさんのアパートを出たのが午後の17時過ぎ。「送っていくよ」と主張する天山さんに腕を引っ張られるまま車に連れ込まれ、彼女の運転に酔いつつ自宅に着いたのが18時前。よたよたしながら車を出た俺は、「今日はありがとうございました」と彼女に頭を下げた。


「いいのいいの。むしろこっちがありがとうだよ。色々と整理できたしさ」

「あの、何かあったのなら話くらい聞きますよ。俺で役に立てるかはわかりませんけど」

「ありがと。まあ、そのうち話すよ。気が向いたらさ」


 俺の話を躱すようにへらへらと笑った天山さんは、「じゃね~」と手を振って車をスタートさせた。


 江連さんに秘密があるのは間違いないが、それは天山さんも同様だ。間違いなく彼女にも、俺に話していない秘密がある。いつかその辺りについても追及しなければならないだろう。


 天山さんの車をテールランプが見えなくなるまで見送った後、玄関扉を開けて家に入るとばったり姉ちゃんと出くわした。スウェット姿のところを見るに、コンビニにでも買い物に行くつもりなんだろう。


 目を細めてじぃっと俺を見てきた姉ちゃんは、開口一番「またおじさんの家に行ってたの?」なんて不機嫌そうに言い放つ。


「しょうがないだろ。まだ片づけが終わってないんだから。それとも、なんだよ。俺の代わりに姉ちゃんが片づけやってくれるのかよ」

「別にそれでもいいけど。ていうか、そうするわ。アンタに任せておくとなんだか危ないし」


 姉ちゃんは俺に向かって手を突き出す。


「てことで、おじさんの家の鍵、貸しな。明日からアンタはあそこに出入り禁止」

「なんでそんなこと決められなくちゃいけないんだよ」

「心配だからに決まってるでしょ? 変なことに首突っ込んで痛い目に遭うなんてことになったら、あたし、今度という今度は黙ってないからね」

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