天山摩耶の物語 その9
1月26日。昼過ぎまでぐっすり寝て、埼玉県の富士見市にある『心愛産婦人科』まで向かったのが午後15時過ぎのこと。アポを取れるわけがないので、当然ながら突撃取材だ。
家からミニクーパーを走らせること一時間余り。病院に着くと、広い駐車場は半分ほど車で埋まっていた。車を停めて院内に入れば、看護師たちが忙しそうに動き回っている。あの人たちに話を聞いてもあしらわれるだけだろう。となれば――。
職員の目を避けながら、診察を待つ人のふりをして待合室の椅子に座る。それとなく辺りを見回せば、若い妊婦さんの三人組が井戸端会議に勤しんでいる。小ぶりなスイカを抱えたくらいのお腹の大きさを見るに、それなりに長いことこの病院に通っていることだろう。話を聞くにはちょうどいい。
彼女達の元に忍び寄ったわたしは、「あの」と小声で話しかけた。
「ちょっとお話いいですか?」
「はい?」と、三人組の困惑したような視線がこちらに向く。すかさずわたしは手持ちのカバンから江連さんの写真を出して彼女達に見せた。
「この病院に、こんな人が入院していたと思うんです。ご存知ありませんか?」
すると三人のうち一番背の低い女性が、「ああ」と明るい声を上げた。
「この人なら、検査に来たとき見たことありますけど。どうしたんですか? この人、何かやったんですか?」
「いえ、そういうわけでもないんですけど。この人に面会に来た方がちょっとした有名人でして」
「有名人?」と声を揃えた三人の目が好奇心でギラリと光る。知っていることなら何でも話してくれそうだ。
ひとつ間を置いて彼女達の興味を惹いたわたしは、「実は」と小声で切り出す。
「あの、スーパーヒーローのウルトラフォースなんです」
途端に三人はにわかに興奮したような表情になった――までは想定内だったが、「ええー?」「ウソウソ」「恋人だとか?」「お子さんがいたとかなのかも」「でもでも、結婚してないでしょ」「だとしたら大スキャンダル?」などと勝手に井戸端会議を再開してしまったのは誤算だった。病院関係者が来る前に早いところ話を聞いて退散したいところなのに、自分達の世界に入ってしまった三人はこちら側に戻ってくる気配がない。
なんとかしてあの中に割り込まないと。思い切って三人の会話を「あの」と大きな声で堰き止めたわたしは、こちらに注意が向いているうちに続ける。
「ウルトラフォースがこの人に会いに来たのを見た方っていませんか? いたらお話をお聞きしたいんですけど」
「――取材は責任者の許可を取ってからにしてくれますか? 警察呼びますよ」
背後から刺してくるような冷たい声。固まる全身。三人組は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。マズい。事情聴取なんてことになったら面倒だぞ。
マネキンみたいになった身体を捻り、恐る恐る振り返るとそこにいたのは――。
「患者さんが騒いでるから何かと思ったら……なにコソコソやってんの、あんた」
医療用の白衣に身を包む、呆れ顔の三谷永さんだった。
◯
イタズラする子猫を運ぶ親猫のようにわたしの首根っこを掴んだ三谷永さんは、そのままわたしを病院の外へと連れ出した。追い返されるのかと思いきや、彼女はわたしを病院の駐車場にある自販機のところまで連れて行くと、温かいコーヒーを買ってわたしに差し出し、自分は電子タバコを吸い始めた。中で話すわけにもいかないから、ここまで連れ出したというところだろう。ひとまず警察に突き出されるようなことはなさそうだ。
三谷永さんはしかめ面で白い煙を吐き出す。
「……ここまで嗅ぎつけたんだ。よくやるわ。嗅覚どうなってんの」
「まあ、それが仕事だから」
プルタブを引いて缶コーヒーの口を開けたわたしは、温かい液体をひと口飲んだ。
「ねえ、三谷永さんは何か知らないの? ウルトラフォースがここに来てたのは間違いないの」
「知ってるよ。てか、あんたに渡そうとした情報って、まさにそのことだし」
「じゃ、じゃあ! 教えてくれるよね?!」
「いいけど……うちの弟の件、大丈夫なんだろうね? いまはとりあえず鎮火してるっぽいけど、いつ燃え出すかわかんないよ、あれじゃ」
「大丈夫。そっちの方も、何とかなる見込みはあるよ」
「ならいいけど」と三谷永さんは息を吐く。
例の事件について伝えれば、太一くんは少なくとも石田荘慈を追いかけることはやめるだろうから、嘘はついてないよね? まあ、伝えたら伝えたで別の問題が起きる可能性もあるけど。
三谷永さんは電子タバコの煙をぼんやり燻らせながら、ぽつぽつと話し始めた。
「去年の12月12日の深夜、急患が運ばれてきたの。それが江連朝顔さんだった。付き添いで来たのは……というより、空を飛んで彼女を運んできたのがあのウルトラフォース。江連さんは夜のうちに手術を受けて、それからしばらく入院してた。ウルトラフォースもよくお見舞いに来てたよ。屋上から入って窓から出ていくってカンジで、お忍びだったけどね。彼女が退院したのは12月20日。運び込まれた時とは違って車いすなんて用意されてたからよく覚えてる」
「ウルトラフォースが亡くなったことと、江連さんの件になにか繋がりはあると思う?」
「さあね。だって、あの人って殺されたんでしょ?」
三谷永さんは興味なさげに煙を吐く。
「けど、もし江連さんが病院で亡くなってて、それで自殺したんだったら納得だったんだけどね。文字通り、死にそうな顔しながら江連さんを病院まで連れてきてたからさ」
「死にそうな顔?」
「そ。なんか、世界の終わりっていうかさ。そんなカンジの顔」
疲れた顔で首を小さく横に振った彼女は、電子タバコを吸殻ごとポケットに入れると病院の方へと歩き出した。
「そろそろ行くわ。言っとくけど、二度と来ない方がいいよ。あたし以外の人に見つけられたら通報されるんだから」
「あ、うん。ありがとね」
「お礼なんかより、太一のことホント頼んだからね。あいつ、姉の言うことなんて聞きやしない頑固ヤローなんだから」