三谷永太一の物語 その3
両親に香典の件を相談したところ、さすがにこんな額は受け取れないということになり、俺たちは江連さんに話をしにいくことになった。しかし彼女は斎場内のどこにもおらず、式場のスタッフに聞いたところ裏口から出て行ったのを見かけたとのことだった。恐らく彼女は、あの天山とかいう記者に捕まりたくなかったのだろう。そう考えると、ますますあの正義のマスコミ(自称)を恨めしく思った。
さて、おじさんの葬儀から3日経った1月20日の夜のこと。夕飯を食べた後、リビングでお笑い番組をぼぅっと眺めていると、母さんが冷蔵庫の中身をチェックしながら「ねえ」と声をかけてきた。
「太一。空いてる日でいいから、ちょっと荘慈の家の整理に行って貰えないかしら?」
「別に構わないけど。そんなプライベートなこと、俺がやっていいの?」
「こういうのは却って男同士の方がいいでしょ。それにホラ、お父さんは荘慈とはあまり仲が良くなかったし」
母さんの言う通り、俺の父さんはおじさんと仲が良くなかった。いや、はっきり言えば父さんはおじさんのことを嫌っていただろう。定職に就かずふらふらしているのをよく思っていなかったのは雰囲気でわかったし、母さんがそんなおじさんを庇うのも不満に思っていたのかもしれない。
「わかった、行くよ。ちょうど明日は午前で授業も終わるからさ」
「よかった。じゃあお願いね」
母さんはそう言うとおじさんの部屋の鍵を俺に手渡した。
翌日。12時ジャストで授業を終え、友人と別れて大学を後にした俺はそのままおじさんの家へと向かった。
おじさんの家には何度か行ったことがある。東京都練馬区の大泉学園にある2階建ての安アパートだ。「狭いおかげで掃除がしやすいところと家賃が安いのだけが取り柄」とおじさんが言っていた通り、アパートの外観は目に見えてガタがきているし、冬になると隙間風が冷たい。
電車とバスを乗り継ぐことおよそ1時間。おじさんの家に到着したのは、午後の1時を過ぎた頃だった。一歩踏み出すだけでギィギィ鳴る階段を昇り二階最奥の部屋へ。鍵を開けて部屋へ入れば、暗い室内はうっすらとカビ臭い。
とりあえず窓を開け放し、冷たくて新鮮な外の空気を取り入れる。太陽の光に照らされる敷きっぱなしの布団や、部屋の隅に雑に積まれた新聞雑誌を見ていると、まだおじさんがこの世に生きているんじゃないかと錯覚させる。そんなことはあり得ないとわかっているのに。
「……とりあえず、楽なところから片付けていくか」
誰に言うでもなく呟き、洋服の押し込められたクリアチェストを引き開けようとしたその時、玄関チャイムの鳴る音が響いた。大家さんかなにかだろうか。それとも、おじさんが生前頼んでおいた荷物が届いた、とか。
そんなことを考えながら扉を開けて出てみれば、玄関先に立っていたのはサングラスとマフラーで人相を隠した怪しい雰囲気の女性。「どちら様ですか」と問いかけてみると、「もう忘れたの?」とどこか聞き覚えのある声が返ってくる。
「この前会ったばっかりなのに」
そう言うと彼女はサングラスとマフラーを外し、不敵に微笑んだ。つんと高い鼻、好奇心で光る丸い瞳、艶のある長い黒髪。思い出した。彼女は〝自称〟正義のマスコミの天山摩耶さんだ。しかしまたなんでこんな人がこんなところに来たっていうんだ。
「なんでわたしがこんなところにいるんだ、って顔してるね」
いとも容易くこちらの心を見透かした彼女は俺にピシッと人差し指を向ける。
「三谷永太一。年齢は二十歳。大学生。母方の叔父である石田荘慈とは仲がよく、しょっちゅうふたりで出かけていた……で、あってるよね?」
「……あの。失礼ですが、いま忙しくて――」
「実はね、わたしはウルトラフォースの死について追ってるの。弾丸もミサイルも弾き返す文字通りの超人が誰に殺されたのか、君も興味があるでしょ?」
会話が一方通行なこと川の如しだ。人の話を聞く気がないのか、この人は。黙って扉を閉めようとすると、足を挟まれ防がれた。悪のマスコミのやり口である。俺は仕方なく会話を続けることにする。
「……言いたいことは色々ありますけど、そもそも殺されたってなんですか。あの人が殺されたなんて、ニュースじゃ言ってませんよ」
