天山摩耶の物語 その8
わたしが例の映像のショックから立ち直ったのは、一日経った1月24日の夜のことだ。まさか自分がああいったことにここまで耐性がないとは思わなかった。自分の生死には割と疎いところがあるのにな。強烈な生々しさが鼻腔にこびりつき、今でも息が詰まるような気がする。
気付けのために冷蔵庫に入れてあったペットボトルの冷たい水を一本丸々喉の奥に流し込む。気分は冴えないが、吐き気は多少マシになった。
熱々のコーヒーを用意して、それをゆっくり飲んでいると、自然と頭が回って思考を紡いでいく。
江連朝顔さんと石田荘慈の本当の関係はわかった。自身が辱めを受けた映像を回収するため遺族と接点を持とうとしたのだとすれば、石田の葬儀に参列して多量のお香典を置いていったことについても説明がつく。わたしに周囲を嗅ぎまわらせないよう刺客を仕向けた理由は……単純に、自分が受けた被害を誰にも知られたくなかっただけだろう。そのために頼った相手が、たまたま石田が勤めていた会社の連中というのが、なんとも皮肉なものだが。
この件についてはもう追わない方がいいだろう。被害者がそれを望んでいないし、加害者はもう亡くなっているんだし。動画が入ったUSBも……折を見て彼女に渡さなくちゃいけないな。
それと、太一くんにもこのことを伝えなくちゃ。石田荘慈が自殺した原因はわからなかったが、彼が起こした事件について話せば、彼の死を追うこともしなくなるはず。……三谷永さんにもこのことを伝えなくちゃいけないのかな。考えるだけで気が重い。
ため息をついたところでお腹がぐぅと鳴り響いた。我ながらなんとも図太いものだが、どんな時にでもお腹は減るもんだ。仕方ないよねと自分を納得させつつ冷凍パスタを電子レンジに入れれば、あとは出来上がるのを待つだけ。空腹を紛らわすため、椅子に座ってテレビをつけると、警察が大手マスコミ向けに記者会見を行っている様子が生中継されていた。
「――つまり、ウルトラフォースこと佐々木邑李氏は、何者かによって殺された可能性が極めて高いというわけであります。無論、犯人につきましては目下捜査中でありまして、詳細な情報は話すことはできないわけでありますが、日本警察の威信にかけましても、本事件の犯人は必ず――」
〇
ウルトラフォースはただ死んだのではなく、誰かに殺された。
彼は世界で唯一の超人だ。世界中のどんな兵器を用いたところで殺すなんてできるわけがない。それなら、いったいどこの誰がスーパーヒーローを殺したのか?
スーパーヒーローを殺すことの出来る〝何か〟が地球上に存在するのか? 細菌兵器か、遺伝子操作で生み出した生物兵器か……。でも、正直このセンは考えにくい。たとえば彼を殺し切るほどの強力な兵器が発動されたとするならば、それは周囲に隠しきれないほど大きな被害を及ぼしているはずだ。しかし現在そういった被害の情報はない。スーパーヒーローだけを殺す何かしらがあるとすれば別だけど、被検体が彼以外に存在し得ない以上、そんなものを作ることは不可能に近い所業のはずだ。
だとすれば、有力なのはウルトラフォ―ス自殺説。自身の瞳から照射される熱光線を自分の身体に当てたのか、鋼鉄の腹筋を槍のような腕で貫いたのか……どういった方法を用いたのかはわからないが、誰かが殺したと考えるより自然である。この説を採用するとなると警察がわざわざ〝殺された〟なんて表現を使った理由が不明になるが、自殺としてしまうと都合の悪いことがあると考えれば一応の説明はつく。たとえば、政府高官が自殺の原因の一旦を担っていた、とかね。
そうと決まれば早速調査だ。気合入れろ。なんて風に記者魂に火をつけたのは、太一くんに石田荘慈の裏の顔について伝えるという大仕事を少しでも後回しにしたかったからである。
その日からわたしはネットを用いて情報収集をはじめた。玉石混交の情報の中、拾い上げるべきはウルトラフォースの目撃情報。写真や動画があればなおよし。彼が行きつけにしていたレストランや美容室などがわかれば、その周辺で聞き込みをしたい。
SNS上で『ウルトラフォース』と検索をかければ、お悔やみの言葉や陰謀論的発言がそれこそ数えきれないくらいヒットする。彼の死が公表される以前に日付指定して検索すればずいぶんとマシになって、それでも一日につき数万件ほど書き込まれているんだからさすがというべきだろう。
書き込みをひたすら遡っていく。左クリックのしすぎで腱鞘炎になりそうだ。延々と歩くのに比べたらまだマシだが、これはこれで辛いものがある。
作業を続けること十数時間。ふと窓の外を見れば、空はいつの間にか明らんでいる。こんなことを寝ないで一日中続けてしまっていたらしい。我ながらよくやるもんだ。
あくびを垂れ流しながら「とりあえず寝るかぁ」と誰に言うでもなく呟き、パソコンを閉じようとしたところ、ふと視界に飛び込んできた写真に目を奪われた。
書き込み内容は『患者さんに手を振るウルトラフォース! かっこいい!』。窓から外を見つめる入院患者に対し、神妙な面持ちで手を振るウルトラフォースの写真が添付されている。
世間一般の人から見れば何てことのない一枚に終わるが、問題となるのは入院患者の方で、その人物は紛れもなく江連朝顔さんだった。
江連朝顔と病院。このふたつの組み合わせにピンとくるものがあって、写真から調べてみれば、この病院が『心愛産婦人科』という名前の産婦人科病院であることがわかった。
――やっぱりだ。
江連さんは石田荘慈から暴行を受けた後、産婦人科病院に入院した。そしてウルトラフォースは彼女が受けた被害を――そして恐らく、彼女を傷つけた犯人も知っていた。
これらのことがウルトラフォースの自殺に繋がっているのかはわからない。でも、当時の彼の様子を少しでも知りたい。この病院に行って聞き込みだ。
……その前に、ひと眠りしなくちゃ。このまま外に出たらわたし、間違いなくぶっ倒れるぞ。