三谷永太一の物語 その5
天山さんの車に戻ると、彼女は運転席から顔を出して、なんとも呑気な笑みを浮かべながら「お疲れお疲れ」と手を振って俺を迎えた。その瞬間、緊張の糸がほろりと解けるような気がして、俺は思わず後部座席に倒れ込んだ。
「おっと。思ってた以上にお疲れだ。どうだった? はじめての潜入捜査」
「見ていてわかりませんでしたか? 大変でしたよ。うんざりするくらいに」
「だろうね。太一くん、声かなり震えてたもんね」と笑う天山さんはかなり楽しげだ。
「余計なお世話ですよ」と返した俺は席に座り直し、それから頭を下げた。
「でも、すいませんでした。役に立つような情報を聞き出せないで」
「マジメだねえ、君は。大丈夫だよ。ウルトラフォースの死についてなにか隠し事があるのは、江連さんの態度を見てわかったし。それだけでも一歩前進」
それについては俺も同感だった。江連さんには何か隠していることがある。
「それより、江連さんがあなたのおじさんと親交があったって言ってたでしょ。アレ、たぶん嘘だから」
何気ない調子で思ってもいなかった話をされて、俺は「は?」と間の抜けた声をあげてしまった。
「いやいや。なにを根拠にそんなこと言うんですか」
「ほら、お望みの〝根拠〟」
運転席から手を伸ばした天山さんはスマホの画面を俺に向けて一枚の画像を見せる。なにかの式典で撮られたらしき集合写真の中央にはタキシード姿のウルトラフォースが、そして彼の横には二本の足でしっかりと立つ、レディーススーツ姿の江連さんが写っていた。何かの間違いかと思い何度も目を擦ったが、間違いなく彼女だ。
「それ、去年の12月上旬に撮られた写真。つまり、彼女が車いすを使うようになってからそうたいして時間は経ってないわけ。そんな短い期間で何度も会って、連絡先を交換するようになるまで親交が深まると思う?」
思うか思わないかで言えば、思わない。言われてみればあの家の造りは、足が不自由な人が住むには不親切な設計のように見えたし、そもそもおじさんは女性が得意な方ではない。だとすれば、彼女はどうしてそんな嘘をついたんだ。
「……あの人はいったい、なにを隠してるんですか」
「わからない。でも、わたしはそれがウルトラフォースの死に直結してると思う。こっちについてはただの勘なんだけどね」
天山さんは却って不安になるくらい真面目な調子で言った。
「とにかく、手伝ってくれてありがと。じゃ、今度はわたしの番だ」
スマホをしまった彼女は代わりに一枚の紙をこちらへ差し出す。受け取ってみればそれは『株式会社 樹星社』という会社の名刺で、住所や連絡先のほか、なんとおじさんの名前と顔写真が印刷されている。いったいどこでこんなものを用意したのだろうか。
「なんです、この名刺は?」
「君のおじさんが勤めてた会社の名刺」
「おじさんは定職についていないはずですけど」
「そりゃ人には言えないような会社だもん。黙ってたのも無理ないよ」
含みのある天山さんの言い方に、俺は「どういう意味ですか」と詰め寄る。すると彼女はのんびりした調子で語った。
「その会社ね、表向きにはウォーターサーバーのレンタル管理会社ってことになってるんだけど、実態はぜんぜん違うの。本来の業務内容はパパ活のケツモチにぼったくりバーの経営、オレオレ詐欺の受け子……その他諸々。簡単にいえば、なんでもアリの半グレ集団ってとこかな」
おじさんが犯罪行為を? そんな、あり得ない。たしかにおじさんの評判は親戚の間ではあまりよくなかった。でも、それでもそんなこと――。
「……そんなわけありません。おじさんは人がいいんです。半グレだとか、そんなこと出来るわけがない」
「でも、事実であることは間違いないの。いくら君が否定したところでそれは変わらない」
天山さんにそんなつもりはないとわかっているが、彼女の言葉はこちらの神経を逆撫でするように聞こえ、俺はひどく苛立ちながら食ってかかった。
「つまり天山さんは、おじさんが死んだのにはこの半グレ集団が関わっていると言いたいんですか?」
「可能性はある。実際、君のおじさんは『一緒に出掛けよう』って君に話したその翌日に亡くなったわけでしょ?」
熱くなる俺とは対照的に、天山さんはどこまでも冷静だった。
「わたしが言うのもどうかと思うけど、あんまり危険なこと考えちゃだめだよ。もしそういうことをやるつもりなら、わたしに必ず連絡すること。絶対だからね」
◯
その日、家に帰ったのはもう空がすっかり暗くなってからのことだった。自室へと戻った俺はベッドに転がり、天山さんから受け取った名刺をぼんやり眺めた。