「それは規制が掛かってるだけ。数日のうちにウルトラフォースは『殺された』って報道が出るはず。だいたい、彼が死んだってニュースは発表された時に死因は報道されてなかったでしょ?」
……思えば、天山さんの言う通り、遺族の意向とやらで死因についての言及はなかった気がする。ニュースが流れた時はあまりのショックで気にかける暇もなかったが。
僅かに腕の力が緩んだところで天山さんが扉の隙間から猫の如く身体を滑らせて部屋の中に入ってきた。不法侵入以外の何者でもないが、ここまで来られると話を聞かずに追い返すというのもできそうにない。
「それで、俺になんの用ですか」と再度訊ねてみれば、彼女は人差し指を立てて俺の眼前に突き出してきた。
「要件はひとつ。シンプルかつ簡単。三谷永くん、わたしと手を組まない?」
「なんですかそれ。手を組んで俺になんのメリットがあるんですか」
「君、おじさんの死について不審に思ってるんでしょ? わたしは、あなたの知らない石田荘慈について知ってる。もしかしたら、そのことが彼の死に関わってるのかもしれない。その情報と引き換えに、君はわたしに協力する。どう?」
……どこからそんな話を聞いてきたのか、なんてつまらないことを訊ねるつもりはない。天山さんの言っていることが嘘ではないというのなら道はひとつだ。
「……それ、本当ですよね?」
「知らないの? 正義のマスコミは嘘をつかないの」
天山さんはずいぶん自慢げにふふんと鼻を鳴らした。
◯
天山さんに連れられるままおじさんの家を出た俺は、彼女の乗ってきた白塗りの乗用車の助手席に乗り込んだ。「えーっと」なんて呟きながらレバーを引いたりスイッチを押してみたりしてなんとか車を発進させた彼女の姿は、俺を不安に陥れるには十分過ぎて、できることなら運転を代わりたいと心中で願った。
おっかなびっくり車を運転する天山さんは緊張を和らげるためなのかやたらと喋り、日本の国防費がどうだとか、ウルトラフォースを失った今後の日本の世界における立ち位置だとか、小難しい話をこねくり回している。そんなことはいいからこれから何をするつもりなのか教えて欲しいのだが、会話を遮った拍子に事故を起こされてはたまったものじゃない。俺は死の危険を感じながら、彼女の話に適当な相槌を打つ他なかった。
30分ほど車を走らせた後、天山さんは通りにある洋菓子店の駐車場に車を停めた。「ちょっと待ってて」と言い残し店内に入っていった彼女は、間も無くして小さな箱を片手に車内に戻ってくる。
ちょうどいいタイミングだと思い、俺は思い切って「あの」と声を上げた。
「天山さん、いい加減に教えてくださいよ。何をするために、どこまで行くつもりなんですか」
「はい、コレ」
相変わらず話を聞くつもりがないとみえる天山さんは小さな箱を俺の膝の上へ置いた。
「これは?」
「ちょー高いケーキ。江連朝顔への香典返し。お香典、ずいぶん包んでもらっちゃったんでしょ?」
「……どこでそんなことまで調べたんですか」
「正義のマスコミに不可能はないの」
ふふんと鼻で笑った彼女はさらに続けた。
「太一くんにはこれから江連朝顔の元へ向かってもらう。それで、彼女からウルトラフォースが殺された件について聞いてもらうの」
「香典返しに来た人が急にそんなこと聞いたら意味不明ですし、なにより江連さんがウルトラフォースとなんの関係があるんですか」
「ああ、そういえば説明してなかったっけ。あの人、ウルトラフォースのマネージャーなの。まあ、彼が殺された今となっては〝元〟って頭についちゃうかもしれないけど」
天山さんの提案の理由はわかったが、それでもやはり気が進まない。俺がそんな、無神経なマスコミの真似事をするなんて。
「大丈夫だって。向こうだって太一くん相手ならそう警戒しないはずだから。世間話を振るみたいに軽く話せば、ぽろっと有益な情報が聞けちゃうよ」
「世間話で身内が殺された話を簡単にしてくれるわけがないじゃないですか」
「まあまあ、そこはホラ。太一くんの腕の見せ所ってコトで」
呑気な調子で言った天山さんは車を発進させた。
「おじさんの死についての真実を知りたいんでしょ? ギブアンドテイクだよ」