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三谷永太一の物語 その4

 江連朝顔さんの家は埼玉県と東京都のちょうど境目の清瀬市という場所にある。住宅街と畑が交互に見えるのどかな街で、都心部と比べれば同じ東京都内だとは思えない。


 結局、俺は天山さんに協力する道を選んでしまった。性別と職業、それに運転が下手ということくらいしかわかっていない人のことを信用してしまったのだ。危険なことだと言われれば否定はできない。でも人間、やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいと聞いたことがある。それなら行動あるのみだ。


 天山さんは住宅街の中にある公園の前に車を急停車させた。「ほら、あそこが目的地」と彼女が指した方を見れば、道路の反対側では白と黒で塗り分けられた大きな家がこちらを見下ろしており、どこか威圧感すら受ける。


「はい、じゃあコレ胸につけて」


 天山さんはカバンにしまってあったボールペンを俺が着ていたジャケットの胸ポケットに差した。


「なんですか、これ」

「カメラとマイクがついてるの。そのおかげでわたしは、君と江連さんとの会話を生中継で見られるってわけ」

「……こんな監視みたいな真似されなくたって、頼まれたことはちゃんとやりますよ」

「もちろん君のことは信用してるよ。でも、万が一江連さんが強硬手段に出た場合の保険が大切でしょ?」

「あの人がそんなことするような人には見えませんけど」

「人は見かけによらないものなんだって。ほら、御託はいいからいってらっしゃい」


 天山さんにぐいぐいと押し出される形で、俺は車の外へ出た。こうなればもうやるしかない。意を決して江連さんの家のインターホンのボタンを押せば、ややあった後『はい。どちら様でしょうか』と声が返ってきた。


「あの、石田荘慈の甥です。三谷永太一といいます。ほら、この前の通夜で受付をやっていました」

『ああ。あの時はお世話になりました』

「いえ。それで、その、ずいぶんお香典を包んで頂いてしまったみたいで。直接ご挨拶がしたいと思いまして」

『そんな。わざわざ申し訳ありません』


 カチャンという解錠音が扉から聞こえてきた後、『中へどうぞ。リビングでお待ちしてます』と江連さんは言った。


 とりあえず第一関門突破だ。ホッと胸を撫で下ろしながら緩やかなスロープを昇り玄関扉を開ければ、チョコレートに似た甘い匂いが香ってきた。香水か何かだろうか。玄関には日本国旗を掲げるウルトラフォースを描いた絵が飾られており、さすがは彼の元マネージャーといったところである。


 靴を脱いで廊下を進んでいけば、戸が開いた部屋から「こちらです」と江連さんが呼びかける声が聞こえた。「失礼します」と部屋に入れば、椅子に座る彼女はパソコンに向かってなにやら作業をしている最中だった。


 パソコンを閉じて作業を切り上げた江連さんはこちらに顔を向けてほほ笑みを浮かべる。作業をしていたからなのか、黒縁の眼鏡をかけている。


「申し訳ありません。わざわざ中まで来ていただいて」


「いえ、そんなことは」と首を横に振った俺は彼女の元に歩み寄り、天山さんが買ってきたケーキを手渡す。


「これは、俺からのお返しといいますか……家からはまたお香典返しが送られてくるとは思うんですけど。とにかくどうぞ」


 我ながら苦しい言い訳だと思ったが、とくに抵抗もなく箱を受け取った江連さんが中を覗き込んで「あ、美味しそう」と素直な感想を述べたところを見るに、怪しまれているようなことはないらしい。


「ちょうど紅茶を淹れていたんです。一緒にどうですか?」


 この提案は渡りに船だった。まさか話をする機会を向こうから作ってくれるとは。「いただきます」と笑顔で答えると、江連さんは「ではそちらへ」とソファーを指す。足の悪い彼女を思って「お手伝いしますよ」と申し出たが、「慣れてますから」とすっぱり断られてしまってはどうしようもない。

大人しくソファーに腰かけた俺は、改めて部屋を見回してみた。


 キッチンと一体になったリビングは三階まで吹き抜けになっており、螺旋階段で上まで繋がっている。家具や調度品の類は上品さが漂っており、見ているだけでなんとなくまぶしい。ガラス張りの天井から差し込む太陽光のおかげで冬場だというのにポカポカする。このままドラマか映画の舞台にしても申し分ない造りだ。やはり、ヒーローのマネージャーという職業はかなり儲かるのだろうか。