ここに印刷されている顔写真も、名前も、間違いなくおじさんのものだ。しかし、だからといっておじさんがこの会社に勤めていたという証拠にはならない。そもそも、天山さんの言っていることがまったくの見当外れである可能性だってある。正義のマスコミ(自称)なんて信じられるか。だいたい正義を自称する奴らにロクなのはいないんだ。そうだ。おじさんが半グレなんて、そんなことは……。
……明日、もう一度おじさんの家にいこう。片付けだって全然終わってないし。ついでに、おじさんがこんな会社とはなんの関係もない証拠を見つければ、一石二鳥――。
「ご飯だって言ってんだから返事くらいしろって」
苛ついた声が背中を刺してくる。振り返ると、姉ちゃんが部屋の扉を開けて俺を睨んでいた。開ける前にノックしろ……なんて生意気なことは言えない。弟というのは細胞レベルで姉には逆らえないようにできている。
「ああ、ごめん。すぐ行くから」
名刺を放り捨てた俺は勢いをつけてベッドから立ち上がる。そんな俺のことを姉ちゃんはどこか不安そうな顔で見つめていた。
「どうしたの、姉ちゃん」
「……太一、またおじさんのこと考えてたでしょ」
姉ちゃんにはおじさんの自殺が妙だという話は何度かしてある。だからといってここまで容易に心中を見破られるとは思いもしなかったが。
「悪いかよ」と俺はそっぽを向く。
「悪い……とまでは言わないけどさ。いいことじゃないでしょ」
「でも、姉ちゃんだって妙だって思うだろ。あのおじさんが自殺なんてさ」
「妙でもなんでも警察がそう言ったんだから仕方ないでしょ? それともなに。アンタは警察よりもすごい捜査ができるってわけ?」
「そんなこと言ってないだろ!」
つい強い口調になってしまったことに自分でも驚いて、俺は下唇を噛んで黙ってしまった。
「アンタがおじさんにこだわる理由はわかるよ。だけど危ないことはやめてよ。アンタ、自分が正しいって思ったら周り見えなくなるタイプなんだから」
「大丈夫だって。俺だってもう子どもじゃないんだし――」
「大丈夫じゃない」
そう言い残すと姉ちゃんは部屋を出て行った。
危ないことは俺だってごめんだ。でも、やらなくちゃいけないことがあるなら、時には危険に飛び込むことだって必要だ。
俺はおじさんの名誉を守りたい。おじさんが、俺の知っていたおじさんであったということを証明し、納得を得たい。それだけだ。
◯
まだ俺が小学2年生だったころの夏の話だ。田舎の爺ちゃんが亡くなって、俺たち家族は葬儀のために遠路はるばる宮城まで出向いた。田舎の家には顔も見たことのない親戚が十人ばかり集まっていて、その中にはおじさんもいた。
宗派の関係もあって、葬儀はやたらと長い期間執り行われた。たいして広くもない田舎の家にだいたい一週間くらい寝泊まりしたことと、肉はおろか納豆すら出てこない精進料理を朝昼晩食べさせられたこと、それと葬式の間中、坊さんが木製の銅鑼みたいなものを絶えず打ち鳴らしていたことをよく覚えている。
宮城の郊外に寝泊まりするのは当時の俺にとって新鮮な体験だったが、それもはじめの2日間だけだった。Wi-Fiなんて飛んでいるわけもない、周囲10キロメートル圏内にロクな娯楽もない、ただどこまでも青い空と田園風景が続く広い空間は、この世の地獄のように退屈だった。
暇を持て余した俺と姉ちゃんを見かねて、どこかへ気分転換へ出かけようかと提案したのがおじさんだった。当時はきちんと定職に就いていたため信用があったおじさんは父さんの許可を得て、俺と姉ちゃん、それに母さんの3人を車に乗せ、ヤマメ釣りが楽しめる川まで連れて行ってくれた。
事件はその川で起きた。早々と釣りに飽きてしまった俺は、母さんとおじさんがちょっと目を離した隙に付近の森へ〝冒険〟に出て、ものの見事に迷子になったのである。日が落ちていくと共に急激に冷えていく空気と、木々に天蓋を塞がれているせいで伸ばした手の先すら見えない真っ暗闇の景色は、いまでも脳裏に焼き付いている。
戻ろうにも来た道がわからない。俺はその場にしゃがみ込んで泣き出した。考えたことすらなかった死という概念が、俺の肩に手を置いたような感覚さえ覚えた。
「おぅい! 太一! 太一!」
おじさんの声が聞こえてきたのはその時のことだった。懐中電灯を片手に現れたおじさんは、泣きじゃくる俺を抱え上げ、「よく頑張ったな」となだめてくれた。
あの日からおじさんは、俺にとっての〝スーパーヒーロー〟なんだ。
今になってもその事実は決して変わらない。