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三谷永太一の物語 その6

 翌日。1月22日の昼間のこと。板書を友人に任せて大学の授業を途中で抜けてきた俺は、おじさんの住んでいたアパートに向かっていた。母さんから依頼された部屋の片づけという目的もあるが、おじさんの〝無実〟を証明したいという思いの方が大きい。あの人が半グレ集団に加わっていたなんて話、信じてたまるか。


 アパートに着いたのは昼の13時過ぎのこと。俺は床に散らばる雑誌や競馬新聞などを紐でまとめながらひとり考える。


 おじさんが半グレであったという天山さんの主張をひっくり返せる証拠とはどのようなものだろうか? 

たとえば、おじさんの友人、あるいは恋人の証言、とか。「そんな会社で働いているわけがないはずだ」という話を聞ければ安心できる。だとしたら連絡先が必要になるが、スマホは見つからなかったとか母さんが言ってたはずだ。となればこの手は使えない。


 だとすれば、バイト先の給与明細。合計出勤時間が書いてあるはずだから、それを見れば――……いや、おじさんがそんなものを取っておくイメージはないな。


 バイト先で使っていた名刺なんかがあれば、それこそ立派な証拠になる気はする……が、たかがバイトで名刺が必要になるような職場でおじさんが働いていたとは思えない。


 そもそも、思ってみれば俺はおじさんのことをほとんど知らない。勤務先も、昔どの学校に通っていたのかも、どんな友人や恋人がいるのかも……。競馬好きの穴党であるということと、いつもほがらかに笑っていること以外、なにも知らないのかもしれない。


 ……やっぱり、あの名刺に書かれていた『樹星社』とかいう会社を訪ねるしかないのだろうか。


 ふと頭によぎったのは天山さんの顔。危険なことをやるつもりなら電話しろ、なんて言われた気がする。あの会社に行くなら、彼女に協力を求めた方がいいかもしれない。正義のマスコミなんてアテにはできないが、人手は多い方がいいだろう。


 財布に入れてあった天山さんの名刺を取り出し、スマホの液晶を指で叩いて彼女の番号をコールする。呼び出し音が何度か続いたが、通話が繋がる気配がない。一度通話を切って、再度コールしてみたが同じ。


 取り込み中なのかと諦め、ひとまず部屋の片付けを再開する。束ねた雑誌類をひとまとめにして部屋の端へ寄せ、飲みかけのペットボトルや雑に丸められたチラシなどのゴミを片っ端からゴミ袋へ投げ入れていくうち、枕元に無造作に置かれた大きめの茶封筒を見つけた。


 なんだろうか、あれは。


 プライバシーの侵害なんてことはいまさら誰にも言われはしない。封筒を手に取った俺は中に入っていた紙類を床に広げる。


 ……見なきゃよかった。


 十数枚以上に及ぶそれらはすべて写真だった。しかもただの写真じゃない。いかにも盗撮したような、レストランで食事しているところを遠目から被写体を――江連さんを写した写真。


 なぜおじさんがこんな写真を持っているのか。これを撮ったのがおじさんだとして、その目的はなんなのか。おじさんと江連さんの本当の関係はなんなのか。いくら考えを巡らせたところでさっぱりわからない。


 ……わからないなら、本人に直接聞くしかないだろう。


 片付けを中断した俺は急ぎ足で部屋を出た。江連さんに話を聞きに行くために。



 記憶を頼りに江連さんの家の近くまで向かう。住所こそ知らないがなんとなくの道順は覚えていたので、バスを使って近所まで行ったらあとはどうにかなった。


 目の前には江連さんの住む家がある。あとは呼び鈴を押すだけで彼女と話をすることができる。


 ……とはいえ、どうやって、なにを話せばいい? おじさんとの本当の関係を教えて下さい、とでもいえばいいのか? そんな正面切って突っ込むような真似をして、江連さんが話をしてくれるだろうか。


 その場でうろうろしながらあれこれと迷っているうちに、ふと彼女の家の玄関扉が開いた。咄嗟に背を向けたがもう遅く、「太一さん、ですか?」と声をかけられてしまった。こうなれば、後は野となれ山となれだ。彼女の方に振り返った俺は自然な風を装って頭を下げる。