 間も無くして江連さんが紅茶のカップを乗せた盆を持ってやって来て、対面のソファーに腰かけた。「どうぞ」と差し出されたカップを受け取りひと口すすってみれば、華やかな香りと嫌味のない甘さがパッと鼻の奥まで広がる。「おいしい」と思わずつぶやくと、「よかった」と微笑んだ江連さんは自身の分の紅茶をすすり、「本当だ、おいしい」とお茶目に笑う。素敵な人だ。正義のマスコミ(自称)とは大違いだ。


 ――と、本懐を忘れるところだった。俺は天山さんからの依頼を達成するため、手探りで会話を進める。


「その、江連さん。あなたはおじと、どういった関係だったんですか?」

「ほら。わたし、こんな脚でしょう? 駅で困っていたところを荘慈さんに助けていただいたんです。それから同じ駅で何度か偶然お会いして、連絡先を交換して、そこから親交がありまして」


 江連さんはそう言って自分の脚をそっと撫でる。


「彼からは、太一さんのことも少し聞いたことがあります。自分とは違って勉強のできる、性根が優しくて、自慢の甥っ子だって」


 おじさん、俺のことをそんな風に言っていてくれたのか。鼻の奥がなんとなく湿っぽくなってきたのを感じながら俺は、「そうですか」と呟く。


 このままじゃ、ふとした拍子に涙が落ちかねない。話を切り替えるべく会話のタネを探そうとさりげなくあたりを見回した俺は、彼女の使用している杖に色あせたウルトラフォースのキーホルダーが付けられているのを見つけた。そうだ。本題に入ればいいんだ。


「そのキーホルダー、ウルトラフォースですよね。俺も中学生のころ同じの持ってました。あの頃は、あんな風になれたらな、なんてよく思ってましたよ」

「わたしもです。自由に空を飛べたらどれだけ気持ちいいだろうって……」

「ですよねですよね。……そういえば、お家の玄関にウルトラフォースの絵が飾ってありましたよね。もしかして、江連さんって彼のファンなんですか?」

「いえ。実はわたし、彼の元マネージャーなんです。それに、正確に言えば彼のファンというわけじゃなくって、〝スーパーヒーロー〟のファンっていうか」


「マネージャーさんでしたか」と目を丸くし、精一杯の驚いた演技。感触は悪くない……気がする。


「だったら、今回の件はショックでしたね」

「ええ……まさかあんなことが起きるなんて、私たちも想定すらしていませんでしたから」

「ニュースを見て驚きました。スーパーヒーローが殺されるなんてこと、ありえないですよ普通じゃ」


 軽いジャブのつもりで放ったひと言に、江連さんはあからさまに険しい顔をした。つい先ほどまで柔和な印象しかなかった彼女があまりに鋭い目つきをしたものだから、俺は思わず固まってしまう。


「……殺されたとは、報道されていなかったと思いますが」

「そ、そうでしたっけ。俺が見たニュースサイトだと、殺されたなんて書いてあった気がしますけど」

「どのニュースサイトですか?」

「いやあ。どこだったかな」


 適当に煙に巻いた俺は紅茶をひと口含んで乾いた喉を潤す。彼女の疑いの眼差しは依然としてこちらを向いている。


「じ、実際、どうして亡くなったんですかね。老衰するような歳じゃなかったでしょうし」

「世の中には、詮索しなくたっていいこともありますよ、太一さん」


 冷たく言い放った江連さんは杖を突いてソファーから立ち上がるとキッチンへと向かい、飲みかけの紅茶をシンクに捨てた。


「申し訳ありませんが、そろそろ仕事もありますので」


 帰れと言いたいのは彼女のまとう雰囲気で十分過ぎるほど理解できた。慌てて席を立った俺はまだ半分ほど残っていた紅茶を一気に飲み干す。


「紅茶、ご馳走様でした。あと、すいませんでした。変なことを聞いてしまって」

「いえ。彼の死について気になる人が大勢いるのも無理はありませんから」


 江連さんは口元に僅かな笑みを浮かべる。その目は笑っていなかった。


「それでは。またご縁があれば」

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