「江連さん。どうも」

「どうも。でも、どうなさったんですか、こんなところで。もしかしてご近所に住んでいらっしゃるんですか?」

「ええ、まあ、そんなとこです」


 この方向に話を掘り下げられたらボロが出ると考えた俺は、「その、どこかへ出かけるんですか」とすかさず話題を切り替えた。


「ええ。近所のスーパーまで買い物へ」


「でしたら、もしよろしければ荷物持ちでもやりますよ」と俺が提案したのは、彼女と話す時間を少しでも引き伸ばすためである。


 江連さんは俺の提案を受け慌てて首を横に振る。


「そんな。悪いですよ、そんなことさせたら。お出かけの最中だったんですよね?」

「いいんですよ。どうせヒマを持て余して散歩してただけなんですから」


 思案するように「うーん」と首を傾げること数秒。江連さんは「では、お言葉に甘えて」と眉尻を下げて微笑んだ。ひとまず、門前払いは避けられた。


 江連さんの乗る車いすを後ろから押してのんびりと歩く。心地よい冬晴れは、上着を着ていると汗ばむほどだ。


 俺は適当な会話を続けながらおじさんの話を切り出すタイミングを伺っていたが、なかなかチャンスが巡ってこない。どうしたものかと思案するうちスーパーに着き、スムーズに買い物を終えてしまった。なんと情けないことか。


 江連さんが「あの」とどこか不安げに言ったのは、スーパーを出て帰り道を歩いている時のことだった。


「先日は申し訳ありませんでした。あんな、追い出すような真似をしてしまって。どうにも、ウルトラフォースが……佐々木が亡くなって以来少し過敏になっているようで」

「いえ。プライベートなことに立ち入るような真似をした俺が悪いんです。こちらこそすいません」


 なんだか暗い雰囲気が一気にその場を支配してしまった。どうにも益々話しづらい雰囲気だ。失敗だったな、なんて気を落としながら歩いていると、江連さんが話し始めた。空気を変えようとしているのか、努めて明るい調子の声だった。


「石田さん……太一さんのおじさんは、お散歩が好きでしたね。歩いていると、考えがよくまとまると仰ってました」

「そうなんですか? 俺にはあんまり、そういうことは言ってなかったかな」

「もしかしたら、恥ずかしかったのかもしれませんね。考えがまとまると言っても彼の頭の中にあるのは、どの馬が勝つのか、なんてことばかりだったようですから」


 受け答えに詰まって「はは」と乾いた笑いを上げることしかできない俺へ、江連さんはさらに続けた。


「クラークケントという馬が大好きだそうで。ついこの前も、その馬が出るレースを買うんだと言ってました。なんでも、とても強いらしくて」

「……おじさんが、その馬を好きだと言ってたんですか? 本当に?」

「ええ。よくわからないんですけど、馬券にならなかったことがない、らしいですよ」


 江連さんは爽やかな笑顔に似つかわしくないことを言った。



 江連さんは嘘をついている。穴党のおじさんは強い馬を好まない。馬券にならなかったことがない――つまりは必ず三着以内にくる馬ならなおさらだ。むしろそういう馬を嫌ってこそのおじさんといえる。


 おじさんに関する話が嘘だとすれば、彼女はどうして『クラークケント』なんて競走馬の名前を出したのか。これは俺の憶測になるが、彼女はそれ以外の馬を知らないんだ。それなら、どうして彼女がピンポイントにその名前だけを知っていたのかと考えれば……おじさんのスマホから「競馬へ行こう」という旨のメッセージを送ったのが彼女だからと結論づける他ない。


 おじさんの死に江連さんが関わっている。しかし、どうして――。


 その日の夜。自室のベッドの上に転がりそんなことを考えていると、ポケットに入れていたスマホがブブと震えだした。見れば、電話の相手は天山さんだ。そういえば、昼間に彼女へ電話していたことをすっかり忘れていた。


 電話に出ると、どこか疲れたような天山さんの声が聞こえてきた。


『もしもーし。どしたの、電話なんて』

「すいません、かけ直してもらってしまって。忙しかったですよね」


『忙しかったっていうか、なんていうか……』と濁した彼女は、『それより、なんの用?』と続ける。


「それが、少し〝危険なこと〟をしようと思ってまして。力を貸して貰えませんか?」


 正義のマスコミの天山さんのことだ。喜んで首を突っ込んでくるだろうと考えての提案、だったのだが――。


『いやあ。危険なことはしばらくいいかな』


 彼女の答えは意外にも、なんともやる気のないものだった。これはさすがに予想外だ。俺は慌てて食い下がる。


「そんな。らしくないこと言わないでくださいよ」

『そう言われてもねえ。ちょっと疲れちゃってね』


 さらりとこちらの意見を受け流した天山さんは『そだ』と気のない声を上げる。


『君、おじさんの家の整理してるんでしょ? 手伝わせてよ』

「そんなことより別に手伝って欲しいことが――」

『いいじゃんいいじゃん。頭ン中一回すっきりさせたくってさ。お願いだよ、太一くん』

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